憲法・民主主義関連

2020年3月 9日 (月)

独裁者のブーツ イラストは抵抗する

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本書は2019年9月の刊行なので、2019年4月のプラハ訪問の参考に使うことはできなかったのが、至極残念である。
「チャペック兄弟のプラハ」に、チャペック兄弟にまつわる場所がいくつか紹介されていて、チャペック兄弟が1925年から住んだ家には行ったのだが、その他のところには行っていない。
チェコは他にも行きたいところはあるので、次に機会があったら、チャペックも追ってみよう。
そのためにも、わかる範囲で地図に落としておこう。

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(1) Říční 11:1907年から父母、祖母、兄弟で住んだところ
(2) Národní 18:「リドヴェー・ノヴィニ(LIDOVÉ NOVINY、人民新聞)」編集部
(3) Národní 22:兄弟が通った「カフェ・ルーブル(Café Louvre)」
(4) Národní 2:「R・U・R」が上演された国民劇場(Národní divadlo)
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(5) Národní 9:「独裁者のブーツ」を出版した出版社「Fr.ボロヴィー」
この建物にあったようだ。(画像は、Googleさんから)
このあたりは市電に乗って通っているのだが、建物の記憶は残念ながら、ない。
(6) ヴィノフラディ劇場(Národní dům na Vinohradech):カレルが1921年から1923年まで舞台監督を務めた
(7) 平和広場(Náměstí Míru):チャペック兄弟の記念碑が立つ
(8) チャペック兄弟の記念碑(Pomník bratří Čapků)
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(9) Bratří Čapků 28 30:兄弟が1925年から住んだ家
ここには、行った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d18ea4.html
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(10) 国民墓地:ヨゼフとカレルの墓がある

イラストに付けられたキャプション、いくつかは現代を思い起こさせるものがある。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Josef_%C4%8Capek_-_Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty_09.jpg
「もっと光らせろ!」〔左から、学者、広告屋、ジャーナリスト、裁判官〕(P.26)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Josef_%C4%8Capek_-_Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty_11.jpg
軍靴のサイズが大きければ大きいほど、国民は小さくなる。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Josef_%C4%8Capek_-_Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty_14.jpg
言葉を作る。〔軍歌の言葉。向かって左側(右足)左から「自分で決めろ」「伝達事項」「§§§命令」「私が統率する 私が撤回する!」。
右側(左足)左から「われわれが指令する われわれが定める」「了解! 禁止! 指示」「われわれが決める」〕(P.29)

その他、Wikiにある。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Dikt%C3%A1torsk%C3%A9_boty

気になったところ。
P.124~125に「これまでは面積六八万平方メートル(中略)という大国であるオーストリア=ハンガリー帝国(中略)が、面積一四万平方メートル(中略)までにスケールダウンした」との記述があるが、いずれも「平方メートル」ではなく、「平方キロメートル」であろう。
P.139の、ヨゼフが1939年9月9日から26日まで収容されたダッハウ強制収容所、ここにも行っているが、このときは、ヨゼフ・チャペックがここに入れられていたことは知らなかった。。
ダッハウへ
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-7c7c.html
ダッハウ収容所
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-190b.html
食堂棟と囚人棟、ムゼウム
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-e03f.html
二度と繰り返すな
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

「チェコ共和国 オフィシャルブログ 見る、知る、チェコ」にも掲載されている。
https://czechrepublic.jp/czech-culturehistory/tsudoimasuda/

I 独裁者のブーツ
 序―ヨゼフ・ホラ
 独裁者のブーツ(Diktátorské boty)
II 平和? 戦争? それとも恥?—反ファシズムのためのイラスト集
III ヨゼフ・チャペックの人と仕事
 新聞記者としてのヨゼフ・チャペック
 引きこもりオタクのつよさ――イージー・オペリーク
 チャペック兄弟とその時代
 日常を生きたヨゼフ――パヴラ・ペチンコヴァー
 強制収容所のヨゼフ・チャペック
 チャペック兄弟のプラハ
ヨゼフ・チャペックと世界の動き
編訳者あとがき

ヨゼフ・チャペック(Josef Čapek)/著
増田幸弘/訳
増田集/訳
共和国
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907986636

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2020年2月25日 (火)

キューバの声

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「読者のための覚え書き」によれば、著者が世に本書を問うたのは1960年9月で、バティスタが辞任して1年9ヶ月後のことで、日本語版はさらに半年後である。
実際に本書を読んだのは大学に入ってからだったから、さらに10年以上経ってからのことだ。
キューバ革命から60年、日本ではこのようなプロセスは考えられないけれど、なんとかならんかなあと思いながら、そんな本書を、もう一度掘り出してみた。

カストロは、こんなことを言っていた。
資本主義は人間を犠牲に供する。共産主義国家は、その全体主義的概念によって人間の諸権利を犠牲に供する。わたしたちがこれらのいずれとも同意しないのはこのゆえである。彼らに押しつけられたのでもなく、彼らが模写したのでもないところの自らの要求の中から、自らの政治的組織を発展させなければならない。そしてわたしたちの革命は、自発的なキューバの革命なのである。それはわたしたちの音楽同様にキューバのものである。
(P.156~157)
この理念がそのとおりに進むことなく、キューバを反米に追いやったのがアメリカ自身であったということを、本書は示している。

日本に触れているところがある。
アメリカがキューバの砂糖を書くことを減らしたとき、「ロシア人と中国人と日本人が、わたしたちの砂糖を買うことによって、キューバを苦境から救い、たぶん起こったかも知れない経済的破局から救っってくれた」(P.117)
「ひとつの県ではわたしたちはもう五万えーかーの棉畠を持っていて、その近所に織物工場もひとつあります。わたしたちはそれを日本人から買いました」(P.133)
「わたしたちが読んだところでは、最近日本では八百万の人びとがあなたがたに反対するデモンストレーションに参加したそうです」(P.154)
前二者が具体的に何を指しているのかはわからないが、三番目は安保闘争のことだろう。

簡単に、キューバの歴史をメモしておく。
1898年:米西戦争に勝利した米国が、スペインにキューバ独立を認めさせる
1901年:米国がキューバを保護国化
1903年:グアンタナモを米軍基地として咀嚼(現在まで続いている)
1936年5月20日:アリアスが大統領に就任、バティスタが国防相兼軍総司令官に就任
1940年10月:総選挙の結果、バティスタ、大統領に就任
1944年:バティスタ、総選挙に敗れ、フロリダへ逃亡
1948年6月:バティスタ、総選挙で上院議員当選
1950年:バティスタ帰国
1952年3月10日:バティスタによる軍事クーデター、大統領就任
1953年7月26日:弁護士のフィデル・カストロがモンカダ兵営攻撃、失敗し逮捕
1955年5月:カストロ、恩赦で釈放
1955年7月:カストロ、メキシコに亡命
1956年11月25日:カストロ、「グランマ号」でメキシコから秘密裏に出発
1956年12月2日:カストロ、キューバ上陸、マエストラ山脈でゲリラ活動
1958年8月:カストロの革命軍、西進開始
1958年12月31日:バティスタ、大統領辞
1959年1月1日:バティスタ、ドミニカ共和国へ亡命
1959年1月2日:カストロ、臨時革命政府の成立宣言
1959年1月7日:合衆国、臨時革命政府承認
1959年4月:カストロ、訪米するもアイゼンハワー大統領は面会せず
1959年:ラウル、モスクワ訪問
1959年12月:合衆国国家安全保障会議、CIAにカストロ政権転覆計画立案を指示
1960年2月:アイゼンハワー大統領、CIAに亡命キューバ人によるキューバ侵攻作戦の準備着手を命令
1960年3月9日:合衆国国家安全保障会議、カストロ政権に対抗する秘密作戦計画「プルータス作戦」報告
1960年3月17日:アイゼンハワー大統領、「プルータス作戦」同意
1960年6月:キューバ政府、アメリカ資産の国有化開始
1960年9月:第15回国連総会、合衆国政府、カストロを中心街のホテルからハーレムのホテルに移す
1960年10月:合衆国、食料品を除き対キューバ輸出禁止
1961年1月3日:合衆国政府、キューバと断交
1961年1月20日:ジョン・F・ケネディが合衆国大統領就任
1961年4月4日:合衆国国家安全保障会議、CIAの侵攻計画了承
1961年4月15日:反革命傭兵軍、米軍爆撃機でハバナを空襲
1961年4月17日:反革命傭兵軍、ピッグス湾上陸、「プラヤヒロン事件」
1961年4月21日:ハバナの審問
1961年5月1日:カストロ、「われわれの革命は社会主義革命である」と宣言
1961年8月:合衆国政府、マングース作戦開始、カストロ暗殺、キューバ侵攻を計画
1962年:ソ連、キューバにミサイル基地建設開始
1962年10月14日:アメリカ空軍のU-2偵察機がキューバ国内を飛行し中距離ミサイル確認
1962年10月22日:合衆国政府、キューバを海上封鎖
1962年10月27日:キューバ、アメリカ空軍のU-2偵察機を撃墜
1962年10月28日:ソ連、ミサイル撤去決定

「ピッグス湾事件」については、「ハバナの審問」が取り上げている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-eca9.html

ライト・ミルズ/著
鶴見俊輔/訳
みすず書房

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2020年2月18日 (火)

検閲帝国ハプスブルク

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ハプスブルク家の歴史の中の検閲の最盛期は、1815年から1848年のウィーン体制期であるとして、本書は出発する。
しかし、このウィーン体制期の記述は終章に至って初めて触れられ、それまでの記述は、そこに至るまでの『ハプスブルク王朝の検閲政策を「ここの著名な事実の羅列」としてではなく、歴史的、社会的コンテキストの中で読み解くことで、ドイツ、オーストリアの文化史の一面を探る』ことに費やされる。

P.56からP.57に「マクシミリアンは互いに遠く離れた領地への命令書等々の迅速な通達、あるいはそれぞれの領地からのさまざまな情報の取得のために、ヴェネチアで飛脚問屋を営んでいたタッシス家(ドイツ語名タクシス家)に駅伝網の敷設を命じた」と書かれている。
「タッシス家」(Taxis)については、「トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史」に詳しい。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2491.html
財を成したタクシス家は1812年からレーゲンスブルクに住むようになったのだが、2011年にレーゲンスブルクに行ったときに、トゥルン・ウント・タクシス城の見学をした。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-3ea7.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7c86.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-89aa.html

P.101に帝国議会が1654年にレーゲンスブルクで開かれたこと、帝国議会は1663年からレーゲンスブルクに常設されたとの記述があるが、この帝国議会はレーゲンスブルクの旧市庁舎(Altes Rathaus)に置かれていて、これも見学したことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-60b2.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-9dab.html

P.99あたりから三十年戦争のことが語られるが、三十年戦争は「カトリック vs プロテスタント」「神聖ローマ皇帝 vs 領邦君主」「ハプスブルク家 vs ブルボン家」と言った対立が絡んでいるので、一度はきちんと押さえておきたい。

P.148に『「美しき青きドナウ」のほとりに暮らすウィーンの人々は、プロイセンで蔓延する啓蒙主義というこれらに目をつむり、耳をふさぎ、口をつぐんでいたのだ。人々はこの偉大な女帝の時代に、国境の向こうで、やがて標準語となる「ルターのドイツ語」を喋る人々を馬鹿にして、自分たちの土着方言ヴィーナリッシュに固執していたのである』とある。
これだけ取り出したのではわかりにくいが、この前に「ホウベンのちょっと気取った表現を借りるとすれば、」とあって、著者の言ではなく、ホウベンの引用かもしれない。
ホウベンとは「ドイツの検閲史の泰斗ハインリヒ・フンボルト・ホウベン」(P.22)のことで、巻末の参考文献の中に「Polizei und Zensur」の著者として「H. H. Houben」で名がある。
何れにせよ本書では、マリア・テレジアはフリードリヒ大王の啓蒙主義を嫌い、啓蒙主義的文書が流れ込んでくるのを検閲によって摘発していたという文脈で書かれているので、マリア・テレジアも啓蒙専制君主のひとりとしてのイメージもあるので、こうした捉え方あるのかと思ってしまった。
そして、ウィーン訛りやバイエルン・ドイツ語(Bairisch)は「高地ドイツ語・Hochdeutsch」グループのひとつで、「標準ドイツ語」たる「低地ドイツ語・Niederdeutschh」と分けられているのだが、ウィーン訛りと検閲とを結びつけた記述にも、少々びっくりした。

P.152の検閲委員会の「世俗メンバーの任命は宮廷が行い、世俗メンバーはウィーン大司教が女帝に提案する」とあるが、P.157の記述に従えば「世俗メンバーの任命は宮廷が行い、聖職者メンバーはウィーン大司教が女帝に提案する」だろう。

P.189に「ウィーン郊外劇場」の創設を皇帝ヨーゼフ二世が許可したことが紹介されている。
「ウィーン郊外劇場」とは、リンクのすぐ外側にある現在のフォルクステアターで、当時は市壁の外の「郊外」にあったということだ。
P.188から、ある検閲官が「民衆の啓発を己が崇高な使命と定め、無知な人々を乱倫に引きずり込む、ありとあらゆる民衆喜劇を敵視し」、その結果「民衆喜劇、方言芝居、道化芝居、滑稽芝居といったウィーン生え抜きの芝居はすべてそやで、無形式で、非芸術的、要するにまったくの低俗であると判断され、ウィーンから駆逐された」、芝居好きのウィーン子のフラストレーションはたまりにたまり、なにやら不穏な様相を呈するようになった」という前段があり、フォルクステアターはある意味、ガス抜きの役割を持ったことになる。

こうしてウィーン体制期の検閲は、いわば検閲のための検閲といった様相を呈していったようである。
そしてウィーンも三月革命を迎え、事実上最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフは、以後、「何かをやれば必ずマイナスとなって跳ね返っってくる」経験を重ね、「であるならば、何もしないことがベストである」政策に邁進し、ヴィルヘルム二世の検閲の猛威とは裏腹に、「人々はフランツ・ヨーゼフという絶対の空虚のなかに寝そべり、一時の転寝を楽しむかのようであった」、「検閲を駆使してまで護るべきものは何もないといわんばかり」と、かなり揶揄的な評価が著者によって下されてしまうのである。
そういえば、ロミー・シュナイダーの「Sissi」には、検閲ではないがあれこれ探る人物が登場していて、本書が捉えるようなウィーン体制を思い出させる。

新書であるにしても、全体的に講談調というか漫談調で、記述は経年ではなく行ったり来たり。
「検閲」という、ある意味地味なテーマなので、講談調・漫談調は、読んでいて飽きることはないが、記述内容が果たして定説なのかどうかがわからないところもある。
そして、神聖ローマ皇帝それぞれとその時代の知識が、一定程度必要だろう。
神聖ローマ帝国の簡単な書籍を手元に置くと、いいかもしれない。

序章 検閲から何が見えるか
第一章 活版印刷は世界を制す
第二章 神聖ローマ帝国の検閲事始め
第三章 神聖ローマ帝国における検閲制度の法整備
第四章 印刷特権
第五章 選挙協約と検閲
第六章 領邦国家の検閲制度
第七章 マリア・テレジア治下の検閲制度の改革
第八章 前三月期の検閲事情
終章 窒息しそうな検閲の果てに
あとがきハ
プスブルク検閲史年表
参考文献

菊池良生/著
河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624556/

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2020年2月14日 (金)

この国は、変われないの?

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P.110からの2016年4月7日号の週刊朝日に掲載された「もうどうにもできないのかしら?」では、東京新聞に掲載された、安倍内閣が共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体であるとの答弁書を閣議決定したという記事を紹介している。
この閣議決定は、新党大地→民主党→自由民主党と動いた鈴木貴子議員の質問主意書に対する答弁書である。
質問主意書
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a190189.htm
答弁書
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b190189.htm
これに対して、日本共産党は抗議している。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-03-23/2016032301_03_1.html

それと同じ内容の発言が、こともあろうに2月13日の衆議院本会議で、内閣総理大臣の口から「昭和26年から28年ごろにかけて、党組織や党員が殺人などの暴力主義的破壊活動を行った疑いがあり、現在も暴力革命の方針に変更はないと認識している」との言葉が出てきた。
共産党は、当然のことながら抗議している。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-02-14/2020021401_03_1.html

マルチン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller)の言葉を思い返すことが、この国でもますます必要になってきたようだ。
Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich geschwiegen,
ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr,
der protestieren konnte.
http://martin-niemoeller-stiftung.de/martin-niemoeller/als-sie-die-kommunisten-holten

さて、本書は「週刊朝日」に連載された著者の「しがみつく女」から選択され、ある程度のテーマごとに順不同に並んでいるのだが、「週刊朝日」に掲載された文章を新日本出版社が出す、う〜む、昔は考えられなかったかもしれない。
オヤジが朝日にいた頃には家に「週刊朝日」はあったと思うが、当時コーコーセーだった少年にとっては、「朝ジャ」のほうがはるかに面白かったのだが。
書かれている内容は、「朝ジャ」をよく読んだ者、版元の本にも馴染みがある者にしてみれば、それぞれうなづくことが書かれていることが多いのだが、今の「週刊朝日」の読者はどんな読者層なのだろうか。
おそらく肯定否定の振れ幅は大きいのだろうが、肯定しない人たち、否定に振れている人たちにこそ読んで欲しい内容だ。
その中には月刊Hanadaだとか月刊WiLLだとかの読者もいるかもしれないが、そうした層までとは言わないけれど、『見識ある保守』『見識ある否「安倍」』に立つ人たち(いるとすれば、だが)、さらに「大人になれ」という人たち(P.136~)に、ぜひ読んでほしいと思う。

第一章 政治は変われないの?
第二章 流されちゃいけない!
第三章 民主主義って何だっけ?
第四章 本当にこのままでいいの?

室井佑月/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-06400-2

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2020年1月21日 (火)

昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅

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澤地久枝さんの著作から、文章を断片的に集めて構成されている。
その意味では、導入本だ。
澤地久枝さんの著作は「妻たちの二・二六事件」「滄海よ眠れ」など、何冊か読んでいるが、一番最初に読んだのはたぶん「火はわが胸中にあり」、5年前にも手にしている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-5085.html

銘記しておきたいのは、「あたりまえのことを言ううのに、勇気が試される。それが、タブーのある社会である。(中略)思考にせよ信仰にせよ、信じるところを表明するのがいのちがけであるような社会は誰に幸福をもたらすか、考えたい。」(P.119、『わたしが行きた「昭和」』より)。
そしてとくに前半の「I わたしの満州 戦前から戦中を過ごして」「II 棄民となった日々 敗戦から引揚げ」「III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく」は、昨今のこの国のありように身を置いている者として、元の本も含めて後世に伝えるべき言葉の数々である。

ルドンの作品を「鎌倉まで出かけてゆき」見たとの記述(P.227、1993年の「画家の妻たち」)があるが、これは、閉館した神奈川県立近代美術館鎌倉で1992年10月10日~1992年12月20日に開催された、「マネ・ルドン・クリンガー展 幻想版画の詩と神秘」ではなかろうか。

本書でも冒頭(P.19)と後半(P.230)で、向田邦子さんからすすめられた「時の娘」も、読んだなあ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-adb1.html

序 その仕事を貫くもの
I わたしの満州 戦前から戦中を過ごして
II 棄民となった日々 敗戦から引揚げ
III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく
IV もの書きになってから 出会ったひと・考えたこと
V 心の海にある記憶 静かに半生をふりかえる
VI 向田邦子さん 生き続ける思い出

澤地久枝/著
文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166612314

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2019年12月24日 (火)

民族の怒り もえあがる沖縄

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「民族の悲劇」の続編。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-da9b1e.html
日本国憲法も米国憲法すらも適用されていなかった(1965年9月7日に日本国政府がまとめた「沖縄の法的地位に関する政府統一見解」では、「日本国憲法の沖縄における適用」で「沖縄の施政権は、平和条約により米国が行使しているので、憲法の適用はない」とされていたらしい。)60年代から70年代はじめの沖縄での、米国民政府に執拗に弾圧され続けたカメさんの奮闘ぶりには、涙が出る。
この頃、大学で沖縄から来た同級生がいて、当時はパスポートを持って「本土」の大学に来ていたことを思い出す。
当時の沖縄、そして1972年の「施政権返還」、しかし復帰のスローガン「核抜き本土並み」は、いまだに達成されていない。
復帰以後の歴史といまの普天間と辺野古のありさま、いまだに日本の米軍専用施設の約70%が沖縄に集中し、沖縄本島の約15%を占めていることを見て、カメさんは何と言うだろうか。

本書は、1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論の後、佐藤首相はカメさんの本を求めに応じ、カメさんは「民族の悲劇」とともに手渡したもの。

まえがき
I 祖国へ
II ケネディと沖縄新政策
III キャラウェイ旋風
IV 統一の波—銃剣の前で
V 勝利への進撃
VI 十二年ぶりの本土
VII 日米沖縄協定
むすび 沖縄は何を求めるか

瀬長亀次郎/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-06006-6/

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2019年11月19日 (火)

民主主義

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まず、見て欲しい。

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これらの図版だけを見たとき、人はどのような印象を持つのだろうか。

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とある政治勢力のプロパガンダにあらずやと思う向きも、多いのではなかろうか。

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これらの図版は本書からいくつかを拾ったものなのだが、このような図版の入った書籍を刊行したのは文部省だったとは、いま、誰も想像だにしないだろう。
おまけに、1948年から1953年まで、中学高校で使用された教科書なのである。

占領下、GHQの指示で執筆されたものだが、内容にGHQはどこまで関与したのか、執筆者たちに筋書きを提示したのか、あるいは概要だけを示したのか。
GHQの意向に沿わない内容は検閲によってチェックされたり書き直しが命じられたりしたことは想像に難くないが、詳細な内容まで示して日本語にしたということであればともかく、これだけの内容を持つ本書を書き上げることができたということは、執筆者たちにはかなりの知識や教養、さらに問題意識や経験を持っていたと言える。
それは政治分野だけではなく、経済や文化までも含む幅広いものだったはずだ。
その知識や経験は、1945年になってから身につけたとはとても思えず、1945年までは雌伏していた、あるいは面従背腹状態だったのだろうか。
本書の内容もさることながら、執筆者たちについて、どのような人たちだったのだろうかと、とても気になった。
そして、教科書として使われることになったのはGHQの意向だろうが、なぜ、使うことをやめたのだろうか。
1952年のサンフランシスコ講和条約の発効と関係があるのだろうか。
何れにせよ、国会議員や大臣をはじめ、各自治体の議員、首長など政治に携わる人たち、そして国民の必読書である。

「第六章 目ざめた有権者」の「五 報道に対する科学的考察」(P.143~)は、当時は新聞やラジオに関する考察だが、その後のメディアの発達を踏まえても、同じような考察は必要なことだろう。
そして、自分にとって心地よいjこうほうだけを拾うことができ、それだけしか見ずに判断する材料となるネット情報に溢れた今は、なおさらだろう。

P.103の「日本の民主政治は(中略)敗戦の結果なのであって、日本人がほんとうに民主政治の意味を自覚して自分たちの力で選挙権の範囲をこれだけおしひろげたわけではない」や、P.169の「日本のように、敗戦によって過去の政治組織がいっぺんにくずれ、そのあとに、西洋の進んだ国々の政治形態の大きな影響を受けつつ、新たな制度を採用するという場合には(中略)事は比較的に容易なのである」といった指摘は、いまの政治や社会のありさまを生み出すこととなったものの一つを言っているのだろう。
つまり、日本の民主主義は、日本の人々自身の努力と犠牲を通じて自分のものにしたのではない、ということだ。
治安維持法は、日本政府によって廃止されたのではなく、GHQによる『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ基ク治安維持法廃止等ノ件』(ポツダム命令)に寄らねばならなかったし、治安維持法違反などで獄中にあった人は、1945年8月15日に解放されることもなかったし、その後、日本人たちが解放したわけでもなく、10月にならなければ釈放されなかった。

「第八章 社会生活における民主主義」「第十五章 日本婦人の新しい権利と責任」は、堺利彦の「家庭の新風味」(1979年「新家庭論」として刊行された)を思い起こさせる内容だ。
執筆者たちが意識していたかどうかはわからないが。

内田樹氏が解説を書いているのだが、解説で内田氏は本書の全てを肯定的に捉えてはおらず、民主主義の「心」(本書P.3に登場)の記述を使いながら、第日本帝国憲法との連続性を汲み取るアクロバティックな評価をしているのである。
それを書いてしまってはネタバレになるのだが、ご本人がバラしているので、ぜひ、読んでいただきたい。
http://blog.tatsuru.com/2019/10/17_0901.html

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はしがき
第一章 民主主義の本質
第二章 民主主義の発達
第三章 民主主義の諸制度
第四章 選挙権
第五章 多数決
第六章 目ざめた有権者
第七章 政治と国民
第八章 社会生活における民主主義
第九章 経済生活における民主主義
第十章 民主主義と労働組合
第十一章 民主主義と独裁主義
第十二章 日本における民主主義の歴史
第十三章 新憲法に現れた民主主義
第十四章 民主主義の学び方
第十五章 日本婦人の新しい権利と責任
第十六章 国際生活における民主主義
第十七章 民主主義のもたらすもの
解説 内田樹

文部省
角川書店
https://www.kadokawa.co.jp/product/321807000029/

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2019年11月13日 (水)

赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD 6

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第6巻は、「第3章 エデンの東へ」のvol.15~vol.18と、「赦し(インドゥルト)のvol.1~vol.5。
エリア・カザンについては、本書で表現されたカザン像は、作者のもつカザン像とは異なることに注意が必要だろう。
「赤狩り」はアメリカの過去の話ということだけでなく、日本の、この国での、「アート」に対する有形無形の圧力・攻撃と重なる。

赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD
1:第1章 『ローマの休日』と赤狩りの始まり vol.1~vol.8
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/the-red-rat-in-.html
2:第1章 『ローマの休日』と赤狩りの始まり vol.9~vol.17
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/the-red-rat-in-.html
3:第1章 『ローマの休日』と赤狩りの始まり vol.18~vol.21、2章 ハリウッド・テン vol.1~vol.6
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/the-red-rat-in-.html
4:第2章 ハリウッド・テン vol.7~vol.10、第3章 エデンの東へ vol.1~vol.5
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-1ac041.html
5:第3章 エデンの東へ vol.6~vol.14
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-0525aa.html

山本 おさむ
小学館
https://comics.shogakukan.co.jp/book?isbn=9784098604531

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2019年10月18日 (金)

戒厳令

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1978年の刊行であるが、台風15号や19号での政府の動き、あいちトリエンナーレをめぐる動きなどを見ていると、2014年7月1日の「国の存立を全うし、国民を守るための.切れ目のない安全保障法制の整備について」の閣議決定以後、この国は権力の恣意的な運用が目につく。
2014年7月1日は、日本国憲法を停止せしめる事実上のクーデターが起きた日であると考えていたのだが、「クーデター」「戒厳令」をおさえておこう。
緻密な内容の本書を簡単にはまとめることはできないが、「戒厳令」をめぐっては、二・二六事件以降は当初の「戒厳令」の趣旨から大きく逸脱し、明治憲法の規定にも逸脱するような運用を恣意的に行い、「軍ファシズムの成立」さらに「日本ファシズムの成立」へと連なっていったことが理解できる。
本書刊行の時期は、1977年の三原防衛庁長官の指示による「有事法制の研究」と重なっているのだが、「戒厳立法の研究は、現在でも、国民の目のとどかないところで、着々とすすめられてると考えてよい」との著者が指摘(P.213)は、今だからこそもう一度おさえておくべきだろう。

そしてもうひとつおさえておくべきは、P.203以降の治安出動における自衛隊の武器使用の基準で、自衛隊法に規定されているのだが、戦前の衛戍勤務令(明治43年3月18日軍令陸第3号)第一二での正当防衛での武器使用に限定していたものから拡大されているとの指摘であろう。

自衛隊法
第九十条 第七十八条第一項又は第八十一条第二項の規定により出動を命ぜられた自衛隊の自衛官は、前条の規定により武器を使用する場合のほか、次の各号の一に該当すると認める相当の理由があるときは、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。
一 職務上警護する人、施設又は物件が暴行又は侵害を受け、又は受けようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを排除する適当な手段がない場合
二 多衆集合して暴行若しくは脅迫をし、又は暴行若しくは脅迫をしようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合
三 前号に掲げる場合のほか、小銃、機関銃(機関けん銃を含む。)、砲、化学兵器、生物兵器その他その殺傷力がこれらに類する武器を所持し、又は所持していると疑うに足りる相当の理由のある者が暴行又は脅迫をし又はする高い蓋がい然性があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合
2 前条第二項の規定は、前項の場合について準用する。

60年安保や70年安保のような治安の理由による出動は、為政者にとっても躊躇わせしめるものがあったようだが、いまは当然視されている60年安保や70年安保のような治安の理由による出動は、為政者にとっても躊躇わせしめるものがあったようだが、いまは当然視されている災害救助を理由とした出動から憲法への「緊急事態」盛り込み、そして「治安」出動へは、おそらくほとんど抵抗なしに進むのではないだろうか。

1882年:太政官布告第三十六号戒嚴令
1889年:大日本帝国憲法
第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
○行政戒厳→二・二六事件
第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
○軍事戒厳→日清戦争、日露戦争で7回、以後なし。
第三十一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
○行政戒厳→日比谷焼打事件、関東大震災、二・二六事件の3回。
○二・二六事件で設置された関東戒厳司令部は戒厳解止とともに廃止されたが、東京警備司令部が設置され常設となった。
第七十六条第一項 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス
○太政官布告第三十六号戒嚴令を、法律に相当する効力を有するものとした
戒厳令実行ニ関スル大方針(日露戦争時):戒厳令を「非常事態における非常権の限界を示した法令」(立法趣旨、元老院会議での提案理由説明)から「事実上の非常権無制限」(P.98)とした。

「おわりに」で紹介されている警察法第七十一条と自衛隊法第七十八条以下を、以下に示しておく。
警察法
第七十一条 内閣総理大臣は、大規模な災害又は騒乱その他の緊急事態に際して、治安の維持のため特に必要があると認めるときは、国家公安委員会の勧告に基き、全国又は一部の区域について緊急事態の布告を発することができる。
2 前項の布告には、その区域、事態の概要及び布告の効力を発する日時を記載しなければならない。

自衛隊法
第七十八条 内閣総理大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
2 内閣総理大臣は、前項の規定による出動を命じた場合には、出動を命じた日から二十日以内に国会に付議して、その承認を求めなければならない。ただし、国会が閉会中の場合又は衆議院が解散されている場合には、その後最初に召集される国会において、すみやかに、その承認を求めなければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があつたとき、又は出動の必要がなくなつたときは、すみやかに、自衛隊の撤収を命じなければならない。
(治安出動待機命令)
第七十九条 防衛大臣は、事態が緊迫し、前条第一項の規定による治安出動命令が発せられることが予測される場合において、これに対処するため必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の全部又は一部に対し出動待機命令を発することができる。
2 前項の場合においては、防衛大臣は、国家公安委員会と緊密な連絡を保つものとする。
(治安出動下令前に行う情報収集)
第七十九条の二 防衛大臣は、事態が緊迫し第七十八条第一項の規定による治安出動命令が発せられること及び小銃、機関銃(機関けん銃を含む。)、砲、化学兵器、生物兵器その他その殺傷力がこれらに類する武器を所持した者による不法行為が行われることが予測される場合において、当該事態の状況の把握に資する情報の収集を行うため特別の必要があると認めるときは、国家公安委員会と協議の上、内閣総理大臣の承認を得て、武器を携行する自衛隊の部隊に当該者が所在すると見込まれる場所及びその近傍において当該情報の収集を行うことを命ずることができる。
(海上保安庁の統制)
第八十条 (略)
(要請による治安出動)
第八十一条 都道府県知事は、治安維持上重大な事態につきやむを得ない必要があると認める場合には、当該都道府県の都道府県公安委員会と協議の上、内閣総理大臣に対し、部隊等の出動を要請することができる。
2 内閣総理大臣は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等の出動を命ずることができる。
3 都道府県知事は、事態が収まり、部隊等の出動の必要がなくなつたと認める場合には、内閣総理大臣に対し、すみやかに、部隊等の撤収を要請しなければならない。
4 内閣総理大臣は、前項の要請があつた場合又は部隊等の出動の必要がなくなつたと認める場合には、すみやかに、部隊等の撤収を命じなければならない。
5 都道府県知事は、第一項に規定する要請をした場合には、事態が収つた後、すみやかに、その旨を当該都道府県の議会に報告しなければならない。
6 第一項及び第三項に規定する要請の手続は、政令で定める。

そして、自由民主党の「日本国憲法改正草案」。
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

自民党大会で示された改憲4項目のうちの緊急事態条項。
第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。
第73条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
2 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

「戒嚴令」の全文。
戒嚴令
第一條 戒嚴令ハ戦時若クハ事變ニ際シ兵備ヲ以テ全國若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス
第二條 戒嚴ハ臨戦地境ト合圍地境トノ二種ニ分ツ
 第一 臨戦地境ハ戦時若クハ事變ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ區畫シテ臨戦ノ區域ト爲ス者ナリ
 第二 合圍地境ハ敵ノ合圍若クハ攻撃其他ノ事變ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ區畫シテ合圍ノ區域ト爲ス者ナリ
第三條 戒嚴ハ時機ニ應シ其要ス可キ地境ヲ區畫シテ之ヲ布告ス
第四條 戦時ニ際シ鎭臺營所要塞海軍港鎭守府海軍造船所等遽カニ合圍若クハ攻撃ヲ受クル時ハ其地ノ司令官臨時戒嚴ヲ宣告スルヿヲ得又戦略上臨機ノ處分ヲ要スル時ハ出征ノ司令官之ヲ宣告スルヿヲ得
第五條 平時土寇ヲ鎭定スル爲メ臨時戒嚴ヲ要スル場合ニ於テハ其地ノ司令官速カニ上奏シテ命ヲ請フ可シ若シ時機切迫シテ通信斷絶シ命ヲ請フノ道ナキ時ハ直ニ戒嚴ヲ宣告スルヿヲ得
第六條 軍團長師團長旅團長鎭臺營所要塞司令官或ハ艦隊司令長官艦隊司令官鎭守府長官若クハ特命司令官ハ戒嚴ヲ宣告シ得ルノ權アル司令官トス
第七條 戒嚴ノ宣告ヲ爲シタル時ハ直チニ其状勢及ヒ事由ヲ具シテ之ヲ太政官ニ上申ス可シ
 但其隷属スル所ノ長官ニハ別ニ之ヲ具申ス可シ
第八條 戒嚴ノ宣告ハ曩ニ布告シタル所ノ臨戦若クハ合圍地境ノ區畫ヲ改定スルヿヲ得
第九條 臨戦地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ノ軍事ニ關係アル事件ヲ限リ其地ノ司令官ニ管掌ノ權ヲ委スル者トス故ニ地方官地方裁判官及ヒ檢察官ハ其戒嚴ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ
第十條 合圍地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ハ其地ノ司令官ニ管掌ノ權ヲ委スル者トス故ニ地方官地方裁判官及ヒ檢察官ハ其戒嚴ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ
第十一條 合圍地境内ニ於テハ軍事ニ係ル民事及ヒ左ニ開列スル犯罪ニ係ル者ハ總テ軍衙ニ於テ裁判ス
 刑法
  第二編
   第一章 皇室ニ對スル罪
   第二章 國事ニ對スル罪
   第三章 静謐ヲ害スル罪
   第四章 信用ヲ害スル罪
   第九章 官吏瀆職ノ罪
  第三編
   第一章
    第一節 謀殺故殺ノ罪
    第二節 殴打創傷ノ罪
    第六節 擅ニ人ヲ逮捕監禁スル罪
    第七節 脅迫ノ罪
   第二章
    第二節 強盗ノ罪
    第七節 放火失火ノ罪
    第八節 決水ノ罪
    第九節 船舶ヲ覆没スル罪
    第十節 家屋物品ヲ毀壊シ及ヒ動植物ヲ害スル罪
第十二條 合圍地境内ニ裁判所ナク又其管轄裁判所ト通路斷絶セシ時ハ民事刑事ノ別ナク總テ軍衙ノ裁判ニ屬ス
第十三條 合圍地境内ニ於ケル軍衙ノ裁判ニ對シテハ控訴上告ヲ爲スヿヲ得ス
第十四條 戒嚴地境内ニ於ケル司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ權ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルヿヲ得ス
 第一 集會若クハ新聞雑誌廣告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルヿ
 第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルヿ
 第三 銃砲弾藥兵器火具其他危險ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ檢査シ時期ニ依リ押収スルヿ
 第四 郵信電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ檢査シ竝ニ陸海通路ヲ停止スルヿ
 第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルヿ
 第六 合圍地境内ニ於テハ晝夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ檢察スルヿ
 第七 合圍地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルヿ
 第十五條 戒嚴ハ平定ノ後ト雖モ解止ノ布告若クハ宣告ヲ受クルノ日迄ハ其効力ヲ有スル者トス
第十六條 戒嚴解止ノ日ヨリ地方行政事務司法事務及ヒ裁判權ハ總テ其常例ニ復ス

まえがき
はじめに
I 戒厳令とは何か
II 軍事立法としての日本の戒厳令
III 日本における戒厳令の発動
IV クーデターの手段としての戒厳令—二・二六事件—
おわりに—自衛隊の戦時立法研究と戒厳令—

大江志乃夫
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b267509.html


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2019年9月20日 (金)

民族の悲劇 沖縄県民の抵抗

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戦後沖縄の歴史を、沖縄の眼で見るのと本土の眼で見るのとでは、こうも異なるのかと驚かされる。
そして、弾圧されても挫けることのないカメさんの文章の高揚感は、いかにも当時の雰囲気を伝えてくれている。

1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論の後、佐藤首相はカメさんの本を求め、カメさんは「民族の悲劇」と「民族の怒り」を手渡したそうだ。
その後、佐藤栄作首相は、読んだのだろうか。
読んだとしたら、どのような思いを抱いたのだろうか。

まえがき
I 基地権力者の意志は法なり
II 講和条約第三条のからくり
III スキャップ指令と占領政策
IV 吹きすさぶ反共旋風
V 略奪はこうしてやる
VI 島ぐるみのたたかい
VII 「赤い市長」の出現
VIII 新しい情勢

瀬長亀次郎/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-05690-8/

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