憲法・民主主義関連

2019年9月11日 (水)

スターリニズム

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わかっているようで、しかし、それぞれの論者によって定義づけられているのでますますわかりにくくなっている「スターリニズム」、これはいったい何なのだ?
著者グレイム・ギルは、「スターリニズム」を「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から、その起源や内実を論じ、コンパクトにまとめている。
ガチガチの全体主義だろうとの先入観であまり眼がいくことのなかった、中央と地方との関係、中央による地方や下部組織に対する統制の弱さという指摘は興味深い。
むろん中央の統制が弱いことが民主的だったとか自由だったとかいうことにはならず、地方は地方でミニ・スターリニズムの社会だったのだろう。
国土の広さとインフラの未発達が影響していたのかもしれない。
だとしたら、シベリア抑留でのそれぞれの地方での思惑とモスクワの思惑とは、どのようなものだったのだろうか。
そしてこの指摘は、「全体主義」を考える上で、ファシズムやナチズムと同じようにスターリニズムを置いていいのかという問題提起にもなるだろう。

この中央と地方との関係は、ベトナム戦争でも論じられたことがあることを思い出した。
「ハノイ対話」でのプレイク事件(1965年2月7日のベトナム中部のブレイク空軍基地に対する解放戦線による攻撃)をめぐるやりとりで、「我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話」で触れられている。
アメリカ側は、ブレイク攻撃を北ベトナムによる挑発であり、ハノイからの指令に基づく攻撃であるととらえたのだが、「ハノイ対話」においてはベトナム側から現地司令官が計画し実行された作戦であると言明された。
当時の解放戦線側においては米軍が持っていたよう指揮命令系統・手段は整備されておらず、「自分たちと同じような指揮命令系統を解放戦線も持っていたはずで、すべてハノイからの指令によって作戦が行われた」とするアメリカの判断はとんでもない誤解であるというやりとりであった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1d9f.html

スターリニズムの要素は、P.86に7点がまとめられている。
(1) 制度上は高度に中央集権化された司令経済システム。大衆動員と重工業発展の最大限の重視を特徴とする。
(2) 初期の段階では、大々的な流動を特徴とした社会構造。なかでも特筆すべきは、かつての下層階級を権力と特権ある地位に引き上げた高水準の社会的流動。その後、社会は安定し、等級や地位、厳格な上下関係が支配する社会構造へと帰結。
(3) 文化的、知的領域では、すべてが指導部の定める政治的目的に奉仕すべきであるとされ、文化的、知的活動の全分野が政治的監視を受けた状態に置かれる。
(4) 当地の手段としてテロルを用いた個人独裁。ここでは、政治組織はほとんど独裁者の道具以上の何物でもなかった。
(5) 国家にとって重要と見なされる限りで、あらゆる生活領域が政治化される。
(6) 権力の中央集権化と、その反面に見られた中央からの日常的統制の著しい弱さ。その結果、実際には日々の活動が厳格な統制を受けず、組織化もされていないシステムが出来上がった。
(7) 初期の革命的な価値規範は、保守的で現状維持の志向によって取って代わられた。
そして「四つの相貌すべてを備えたスターリニズムの登場にとって最も重要だったのは、一九二〇年代末から一九三〇年代初頭にかけての「上からの革命」と一九三〇年代後半のテロルであろう」(P.89~90)とする。
さらに「後進性」と「指導者たちの個人的選択」についての検討となる。

「大テロル」の論考で、NKBDに関して、「存在意義を強く主張しようと躍起になっていた」(P.44)ことで、「敵の摘発を通じて今まで以上に目立つ存在となるばかりか・・・大勢の指導機関として君臨できるから」(P.47)「大テロル」で役割を担ったというように記されているが、NKBD長官のエジョフやベリヤが「大勢の指導機関として君臨」することを考えていた、ということなのだろうか。

ソ連邦が崩壊しロシア連邦となったからといって、「スターリニズム」がなくなったわけではないだろう。
現代ロシアとスターリニズムとの関係も、考えていかなければならない課題なのだと思う。
そして、「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から嫌韓な我が国を見たとき、どんな評価をすることができるだろうか。
さらに、奇しくもきょうは9.11。
以前ノーマンメイラーは、アメリカが全体主義に向かいつつあると言ったようだし、鶴見さんもどこかでアメリカの知人にそのようなことを言われたことがあるとか言っていたが、「アメリカ・ファースト」なアメリカは、どう評価できるだろうか。

第二版への序文
判例
第1章 スターリニズムの歴史的起源?
 1 ロシアの後進性
 2 レーニン主義
 3 人格的要因
第2章 スターリニズムの確立
 1 「上からの革命」
 2 文化革命
 4 社会的流動
 4 大テロル
 5 スターリニズムの政治
 6 外国の脅威?
第3章 大戦と盛期スターリニズム
 1 戦時経済
 2 文化的動員
 3 戦時の社会
 4 戦時の政治
 5 盛期スターリン経済
 6 戦後の社会
 7 戦後の文化
 8 政治的相貌
 9 国際的スターリニズム
第4章 スターリニズムの特質
 1 起源の問題
終章 スターリニズムの遺産
 1 公的な場でのスターリニズム
 2 スターリニズムの構造上の帰結)
訳者解説
参考文献・日本語文献案内
関連年表
索引

グレイム・ギル/著
内田健二/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b257739.html

 

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2019年9月10日 (火)

わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想

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日本障害者協議会代表などをなさっている藤井克徳さんが、障害者差別や優生思想について、歴史や現状、そしてこれからのことを簡潔にまとめている。
「ノーマライゼーション」が日本でも言われて久しいが、この国で使われている「ノーマライゼーション」は、ちと違うのではないかと思ってしまう。
既存の社会の枠組みに「障害者(そして外国人その他)を迎えてあげよう」的な「ノーマライゼーション」なのである。
そして、「既存社会のありようは変えない」という但し書きが付いている。
鳴り物入りで登場した「障害者自立支援法」も、そうだ。
枠組みありき制約ありきの中での「自己決定」。
どうも、「reasonable accommodation」が「特権」であるかのような理解がなされているようにも見える。
「Nothing about us without us!」が置き去りにされている、ということだ。

「障害者の権利に関する条約」にしても、この条約に込められた理念は、障害者「だけ」に適用されるというものではない。
国会議員や自治体首長・議員らによる差別的発言(対象は障害者に限らず外国人などマイノリティ、あるいは女性)は、こうした人たちが障害者権利条約を知らない、理解していないことを如実に示している。

Convention on the Rights of Persons with Disabilities
https://www.un.org/development/desa/disabilities/convention-on-the-rights-of-persons-with-disabilities.html

障害者の権利に関する条約(和文)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000899.html

きょうされんの本書紹介記事。
http://www.kyosaren.or.jp/book/6690/

第1章 オットー・ヴァイトとの出会い
第2章 殺された障害者は20万人あまり
第3章 優生思想は多くの国々で、 そして日本でもはびこった
第4章 優生思想に対峙する 障害者権利条約
第5章 やまゆり園事件と障害のある人の今
第6章 私たちにできること

藤井克徳/著
合同出版株式会社
http://www.godo-shuppan.co.jp/book/b474135.html

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2019年9月 9日 (月)

日米地位協定 在日米軍と「同盟」の70年

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「諸悪の根源」とまでは言わないにしても、主権が損害されていることが当たり前であることは、たぶん本土にあってはなかなか気付けないのだろう。
今住んでいるところの近くにも実家の近くにも米軍基地は当たり前のように存在し、米軍も「それなりに」地域とうまくやっていこうとしている風には見える。
けれど、いざというときには豹変する。
9.11のときがそうだ。
ゲートには装甲車が置かれ、装甲車に装備された機関銃の銃口は、外に、つまり私たちのほうに向けられていた。

著者は、「日米安保条約を支持する立場」(P.214)と明言しているが、その立場は立場としても、地位協定の歴史をたどり、外国の例も踏まえながら、協定、そしてその背後にある「日米地位協定合意議事録」に様々な問題があることを明らかにする。
日米安全保障条約と地位協定の成立過程も、「日米安全保障協定」が1951年1月25日にダレス国務省顧問が対日したときに日本側から示されたこと、その対案が翌日米国柄示されたこと、日本は修正案を提示、米国は2月6日に日米行政協定案を提示した、というプロセスがある。(P.9~12)
最初に案を提示したのが日本であった、これは本書で初めて知った。
また、歴史の中で、日本から改定に向けた提起をする機会はあったのに、その機会をみすみす逃したこと、アメリカの国務省、国防省・米統合参謀本部の協定を担当する部署の体制の貧弱さなど、地位協定を改定していく道筋は前途多難であるのだろうと考えざるをえない。

そして、日本がジブチと締結している「地位協定」についても、知っておく必要があるのだろう。
日米地位協定では、日本で米兵が事件・事故を起こした場合には、公務と公務外を分け、公務外の事件・事故については、日本側で一応第一次裁判権を行使できるようになっている。
しかし、ジブチでは、公務・公務外の区別なく、ジブチには裁判権はない。
ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文
8 日本国の権限のある当局は、ジブチ共和国の領域内において、ジブチ共和国の権限のある当局と協力して、日本国の法令によって与えられたすべての刑事裁判権および懲戒上の権限をすべての要員について行使する権利を有する。
 9(a) 民間又は政府の財産の損害又は滅失に関する請求及び人の死亡又は傷害に関する請求は、当該請求の当事者間の協議を通じて友好的に解決する。
  (b) 友好的な解決に達することができない場合には、その紛争は、両政府による協議及び交渉を通じて解決する。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pirate/pdfs/djibouti.pdf

はじめに
第1章 占領から日米安保体制へ―駐軍協定
第2章 60年安保改定と日米地位協定締結―非公表の合意議事録
第3章 ヴェトナム戦争下の米軍問題―続発する墜落事故、騒音訴訟
第4章 沖縄返還と膨大な米軍基地―密室のなかの五・一五メモ
第5章 「思いやり予算」の膨張―「援助」の拡大解釈
第6章 冷戦以後の独伊の地位協定―国内法適用を求めて
第7章 沖縄基地問題への注目―度重なる事件、政府の迷走
終章 日米地位協定のゆくえ―改定の条件とは
あとがき
参考文献
付録 沖縄県による日米地位協定見直し要請/日米地位協定/日米安全保障条約(新)
日米地位協定 関連年表

山本章子/著
中央公論社
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/05/102543.html

 

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2019年8月30日 (金)

加藤周一、米原万里と行くチェコの旅

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オーストリアからチェコをめぐる旅の中で、加藤周一さんや米原万里さんをキーにして、小森陽一氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏の各氏が語り対談した記録で、それぞれの地の様子は、ほとんど記述されないので、チェコの景色を期待してはいけない。
当然、日本の状況を重ね合わせた話になるので、社会批評でもあり、批判的立場にある人の内側も語られる。
本書を読みながら、ここ数年で、日本の狭さはますます進んだのだとひしひしと実感してしまう、ことに辛淑玉氏の語りでは。

P.25~26の「ハプスブルク家の夏の王宮でした。」は、「ハプスブルク家の夏の離宮でした。」でしょう。
P.26の写真にはちゃんと「離宮」となっているし、他のページでも「離宮」となっている。

ウィーンでは、1984年にも触れてほしかった。
展示となると、軍事史博物館にはあって見てきたけれど、他に展示されているかどうかは定かではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
今は改修で閉館だけど、ウィーンミュージアムの展示は、どうだろうか。

P.45、クーデルカの写真集、持って行ったのか。
先日、プラハから帰ってきてもう一度眺めてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-2c1ea7.html

P,180にカフカとチャペックが少し出てくるが、シュベイクについても触れてほしかったな。

小森氏も金平氏も、同世代。
加藤周一さんはむろんのこと父母か祖父母世代、米原万里さんは少し上の姉御の世代。

カラーグラビア
旅のはじめに
第1章 ハプスブルグ家に見る中欧の歴史
 1、ハプスブルグ家とウィーン
>2、権力の歴史から「主役は民」の時代へ
第2章 「プラハの春」と加藤周一
 1、加藤周一「言葉と戦車」と言葉の復権
 2、「言葉と戦車」の今日的な読み方
 3、加藤周一の文学的表現について
第3章 旅先で自らの半生を振り返る
 1、加藤周一と「九条の会」、そして私
 2、ニュースキャスターとして思うこと
 3、反転攻勢のために何が必要か
第4章 チェコの歴史と文化と闘い
 1、チェコの歴史を訪ねて
 2、チェコに見る文化の役割
第5章 米原万里とプラハ、そしてソ連崩壊
 1、プラハ時代の米原万里
 2、ソ連崩壊の過程での米原万里
 3、通訳者、小説家としての米原万里
第6章 中欧から見た日本と日本人
 1、世界から見た日本の教育
 2、リベラル左派の将来をどう考えるか
 3、日本の希望は沖縄にある
第7章 ドイツで自分の居場所を考えた
 1、ユダヤ人とテレジン収容所
 2、殺す側の理屈、殺される側の思い
旅のおわりに

小森陽一、金平茂紀、辛淑玉/著
かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/1013.html

 

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2019年8月28日 (水)

夜と霧の明け渡る日に ~ Es kommt der Tag, da bist du frei

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ナチスの強制収容所から解放された人の社会を見る眼と、その眼で見て生まれた思索を、嫌韓の世論を政府自らが煽っているかのようないまのこの国の風潮のなかで、読む。
「未発表書簡、草稿、講演」とある。
フランクルの、収容所からの解放とウィーンへの帰還、その過程で、収容所での経験からフランクルは人びとに何を伝えようと考えたのか。
「夜と霧」よりも、読むことが苦にならない。
これは、「夜と霧」とは違って本書の書簡にしろ講演にしろ、外に向けての言葉だからなのだろうかと思う。
実際のところは、フランクルがこうした言葉にするまでのプロセスがどうであったのかを知りたいところなのだが。

P.129、『そしてついに精神病院における大量殺戮が始まりました。もはや「生産的」でない生命、あるいはごくわずかの「生産性」しかないすべての生命は、文字通り「生きる価値がない」という烙印を押されたのです。』
この文章は1946年3月の講演の中で述べらえた言葉なのだが、70年以上経っても同じ言葉が繰り返さなければならない状況が存在している。
そして、強制収容所から解放された人たちへの周囲の「私たちは何も知らなかったんですよ」「私たちだって苦しんだんです」という言い訳(P.175)、これをフランクルは「責任からの逃避」(P.177)ととらえる。
フランクルは、すでに「オーストリア人の責任」にも触れている(最後にもう一度―『覆われた窓』について)のだが、この「責任からの逃避」は、世間を席巻している「嫌韓」ムード、それ以上の「反韓」ムード、あるいは大臣にある者の民主主義を否定するかのような発言に危機感が示されない状況の底、そうした状況を見聞きしている私たちの中にもあるんじゃないだろうか。

読んでいて思い出すのは、津久井の事件。
あの事件で、むかしいっしょにキャンプに行ったり余暇活動で遊んだりした人たちが、優生思想的考え方の持ち主の被告の行為によって亡くなったり傷ついたりしていることが大きな理由だが、被告についても精神障害に関わる仕事に携わっている立場からは、精神疾患がある(かもしれない)被告ということでは単なる被告としてみることはできない。
二重あの事件を見てしまう。
いまも窓口でいろいろな人に接するなかで、70年以上前からの言葉ではあれ、フランクル氏の言葉が体の中に沁みてくる。

フランクルのウィーンでの跡を探してみると、いくつかのデータがある。
生家と追放までの居住地の記念プレート、Czerningasse 6、2区。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Czerningasse)
亡くなるまで住んでいた家の記念プレート、Mariannengasse 1、9区
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Mariannengasse)
ここに2015年5月26日に「Viktor Frankl Museum」が9区の「Mariannengasse 1」に開館したようだ。
https://www.franklzentrum.org/museum/oeffnungszeiten-und-adresse.html
近くのHöfergasse 5にViktor-Frankl-Parkがある。
https://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/frankl.html
この他にも、ウィーン大学キャンパス(Altes Allgemeines Krankenhaus)に「Viktor E Frankl Gasse」、Praterstern駅の西のZirkusgasse 52の市営アパート「Viktor-Frankl-Hof」、NiederösterreichのReichenau an der Raxに「Dr. Viktor Frankl-Gasse」、KärntenのKlagenfurtに「Viktor-Frankl-Gasse」があるようだ。
次のウィーン行きでは、こうした場所をぜひ歩いてみたい。
GWのウィーン行きでは、ウィーン郊外のアム・シュタインホフ教会に行ったのだが、この教会はSozialmedizinisches Zentrum Baumgartner Höhe Otto-Wagner-Spital mit Pflegezentrum(バウムガルトナー・ヘーエ社会医療センター・オットー・ヴァグナー病院とケアセンター)内にある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-871916.html
この病院の前身は1907年につくられた「Niederösterreichische Landes-Heil- und Pflegeanstalt für Nerven- und Geisteskranke Am Steinhof」で、フランクルは1933年から1937年までここで勤務している。
ここにももしかしたらフランクルの跡が残されているのかもしれない。
また、TürkheimとKauferingのKZ跡地にもそれぞれ「Viktor Frankl Weg」「Viktor-Frankl-Strasse」があるらしい。
https://www.viktorfrankl.org/lifeandwork.html

以前、ブログのいくつかのところでフランクルはダッハウに収容されたということを書いたが、収容されたのはダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)なので、コメントで訂正しておいた。
例えば、2011年にだっはうに行ってきたときのブログ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

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はじめに
「時代の証人たち」 一九八五年六月 ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡 一九四五年~一九四七年
 強制収容所から解放されて
 きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ
 僕のそばには、すべてを変えてくれた人がいる
テキストおよび論文 一九四六年~一九四八年
 精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
 人生の意味と価値について I
 人生の意味と価値について III
 人生はかりそめのもの? いや、すべての者は召し出されている
 人生の価値と人間の尊厳
 実存分析と時代の諸問題
 人種的な理由で迫害された強制収容所被収容者の問題
 最後にもう一度―『覆われた窓』について
 現代の諸問題にサイコセラピストはどう答えるか
 『フルヒェ』紙とスピノザ
 泥棒ではなく、盗まれたものに罪があるのか?
 殺人者は我々の中にいる
記念講演 一九四九年~一九八八年
 追悼
 亡き者たちの名においても和解を
 すべての善意の人々
ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事
使用文献
訳注
訳者あとがき

ヴィクトール・フランクル/著
赤坂桃子/訳
新教出版社
http://www.shinkyo-pb.com/2019/05/23/post-1324.php

 

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2019年8月25日 (日)

ウチナーふたつ 「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」 → 「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」

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なぜかおけいはんな小田急で下北沢へ、井の頭線は神泉で降りて、「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」開催中の松濤美術館へ。
とてつもない手間と暇をかけて紡ぎ出される、沖縄の染織品。

第1章 紅型
第2章 沖縄の織物
第3章 多彩な染織品たち-着物以外の染織品
第4章 沖縄染織の道具
第5章 伝統を伝えて-現代の作品

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美ら島からの染と織 色と文様のマジック
9月23日(月・祝)まで
https://shoto-museum.jp/exhibitions/184okinawa/

ユーロスペースに移動。

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2年前の「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー」に続く「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」が始まった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-5c9d.html

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紹介している記事が張り出されている。

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そして、赤旗日曜版2019年8月25日号に掲載された映画評。
今日、1回め2回めは完売だったようだ。

1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論が圧巻。
論戦後、佐藤首相はカメさんの本を求め、カメさんは「民族の悲劇」と「民族の怒り」を手渡したそうだ。
立場は立場としても、いまの首相とは器が違うのかもしれない。
さまざまな名言が発せられるが、「小異は捨てずに大同につけ」はいまの世の中に求められているのだろう。
前作を見ているからかもしれないが、前作が波乱万丈なカメさんであったのに比べ、今作はそうしたカメさんを支えていたものに視点を向けている。
今回は、ネーネーズの「おしえてよ亀次郎」は、流れない。

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上映終了後、トークあり。

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佐古忠彦監督と瀬永亀次郎次女で不屈館館長内村千尋さん。

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前作も見ているかどうかを問われたが、手を挙げた人は8割ほどか。

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カメさんが1954年に投獄されたときに読んでいたのが「レ・ミゼラブル」、例の「暴動」で刑務所側から話をするように頼まれていたときには、佳境のコゼットとともに逃げるところだったそうな。
晩年、カメさんは孫をコゼットと呼んでいたお話が、プログラムにも載っている。

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前作は、DVDになっている。

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プログラムは、当然購入。

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プログラムに、佐古忠彦監督からサインをいただく。
佐古忠彦監督の、前回作関連記事を読むことができる。
https://gendai.ismedia.jp/list/author/tadahikosako

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米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯
ユーロスペースほかで順次公開。
http://www.kamejiro2.ayapro.ne.jp/
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ラーメンを食べて、帰宅。

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2019年8月 1日 (木)

歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方

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「日本」に誇りを持つならば、「日本」の歴史の中の一つの時代である「大日本帝國」の時代に犯した過ちを謙虚に受け止め反省し、その過ちは二度と繰り返さないと内外に示すことで世界の人々や国々からの信頼を勝ち取ることとなるはずだし、そうした信頼があってこそ「日本」として誇り高くありうると考えるのだが、過ちを過ちとして自ら認識すること、それを示すことが、なぜ、「反日」とされてしまうのか。
「大日本帝国時代の『負の歴史』を否認する言説の論理構造や、そこで多用される論理のトリック、認識の誘導などのテクニックをわかりやすく読み解くこと」(P.289)と著者が述べるが如く、本書では、「大日本帝國」と「日本国」と「日本」を都合のいいように使い分け、「大日本帝國」批判を「日本」批判であるかのように論じ、「大日本帝國」批判者を「反日」とくくる論理を批判する。
戦後70年を経ても、なぜ、南京大虐殺や従軍慰安婦などを「なかった」とするような、「大日本帝國」を前提とした論調が続くのか、あらためて、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が提起した「権威主義」に惹かれる心理を整理しておきたい。
気になる文章は、多々あり。
しかし、一つ一つを拾うのはよそう。
なぜなら、本書全体から掴むべきであるから。

内田樹さん、「『歴史戦』と称する企てがいかに日本人の知的・倫理的威信を損ない、国益に反するものであるかを実証的に論じています。山崎さん、ほんとはものすごく怒っているのだけれど、冷静さを保っているのが偉いです。僕にはとても真似できない」と。

毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190627/dde/014/040/018000c

週刊朝日書評
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2019071200070.html

はじめに
第一章 「歴史戦」とは何か
第二章 「自虐史観」の「自」とは何か
第三章 太平洋戦争期に日本政府が内外で展開した「思想戦」
第四章 「思想戦」から「歴史戦」へとつながる一本の道
第五章 時代遅れの武器で戦う「歴史戦」の戦士たち
おわりに
参考文献

山崎雅弘/著
集英社
https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-721078-1

2019/8/29追記
赤旗日曜版2019年9月1日号に著者の記事が掲載されていました。
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2019年7月21日 (日)

[共同研究]1848年革命

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1979年の刊行、40年前の知見であるという前提で、読む。
良知力さんが書いたのは49歳の頃、良知力さんらしさはまだ生まれていないようで、ずいぶん固い文章だし、分析も機械的な印象を受ける。
一八四八年革命というと、イタリア、フランス、オーストリア、ドイツといったところは様々な文献などで知る機会は多いが、本書でハンガリーやチェコの革命についても論考されているのが良かった。
ハンガリーについては、その後の第一次世界大戦後と第二次世界大戦後の動き、1956年、そして1989年と、歴史の前面に出てくる動きがあったが、そうした歴史の経験は、現代のハンガリーを規定しているのか規定していないのか。
チェコについては、GWにプラハの街を歩いたので、1848年当時とは街並みは異なっているだろうが、その街のバリケードが築かれたツェレトナー通りや広場などの景色を思い浮かべながら、本書を読み進めることができた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-17e252.html

民主主義と社会主義、独裁政治と立憲政治、そこに民族の問題が加わると、一挙に複雑な情勢となる。
それは、いまの日韓関係が、政治的経済的な課題の解決以上に、民族観、そして歴史認識との関係から解決に向けていかなければならないのと同じようなことが起きていたのだろう。
本書では、「ドイツ人民主主義者はドイツ国内では国家統一をめざし、国外では諸民族の解放を提唱していたにもかかわらず、プラハ蜂起を民族主義的陰謀と規定することによってその非「コスモポリタン」的性格をあらわにした。(中略)こうして反革命の台頭は、ドイツ人がボヘミアのこの時期の運動の内実を正しく評価しなかった点に一因があった」(P.335~336)とする一方、「チェコ人民主主義の運動は地域的であり(中略)、地域主義を前面に押し立てたへ個人の運動は、ドイツ人にとってなんら民主主義的なものではなく、たんなる民族主義的運動と映ったのである」(P.336)としている。
こうした評価は、現在ではどうなっているのだろうか。

5月にウィーンに行っときに軍事史博物館に行ったら、ウィーン1848革命の展示があった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
市民側のビラだか政府側の布告だか、これを読めればいいなあと思ったものだ。

良知力さんの著作は、オーストリア関連でずいぶん読んできた。
向う岸からの世界史 一つの四八年革命史論(1978年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-d888.html
1848年の社会史 ウィーンをめぐって(1986年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/1848-668b.html
女が銃をとるまで 若きマルクスとその時代(1986年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-079d.html
青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年(1985年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/1848-d245.html

あと、こうした著書がある。
ドイツ社会思想史研究
初期マルクス試論 現代マルクス主義の検討とあわせて
マルクスと批判者群像
魂の現象学 一社会思想家として
ヘーゲル左派論叢 第1,3,4巻
ヘーゲル左派と初期マルクス

増谷英樹さんの著書や訳書も読んでいる。
歴史のなかのウィーン―都市とユダヤと女たち(著書・1993年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-2237.html
図説 ウィーンの歴史
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-8f65.html
ビラの中の革命―ウィーン・1848年(著書・1987年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/1848-23d9.html
橋 ユダヤ混血少年の東部戦線(訳書・1990年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-1740.html
ドイツ戦争責任論争(訳書・1999年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-f14f.html
1848年 ウィーンのマルクス(訳書・1998年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1848-a355.html

序論
 一八四八年革命の概観と研究の課題 増谷英樹
第一章 革命思想の構造
 マルクス=エンゲルスにおける四八年革命論の基礎構造 良知力
第二章 労働者の状態と運動
 革命前夜のベルリン労働者 川越修
 「フランクフルト労働協会」と九月蜂起 増谷英樹
第三章 民主主義者・共産主義者
 四八年革命における共産主義者同盟 松岡晋
 一八四九年バーデン革命の起点 上野卓郎
第四章 農村蜂起の性格
 オーデンヴァルト農村の運動 藤田幸一郎
第五章 民族運動の展開
 ハンガリーにおける四八年革命 南塚信吾
 プラハ六月蜂起とスラヴ民族主義 稲野強
文献・史料案内
あとがき
付録 一八四八年革命史年表

良知力/編
大月書店
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b51802.html

 

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2019年7月17日 (水)

コミック版 二十歳の原点

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2008年に小林多喜二の「蟹工船」がブームとなり、その年の新語・流行語大賞のベストテン入りしたのは記憶に新しい(とはいえもう10年以上前だ)ところであるが、若者の自民党支持の増加ということがあちこちで言われているいま、なぜ、「二十歳の原点」なのか。
コミック版では、オリジナルそのもののコミック化ではなく、現代の若者杉田莉奈が1969年1月にタイムスリップして高野悦子に会い、彼女との交流からさまざまななものを獲得していくというストーリーとなっている。
タイムスリップした先の時間の進行は、オリジナルの時間の進行に沿っている。
現代の若者から見たら、大学のタテカンやバリケード、機動隊との衝突が日常茶飯事だったことは実感できないだろうと思う。

通っていた大学はすでに70年安保の後だったので騒然とした雰囲気は消えていたが、タテカンだけはいくつも並び、当時、我が校には白ヘルの革マル、黄ヘルの民青、青ヘルの社青同が公然と活動していたが、白ヘル中核はいなかったはずだ。
そして、タテカンを書いたこともある(ただし内容は学生運動とは全く異なるのだが)し、封鎖やバリケードの経験はないが、機動隊の隊列に対峙したことはあった。
なぜ、機動隊が来たのだろうか。
大学当局は機動隊導入には反対のスタンスだったので、当局が呼んだのではないだろう。
上記したように各派が存在していたので、実力行使も含めてセクト同士の対立はあったから、それを口実にして来たのかもしれない。
学外の道路には、監視している車や人は常にいたし。
脛当や篭手をつけた乱闘服にヘルメット、ジュラルミンの盾を持った機動隊は大学の敷地内に入ってきたが、その前に学生たちが並び、それ以上中に入ってくることはなかったのだが、いざこざはあって、盾で殴られたり出動靴で蹴飛ばされたりした学生たちはいた。
小競り合いの学生と機動隊との間に入った大学の事務局のたぶん事務局長だったと思うが、額から血を流していたのを見つけて、混乱した場から引きずり出したということもあった。

「二十歳の原点」を手にした当時、タイムスリップではなく夜行急行「銀河」に乗って京都に行き、立命館やらシアンクレールやら、そして天神踏切を歩いた。
6月24日の、2年後の夏休み明けの9月だった。
ちなみに、硬い座席の客車による夜行だったので、寝台急行の本家「銀河」ではなく、臨時夜行急行「銀河」だったのだろう。
あるいは143Mだったのかもしれないが、京都について喫茶店でモーニングを頼みしばらくしてウトウトしてしまい、「眠らないでね」と言われたのは覚えているから、大垣乗り換えの143Mではあるまい。

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京阪神周遊券と帰りの銀河2号の指定席券が残っているだけなので、周遊券で乗車できる自由席だったのだろう、51か52かは不明である。
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その後も京都には何度も行っているが、2001年にも改めて「二十歳の原点」を巡った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/age20.html

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シアンクレールの外観がP.20とP.146の2か所に描かれているが、外壁がレンガのようだ。

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けれど、1971年に行ったときの写真を見ると、当時は1階はたぶんモルタル、2階は板張りの壁のようで、レンガ壁になったのはそのあとのことだと思われる。

「矛盾に対さない限り、結局のところ矛盾はなくなることはないし、未熟のままで終わるしかない」、この文章の前に「私自身の未熟を理由として、世のさまざまな矛盾に対することから身をひき退くことはできないということでもあるのだろう。」との文章が出てくる。
そこには高野悦子の「朝日ジャーナルに載っていたの」とのセリフがあるが、出処は、朝日ジャーナル」1969年1月5日号に掲載された小田実の『「未熟」と「発明」─人々は動く・68年から69年へ─』で、「小田実全仕事」の第10巻にも収録されているようだ。
当然、高野悦子が書いた文章も、幾つか描かれている。

本書は、『高野悦子「二十歳の原点」案内』でも紹介されていて、出版の意図なども書かれている。
https://www.takanoetsuko.com/comicban.html

新潮社
単行本は絶版、文庫本のみ、原点以外は電子書籍のみ。
190717_20_31 ・二十歳の原点(紙書籍・電子書籍)
https://www.shinchosha.co.jp/book/118301/
190717_20_32 ・二十歳の原点序章(電子書籍)
https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E029211/
190717_20_33 ・二十歳の原点ノート(電子書籍)
https://www.shinchosha.co.jp/ebook/E029221/

カンゼン
ノート、序章、原点の順でシリーズ化されている。
・二十歳の原点 Ⅲ 新装版 http://www.kanzen.jp/book/b62784.html
・二十歳の原点序章 Ⅱ 新装版 http://www.kanzen.jp/book/b62783.html
・二十歳の原点ノート Ⅰ 新装版 http://www.kanzen.jp/book/b62782.html

高野悦子/著
岡田鯛/画
双葉社
https://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-31461-8.html

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2019年7月13日 (土)

赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD 5

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エリア・カザンの作品は何作も見ていて(ほとんどはテレビでだが、たまにリバイバル上映もあったっけ)、当時はすごい映画だなあと思ったものだが、HUACとカザンとの関係を知ったのは、そのあとのことだ。
鶴見俊輔さんのハーヴァード大学時代の同級生が戦後日本に来て鶴見さんを訪ねたときに、「米国はこれから全体主義になるだろう」ということを言ったようだ。(「思い出袋」鶴見俊輔・岩波新書、P.50,P.110)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-0013e5.html
鶴見さんがそのことを実感したのは、2001年の9.11のときに当時のブッシュ大統領が「私たちは十字軍だ」と言ったときと書いてあるが、赤狩り時代の米国については、鶴見さんはどこかで何か書いていただろうか。

山本おさむ/著
小学館
https://comics.shogakukan.co.jp/book?isbn=9784098602919

 

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