社会主義・共産主義関連

2020年7月 5日 (日)

コメコンデザインシリーズ(13) カールマルクスシュタットとライプツィヒ・ハレ 社会主義建造物を追って vol.2

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社会主義建造物の第2回。
2年前のドイツ行きでは、プラン段階ではカールマルクスシュタット(現ケムニッツ)も候補にしていたが、日数的に断念した。

ライプツィヒも1泊だけだったので、社会主義建造物の探索はできていない。
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社会主義関連・東独関連では、ゲヴァントハウス(上左、Gewandhaus)、メードラー・パッサージュの並びの現代史博物館(上右、Zeitgeschichtliches Forum Leipzig)で「ALLES NACH PLAN? Formgestaltung in der DDR」(計画によるのがすべて? 東独のデザイン)展を見たのと、旧国家保安省記念館(下、Gedenkstätte Museum in der „Runden Ecke“)を見ただけ。
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ゲヴァントハウス
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/7_6-il-62-gewan.html
現代史博物館
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_1-altes-ratha.html
旧国家保安省記念館
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_3-gedenksttte.html

ハレは、ヴェルニゲローデからライプツィヒに向かう途中で、乗り換えをしただけだが、しばらくすると空港駅もあった。
サイトを見てみると、ドレスデン空港と使い分けをしているようだ。
ウィーンからだとドレスデンは飛んでおらず、ライプツィヒに飛んでいる。
https://www.mdf-ag.com/

付録の、著者の3月の渡欧がちょうど国境閉鎖の時期と重なり、ハラハラドキドキ。
出国→フランクフルト(独)泊→クラクフ(波)泊→ドレスデン(独)3泊→ベルリン(独)泊→帰国、現地6泊機中2泊計8泊のあいだに4回の国境越え。

イスクラ
https://iskra.ocnk.net/product/19527

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2020年5月27日 (水)

武器としての「資本論」

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『「資本論」を人々がこの世の中を生きのびるたの武器と塩て配りたい」願いがあると記されている。(P.4)。
折しも先日「記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ」を読了したばかりだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-73281b.html
「生き延びよ」は、2004年に遅筆堂が発した言葉で、「記憶せよ、抗議せよ、そして、生き延びよ」は2010年に出たのだが、さらに10年15年経過しても、なお「生きのびる」を言わなければならないとは。

現代の世の中を「資本論」的に見ることで、「資本論」を一字一句分析する解説とは違った解説となっているのだが、「資本論」での記述が現代の世の中の状況を説明している例証が多々である。
逆に、「資本論」では記述されていない現代の世の中の状況、「資本論」では逆の意味に記述されている現代の世の中の状況などもあるはずだと思うが、そちらからの分析は本書ではなされていない。
まあ、本書の目的がそこにはないのだからだろうが。
著者の、「物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行う社会」「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)という著者の「資本制社会」の定義(P.31)は、押さえておこう。

人口が減りつつある日本では、総労働時間も減っていくなかでは、絶対的剰余価値の生産は、ますます縮小していくのだろう。
だとすれば、相対的剰余価値の生産に邁進せざるを得ないことになるのだが、昨今のAI技術が生産過程から人間労働を排除していくとすれば、AI技術で生産された商品の使用価値・交換価値は、どのように記述することになるのだろうか。
寅さんを題材にして新自由主義での「包摂」をとらえて論じているのだが、今の若い人たちは寅さんが理解できない存在になっているのか。
この「包摂」については、「物象化」との関係も考察して欲しかった。

さて、「武器」たるには、「資本論」を手に取るべきなのか、何度目になる?
「資本論」に限らず「共産党宣言」もだが、桃尻語訳だとかお国ことば訳だとかしていただけると、もっととっつきやすいと思うのだが。
桃尻語訳 枕草子 上・中・下
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309405315/
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309405322/
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309405339/
日本国憲法前文 お国ことば訳
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-ebfb.html

例えば、である。
独語版資本論の出出し
Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.
世の中の「富」は、資本主義的なものづくりや品物のやりとりが行われているところでは、たくさんの品物の山として現れていて、個々の商品が品物の山の素材なんだ。なので私たちは、この商品がどんなものかを調べることから考えることを始めなければならないのさ。
英語版共産党宣言の出出し
A spectre is haunting Europe – the spectre of communism. All the powers of old Europe have entered into a holy alliance to exorcise this spectre: Pope and Tsar, Metternich and Guizot, French Radicals and German police-spies.
妖怪がヨーロッパじゅうを悩ませているんだって、その名は「共産主義」という妖怪なんだとさ。古いヨーロッパのえらいさんたちは、この妖怪を追い払うために高貴な手を結ぶことにした。えらいさんたちとは、法王さま、皇帝、メッテルニヒさん、ギゾーさん、フランスの急進的な人、ドイツのスパイだって。

内田樹氏の書評。
https://toyokeizai.net/articles/-/345707

いとうせいこう氏の書評。
https://book.asahi.com/article/13395328

佐藤優氏の書評。
https://mainichi.jp/articles/20200418/ddm/015/070/010000c

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カバーを取ると、赤と黒である。

はじめに 生き延びるための「武器」としての『資本論』
第1講 本書はどのような「資本論」入門なのか
第2講 資本主義社会とは? ――万物の「商品化」
第3講 後腐れのない共同体外の原理「無縁」 ――商品の起源
第4講 新自由主義が変えた人間の「魂・感性・センス」 ――「包摂」とは何か 
第5講 失われた「後ろめたさ」「誇り」「階級意識」――魂の「包摂」 
第6講「人生がつまらない」のはなぜか ――商品化の果ての「消費者」化 
第7講 すべては資本の増殖のために ――「剰余価値」
第8講 イノベーションはなぜ人を幸せにしないのか ―― 二種類の「剰余価値」 
第9講 現代資本主義はどう変化してきたのか ――ポスト・フォーディズムという悪夢 
第10講 資本主義はどのようにして始まったのか ――「本源的蓄積」 
第11講 引きはがされる私たち ――歴史上の「本源的蓄積」 
第12講 「みんなで豊かに」はなれない時代 ――階級闘争の理論と現実
第13講 はじまったものは必ず終わる ――マルクスの階級闘争の理論 
第14講 「こんなものが食えるか!」と言えますか? ――階級闘争のアリーナ
おわりに
付属ブックガイド

白井聡/著
東洋経済
https://str.toyokeizai.net/books/9784492212417/


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2020年5月20日 (水)

ベトナム凛と 大石芳野写真集

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本書は20年前の刊行で、最初は図書館で読んだのだと思う。
去年、同じ著者の「戦禍の記憶 大石芳野写真集」を読んだのだが、原点である本書は、どうしても、所持しておきたかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-5123ad.html

本書に収録荒れている写真は、1980年代からミレニアムまで、必ずしも年代順では無いが、その約20年のベトナムの変化もわかる。
それから現代までの20年間は、より速度の速い変化があったのだろう。
ベトナムに行って、ハノイ→フエ→ホーチミンと縦断したのは、20世紀が終わりになろうとする頃で、ベトナム解放25周年の直前だった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/vietnam-report.html
82年のクアンチ省の写真(P.133)に破壊された米軍戦車が写っている。
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省都のドンハに行ったが、道端に打ち捨てられた戦車の残骸は、まだあった。
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そして、82年のヒエルオン橋の写真(P.134)があるが、新しい橋はまだ架けられていない。
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クチ(P.139)。
当時のサイゴンの北西約70km、ここにNFLがトンネルを掘り米軍の爆撃に耐えながらゲリラ戦を展開していた。
フエの王宮(本書ではP.248~、89年代~90年代)では、おそらく枯葉剤を原因としたのだろうと思える障害者もいて、王宮に来る観光客相手の写真屋さんをやっていた。
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フエの王宮は、弾痕がたくさん残っていた。
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ティエン・ム寺(P.253、P.255)も行った。

序景
輝く瞳 子どもたち
都市の暮らし
豊かな食菜
実り多い田園の暮らし
戦争の傷跡
‘80年代の初めごろ
枯れ葉剤ダイオキシンの被害
明日に向かって
祈り
新しい潮流
ベトナムと大石芳野さん 日野啓三(作家)
わが内なるベトナム 大石芳野
ベトナム年表・地図

講談社
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2020年4月19日 (日)

コメコンデザインシリーズ(7) 「在りし日の一枚」 ソヴィエト・ロシアのポストカード255枚

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以前、「ユートピアを求めて:ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展を観たことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-bde1.html
去年は、「ポーランド・ポスター展」と「チェコ・デザイン 100年の旅」。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d5762b.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-9146f8.html

東の、西とは違ったデザイン、ときに政治色プンプンなものもあるけれど、「社会主義リアリズム」以前のアヴァンギャルド、モダニズムが小さなカードの中に続いているのかもしれない。

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2020年4月16日 (木)

ベトナム戦争と私 カメラマンの記録した戦場

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ベトナム戦争と私自身の成長期とは重なるので、様々な思いがある。
反戦集会などにも出かけたし、その後、様々なルポルタージュ、写真集などにも触れた。
当初は、本多勝一氏の「戦場の村」や「北爆の下」などを読んだ物だ。
写真では、キャパを筆頭に、沢田教一さんや岡村昭彦さん、一ノ瀬泰造さん、そして、大石芳野さんたち。
石川さんの写真も見ている。
石川さんは何度もベトナムを訪れていて、本多勝一氏と同行したこともあり、その時の記録は「ベンハイ川を越えて」(朝日新聞社/1974)として出版されている。
解放25終焉の一年前、ベトナムに行ったのだが、そのときホーチミン市の戦争証跡博物館にも行き、石川さんの写真を集めたコーナーがあったり、写真集や石川さんが使ったニコンFもいっしょに並んでいた。
石川さんのベトナムに関わる写真集や書籍は他にも読んでいるが、本書は、ベトナム戦争当時の報道カメラマンとしての動きがよくわかる。

沖縄出身の石川さんは、ベトナムと重ね合わせて、沖縄の市場の「風景はいま思うとベトナムの市場にとてもよく似ていた。私はベトナムへ来た時、沖縄はアジアだと思った。と記している(P.182)のだが、私の印象は、ベトナム音楽の旋律は沖縄音楽の旋律によく似ているというものだった。

石川さんが政府軍に従軍したときに政府軍が解放軍から鹵獲した大砲を「米国製75ミリ。日中戦争の時、アメリカから中国に譲渡された物」(P.200)あるが、P.119の写真を見ると、これは「M116 75mm榴弾砲」のようだ。
また、石川さんが行ったところで私も行ったことがあるところは、まず、ドンハ(P.256)。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1999/04/vietnam-repo-14.html
そして、解放前は北と南を話で隔てていたベンハイ川に架かるヒエルオン橋、私が行ったときは新しい橋になっていたが、旧橋(P.339)もまだ残っていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1999/04/vietnam-repo-12.html
北ベトナム側の最前線だったヴィンリン地区で、ヴィンモック村のトンネルにも入った。(P.338)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1999/04/vietnam-repo-13.html
南の「鉄の三角地帯」のクチ(P.379)。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1999/05/vietnam-repor-5.html

VIETNAM REPORT
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/vietnam-report.html

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赤旗日曜版の3月29号から4月19日号まで、4回にわたっ「この人に聞きたい」の連載があった。
https://www.jcp.or.jp/akahata/web_weekly/cat1/cat821/
当時の石川さんの書籍を探してみよう。

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まえがき
第一章 「南ベトナム海兵大隊戦記」取材
第二章 南ベトナム政府軍の従軍
第三章 ベトナムに米軍がやって来た
第四章 メコンデルタの従軍
第五章 最大の激戦・ケサン基地攻防
第六章 南と北の両方からベトナム戦争を撮った
第七章 戦争終結
あとがき
年表
参考文献

石川文洋/著
朝日新聞出版
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=21710

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2020年3月30日 (月)

コメコンデザインシリーズ(12) アイゼンヒュッテンシュタットとドレスデン 社会主義建造物を追って vol.1

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アイゼンヒュッテンシュタットは、映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」の舞台となったところで、第二次世界大戦後に製鉄業の街としてスターリンシュタット(Stalinstadt)の名称で建設され、1961年に製鉄の町であることから「鉄の街=アイゼンヒュッテンシュタット(Eisenhüttenstadt)」となった。
映画は見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-371ced.html
原作の「Das schweigende Klassenzimmer」と邦訳の「沈黙する教室」も、読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-b5ab06.html
映画のシナリオ本も入手してあるが、まだ読んでいない。

ドレスデンには2018年に行った。
文化宮殿(Kulturpalast、トップに掲載した画像の建物)は、見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_6-kreutzkamm-.html

DDR博物館、正式には「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)は、じっくり見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_1-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_3-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_4-die-welt-d.html
なんでスーパーの一角にあるのだろうと不思議だったのだが、その経緯は本書で知ることができた。

ドレスデン中央駅から試しに市電に乗ってみたとき、市電の窓からPlattenbauっぽい集合住宅の集まった団地が見えたのだが、じっくりとはみなかったので、DDR時代からのものかどうかはわからない。
当時本書が出ていたら、2018年のドレスデン歩きは、もっと違っていたかもしれない。

イスクラ
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2020年2月25日 (火)

キューバの声

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「読者のための覚え書き」によれば、著者が世に本書を問うたのは1960年9月で、バティスタが辞任して1年9ヶ月後のことで、日本語版はさらに半年後である。
実際に本書を読んだのは大学に入ってからだったから、さらに10年以上経ってからのことだ。
キューバ革命から60年、日本ではこのようなプロセスは考えられないけれど、なんとかならんかなあと思いながら、そんな本書を、もう一度掘り出してみた。

カストロは、こんなことを言っていた。
資本主義は人間を犠牲に供する。共産主義国家は、その全体主義的概念によって人間の諸権利を犠牲に供する。わたしたちがこれらのいずれとも同意しないのはこのゆえである。彼らに押しつけられたのでもなく、彼らが模写したのでもないところの自らの要求の中から、自らの政治的組織を発展させなければならない。そしてわたしたちの革命は、自発的なキューバの革命なのである。それはわたしたちの音楽同様にキューバのものである。
(P.156~157)
この理念がそのとおりに進むことなく、キューバを反米に追いやったのがアメリカ自身であったということを、本書は示している。

日本に触れているところがある。
アメリカがキューバの砂糖を書くことを減らしたとき、「ロシア人と中国人と日本人が、わたしたちの砂糖を買うことによって、キューバを苦境から救い、たぶん起こったかも知れない経済的破局から救っってくれた」(P.117)
「ひとつの県ではわたしたちはもう五万えーかーの棉畠を持っていて、その近所に織物工場もひとつあります。わたしたちはそれを日本人から買いました」(P.133)
「わたしたちが読んだところでは、最近日本では八百万の人びとがあなたがたに反対するデモンストレーションに参加したそうです」(P.154)
前二者が具体的に何を指しているのかはわからないが、三番目は安保闘争のことだろう。

簡単に、キューバの歴史をメモしておく。
1898年:米西戦争に勝利した米国が、スペインにキューバ独立を認めさせる
1901年:米国がキューバを保護国化
1903年:グアンタナモを米軍基地として咀嚼(現在まで続いている)
1936年5月20日:アリアスが大統領に就任、バティスタが国防相兼軍総司令官に就任
1940年10月:総選挙の結果、バティスタ、大統領に就任
1944年:バティスタ、総選挙に敗れ、フロリダへ逃亡
1948年6月:バティスタ、総選挙で上院議員当選
1950年:バティスタ帰国
1952年3月10日:バティスタによる軍事クーデター、大統領就任
1953年7月26日:弁護士のフィデル・カストロがモンカダ兵営攻撃、失敗し逮捕
1955年5月:カストロ、恩赦で釈放
1955年7月:カストロ、メキシコに亡命
1956年11月25日:カストロ、「グランマ号」でメキシコから秘密裏に出発
1956年12月2日:カストロ、キューバ上陸、マエストラ山脈でゲリラ活動
1958年8月:カストロの革命軍、西進開始
1958年12月31日:バティスタ、大統領辞
1959年1月1日:バティスタ、ドミニカ共和国へ亡命
1959年1月2日:カストロ、臨時革命政府の成立宣言
1959年1月7日:合衆国、臨時革命政府承認
1959年4月:カストロ、訪米するもアイゼンハワー大統領は面会せず
1959年:ラウル、モスクワ訪問
1959年12月:合衆国国家安全保障会議、CIAにカストロ政権転覆計画立案を指示
1960年2月:アイゼンハワー大統領、CIAに亡命キューバ人によるキューバ侵攻作戦の準備着手を命令
1960年3月9日:合衆国国家安全保障会議、カストロ政権に対抗する秘密作戦計画「プルータス作戦」報告
1960年3月17日:アイゼンハワー大統領、「プルータス作戦」同意
1960年6月:キューバ政府、アメリカ資産の国有化開始
1960年9月:第15回国連総会、合衆国政府、カストロを中心街のホテルからハーレムのホテルに移す
1960年10月:合衆国、食料品を除き対キューバ輸出禁止
1961年1月3日:合衆国政府、キューバと断交
1961年1月20日:ジョン・F・ケネディが合衆国大統領就任
1961年4月4日:合衆国国家安全保障会議、CIAの侵攻計画了承
1961年4月15日:反革命傭兵軍、米軍爆撃機でハバナを空襲
1961年4月17日:反革命傭兵軍、ピッグス湾上陸、「プラヤヒロン事件」
1961年4月21日:ハバナの審問
1961年5月1日:カストロ、「われわれの革命は社会主義革命である」と宣言
1961年8月:合衆国政府、マングース作戦開始、カストロ暗殺、キューバ侵攻を計画
1962年:ソ連、キューバにミサイル基地建設開始
1962年10月14日:アメリカ空軍のU-2偵察機がキューバ国内を飛行し中距離ミサイル確認
1962年10月22日:合衆国政府、キューバを海上封鎖
1962年10月27日:キューバ、アメリカ空軍のU-2偵察機を撃墜
1962年10月28日:ソ連、ミサイル撤去決定

「ピッグス湾事件」については、「ハバナの審問」が取り上げている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-eca9.html

ライト・ミルズ/著
鶴見俊輔/訳
みすず書房

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2020年2月19日 (水)

コメコンデザインシリーズ(11) 「在りし日の食堂で」社会主義食堂レシピ vol.5

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各国のレシピは、
東ドイツ:2
ポーランド&ウクライナ:1
リトアニア:2
ラトビア:2
ハンガリー:1
ロシア:4
グルジア:1
マケドニア:1
ブルガリア:1

巻末のグルジア旅の写真、社会主義的デザインが残っているのだな。
ワインが出てこない・・・。
旧東ドイツ駆け抜け旅じゃ、あまり見かけなくなっていて、ドレスデンの文化宮殿(Kulturpalast)が、それっぽかったけれど。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_6-kreutzkamm-.html

第1集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/20vol1-9afd.html
第2集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/22vol2-e41b.html
第3集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/620vol3-3dca.html
第4集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-0264ad.html

イスクラ
http://iskra.ocnk.net/product/19228

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2020年1月22日 (水)

コメコンデザインシリーズ8 「ウンゼレ ハイマット 我らがふるさと」旧東ドイツチューリンゲンのおもちゃ街道を訪ねて

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以前、「DDR Spielzeug」という東ドイツの玩具の本を読んだが、ホセとイスクラさんが訪れたゾンネベルクは玩具生産地としてなんども出てきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5b29.html
ここまで行くのも、ちょっと大変そうだ。

玩具類は、ドレスデンのDDR博物館にもたくさん展示されていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_3-die-welt-d.html
そして、プラッテンバウ(Plattenbau)の様子も再現されていたが、これをそのまま縮小すれば、ドールハウスになりそうだった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html

第一部
アリドールとの出会い
私は、私は一体...どこから...?
郷土資料館を訪ねて
A.Riedelerの歴史
アリドールのあれこれ
スタイリッシュなドールハウス家具
ドールハウスの焦点に並んでいたもの
仲間たち
第二部
ゾンネベルクへ
ゾンネベルク地方のおもちゃ産業の歴史
コンビナートと周辺で作られていた製品
終わりに

イスクラ
http://iskra.ocnk.net/product/18742

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2019年12月 6日 (金)

北朝鮮と観光

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本来はプラスイメージで語られる「観光」という面から見た、いまやプラスイメージがほとんど感じられなくなってしまっている「北朝鮮」である。
なぜこんな状況になってしまったのか、日本では「北朝鮮」が実行したあれこれのこと(拉致、飛翔体、違法操業等々)が、「北砲戦」は日本を敵対視しているとしか見えない、ということなのだろうが、「北朝鮮」にしてみれば、第二次世界大戦以後、日本は我が国の存在を無視し続けてきた、ということになるのだろう。
すでに「ソ連」が存在した年数を上回る年数のあいだ、「北朝鮮」は存在し続けていること、国連に加盟してから30年近く経とうとしていること、北朝鮮と国交のある国は160カ国以上であること、むろん、例の金正男暗殺事件、1987年の大韓航空機爆破事件、1983年のラングーン事件など、あるいは「北朝鮮」の人権状況などはよく知られているにせよ、こうした情勢で、日本の対「北朝鮮」イメージは、必ずしも世界共通ではないことを知るべきだろう。
また、「北朝鮮」が他国に向ける姿勢にしても、日本と同じような姿勢ではないことも、認識しておいたほうがいいと思う。

で、「北朝鮮」の観光である。
正直、行ってみたいとは思う。
文章、写真や映像でしか知り得ないこの国の、巨大なホテルにはどのくらいの宿泊客がどこからきているのだろう、街にはゴミひとつ見えないようだが、裏側はどうだろう、ホテルやお店ではどんなやりとりができるのだろう、地下鉄あy路面電車などのチケットはどうやって買うのだろう、乗り方はどんなだろう、障害者の姿を見ることはないのだろうか、日々の出勤退勤の風景、休日の風景はどのような光景だろう、様々な興味はある。
観光で行ったとしても、外国人観光客用の姿しか見せてはくれないのだろうけれど。
とうことは、外国人観光客用の姿は、「北朝鮮」の人々または指導部が考える「北朝鮮」のあるべき姿、あってほしい姿だと言える。
「北朝鮮」から流れてくる報道も同様で、こうした「別の見方」のない社会に身を置いてみたとき、どのような感覚となりどのような思いを抱くのだろうか。

「共産圏」には、壁が崩壊したあと、1997年の中国と1999年のベトナムに行っている。
両国とも、観光に対する統制のようなものを感じることはあまりなく(橋など、撮影はやめておいたほうがいいと言われたことはあった)、一人歩きも、ぼったくりに注意ということは聞いたが、不安を感じることはなかった。
「旧共産圏」では、モスクワのシェレメチボ第二空港での時間調整、ベルリンの東エリア散歩、ブラチスラバ訪問、旧東独の数カ所鉄道旅、プラハ街歩きなどはあるが、すでにいわゆる「共産圏」的制約は、すでになかった。
ソ連といえば、むかし駐日ソ連大使館が発行していた「今日のソ連邦」という広報誌があって、読んだことがあった。
ブレジネフ時代だったので、ダマンスキー島での武力衝突などがあった中ソ対立もあってまだまだ統制の時代で、それでもソ連を良く見せようとするような内容だった。
この頃は、ナホトカ航路でのソ連入りが流行っていた。

序章 北朝鮮を読み解くための基礎知識
第一章 パンフレットで知る北朝鮮
第二章 金正恩時代の観光戦略
第三章 北朝鮮観光史―一九八七~二〇一九
第四章 韓国人の北朝鮮観光―開城観光とは何か
第五章 ガイドブックで見る北朝鮮
第六章 日本人は北朝鮮をどう観てきてか―「旅行記」の歴史

礒﨑敦仁/著
毎日新聞出版
http://mainichibooks.com/books/social/post-684.html

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