ビーアマンは歌う
ヴォルフ・ビーアマン(Wolf Biermann)は、ハンブルクに生まれたが、「一九五三年、一七歳のとき、社会主義への希望にもえたかれは、母と祖母をハンブルクに残してDDRに移住」(P.37)した。
本書の著者野村修氏は、1969年にビーアマンのもとを訪れ、以後、交友を続ける。
本書を初めて読んだのは、「壁」が崩壊した直後だったと思うが、この閉塞した21世紀にもう一度目を通してみる。
ビーアマンが当時住んでいたのはベルリンのショセー街131号(4)、フリードリヒ通り駅(6)から北へ数百メートルのところだ。
ビーアマンは建物の三階に住んでいたとある(P.20)が、この「三階」が日本式の「三階」なのか、ドイツ式の「三階」なのかは、わからない。
近くには、スパルタクス・ブント(ドイツ共産党の前身)が創立されたところ(1)や、ブレヒトが住んでいた家(2)、ブレヒトの眠る墓地(3)もあって、野村氏は、ブレヒトの家を訪ねることを東ベルリンに入る理由にしたらしい。
本書には、ヴァイデンタンマー橋(5)で、欄干のプロイセンの鷲を前にした、まるで翼のある人物像然としたビーアマンの写真がある。(P.86)
1976年に教会のミサの説教者というかたちでビーアマンが登場し、非公式な演奏会が開かれたことについて、「DDRでは教会が、ささやかな自由な発言の場としての機能を、もちはじめているのだろうか?」(P.78)と書かれている。
その10年後に、教会が果たした役割は、すでに芽生えていたということだ。
本書から、経過をメモしておく。
1936年11月15日 ハンブルクで生まれる
1953年 ドイツ民主共和国に移住、ベルリン大学で経済学を学ぶ
1957年 ベルリーナ・アンサンブル(ブレヒト創設の劇団)で演出助手
1960年頃 歌作りを開始
1961年 自身作の「ベルリンの結婚物語」公演禁止、SED党員候補剥奪
1964年5月 ベルリンでの友好祭に出演、西ドイツに招かれる
1965年10月 公演活動と出版が禁止される
1965年12月 「ノイエス・ドイチュラント」による反ビーアマン・キャンペーン
1976年夏 非公式演奏会が教会で開催
1976年11月 西ドイツでの演奏が許可される
1976年11月17日 公民権剥奪
あわせて、ビーアマンの年長の友人ロベルト・ハーヴェマンの著作も、読んでみたい。
そして本書の装丁は、平野甲賀さん。
I ベルリン、ショセー街 一九六九
補章 「ぼくは象のように歌う」
II プロイセンのイカロス 一九七六
III ハンブルク 一九八二
あとがき
ビーアマン自筆楽譜
野村修/著
晶文社
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