チャペック/Čapek関連

2019年10月22日 (火)

新聞・映画・芝居をつくる

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ジャーナリストでもあり劇作家でもあり映画にもかかわったチャペックの、職業的側面からの現代批評(当時の)であるが、新聞にしても映画にしても芝居にしても、当時と今とでは技術は変大きくわっているだろうが、やっていること、携わっている人たちの様子、そして「原作」と「映画」、「原作」と「芝居」の関係は、今でもあまり変わっていないのではないかしら。
映画や芝居での「作家」の姿は、チャペック自身の経験なのかもしれない。

当時は想像すらできなかったインターネットでの情報過多・情報氾濫については、チャペックだったらどんな風刺を効かせた文章を書くだろうか。
インターネットはあくまで「手段」であって、新聞映画芝居のような「場」ではないので、新聞映画芝居みたいな面白さはないのかもしれない。

本書は「カレル・チャペック エッセイ選集」全6巻の最終巻であるが、その内容は次のとおり。
1 チェコスロヴァキアめぐり
2 イギリスだより
3 犬と猫
4 園芸家の一年
5 スペイン旅行記
6 新聞・映画・芝居をつくる
本書以外は、は他で文庫化されていたりするものと同じ内容だとしたら、全部読んでいることになる。

I 新聞をつくる
II 映画をつくる
III 芝居をつくる

カレル・チャペック/著
飯島周/訳
恒文社

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2019年6月28日 (金)

カレル・チャペック 童話全集

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チャペックの童話は、これまでは中野好夫さん訳の「長い長いお医者さんの話」として出ていて、小学校時代に愛蔵版で読んでいる。
最近では、一年ほど前に、少年文庫版を読んでいる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-5a0a.html
あらためて、チェコ語からの訳版も読んでみることにした。
「訳者あとがき」によれば、チャペックは童話は11編書いていて、このうち9編にヨゼフの童話を加えたものが1932年に刊行された。
1964年に、残りの2編も冒頭に加えた版が出て、本書は、全11編の訳である。
ただし訳本の編集にあたっては、1932年版を第1部に、追加2編を第2部としている。

本書と中野好夫さん訳「長い長いお医者さんの話」とを、対比しておこう。
第1部 九編の童話とヨゼフ・チャペックのおまけのもう一編
1 とってもながーい猫ちゃんの童話(9 王女さまと小ネコの話)
2 お犬さんの童話(6 犬と妖精の話)
3 小鳥ちゃんの童話(4 小鳥と天使のたまごの話)
ヨゼフ・チャペックのおまけの一編 大肥満のひいお祖父さんと盗賊の話
4 水男(かっぱ)の童話(3 カッパの話)
5 第二の盗賊の童話(8 山賊の話)
6 正直なトラークさんの童話(7 宿なしルンペンくんの話)
7 とってもながーいお巡りさんの童話(5 長い長いおまわりさんの話)
8 郵便屋さんの童話(2 郵便屋さんの話)
9 とってもながーいお医者さんの童話(1 長い長いお医者さんの話)
第2部 チャペック童話の追加
魔法にかかった宿なしトラークさんの話
しあわせなお百姓さんの話
訳者あとがき

語り口調の文体であるが、この文体は好き嫌いがありそうだ。
語る相手は子どもたちだと言わんばかりの、いかにもな訳語がどことなく上から目線を感じてしまうのだが、チェコ語の雰囲気はどうなのだろうか。
そして、「訳者あとがき」で、「これまでは英語からの重訳が幅を利かせていた」との記述がある。
たしかに重訳では伝えきれないことがあるのはたしかだろうが、中野さん訳が出たのが1962年だったこと(このとき田才さんは30歳前)、当時の日本でのチェコ語を訳す作業の環境がどのようなものであったかを考えると、「幅を利かせていた」とは、中野さんに対して些か無礼ではなかろうか。

カレル・チャペック/著
田才益夫/訳
青土社
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=1413

 

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2019年6月14日 (金)

ひとつのポケットから出た話

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犯罪と思しき事象がある。
犯人と思しき人物、犯罪と犯人を追求すると思しき人物、犯罪を裁く役割と思しき人物が出てくる。
けれども、犯罪を解くことがテーマではない。
ひとつひとつのユーモアたっぷりのおはなしを読み終えると、不思議な読後感が生まれてきて、笑ってばかりではいられない。
そんな、心をくすぐる短編が24編。

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1929年に出たというから、この家で書いていたのだろうか。
むかし、晶文社から「文学のおくりもの」というシリーズが出ていて、全部は読んではいないが、かなりの数は読んだ。
「ひとつのポケットから出た話」は、知らなかった。

・たんぽぽのお酒/レイ・ブラッドベリ(ベスト版)
・まっぷたつの子爵/イタロ・カルヴィーノ(ベスト版)
・ぼくの村/ジャン・コー
・セルビアの白鷲/ロレンス・ダレル
・ペシャンコにされてもへこたれないぞ!/ナット・ヘントフ
・皮商売の冒険/ディラン・トマス
・波の上を駆ける女/アレクサンドル・グリーン
・ハロウィーンがやって来た/レイ・ブラッドベリ(ベスト版)
・大あらし/リチャード・ヒューズ
・丘の上のカシの木/セシル・デイ・ルイス
・サンタクロース殺人事件/ピエール・ヴェリー
・羽根をなくした妖精/ユリヨ・コッコ
・ぼくはだれだ/タデウシュ・コンヴィツキ
・世界のかなたの森/ウィリアム・モリス
・ひとつのポケットから出た話/カレル・チャペック(ベスト版)
・人間喜劇/ウィリアム・サローヤン(ベスト版)
・ジャマイカの烈風/リチャード・ヒューズ
・ぼくのハシントおじさん/アンドラス・ラスロ
・文なし横丁の人々/ウルフ・マンコウィッツ
・メキシコの黄金/ハーヴェイ・ホワイト
・ズボンをはいたロバ/アンリ・ボスコ
・大泥棒と結婚すれば/ユードラ・ウェルティ
・サンタクロースの反乱/ピエール・ヴェリー
・なんとかしなくちゃ/モニカ・ディケンズ
・コニーアイランド物語/ノーマン・ロステン
・逃げるが勝ち/ロレンス・ダレル(
・幻の馬 幻の騎手/キャサリン・アン・ポーター
・わが名はアラム/ウィリアム・サローヤン(ベスト版)
現在、一部がベスト版として刊行されている。
「ジャズ・カントリー(ナット・ヘントフ)もベスト版のひとつ。

カレル・チャペック/著
栗栖継/訳
晶文社
https://www.shobunsha.co.jp/?p=1035

 

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2019年4月29日 (月)

Praha und Wien 16 お昼、単独行動(1) チャペック兄弟の住居、万里さんの足跡

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市民会館地階のレストラン「Plzeňská restaurace」でお昼にする。
オーダーしたのは、黒ビール、シュニッツェル、野菜スープ。
とっさに英語がでてこないので独語混じりだったので、ビールが一つしか来ない。慌てて追加。
昨日フタバさんがさかんに「とんかつ、とんかつ」と言っていたので、うんにゃ、シュニッツェルだろうと思っていたのだが、やってきたのを見て合点がいった。
厚いのである。
そして、パン粉も大きい。
付け合わせはキャベツではなく、少しゴロゴロ感が残ったマッシュであった。
とんかつソースが欲しくなる。
それにしても、プラハめしは美味しいのだけれど、しょっぱい。
口直しにパンを取っても、パンにも岩塩がトッピングされてて、これまたしょっぱい。
寒い地方で塩分摂取が多めは、インターナショナルなのかしら。

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それにしても周囲から聞こえてくる日本語多し、案内された席は日本人用エリアか。
日本人客は、ツァーのフリータイムだったり個人旅行だったりしているようだ。
そして、白人団体ご一行さまもどやどや入ってくる。
奥の席で、ジョッキを掲げて歌ってる。

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いったんホテルに戻ることにした。
地下鉄のエスカエーターには、このようなポスターが貼ってあった。

単独行動に出る。
まずは地下鉄でMůstek駅から10区のFlora駅へ向かう。

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Flora駅で降りて、地図を頼りにBratří Čapků(チャペック通り)の入り口まで行くことができた。
ゆるい坂をあがったところに、チャペック兄弟の住居「Vila Karla Čapka」がある。
左が兄ヨゼフ・チャペックの家、右が弟カレル・チャペックの家で、兄ヨゼフの家は現在も子孫が居住しているが、弟の家は無人で、そのうちムゼウムになるらしいが委細不明である。

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VIRTUÁLNÍ PROHLÍDKA VILY KARLA ČAPKA(カレル・チャペック邸のバーチャルツァー)
http://www.praha10.cz/akce-a-projekty/ostatni-projekty/virtualni-prohlidka-capkovy-vily/fbclid/iwar14xfjolnr-ggueykw_q8u6e8u5s0-1dufez-vkxwiscum3cyuej8pi_1k

再び地下鉄でFlora駅から6区のDejvická駅に移動する。

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Dejvická駅で降りて、大きなロータリーを渡って、この辺りに米原万里さんは住んでいたのだろうかと、少し歩いてみる。

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遠くに、スターリン様式のインターナショナルホテルが見える。
ロータリーに戻ってきた。
この辺りから北東方向に1kmちょっとのところにロシア大使館があり、その手前に大使館付属学校があるのだが、万里さんが通っていた学校はそこではない。
プラハ南部にあって現在は看護学校となっている。
井上ユリさんの「姉・米原万里」(文藝春秋)に、「わたしたち家族が住んだのはプラハ城の北側、プラハ六区のアパートメントで」(P.36)、「歩いて十五分のソ連大使館」(P.37)、また、同じアパートに住むこどもたちだけで動物園に出掛けたエピソードで、「ソ連大使館の先の公園を横切ると、市内を蛇行するヴルタワ川にぶつかる。その川を渡ったところに市の動物園があった。」(P.38)という記述、また動物園から帰るときの道がわからなくなりますが、「橋の上からは、インターナショナルホテルの高い塔が見え」(P.40)、帰ってくることができたようで、そのホテルから家までは「路面電車で二駅、歩いたって二十分しかかからない」(P.40)と書かれている。

姉・米原万里 思い出は食欲と共に
井上ユリ/著
文藝春秋
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163904542

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ソヴィエト学校はどこだったのだろうと探してみて、ソ連大使館は政変後ロシアが引き継いでロシア大使館として使われているとすれば、ソビエト学校もロシア学校となっているにちがいないと思って、最初は6区の現在のロシア大使館付属学校かと思っていたが、よくよく調べると、現在は高等看護学校になっていることが、昔放映されたテレビ番組を見返してわかった。
住んでいた6区からは、住民と接触しないようにすることも含めて、スクールバスが出ていたのだろう。

「世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生 米原万里 (3)」10分15秒あたり。
https://www.youtube.com/watch?v=IvOyERiorQQ&list=PL60iZXjNuVKFhilUy0EtSatRsaM1CKRrH&index=4&t=0s

 

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Praha und Wien 14 市民会館 その2 スロヴァーツコ・サロン、ボジェナ・ニェムツォヴァーの小サロン、オリエンタル・サロン、グレーグル・ホール、バラツキー・ホール

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スロヴァーツコ・サロン、壁やカーテン、麻や皮の装飾がスロヴァーツコの民族模様がモチーフであることでこの名前となった。
1909年の水槽は、金属のカタツムリの噴水が付いている。

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刺繍がスロヴァーツコの民族模様。

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ボジェナ・ニェムツォヴァーの小サロンに据えられた噴水。
壁は人工大理石、受け皿は大理石。

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オリエンタル・サロン、アナトリア美術をモチーフにした装飾である。

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調度品の細かい彫刻が見事である。

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グレーグル・ホール、壁にはフランチシェク・ジェニーシェクの絵画があり、大きい絵は「戦争の歌」、その右は「弔いの歌」、「戦争の歌」の左は「慈悲の歌」。

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天井の絵画もフランチシェク・ジェニーシェク、これは「生命」。
グレーグル・ホールの名称となった、チャペックも寄稿した「国民新聞」の創始者であるユーリ・グレーグル博士の胸像がある。
天井の絵画もフランチシェク・ジェニーシェクの「詩」、奥には「死」。

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フランチシェク・ジェニーシェクの「詩」。
次の部屋は、バラツキー・ホールである。

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チェコの歴史学者、政治家のフランチシェク・パラツキーの名にちなむバラツキー・ホール、壁と天井は、ヤン・プレイスレルによる絵画、フランチシェク・パラツキーの胸像が鏡に映っている。

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天井画は「少女と飛翔する鳥たち」、扉の上の「バラツキー・ホール」のロゴや装飾が美しい。

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2019年2月 1日 (金)

カレル・チャペック短編集

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GWにチェコに行くことにしているので、読んでみる。
チャペックの、多様なモチーフとぐさっとくるユーモア(としてしまっていいのだろうか)で、人間の普段は見ない面や見たくないところをたくさん見せられるので、お腹いっぱいになる。
これではいちどきに読むと体には具合悪いだろうと、一日一遍のペースで読んでいき、2週間強で読了したのであった。
「訳者あとがき」には「この青土社版短編集の特徴は、チャペックが兄ヨゼフと共同署名をして作品を発表していたごく初期ころから、死の当年までの作品がABC順にでもなければ年代順でもなく、きわめて非系統的に選ばれ配列されているということである」としている。
そして、その前の文章で訳者の意図として「読者の皆さんにあまり余計な先入観を与えることなく、純粋に作品として読んでいただくために、作品の細かな点までの解説はさておいて、各作品のタイトルだけで目次を組むことにしようと思った。一種のクイズである」と書いている。
この意図は、果たして功を奏したのだろうか。
目次に書いてしまうことはともかく、ナチが自宅に来る少し前に亡くなったチャッペックなのであり、作品が書かれた時代を思いながら読みたかったので、どこかで作品の年代や発表媒体のようなものは、示してほしかった。
その意味では、訳者の意図は空回りだと感じる。

ピラトの信条
アルキメデスの死
五切れのパン
貴族階級
小麦
システム
眩暈
指揮者カリナ氏の物語
切手コレクション
陪審員
チンタマニと小鳥の絨毯
プローメテウスの刑罰
盗まれたサボテン
ハヴレナ氏の鸚鵡裁判
アルコール
訳者あとがき

カレル・チャペック/著
田才益夫/訳
青土社

 

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2018年11月30日 (金)

カレル・チャペックのごあいさつ

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来年チェコに行くことになったので、読んでみる。

「民衆新聞」(Lidové noviny、リドヴェー・ノヴィニ)に1921年から1938年に掲載された、28のエッセイ。
チャペックがテーマにしてことは、80年後の現代でも十二分に通用するのだが、それは何を物語っているだろうか。
最後の「ごあいさつ」が掲載された日付「1938.12.25」は、チャペックがなくなったその日である。
社会に対しては相当鋭い眼を持っていたチャペックであるが、本書ではそうした雰囲気は感じさせない。
「美術館あさり」では、ムハ(ミュシャ)は出てこない。
もっとも国立ギャラリーが外国の絵画を集めることへの批評だから、あたりまえか。

地名がいくつか出てくる。
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市内電車の二番線(陽気な車掌さん、P.19):地図参照
セノヴァージュネー広場(神秘の入り口で、P.47):プラハ本駅とプラハ・マサリク駅の間、ホテル・ボスコロの前。
インジシェスカー通り(郵便、P.76)は、わからない。
ユングマン広場(郵便、P.77):ヴァーツラフ広場の北の西側、雪の聖母教会の北側の小さな広場、キュビズムの街燈柱が立っているらしい。

カレル・チャペック/著
飯島周/訳
青土社

 

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2018年10月17日 (水)

いろいろな人たち

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チャペックらしく、エスプリもしくはアイロニーの効いた、なかなか辛辣な筆使いである。

「歯根膜炎」について(P.50)は、読んでいて恐ろしくなる。
そして「地図」(P.1837、チャペックも地図好きだったようだ。
チャペックは、関東大震災について、「ゆれ動く世界」(P.183)と「プロノビス」(P.188)で書いている。
「プロノビス」は炭鉱事故で仲間を救出するために坑道に降りた人の名前で、ラテン語では「われらがため」の意らしい。
そこから人命救助などの思いが語られるのだが、我が国に翻って言えば、自衛隊を憲法に書き込むことではなく、憲法に恥じぬプロノビス的存在にすることが、戦ではない手段で国民を守る存在にすることが必要なことではないか。
また「今日の技術と知識の状態にふさわしいと思える、人間の生命を守るためのあらゆる可能性が、地下の職場ですべて検討されているとあなた方は誓って言えますか?」(P.194)は、「地下の職場」だけではなく、様々な現場で問われることばだろう。

チャペックは民主主義に対する強い思いを持っていたことは、本書に限らずさまざまな発言や記述から知ることができる。
さらに、マサリク大統領との交流が影響したのかその逆だったのかはわからないが、「社会主義の理想的価値をわたしは信ずる」(P.224)としているように、社会主義についても否定的ではないようだ。
ただし「わたしの心が貧しき人びとの側にあるから」(P.228)、「わたしはコミュニストでない」(P.228)と、さまざまな理由をあげてコミュニズムとは一線を画している。
「社会主義の理想的価値をわたしは信ずる」の「政治的動物」が書かれたのは1922年、「わたしはコミュニストでない」の文章が書かれたのは1924年、十月革命から数年後のことであるが、レーニンが倒れ亡くなりスターリンが権力を握った時期である。
そして、1923年にミュンヘン一揆が勃発している。
こうしたチェコスロバキアの東の国西の国での動きがチャペックの思索と著作にどのように影響したのだろうか、

カレル・チャペック/著
飯島周/訳
平凡社

 

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2018年7月24日 (火)

ダーシェンカ 愛蔵版

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4月に松濤美術館で開催されていた、「チャペック兄弟と子どもの世界」展で、ダーシェンカの写真を見た。

ダーシェンカの本は何種類か出ているのだが、一番最近出たであろう本書にした。

「ダーシェンカのための八つのおとぎ話」が、良い。
ダーシェンカがおとぎ話を聞くのが好きだったかどうかは、疑問であるが。
それより、原っぱで走り回るほうが好きだったのだろうな。
このような文章を書く人を逮捕しようとする体制は、そうした行為をすることで、その体制が信用の置けるものではないことを示している。
実際には、チャペックは、その体制が逮捕しようと実行に移した数ヶ月前に亡くなっていたのであるが。

小犬の生活
小犬の写真を撮影するには
ダーシェンカのための八つのおとぎ話
 犬の尻尾についてのお話
 テリアが地面をひっかくわけ
 フォックスについて
 アリクについて
 ドーベルマンについて
 グレイハウンド、そしてほかの犬について
 犬の習性
 人間について
ダーシェンカのアルバム
ダーシェンカのいた庭 訳者あとがき

カレル・チャペック/著
伴田良輔/訳
青土社

 

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2018年6月18日 (月)

長い長いお医者さんの話

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愛蔵版の「長い長いお医者さんの話」を始めて読んだのは、小学生の頃だったろう。
以来、何度も読み返していたが、実家を離れて幾星霜、今度は少年文庫本で読んでみた。
先だって松濤美術館で開催されていた「チャペック兄弟と子どもの世界」を見たのが、再読のきっかけである。

愛蔵版を読んでいた当時は気にすることもなかったのだが、中野好夫さんはチェコ語から訳したのではなく、英語版から訳していて、解説には「英訳本は、ところどころ、イギリスの子どもたちにわかりよいように、小さいところですが、かえているようです」とあり、続けて「日本の少年少女読者のために、もとの本でもない、英訳本でもないようにかえたところもあります」としている。
「Devatero pohádek」からの直訳として、「カレル・チャペック童話全集」が青土社から刊行されたのは、2005年であった。

カレル・チャペック/著
中野好夫/訳
岩波書店

 

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