書籍、CD、DVD、映画など

2020年9月21日 (月)

ミス・ダンデライオン/南十字星駅で

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「ミス・タンデライオン」「南十字星駅で」ともに、2010年3月、サンシャイン劇場での公演の映像。
原作は、「クロノスジョウンターの伝説」(梶尾真治)の、「鈴谷樹里の軌跡」と「野方耕市の軌跡」。

ミス・タンデライオン
岡田さつき 岡田達也 阿部丈二 前田綾 筒井俊作 石原善暢 小林千恵 稲野杏那 西川浩幸
鈴谷樹里 岡田さつき
青木比呂志 岡田達也
吉澤 阿部丈二
北田/武子前田綾
古谷 筒井俊作
葉山/吉本 石原善暢
水村/祥子 小林千恵
11歳の樹里 稲野安那
野方耕市 西川浩幸

南十字星駅で
野方耕市 西川浩幸
片倉珠貴 岡内美喜子
萩塚敏也 左東広之
海老名/佳江 坂口理恵
鶴巻/松田 多田直人
耕平/湯河原 三浦剛
凛香/山北 原田樹里
めぐる 渡邊安理
頼人/22歳の耕市 畑中智行

吹原和彦の軌跡→「クロノス」
映像:http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-8de5cc.html
シナリオ:http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-38b24d.html
布川輝良の軌跡→「あしたあなたあいたい」
映像:これから見る
シナリオ:http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-54ab09.html
鈴谷樹里の軌跡→「ミス・タンデライオン」
映像:今回のDVD
シナリオ(「あしたあなたあいたい」に収録):http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-54ab09.html
きみがいた時間ぼくのいく時間→「きみがいた時間ぼくがいく時間」
映像:http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-e2132c.html
シナリオ:http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/caramel-library.html
栗塚哲矢の軌跡
野方耕市の軌跡→「南十字星駅で」
映像:今回のDVD

ネビュラプロジェクト

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2020年9月18日 (金)

なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える

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著者は、ずっと以前に読んだ、2003年に刊行されたバナナを書いた渡辺さん。
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167838706

本書は裁判の前に書かれたていて、事件を探るという内容ではない。
けれど、障害のある人やあれこれ思索する人の「障害者」「障害」「やまゆり」ではなく、障害者と衝撃的な関係をもった経験を持つ「健常」な人による「障害者」「障害」「やまゆり」が、新鮮に落ちてきて、「障害者」「障害」「やまゆり」のことを考える手がかりになっている。
それは、このシリーズがターゲットにしている読者層を想定しながら書かれているからだろう。
そのことが、タイトルに現れている。
ただし、「解」はない。
そして、あらためてCILの歴史をふりかえることができた。

本書を手にしようと思ったのはもうひとつ理由があって、それはコロナ禍である。
この冬からずっとコロナ禍で、最近はゆるゆるになってきたものの、外に出ることが控えられ、劇場の公演や美術館での展覧会が中止となってしまっていた。
美術館が再開されても、多くが日時指定の予約をしなければならず、「あ、絵を見たい気分」と思い立ったが吉日でふらっと美術館に行ってみるという楽しみは、今はまだない。
「計画」「予定」に縛られている。
そのことが、さまざまなサービスを組み合わせて「自立」の暮らしをつくっても、それは「計画」「予定」を前提としているのであれば、そうしたサービスを利用せずとも暮らしていける人の気ままさには遠く及ばないのだろうなとも考えてしまったのであった。

振り返れば、相当長い間「障害者」「障害」とかかわる仕事をしてきた。
じっさいに仕事をしていた時期は、すでに国障年を過ぎて、資金が潤沢にあった頃だが、それでも親たちが作業所を作っていったり、『「青芝」のメンバーが引っ越してくるんだってよ』と、職場が身構えていたこともあった。
提供できるものがほとんどないなかでの「措置」の時代から、「運動」の時代を経て、紆余曲折を経て成立した「障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律」(障害者総合支援法)による「支援」が行われる時代となってはいるが、疑問を持つことは、多々ある。
例えば、利用者とサービスを提供する事業者は対等な関係とされ、障害者が自らサービスを選択して、契約を交わした後にサービスを利用するというプロセスをふむが、その契約内容は事業者が示した契約内容であって、利用者が契約内容を示して事業者が応じるものではない。
これで、「対等」と言えるのかしら?

障害者総合支援法の基本理念を規定した第一条の二の条文を、段落を加えて書いておこう。
障害者及び障害児が日常生活又は社会生活を営むための支援は、
・全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、
・全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、
・全ての障害者及び障害児が可能な限りその身近な場所において必要な日常生活又は社会生活を営むための支援を受けられることにより社会参加の機会が確保されること及び
・どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと
・並びに障害者及び障害児にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものの除去に資することを旨として、
総合的かつ計画的に行わなければならない。

職場に某大学の福祉実習生が来ているのだが、「こんな夜更けにバナナかよ」は知らなかった。
「映画はどうでもいいけど、本は読んでおけ」と、命じておいた。

はじめに
第1章 障害者は本当にいなくなったほうがいいか
第2章 支え合うことのリアリティ
第3章 「障害者が生きやすい社会」は誰のトクか?
第4章 「障害」と「障がい」—表記問題の本質
第5章 なぜ人と人は支え合うのか
あとがき

渡辺一史/著
筑摩書房
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480683434/

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2020年9月16日 (水)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 公式図録

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先日、観に行ってきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-84dfdd.html
本書を眺めながら、展覧会を思い出す。
作品それぞれの解説が詳細で、展覧会では示されていなかったことも多い。

ナショナル・ギャラリーには、15年以上前にロンドンに行ったときに、2度行っている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/post-e73c.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/post-3fe4.html
イースト・ウイングとノース・ウイングは観たが、セインズベリー・ウイングやウエスト・ウイングには足を踏み入れなかった。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーにおける西欧絵画収集
ロンドンのランドマーク:ナショナル・ギャラリーの建築
ベネファクター列伝
カタログ
 I イタリア・ルネサンス絵画の収集
 II オランダ絵画の黄金時代
 III ヴァン・ダイクとイギリス肖像画
 IV グランド・ツアー
 V スペイン絵画の発見
 VI 風景画とピクチャレスク
 VII イギリスにおけるフランス近代美術受容
ゴッホの「ひまわり」の連作を巡って
ロンドン・ナショナル・ギャラリーを訪れた明治・大正次代の日本人画家たち
関連年表:イギリスにおける西洋絵画収集史とロンドン・ナショナル・ギャラリー
参考文献
出品リスト

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東京会場:2020年6月18日(木)~10月18日(日)
大阪会場:2020年11月3日(火・祝)~2021年1月31日(日)
https://artexhibition.jp/london2020/sales/

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2020年9月15日 (火)

ナチスが恐れた義足の女スパイ 伝説の諜報部員ヴァージニア・ホール

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どこまでが事実なのかは確かめようがないが、あたかも映画を見ているような印象で読み進んだ。
外国勢力の支配に対する人々の抵抗は、アルジェリアやベトナムなど、フランスは逆の立場での経験もあるはずだが、そうしたフランスが逆の立場であったことを見たであろうヴァージニアは、そうしたフランスのありようを、どう考えていたのだろうか。
そして、戦後、「Collaboration」として断罪されたひとたちのなかに、もしかしたらヴァージニアとともにあった娼婦たちも、いたのかもしれないと思うと、フランスを別の角度からも見なければならないかもしれない。

たとえばP.171の「三階です」のように、建物の階を示している表現はいくつかあるが、この「三階」は、日本でいう「三階」なのか、フランスの「Rez-de-Chaussée」「Premier étage」「deuxième étage」「
Troisième étage」なのか、原文はどなっているのだろうか。

読売新聞書評
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20200725-OYT8T50110/

第一章 夢
第二章 機は熟せり
第三章 私のふしだらな友人たち
第四章 ディンディにさようなら
第五章 一二分、一二人
第六章 スパイたちの伏魔殿
第七章 非情の山
第八章 最重要指名手配エージェント
第九章 雪辱
第一〇章 山々の聖母マリア
第一一章 頭上の天空から
第一二章 CIAでの歳月

ソニア・パーネル/著
並木均/訳
中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/tanko/2020/05/005307.html

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2020年9月12日 (土)

豪華映画二本立て「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」「バルーン 奇蹟の脱出飛行」

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相模大野の車庫に入っていたSEが、なぜか外に出ていた。

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さて、まずは「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」である。

湖のあるHeimatから汽車に乗る駅は、SHÖRFLING、そこは、Attersee、Salzkammergut。
しかし、ロケはアッター湖ではなく、南チロルだったようだ。

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着いた駅は、ウィーン西駅(Wien Westbahnhof)だろうが、えらく小さい。
ロタンダが火事?

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フランツは、フロイト教授を訪ねる。
フロイトがウィーンで住んだところは、いま、フロイト博物館となっているが、映画での映画でのフロイト教授が住む建物は、別の建物のようだ。

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それで、フランツとフロイトが語り合うこのシーン。
アルベルティーナのテラスではないか。

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フランツがフロイト教授といっしょにいくカフェは、Café Landtmannっぽい。

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そして、ウィーンのゲシュタポの建物であるが、いまは存在しない。
その跡地には、「Denkmal der Opfer der Gestapo」(ゲシュタポ犠牲者のための記念碑)があるのみ。

映画は、う・・・・む、フロイトと17歳とくれば、「リビドー」に満ちた映画であった。

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プログラムは、買った。

「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」公式
https://17wien.jp/

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続いて「バルーン 奇蹟の脱出飛行」。
DDRとくれば、このトートバッグでしょう。

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しかし、である。
冒頭で背景が語られるが、なんと、英語。
なぜ独語じゃないんだ?
そうか、この映画はUSAも関与していたのか。

学校の成年式での歌「Unsere Heimat)は、2018年のドイツ行きで、ドレスデンのDDR博物館で聞いた(もしかしたらライプツィヒのシュタージ博物館での「WIR SIND DAS VOLK!」展でだったかもしれない)。
https://www.youtube.com/watch?v=f5wQ1AQdjlQ

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電気技師ペーターは、Wartburg(ヴァルトブルク)を運転しているのだが、舞台がテューリンゲンだからアイゼナハで生産されていたWartburgで、Trabantではないのか。
型式は1956年に生産が始まった、Wartburg 311のようだ。
1965年にはWartburg 353にモデルチェンジしているので、入手はそれ以前なのだろう。
それにしても、1979年の脱出までよく走り続けたものだ。
もっともDDRでは車を自分で整備するのは当たり前だったので、電気技師であれば当然だったのかもしれない。
しかし、シュタージは、車を買った人物のチェックはしていないのだろうか。
ヴァルトブルクの持ち主を当たれ、というシーンは、なかった。

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「壁」のあるBrandenburger Torと、Unter den Lindenは、CGだろうな。

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ヘリコプターは、Mi-2だろう。

ペーターの家にあるラジオには、「REMA MON」とあったが、これだったか。
https://www.flickr.com/photos/gynti/4122835332

ペスネック(Pößneck)が舞台となるが、場所はライプツィヒの南西約80kmに位置している。
https://www.poessneck.de/de/landingpage.html
そして、脱出に成功する直前、ザイデル中佐のセリフに「ブランケンシュタイン(Blankenstein)」の地名が出てくる。
当時のDDRとBRDの国境沿いの、DDR側のエリアだ。
ただし、ロケ地はペスネック(Pößneck)ではなく、バイエルンのノルトハルベン((Nordhalben)。

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気球が飛んだのは、ツィーゲンリュック(Ziegenrück)、降りたのは、オーバーフランケン地方の街ナイラ(Naila)

映画としては、USAがからんだせいなのか、画面上はこれでもかこれでもかとスリルの連続である。
当時のDDRの閉塞感、重圧感を表現したかったのかもしれないが、たとえば、ペーター家の長男フランクがお向かいのバウマン家(親父のエリックはシュタージだと)の娘クララに宛てた手紙をポストから取り戻すときにいきなりワンコが吠えるのは、あまりにも唐突すぎる演出だと思った。
ほかでも、シュタージが呼び鈴を鳴らしたのがいかにもペーターの家だと思わせ、じつはフランクが帰ってきたのであったというシーンも、やり過ぎじゃないかと思った。
その意味では「僕たちは希望という名の列車に乗った」のほうが、控えた演出で臨場感をたっぷり味わうことができたと思う。

「善き人のためのソナタ」のヴィースラー大尉は左遷後は封書を開ける業務についていたが、シュトレルツィク家の家族とギュンター池の家族の逃亡を許してしまったザイデル中佐、お向かいのエリック・バウマンは、責任を問われたのか。

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プログラムは、買った。

「バルーン 奇蹟の脱出飛行」公式
https://balloon-movie.jp/

いずれも、アルテリオ映像館にて。
https://kac-cinema.jp/

映画の場面の画像は、トレーラーより。

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2020年9月 6日 (日)

猫の舌に釘をうて 都筑道夫コレクション<青春篇>

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前回読んだのは講談社版。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-598f.html
その前にも読んでいる。
初版は東都書房、その後、三一書房、平安書房、そして講談社文庫、光文社文庫と変遷しているが、どの版だったかの記憶にはないが、文庫ではなかったことを思うと、三一書房か平安書房だったのだろう。
本書には、文庫未収録作品が抱き合わせになっている。

昭和36年当時の東京の地名がかしこに出てくるので、昔の地図と比べてみた。
たとえば、舞台になる「サンドリエ」は、「五年前まで、紀伊国屋脇のとなりの、新星館という映画館へ、大通りから入っていく左がわ」(P.31)にあったが、現在は歌舞伎町にあるとされている。
本書にある「平安書店版『猫の舌に釘をうて』あとがき」に、経緯が描かれている。

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塚本有紀子の家があるのは、「文京区の表町」、都電であれば伝通院前」(P.33)、「この家を出て、柳町へくだる坂をおり、右にいったところの、源覚寺」、「沢蔵司稲荷は、この家の二階へあがれば見下ろせる」(P.35)といった記述で、おおよその場所がわかる。
淡路瑛一の家は大塚仲町あたりにあったようだが、大塚仲町から塚本有紀子の家に向かうのに「中澤とは大塚仲町の交叉点でわかれた。安藤坂上まで都電でいって、ひろい通りを歩いていくと、つきあたりは、石柱だけで、扉のない伝通院の山門だ」(P.65)とあるのだが、大塚仲町からであれば都電で伝通院前まで行くのに、安藤坂上(という電停名は見つけられない)から下るとなると、乗り換えが必要になると思うのだが、なぜ遠回りをしたのだろうか。

「青蛾」(P.78)は、1981年に閉店したそうだが、新宿東口の三越(現在の伊勢丹ではない)裏のごちゃごちゃした路地にあったころ、行ったことはある。

猫の舌に釘をうて
哀愁新宿円舞曲
 娼婦の街
 歌舞伎町夜景
 風のたたずむ窓
 トルコ・コーヒー
 狂犬日記
 手紙の毒
 HgCl2
 乳房のあるサンドイッチ
 小説・大喜利
 穴だらけ 一幕
ショート・ショート
 蛇
 随筆の書けなくなったわけ
 雑談小説こねこのこのこねこ
エッセー
 恋愛小説の世界
 三一書房版『猫の舌に釘をうて/三重露出』あとがき
 平安書店版『猫の舌に釘をうて』あとがき
 自伝・ショート
なめくじの舌に釘をうて 辻真先
<青春篇>解題 神保博久

都筑道夫/著
光文社文庫

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2020年8月28日 (金)

建築でめぐる日本の美術館

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本書の84の美術館のうち、行ったことがある美術館は15、まあ、近場にある美術館になるのは仕方のないところだろう。

レパートリーごとに、北から南に並んでいる。
個々の地図はついているが、このあたりにあるのね、ぐらいだろう。
この近くにあるかなという地図ではないので、どこかに行こうと思ったときに、きちんと調べておく必要がある。

以下の目次の数字は、掲載された美術館の数と、行ったことのある美術館の数。

はじめに
01 押さえておきたい名建築ミュージアム (24/8)
02 ひとりの作家のために建てられた個人美術館 (27/4)
03 個人のコレクションから生まれた私的美術館 (9/0)
04 ユニークな作品や企画展が楽しめるこだわり美術館 (20/3)
05 一日中いても飽きないアートの街 (4/0)

土肥裕司/著
株式会社 ジー・ビー
https://gbeshop.thebase.in/items/28267683

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2020年8月27日 (木)

ソ連現代史 I ヨーロッパ地域(世界現代史 (29))

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本書は1980年の刊行で、ソ連ではブレジネフの停滞時代真っ盛りの時期である。
このころまでのソ連の戦後の歴史をざっくり見ると、
1947年9月 コミンフォルム結成
1953年3月 スターリン死去
1956年2月 ソ連共産党第20回大会、フルシチョフが「スターリン批判」
1964年10月 ブレジネフ体制
1968年8月 チェコスロバキア侵略
1979年12月 アフガニスタン侵略
という出来事があった。

この時代に書かれたソ連の歴史なので、ある意味では本書自体が「歴史的」である。
著者は2004年に亡くなっており、本書執筆後のソ連・ロシアの動きも見ていたはずなので、本書以後の、ペレストロイカの頃やソ連崩壊後を経てのソ連史の見方、著者自身の見方や著者以外の評価などと比べてみると面白いだろう。
たとえば、マルクスとナロードニキとの関係、ロシアの農村共同体、1906年から14年のロシアの状況、ロシアでの特殊な諸条件に制約されていたはずのロシア革命やソ連を普遍的なものであるとした認識など。

ナロードニキとの関係を巡って、本書では「共産党宣言」ロシア語版への序言の最後の文章が「ロシアの共同体は、たとえ太古の土地共有制の著しく崩壊した形態であるとしても、より高度の共産主義的な土地所有形態に直接移行しうるものなのか?・・・・・・もしもロシア革命が西ヨーロッパのプロレタリア革命に対する合図となるなら、そして両者が互いに補いあうならば、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となりうる」(P.86~87)。
この文章がどこから引用されてたのかは、明示されていない。
服部文男訳版(新日本出版社刊)の同じところを見てみよう。
ロシアのオープシチナ(農民共同体)は、たしかに原始的な集団的土地所有のすでにいちじるしく崩壊した形態ではあるが、いっそう高度の、共産主義的な土地所有の形態へ直接移行することが可能であろうか?(中略)もしもロシア革命が西ヨーロッパの老フォウ者革命の合図となり、それゆえにこの両者がたがいに補いあうならば、現代のロシアの土地所有は共産主義的発展の出発点となりうるであろう。(P.12)
https://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-02618-5/

農奴制から解放、ロシア革命、戦時共産主義、新経済政策、コルホーズやソホーズとたどったロシアの農村は、いま、どんな経営が行われているのだろうか。

本書では、文化的側面にはほとんど言及していない。
ロシア・アバンギャルドは、おそらく「さまざまの傾向の芸術活動もまだ許容されていた」(P.281)の一文のなかに含まれているのだろう。

ヨーロッパ=ロシア—自然と民族
I モスクワ=ロシアと西欧化
II 農奴解放とロシアの近代化
III 反体制の思想と運動
IV ロマノフ朝の崩壊
V 十月革命
VI ロシア革命の理想と現実
VII ボリシェビキの一党国家体制
VIII スターリンの独裁
IX 第二次世界大戦とソ連
X 戦後のソ連
エピローグ
付録

倉持俊一/著
山川出版社
https://www.yamakawa.co.jp/product/42290

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2020年8月23日 (日)

ゲッペルスと私 ナチ宣伝相秘書の独白

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映画を見る機会はあったのだが、積極的な気持ちが湧いてこなかったので、見ていない。
映画を知ったのは、岩波ホールに別の映画を観に行ったときで、ポスターに書かれていた「なにも知らなかった 私に罪はない」というフレーズに、またか、と思って、見ようという気持ちにはならなかった。
https://www.iwanami-hall.com/movie/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E7%A7%81

ポムゼルが語ったこと、ナチス体制に組み込まれなければ暮らしていくことが難しかったことは、当時のドイツの多くの人が程度の差はあれ、経験したことに違いない。
事前に映画や本について何も知らずに読むと、「へえ、大変な経験をしたのね」と、多くの「知らなかった」経験談を見聞きしたときと同じように、通り一遍の感想で終わってしまいそうだ。
その経験を語ってくれと言われて、知らなかった、仕方がなかったとすることも、自身の経験・記憶はおそらく、意識的にか、あるいは無意識的にかは問わず、ナチス体制が崩れたあとになって幾多の年月が過ぎる間に、本人のなかで「合理化」されていったと考えざるを得ない。
そうした「合理化」も、1930年代から戦後の時代を生き延びた多くのドイツ人には、大なり小なり共通していたのではないだろうか。
近所の人々がいなくなったこと、ヒトラーについて些細なことを言ったことで逮捕されてしまうことがあったこと、同僚が帰ってこないことなどを見聞きしたとしても、そこで「自分を守る」動きをしてしまうのも、ふつうのことだろう。
そして過去にとどまらず、「テレビをつければ、シリアで恐ろしい出来事が起きているのはわかる。たくさんの人々が海で溺れているのが報道される。でも、そのあとテレビではバラエティ・ショーが放映される。シリアのニュースを見たからといって、人々は生活を変えない」と現代を見ているポムゼルの話には、ふむふむと納得してしまうのである。
けれど、こうした態度が、ポムゼルがいた体制の、そしていま日本や世界を覆っている政治や情勢の思うツボなのだろうなと、本書を脇に置いたときに思い直す。

自分にとって受け入れることができない事象に対して「否」と声をあげることとは、何だろうか。
ナチス体制にどう向き合うかといった大きなことではなくても、たとえば、自分の仕事のなかで、他者から自分の仕事に対するクレームを受けたとき、しかもそのクレームになるほどねと思うような内容が含まれていたとき、仕事人としてクレームに向き合うか、市民としてクレームを聞くかという場面があるだろう。
先日の、「黒い雨」訴訟での、控訴しない意向であった広島県と広島市が、国とともに控訴することにしたことも、似ているかもしれない。
県か市かはさておいて、法制にかかわる部署にいる職員は、どんな思いで仕事をしているのだろうか。

「昨今の政治情勢という枠組みの中で個々人がいかなる責任を負うか」、「ものごとから目をそらすな」(P.14)は、本書後半のトーレ・D.・ハンゼンの「ゲッペルスの秘書の語りは現代の私たちに何を教えるか」で示す警告として繰り返される。
この警告が問うのは、「無知、受動性、無関心、御都合主義」でいる「私」、あるいは知りつつ黙している「私」に対してだ、ということだが、「私」は、どこまで「無知、受動性、無関心、御都合主義」でおらずにいることができるだろうか。
白バラを語ったところで「私自身は抵抗運動に参加することなどできなかった。臆病者だから、そんなことはとてもできなかった」、『「ノー」というのは、命がけのことだった』(P.81)とある。
少なくともこの日本では、「ノー」というのは、「命がけ」にはならない。
冒頭に書いた「またか、と思って、見ようという気持ちにはならなかった」もまた、「無知、受動性、無関心、御都合主義」の陥穽だったも言える。

ここの考察が、興味深い。
https://young-germany.jp/2018/07/goebbels/

まえがき(トーレ・D.・ハンゼン)
「私たちは政治に無関心だった」―一九三〇年代ベルリンでの青春時代
「ヒトラーはともかく、新しかった」―国営放送局へ
「少しだけエリートな世界」―国民啓蒙宣伝省に入る
「破滅まで、忠誠を」―宣伝省最後の日々
「私たちは何も知らなかった」―抑留と、新たな出発
「私たちに罪はない」―一〇三歳の総括
ゲッペルスの秘書の語りは現代の私たちに何を教えるか(トーレ・D.・ハンゼン)
謝辞
『ゲッペルスと私』刊行に寄せて(石田勇治)
原注
索引

ブルンヒルデ・ポムゼル/著
トーレ・D.・ハンゼン/著
石田勇治/監修
森内薫/訳
赤坂桃子/訳
紀伊國屋書店
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314011600

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昭和ちびっこ未来画報 ぼくらの21世紀

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50年代はともかく、60年代にはこうした図柄はたくさん見た。
月刊誌の「少年」や「ぼくら」、「少年画報」そして1959年創刊の「少年サンデー」「少年マガジン」。
床屋に行くとたくさんあって、散髪が終わったあとも読みふけっていた。
床屋も、黙認だったのだろう。
そのほかでは、小学館の学習図鑑シリーズのなかに「交通の図鑑」があって、未来の交通の絵がたくさんあった。
そして、科学小説などと銘打たれた少年少女向けの全集本、表紙に描かれたさまざまな「未来」。
でも、アナログからは抜けることができていない。

こんなのも、眺めたくなる。
少年少女 昭和SF美術館 表紙でみるジュヴナイルSFの世界
https://www.heibonsha.co.jp/book/b162768.html

しかし、表紙の金魚鉢ヘルメット、へrメットの首回りより頭の方が大きいのだが、どうやって被るのだろう?

目次はないが、以下のタイトルとなっている。
暮らし
交通
ロボット
コンピューター
宇宙
週末

初見健一/著
青幻舎
http://www.seigensha.com/newbook/2012/01/31000041

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