憲法・民主主義関連

2020年7月 3日 (金)

オーストリア・スイス 現代史

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今から35年前の1985年、東欧革命より前の刊行なので、冷戦を背景とした歴史的な文献と言えるのかもしれない。
したがって、クルト・ヴァルトハイムは国際連合事務総長(1972年1月~1981年12月)として登場するが、1986年7月8日から1992年7月8日までの大統領であったことや戦前に突撃隊に所属していたことは、出てこない。
いまの大統領が緑の党出身であることなどは、当時は想像もできなかっただろう。

P.50の写真のキャプションは「暗殺直前のオーストリア皇太子夫妻」、そしてP.51に「一九一四年六月オーストリア皇太子夫妻がサライェボでボスニアの一青年に暗殺された・・・」とあるが、暗殺されたフランツ・フェルディナントはオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者(Thronfolger)と呼ばれるが、皇太子(Kronprinz)とは呼ばれないはず。

「国家喪失期のオーストリア」中、P.140からアンシュルス下のオーストリアの抵抗に触れているが、先日読んだ「Österreicher im zweiten Weltkrieg」でも、「ÖSTERREICHER IM WIDERSTAND / 抵抗するオーストリア人」と抵抗運動がとりあげられ、社会民主主義者、共産主義者、個人、カトリックなどの運動が紹介されていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-dca8ed.html

そして、アンシュルスのもとで、SPÖもÖVPともに収容所に囚われたり抵抗運動を行なっていたことが相互理解をすすめ、。戦後の「大連立」時代を形作ったが、その経験は、21世紀には伝えられているのだろうか。

スイスとなると、政治的な歴史はほとんど知らないことがわかる。
婦人参政権が1971年と遅かったことは有名だが、それ以外の政治状況となると、1847年に内戦があったこと(P.279)、その後紆余曲折を経て1874年憲法が制定され、本書刊行当時もベースであったこと(現在は1999年憲法)、政治的にはかなり保守的であること(反動的と言ってもいいかもしれない)、は知らなかったし、ウィリアム・テル伝説や「永世中立」が一人歩きしてしまっているようだ。
「一国」としてのスイスは、かなり綱渡りの歴史だったようだ。
2002年9月10日に国民投票の結果を受けて国連に加盟したが、本書では当然触れられていない。

オーストリアとスイス
オーストリア
 ハプスブルク帝国期のオーストリア
 第1共和国の成立
 第1共和国の没落と合邦
 国家喪失期のオーストリア
 占領下のオーストリア
 独立と第二共和制の発展
スイス
 スイス連邦の成立まで
 スイス連邦の発展
 大戦間のスイス
 現代のスイス

矢田俊隆/著
田口晃/著
山川出版社
https://www.yamakawa.co.jp/product/42250

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2020年5月27日 (水)

武器としての「資本論」

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『「資本論」を人々がこの世の中を生きのびるたの武器と塩て配りたい」願いがあると記されている。(P.4)。
折しも先日「記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ」を読了したばかりだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-73281b.html
「生き延びよ」は、2004年に遅筆堂が発した言葉で、「記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ」は2010年に出たのだが、さらに10年15年経過しても、なお「生きのびる」を言わなければならないとは。

現代の世の中を「資本論」的に見ることで、「資本論」を一字一句分析する解説とは違った解説となっているのだが、「資本論」での記述が現代の世の中の状況を説明している例証が多々である。
逆に、「資本論」では記述されていない現代の世の中の状況、「資本論」では逆の意味に記述されている現代の世の中の状況などもあるはずだと思うが、そちらからの分析は本書ではなされていない。
まあ、本書の目的がそこにはないのだからだろうが。
著者の、「物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行う社会」「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)という著者の「資本制社会」の定義(P.31)は、押さえておこう。

人口が減りつつある日本では、総労働時間も減っていくなかでは、絶対的剰余価値の生産は、ますます縮小していくのだろう。
だとすれば、相対的剰余価値の生産に邁進せざるを得ないことになるのだが、昨今のAI技術が生産過程から人間労働を排除していくとすれば、AI技術で生産された商品の使用価値・交換価値は、どのように記述することになるのだろうか。
寅さんを題材にして新自由主義での「包摂」をとらえて論じているのだが、今の若い人たちは寅さんが理解できない存在になっているのか。
この「包摂」については、「物象化」との関係も考察して欲しかった。

さて、「武器」たるには、「資本論」を手に取るべきなのか、何度目になる?
「資本論」に限らず「共産党宣言」もだが、桃尻語訳だとかお国ことば訳だとかしていただけると、もっととっつきやすいと思うのだが。
桃尻語訳 枕草子 上・中・下
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309405315/
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309405322/
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309405339/
日本国憲法前文 お国ことば訳
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-ebfb.html

例えば、である。
独語版資本論の出出し
Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.
世の中の「富」は、資本主義的なものづくりや品物のやりとりが行われているところでは、たくさんの品物の山として現れていて、個々の商品が品物の山の素材なんだ。なので私たちは、この商品がどんなものかを調べることから考えることを始めなければならないのさ。
英語版共産党宣言の出出し
A spectre is haunting Europe – the spectre of communism. All the powers of old Europe have entered into a holy alliance to exorcise this spectre: Pope and Tsar, Metternich and Guizot, French Radicals and German police-spies.
妖怪がヨーロッパじゅうを悩ませているんだって、その名は「共産主義」という妖怪なんだとさ。古いヨーロッパのえらいさんたちは、この妖怪を追い払うために高貴な手を結ぶことにした。えらいさんたちとは、法王さま、皇帝、メッテルニヒさん、ギゾーさん、フランスの急進的な人、ドイツのスパイだって。

内田樹氏の書評。
https://toyokeizai.net/articles/-/345707

いとうせいこう氏の書評。
https://book.asahi.com/article/13395328

佐藤優氏の書評。
https://mainichi.jp/articles/20200418/ddm/015/070/010000c

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カバーを取ると、赤と黒である。

はじめに 生き延びるための「武器」としての『資本論』
第1講 本書はどのような「資本論」入門なのか
第2講 資本主義社会とは? ――万物の「商品化」
第3講 後腐れのない共同体外の原理「無縁」 ――商品の起源
第4講 新自由主義が変えた人間の「魂・感性・センス」 ――「包摂」とは何か 
第5講 失われた「後ろめたさ」「誇り」「階級意識」――魂の「包摂」 
第6講「人生がつまらない」のはなぜか ――商品化の果ての「消費者」化 
第7講 すべては資本の増殖のために ――「剰余価値」
第8講 イノベーションはなぜ人を幸せにしないのか ―― 二種類の「剰余価値」 
第9講 現代資本主義はどう変化してきたのか ――ポスト・フォーディズムという悪夢 
第10講 資本主義はどのようにして始まったのか ――「本源的蓄積」 
第11講 引きはがされる私たち ――歴史上の「本源的蓄積」 
第12講 「みんなで豊かに」はなれない時代 ――階級闘争の理論と現実
第13講 はじまったものは必ず終わる ――マルクスの階級闘争の理論 
第14講 「こんなものが食えるか!」と言えますか? ――階級闘争のアリーナ
おわりに
付属ブックガイド

白井聡/著
東洋経済
https://str.toyokeizai.net/books/9784492212417/


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2020年5月22日 (金)

記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ 小森陽一対談集

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コロナ禍のさなか、「記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ」のフレーズが賑わった。
ということで、このタイトルの本書を読む。
2本書でも出てくる(P.19)のだが、2004年に著者が遅筆堂と対談したときに、遅筆堂からこの「記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ」が出てきたのだが、これは遅筆堂のオリジナルではなく、エドワード・トムソンの「抗議せよ、そして、生き延びよ」に遅筆堂が「記憶せよ」を加えたのだそうな。

本書で著者は、映画を切り口に八人の人たちと対談している。
語りの題材としての映画を知っているか対談相手を知っているときは、対談の進んでいく様子が理解できるのだが、知らない人や知らない映画だと、対談を読んでいても落ちてこない、当たり前だが。

気になったところのメモ(引用ではない)、括弧内は「対談相手/当該文言の発言者」。
自己責任論を打ち出した人たちにあるはずの罪悪感、罪悪感にフタをして自分たちは正しいと自己正当化するときに、「お前らが悪かったのだというふうに被害者である人たちに責任を擦り付けていく」(P.24、井上ひさし/小森)
大江健三郎の、「憲法九条と教育基本法の前文には「希求」という耳慣れない言葉がある」(P.56、黒木和雄/小森)
日本國憲法と教育基本法前文を書いておく。
・第九條 日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(第2項は省略)
・(前略)我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。(後略)
自民党は、防衛庁・自衛隊を認めるために九条を変えようという改憲政党として誕生、総裁が総理大臣、でも総理大臣になると憲法九九条によって憲法を守らなければなたない、だから自民党に入り国会議員になると必ずウソ付きになる。(P.87~88、渡辺えり/小森)
まだ何も決まっていない高校生たちは、かなり真剣に考えている。(P.108、渡辺えり/小森)
この対談は2004年、その後「高校生」たちはどうしたか。
安全保障関連法の論議があった2015年のSEALDsのメンバーたちは、対談のときの「高校生」たちよりもあとの世代だろう。
飲み屋のおっちゃんの論議(P.165、井筒和幸)や配管工のおっちゃんの話。(P.166、井筒和幸/小森)
高校生のときの、文化祭の展示で「国連」をテーマにしたことがあったっけ。
ニューミュージックが個人的な世界に入っていく、私小説。(P.177、井筒和幸/井筒と小森)
きわめつけは、さだまさしだろう。
特にLP「随想録」で、そう思った。

間違いさがし。
「AIPEC」(P.107)とあるが、注で「APEC」とあるとおり。(Asia Pacific Economic Cooperation)。
「ダグラス・スミス」(P.133の写真キャプション)は、注で「ダグラス・ラミス」とあるとおり。

井上ひさし
黒木和雄
渡辺えり
ジャン・ユンカーマン
井筒和幸
高畑勲
班忠義
山田洋次
あとがき

シネ・フロント社

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2020年3月 9日 (月)

独裁者のブーツ イラストは抵抗する

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本書は2019年9月の刊行なので、2019年4月のプラハ訪問の参考に使うことはできなかったのが、至極残念である。
「チャペック兄弟のプラハ」に、チャペック兄弟にまつわる場所がいくつか紹介されていて、チャペック兄弟が1925年から住んだ家には行ったのだが、その他のところには行っていない。
チェコは他にも行きたいところはあるので、次に機会があったら、チャペックも追ってみよう。
そのためにも、わかる範囲で地図に落としておこう。

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(1) Říční 11:1907年から父母、祖母、兄弟で住んだところ
(2) Národní 18:「リドヴェー・ノヴィニ(LIDOVÉ NOVINY、人民新聞)」編集部
(3) Národní 22:兄弟が通った「カフェ・ルーブル(Café Louvre)」
(4) Národní 2:「R・U・R」が上演された国民劇場(Národní divadlo)
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(5) Národní 9:「独裁者のブーツ」を出版した出版社「Fr.ボロヴィー」
この建物にあったようだ。(画像は、Googleさんから)
このあたりは市電に乗って通っているのだが、建物の記憶は残念ながら、ない。
(6) ヴィノフラディ劇場(Národní dům na Vinohradech):カレルが1921年から1923年まで舞台監督を務めた
(7) 平和広場(Náměstí Míru):チャペック兄弟の記念碑が立つ
(8) チャペック兄弟の記念碑(Pomník bratří Čapků)
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(9) Bratří Čapků 28 30:兄弟が1925年から住んだ家
ここには、行った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d18ea4.html
191013_55
(10) 国民墓地:ヨゼフとカレルの墓がある

イラストに付けられたキャプション、いくつかは現代を思い起こさせるものがある。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Josef_%C4%8Capek_-_Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty_09.jpg
「もっと光らせろ!」〔左から、学者、広告屋、ジャーナリスト、裁判官〕(P.26)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Josef_%C4%8Capek_-_Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty_11.jpg
軍靴のサイズが大きければ大きいほど、国民は小さくなる。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Josef_%C4%8Capek_-_Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty_14.jpg
言葉を作る。〔軍歌の言葉。向かって左側(右足)左から「自分で決めろ」「伝達事項」「§§§命令」「私が統率する 私が撤回する!」。
右側(左足)左から「われわれが指令する われわれが定める」「了解! 禁止! 指示」「われわれが決める」〕(P.29)

その他、Wikiにある。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty

気になったところ。
P.124~125に「これまでは面積六八万平方メートル(中略)という大国であるオーストリア=ハンガリー帝国(中略)が、面積一四万平方メートル(中略)までにスケールダウンした」との記述があるが、いずれも「平方メートル」ではなく、「平方キロメートル」であろう。
P.139の、ヨゼフが1939年9月9日から26日まで収容されたダッハウ強制収容所、ここにも行っているが、このときは、ヨゼフ・チャペックがここに入れられていたことは知らなかった。。
ダッハウへ
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-7c7c.html
ダッハウ収容所
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-190b.html
食堂棟と囚人棟、ムゼウム
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-e03f.html
二度と繰り返すな
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

「チェコ共和国 オフィシャルブログ 見る、知る、チェコ」にも掲載されている。
https://czechrepublic.jp/czech-culturehistory/tsudoimasuda/

I 独裁者のブーツ
 序―ヨゼフ・ホラ
 独裁者のブーツ(Diktátorské boty)
II 平和? 戦争? それとも恥?—反ファシズムのためのイラスト集
III ヨゼフ・チャペックの人と仕事
 新聞記者としてのヨゼフ・チャペック
 引きこもりオタクのつよさ――イージー・オペリーク
 チャペック兄弟とその時代
 日常を生きたヨゼフ――パヴラ・ペチンコヴァー
 強制収容所のヨゼフ・チャペック
 チャペック兄弟のプラハ
ヨゼフ・チャペックと世界の動き
編訳者あとがき

ヨゼフ・チャペック(Josef Čapek)/著
増田幸弘/訳
増田集/訳
共和国
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907986636

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2020年2月25日 (火)

キューバの声

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「読者のための覚え書き」によれば、著者が世に本書を問うたのは1960年9月で、バティスタが辞任して1年9ヶ月後のことで、日本語版はさらに半年後である。
実際に本書を読んだのは大学に入ってからだったから、さらに10年以上経ってからのことだ。
キューバ革命から60年、日本ではこのようなプロセスは考えられないけれど、なんとかならんかなあと思いながら、そんな本書を、もう一度掘り出してみた。

カストロは、こんなことを言っていた。
資本主義は人間を犠牲に供する。共産主義国家は、その全体主義的概念によって人間の諸権利を犠牲に供する。わたしたちがこれらのいずれとも同意しないのはこのゆえである。彼らに押しつけられたのでもなく、彼らが模写したのでもないところの自らの要求の中から、自らの政治的組織を発展させなければならない。そしてわたしたちの革命は、自発的なキューバの革命なのである。それはわたしたちの音楽同様にキューバのものである。
(P.156~157)
この理念がそのとおりに進むことなく、キューバを反米に追いやったのがアメリカ自身であったということを、本書は示している。

日本に触れているところがある。
アメリカがキューバの砂糖を書くことを減らしたとき、「ロシア人と中国人と日本人が、わたしたちの砂糖を買うことによって、キューバを苦境から救い、たぶん起こったかも知れない経済的破局から救っってくれた」(P.117)
「ひとつの県ではわたしたちはもう五万えーかーの棉畠を持っていて、その近所に織物工場もひとつあります。わたしたちはそれを日本人から買いました」(P.133)
「わたしたちが読んだところでは、最近日本では八百万の人びとがあなたがたに反対するデモンストレーションに参加したそうです」(P.154)
前二者が具体的に何を指しているのかはわからないが、三番目は安保闘争のことだろう。

簡単に、キューバの歴史をメモしておく。
1898年:米西戦争に勝利した米国が、スペインにキューバ独立を認めさせる
1901年:米国がキューバを保護国化
1903年:グアンタナモを米軍基地として咀嚼(現在まで続いている)
1936年5月20日:アリアスが大統領に就任、バティスタが国防相兼軍総司令官に就任
1940年10月:総選挙の結果、バティスタ、大統領に就任
1944年:バティスタ、総選挙に敗れ、フロリダへ逃亡
1948年6月:バティスタ、総選挙で上院議員当選
1950年:バティスタ帰国
1952年3月10日:バティスタによる軍事クーデター、大統領就任
1953年7月26日:弁護士のフィデル・カストロがモンカダ兵営攻撃、失敗し逮捕
1955年5月:カストロ、恩赦で釈放
1955年7月:カストロ、メキシコに亡命
1956年11月25日:カストロ、「グランマ号」でメキシコから秘密裏に出発
1956年12月2日:カストロ、キューバ上陸、マエストラ山脈でゲリラ活動
1958年8月:カストロの革命軍、西進開始
1958年12月31日:バティスタ、大統領辞
1959年1月1日:バティスタ、ドミニカ共和国へ亡命
1959年1月2日:カストロ、臨時革命政府の成立宣言
1959年1月7日:合衆国、臨時革命政府承認
1959年4月:カストロ、訪米するもアイゼンハワー大統領は面会せず
1959年:ラウル、モスクワ訪問
1959年12月:合衆国国家安全保障会議、CIAにカストロ政権転覆計画立案を指示
1960年2月:アイゼンハワー大統領、CIAに亡命キューバ人によるキューバ侵攻作戦の準備着手を命令
1960年3月9日:合衆国国家安全保障会議、カストロ政権に対抗する秘密作戦計画「プルータス作戦」報告
1960年3月17日:アイゼンハワー大統領、「プルータス作戦」同意
1960年6月:キューバ政府、アメリカ資産の国有化開始
1960年9月:第15回国連総会、合衆国政府、カストロを中心街のホテルからハーレムのホテルに移す
1960年10月:合衆国、食料品を除き対キューバ輸出禁止
1961年1月3日:合衆国政府、キューバと断交
1961年1月20日:ジョン・F・ケネディが合衆国大統領就任
1961年4月4日:合衆国国家安全保障会議、CIAの侵攻計画了承
1961年4月15日:反革命傭兵軍、米軍爆撃機でハバナを空襲
1961年4月17日:反革命傭兵軍、ピッグス湾上陸、「プラヤヒロン事件」
1961年4月21日:ハバナの審問
1961年5月1日:カストロ、「われわれの革命は社会主義革命である」と宣言
1961年8月:合衆国政府、マングース作戦開始、カストロ暗殺、キューバ侵攻を計画
1962年:ソ連、キューバにミサイル基地建設開始
1962年10月14日:アメリカ空軍のU-2偵察機がキューバ国内を飛行し中距離ミサイル確認
1962年10月22日:合衆国政府、キューバを海上封鎖
1962年10月27日:キューバ、アメリカ空軍のU-2偵察機を撃墜
1962年10月28日:ソ連、ミサイル撤去決定

「ピッグス湾事件」については、「ハバナの審問」が取り上げている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-eca9.html

ライト・ミルズ/著
鶴見俊輔/訳
みすず書房

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2020年2月18日 (火)

検閲帝国ハプスブルク

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ハプスブルク家の歴史の中の検閲の最盛期は、1815年から1848年のウィーン体制期であるとして、本書は出発する。
しかし、このウィーン体制期の記述は終章に至って初めて触れられ、それまでの記述は、そこに至るまでの『ハプスブルク王朝の検閲政策を「ここの著名な事実の羅列」としてではなく、歴史的、社会的コンテキストの中で読み解くことで、ドイツ、オーストリアの文化史の一面を探る』ことに費やされる。

P.56からP.57に「マクシミリアンは互いに遠く離れた領地への命令書等々の迅速な通達、あるいはそれぞれの領地からのさまざまな情報の取得のために、ヴェネチアで飛脚問屋を営んでいたタッシス家(ドイツ語名タクシス家)に駅伝網の敷設を命じた」と書かれている。
「タッシス家」(Taxis)については、「トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史」に詳しい。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2491.html
財を成したタクシス家は1812年からレーゲンスブルクに住むようになったのだが、2011年にレーゲンスブルクに行ったときに、トゥルン・ウント・タクシス城の見学をした。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-3ea7.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7c86.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-89aa.html

P.101に帝国議会が1654年にレーゲンスブルクで開かれたこと、帝国議会は1663年からレーゲンスブルクに常設されたとの記述があるが、この帝国議会はレーゲンスブルクの旧市庁舎(Altes Rathaus)に置かれていて、これも見学したことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-60b2.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-9dab.html

P.99あたりから三十年戦争のことが語られるが、三十年戦争は「カトリック vs プロテスタント」「神聖ローマ皇帝 vs 領邦君主」「ハプスブルク家 vs ブルボン家」と言った対立が絡んでいるので、一度はきちんと押さえておきたい。

P.148に『「美しき青きドナウ」のほとりに暮らすウィーンの人々は、プロイセンで蔓延する啓蒙主義というこれらに目をつむり、耳をふさぎ、口をつぐんでいたのだ。人々はこの偉大な女帝の時代に、国境の向こうで、やがて標準語となる「ルターのドイツ語」を喋る人々を馬鹿にして、自分たちの土着方言ヴィーナリッシュに固執していたのである』とある。
これだけ取り出したのではわかりにくいが、この前に「ホウベンのちょっと気取った表現を借りるとすれば、」とあって、著者の言ではなく、ホウベンの引用かもしれない。
ホウベンとは「ドイツの検閲史の泰斗ハインリヒ・フンボルト・ホウベン」(P.22)のことで、巻末の参考文献の中に「Polizei und Zensur」の著者として「H. H. Houben」で名がある。
何れにせよ本書では、マリア・テレジアはフリードリヒ大王の啓蒙主義を嫌い、啓蒙主義的文書が流れ込んでくるのを検閲によって摘発していたという文脈で書かれているので、マリア・テレジアも啓蒙専制君主のひとりとしてのイメージもあるので、こうした捉え方あるのかと思ってしまった。
そして、ウィーン訛りやバイエルン・ドイツ語(Bairisch)は「高地ドイツ語・Hochdeutsch」グループのひとつで、「標準ドイツ語」たる「低地ドイツ語・Niederdeutschh」と分けられているのだが、ウィーン訛りと検閲とを結びつけた記述にも、少々びっくりした。

P.152の検閲委員会の「世俗メンバーの任命は宮廷が行い、世俗メンバーはウィーン大司教が女帝に提案する」とあるが、P.157の記述に従えば「世俗メンバーの任命は宮廷が行い、聖職者メンバーはウィーン大司教が女帝に提案する」だろう。

P.189に「ウィーン郊外劇場」の創設を皇帝ヨーゼフ二世が許可したことが紹介されている。
「ウィーン郊外劇場」とは、リンクのすぐ外側にある現在のフォルクステアターで、当時は市壁の外の「郊外」にあったということだ。
P.188から、ある検閲官が「民衆の啓発を己が崇高な使命と定め、無知な人々を乱倫に引きずり込む、ありとあらゆる民衆喜劇を敵視し」、その結果「民衆喜劇、方言芝居、道化芝居、滑稽芝居といったウィーン生え抜きの芝居はすべてそやで、無形式で、非芸術的、要するにまったくの低俗であると判断され、ウィーンから駆逐された」、芝居好きのウィーン子のフラストレーションはたまりにたまり、なにやら不穏な様相を呈するようになった」という前段があり、フォルクステアターはある意味、ガス抜きの役割を持ったことになる。

こうしてウィーン体制期の検閲は、いわば検閲のための検閲といった様相を呈していったようである。
そしてウィーンも三月革命を迎え、事実上最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフは、以後、「何かをやれば必ずマイナスとなって跳ね返っってくる」経験を重ね、「であるならば、何もしないことがベストである」政策に邁進し、ヴィルヘルム二世の検閲の猛威とは裏腹に、「人々はフランツ・ヨーゼフという絶対の空虚のなかに寝そべり、一時の転寝を楽しむかのようであった」、「検閲を駆使してまで護るべきものは何もないといわんばかり」と、かなり揶揄的な評価が著者によって下されてしまうのである。
そういえば、ロミー・シュナイダーの「Sissi」には、検閲ではないがあれこれ探る人物が登場していて、本書が捉えるようなウィーン体制を思い出させる。

新書であるにしても、全体的に講談調というか漫談調で、記述は経年ではなく行ったり来たり。
「検閲」という、ある意味地味なテーマなので、講談調・漫談調は、読んでいて飽きることはないが、記述内容が果たして定説なのかどうかがわからないところもある。
そして、神聖ローマ皇帝それぞれとその時代の知識が、一定程度必要だろう。
神聖ローマ帝国の簡単な書籍を手元に置くと、いいかもしれない。

序章 検閲から何が見えるか
第一章 活版印刷は世界を制す
第二章 神聖ローマ帝国の検閲事始め
第三章 神聖ローマ帝国における検閲制度の法整備
第四章 印刷特権
第五章 選挙協約と検閲
第六章 領邦国家の検閲制度
第七章 マリア・テレジア治下の検閲制度の改革
第八章 前三月期の検閲事情
終章 窒息しそうな検閲の果てに
あとがきハ
プスブルク検閲史年表
参考文献

菊池良生/著
河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624556/

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2020年2月14日 (金)

この国は、変われないの?

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P.110からの2016年4月7日号の週刊朝日に掲載された「もうどうにもできないのかしら?」では、東京新聞に掲載された、安倍内閣が共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体であるとの答弁書を閣議決定したという記事を紹介している。
この閣議決定は、新党大地→民主党→自由民主党と動いた鈴木貴子議員の質問主意書に対する答弁書である。
質問主意書
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a190189.htm
答弁書
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b190189.htm
これに対して、日本共産党は抗議している。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-23/2016032301_03_1.html

それと同じ内容の発言が、こともあろうに2月13日の衆議院本会議で、内閣総理大臣の口から「昭和26年から28年ごろにかけて、党組織や党員が殺人などの暴力主義的破壊活動を行った疑いがあり、現在も暴力革命の方針に変更はないと認識している」との言葉が出てきた。
共産党は、当然のことながら抗議している。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-02-14/2020021401_03_1.html

マルチン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller)の言葉を思い返すことが、この国でもますます必要になってきたようだ。
Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr,
der protestieren konnte.
http://martin-niemoeller-stiftung.de/martin-niemoeller/als-sie-die-kommunisten-holten

さて、本書は「週刊朝日」に連載された著者の「しがみつく女」から選択され、ある程度のテーマごとに順不同に並んでいるのだが、「週刊朝日」に掲載された文章を新日本出版社が出す、う〜む、昔は考えられなかったかもしれない。
オヤジが朝日にいた頃には家に「週刊朝日」はあったと思うが、当時コーコーセーだった少年にとっては、「朝ジャ」のほうがはるかに面白かったのだが。
書かれている内容は、「朝ジャ」をよく読んだ者、版元の本にも馴染みがある者にしてみれば、それぞれうなづくことが書かれていることが多いのだが、今の「週刊朝日」の読者はどんな読者層なのだろうか。
おそらく肯定否定の振れ幅は大きいのだろうが、肯定しない人たち、否定に振れている人たちにこそ読んで欲しい内容だ。
その中には月刊Hanadaだとか月刊WiLLだとかの読者もいるかもしれないが、そうした層までとは言わないけれど、『見識ある保守』『見識ある否「安倍」』に立つ人たち(いるとすれば、だが)、さらに「大人になれ」という人たち(P.136~)に、ぜひ読んでほしいと思う。

第一章 政治は変われないの?
第二章 流されちゃいけない!
第三章 民主主義って何だっけ?
第四章 本当にこのままでいいの?

室井佑月/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-06400-2

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2020年1月21日 (火)

昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅

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澤地久枝さんの著作から、文章を断片的に集めて構成されている。
その意味では、導入本だ。
澤地久枝さんの著作は「妻たちの二・二六事件」「滄海よ眠れ」など、何冊か読んでいるが、一番最初に読んだのはたぶん「火はわが胸中にあり」、5年前にも手にしている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-5085.html

銘記しておきたいのは、「あたりまえのことを言ううのに、勇気が試される。それが、タブーのある社会である。(中略)思考にせよ信仰にせよ、信じるところを表明するのがいのちがけであるような社会は誰に幸福をもたらすか、考えたい。」(P.119、『わたしが行きた「昭和」』より)。
そしてとくに前半の「I わたしの満州 戦前から戦中を過ごして」「II 棄民となった日々 敗戦から引揚げ」「III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく」は、昨今のこの国のありように身を置いている者として、元の本も含めて後世に伝えるべき言葉の数々である。

ルドンの作品を「鎌倉まで出かけてゆき」見たとの記述(P.227、1993年の「画家の妻たち」)があるが、これは、閉館した神奈川県立近代美術館鎌倉で1992年10月10日~1992年12月20日に開催された、「マネ・ルドン・クリンガー展 幻想版画の詩と神秘」ではなかろうか。

本書でも冒頭(P.19)と後半(P.230)で、向田邦子さんからすすめられた「時の娘」も、読んだなあ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-adb1.html

序 その仕事を貫くもの
I わたしの満州 戦前から戦中を過ごして
II 棄民となった日々 敗戦から引揚げ
III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく
IV もの書きになってから 出会ったひと・考えたこと
V 心の海にある記憶 静かに半生をふりかえる
VI 向田邦子さん 生き続ける思い出

澤地久枝/著
文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166612314

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2019年12月24日 (火)

民族の怒り もえあがる沖縄

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「民族の悲劇」の続編。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-da9b1e.html
日本国憲法も米国憲法すらも適用されていなかった(1965年9月7日に日本国政府がまとめた「沖縄の法的地位に関する政府統一見解」では、「日本国憲法の沖縄における適用」で「沖縄の施政権は、平和条約により米国が行使しているので、憲法の適用はない」とされていたらしい。)60年代から70年代はじめの沖縄での、米国民政府に執拗に弾圧され続けたカメさんの奮闘ぶりには、涙が出る。
この頃、大学で沖縄から来た同級生がいて、当時はパスポートを持って「本土」の大学に来ていたことを思い出す。
当時の沖縄、そして1972年の「施政権返還」、しかし復帰のスローガン「核抜き本土並み」は、いまだに達成されていない。
復帰以後の歴史といまの普天間と辺野古のありさま、いまだに日本の米軍専用施設の約70%が沖縄に集中し、沖縄本島の約15%を占めていることを見て、カメさんは何と言うだろうか。

本書は、1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論の後、佐藤首相はカメさんの本を求めに応じ、カメさんは「民族の悲劇」とともに手渡したもの。

まえがき
I 祖国へ
II ケネディと沖縄新政策
III キャラウェイ旋風
IV 統一の波—銃剣の前で
V 勝利への進撃
VI 十二年ぶりの本土
VII 日米沖縄協定
むすび 沖縄は何を求めるか

瀬長亀次郎/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-06006-6/

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2019年11月19日 (火)

民主主義

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まず、見て欲しい。

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これらの図版だけを見たとき、人はどのような印象を持つのだろうか。

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とある政治勢力のプロパガンダにあらずやと思う向きも、多いのではなかろうか。

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これらの図版は本書からいくつかを拾ったものなのだが、このような図版の入った書籍を刊行したのは文部省だったとは、いま、誰も想像だにしないだろう。
おまけに、1948年から1953年まで、中学高校で使用された教科書なのである。

占領下、GHQの指示で執筆されたものだが、内容にGHQはどこまで関与したのか、執筆者たちに筋書きを提示したのか、あるいは概要だけを示したのか。
GHQの意向に沿わない内容は検閲によってチェックされたり書き直しが命じられたりしたことは想像に難くないが、詳細な内容まで示して日本語にしたということであればともかく、これだけの内容を持つ本書を書き上げることができたということは、執筆者たちにはかなりの知識や教養、さらに問題意識や経験を持っていたと言える。
それは政治分野だけではなく、経済や文化までも含む幅広いものだったはずだ。
その知識や経験は、1945年になってから身につけたとはとても思えず、1945年までは雌伏していた、あるいは面従背腹状態だったのだろうか。
本書の内容もさることながら、執筆者たちについて、どのような人たちだったのだろうかと、とても気になった。
そして、教科書として使われることになったのはGHQの意向だろうが、なぜ、使うことをやめたのだろうか。
1952年のサンフランシスコ講和条約の発効と関係があるのだろうか。
何れにせよ、国会議員や大臣をはじめ、各自治体の議員、首長など政治に携わる人たち、そして国民の必読書である。

「第六章 目ざめた有権者」の「五 報道に対する科学的考察」(P.143~)は、当時は新聞やラジオに関する考察だが、その後のメディアの発達を踏まえても、同じような考察は必要なことだろう。
そして、自分にとって心地よいjこうほうだけを拾うことができ、それだけしか見ずに判断する材料となるネット情報に溢れた今は、なおさらだろう。

P.103の「日本の民主政治は(中略)敗戦の結果なのであって、日本人がほんとうに民主政治の意味を自覚して自分たちの力で選挙権の範囲をこれだけおしひろげたわけではない」や、P.169の「日本のように、敗戦によって過去の政治組織がいっぺんにくずれ、そのあとに、西洋の進んだ国々の政治形態の大きな影響を受けつつ、新たな制度を採用するという場合には(中略)事は比較的に容易なのである」といった指摘は、いまの政治や社会のありさまを生み出すこととなったものの一つを言っているのだろう。
つまり、日本の民主主義は、日本の人々自身の努力と犠牲を通じて自分のものにしたのではない、ということだ。
治安維持法は、日本政府によって廃止されたのではなく、GHQによる『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ基ク治安維持法廃止等ノ件』(ポツダム命令)に寄らねばならなかったし、治安維持法違反などで獄中にあった人は、1945年8月15日に解放されることもなかったし、その後、日本人たちが解放したわけでもなく、10月にならなければ釈放されなかった。

「第八章 社会生活における民主主義」「第十五章 日本婦人の新しい権利と責任」は、堺利彦の「家庭の新風味」(1979年「新家庭論」として刊行された)を思い起こさせる内容だ。
執筆者たちが意識していたかどうかはわからないが。

内田樹氏が解説を書いているのだが、解説で内田氏は本書の全てを肯定的に捉えてはおらず、民主主義の「心」(本書P.3に登場)の記述を使いながら、第日本帝国憲法との連続性を汲み取るアクロバティックな評価をしているのである。
それを書いてしまってはネタバレになるのだが、ご本人がバラしているので、ぜひ、読んでいただきたい。
http://blog.tatsuru.com/2019/10/17_0901.html

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はしがき
第一章 民主主義の本質
第二章 民主主義の発達
第三章 民主主義の諸制度
第四章 選挙権
第五章 多数決
第六章 目ざめた有権者
第七章 政治と国民
第八章 社会生活における民主主義
第九章 経済生活における民主主義
第十章 民主主義と労働組合
第十一章 民主主義と独裁主義
第十二章 日本における民主主義の歴史
第十三章 新憲法に現れた民主主義
第十四章 民主主義の学び方
第十五章 日本婦人の新しい権利と責任
第十六章 国際生活における民主主義
第十七章 民主主義のもたらすもの
解説 内田樹

文部省
角川書店
https://www.kadokawa.co.jp/product/321807000029/

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