戦争・平和関連

2019年9月11日 (水)

スターリニズム

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わかっているようで、しかし、それぞれの論者によって定義づけられているのでますますわかりにくくなっている「スターリニズム」、これはいったい何なのだ?
著者グレイム・ギルは、「スターリニズム」を「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から、その起源や内実を論じ、コンパクトにまとめている。
ガチガチの全体主義だろうとの先入観であまり眼がいくことのなかった、中央と地方との関係、中央による地方や下部組織に対する統制の弱さという指摘は興味深い。
むろん中央の統制が弱いことが民主的だったとか自由だったとかいうことにはならず、地方は地方でミニ・スターリニズムの社会だったのだろう。
国土の広さとインフラの未発達が影響していたのかもしれない。
だとしたら、シベリア抑留でのそれぞれの地方での思惑とモスクワの思惑とは、どのようなものだったのだろうか。
そしてこの指摘は、「全体主義」を考える上で、ファシズムやナチズムと同じようにスターリニズムを置いていいのかという問題提起にもなるだろう。

この中央と地方との関係は、ベトナム戦争でも論じられたことがあることを思い出した。
「ハノイ対話」でのプレイク事件(1965年2月7日のベトナム中部のブレイク空軍基地に対する解放戦線による攻撃)をめぐるやりとりで、「我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話」で触れられている。
アメリカ側は、ブレイク攻撃を北ベトナムによる挑発であり、ハノイからの指令に基づく攻撃であるととらえたのだが、「ハノイ対話」においてはベトナム側から現地司令官が計画し実行された作戦であると言明された。
当時の解放戦線側においては米軍が持っていたよう指揮命令系統・手段は整備されておらず、「自分たちと同じような指揮命令系統を解放戦線も持っていたはずで、すべてハノイからの指令によって作戦が行われた」とするアメリカの判断はとんでもない誤解であるというやりとりであった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1d9f.html

スターリニズムの要素は、P.86に7点がまとめられている。
(1) 制度上は高度に中央集権化された司令経済システム。大衆動員と重工業発展の最大限の重視を特徴とする。
(2) 初期の段階では、大々的な流動を特徴とした社会構造。なかでも特筆すべきは、かつての下層階級を権力と特権ある地位に引き上げた高水準の社会的流動。その後、社会は安定し、等級や地位、厳格な上下関係が支配する社会構造へと帰結。
(3) 文化的、知的領域では、すべてが指導部の定める政治的目的に奉仕すべきであるとされ、文化的、知的活動の全分野が政治的監視を受けた状態に置かれる。
(4) 当地の手段としてテロルを用いた個人独裁。ここでは、政治組織はほとんど独裁者の道具以上の何物でもなかった。
(5) 国家にとって重要と見なされる限りで、あらゆる生活領域が政治化される。
(6) 権力の中央集権化と、その反面に見られた中央からの日常的統制の著しい弱さ。その結果、実際には日々の活動が厳格な統制を受けず、組織化もされていないシステムが出来上がった。
(7) 初期の革命的な価値規範は、保守的で現状維持の志向によって取って代わられた。
そして「四つの相貌すべてを備えたスターリニズムの登場にとって最も重要だったのは、一九二〇年代末から一九三〇年代初頭にかけての「上からの革命」と一九三〇年代後半のテロルであろう」(P.89~90)とする。
さらに「後進性」と「指導者たちの個人的選択」についての検討となる。

「大テロル」の論考で、NKBDに関して、「存在意義を強く主張しようと躍起になっていた」(P.44)ことで、「敵の摘発を通じて今まで以上に目立つ存在となるばかりか・・・大勢の指導機関として君臨できるから」(P.47)「大テロル」で役割を担ったというように記されているが、NKBD長官のエジョフやベリヤが「大勢の指導機関として君臨」することを考えていた、ということなのだろうか。

ソ連邦が崩壊しロシア連邦となったからといって、「スターリニズム」がなくなったわけではないだろう。
現代ロシアとスターリニズムとの関係も、考えていかなければならない課題なのだと思う。
そして、「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から嫌韓な我が国を見たとき、どんな評価をすることができるだろうか。
さらに、奇しくもきょうは9.11。
以前ノーマンメイラーは、アメリカが全体主義に向かいつつあると言ったようだし、鶴見さんもどこかでアメリカの知人にそのようなことを言われたことがあるとか言っていたが、「アメリカ・ファースト」なアメリカは、どう評価できるだろうか。

第二版への序文
判例
第1章 スターリニズムの歴史的起源?
 1 ロシアの後進性
 2 レーニン主義
 3 人格的要因
第2章 スターリニズムの確立
 1 「上からの革命」
 2 文化革命
 4 社会的流動
 4 大テロル
 5 スターリニズムの政治
 6 外国の脅威?
第3章 大戦と盛期スターリニズム
 1 戦時経済
 2 文化的動員
 3 戦時の社会
 4 戦時の政治
 5 盛期スターリン経済
 6 戦後の社会
 7 戦後の文化
 8 政治的相貌
 9 国際的スターリニズム
第4章 スターリニズムの特質
 1 起源の問題
終章 スターリニズムの遺産
 1 公的な場でのスターリニズム
 2 スターリニズムの構造上の帰結)
訳者解説
参考文献・日本語文献案内
関連年表
索引

グレイム・ギル/著
内田健二/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b257739.html

 

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2019年9月10日 (火)

わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想

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日本障害者協議会代表などをなさっている藤井克徳さんが、障害者差別や優生思想について、歴史や現状、そしてこれからのことを簡潔にまとめている。
「ノーマライゼーション」が日本でも言われて久しいが、この国で使われている「ノーマライゼーション」は、ちと違うのではないかと思ってしまう。
既存の社会の枠組みに「障害者(そして外国人その他)を迎えてあげよう」的な「ノーマライゼーション」なのである。
そして、「既存社会のありようは変えない」という但し書きが付いている。
鳴り物入りで登場した「障害者自立支援法」も、そうだ。
枠組みありき制約ありきの中での「自己決定」。
どうも、「reasonable accommodation」が「特権」であるかのような理解がなされているようにも見える。
「Nothing about us without us!」が置き去りにされている、ということだ。

「障害者の権利に関する条約」にしても、この条約に込められた理念は、障害者「だけ」に適用されるというものではない。
国会議員や自治体首長・議員らによる差別的発言(対象は障害者に限らず外国人などマイノリティ、あるいは女性)は、こうした人たちが障害者権利条約を知らない、理解していないことを如実に示している。

Convention on the Rights of Persons with Disabilities
https://www.un.org/development/desa/disabilities/convention-on-the-rights-of-persons-with-disabilities.html

障害者の権利に関する条約(和文)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000899.html

きょうされんの本書紹介記事。
http://www.kyosaren.or.jp/book/6690/

第1章 オットー・ヴァイトとの出会い
第2章 殺された障害者は20万人あまり
第3章 優生思想は多くの国々で、 そして日本でもはびこった
第4章 優生思想に対峙する 障害者権利条約
第5章 やまゆり園事件と障害のある人の今
第6章 私たちにできること

藤井克徳/著
合同出版株式会社
http://www.godo-shuppan.co.jp/book/b474135.html

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2019年9月 9日 (月)

日米地位協定 在日米軍と「同盟」の70年

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「諸悪の根源」とまでは言わないにしても、主権が損害されていることが当たり前であることは、たぶん本土にあってはなかなか気付けないのだろう。
今住んでいるところの近くにも実家の近くにも米軍基地は当たり前のように存在し、米軍も「それなりに」地域とうまくやっていこうとしている風には見える。
けれど、いざというときには豹変する。
9.11のときがそうだ。
ゲートには装甲車が置かれ、装甲車に装備された機関銃の銃口は、外に、つまり私たちのほうに向けられていた。

著者は、「日米安保条約を支持する立場」(P.214)と明言しているが、その立場は立場としても、地位協定の歴史をたどり、外国の例も踏まえながら、協定、そしてその背後にある「日米地位協定合意議事録」に様々な問題があることを明らかにする。
日米安全保障条約と地位協定の成立過程も、「日米安全保障協定」が1951年1月25日にダレス国務省顧問が対日したときに日本側から示されたこと、その対案が翌日米国柄示されたこと、日本は修正案を提示、米国は2月6日に日米行政協定案を提示した、というプロセスがある。(P.9~12)
最初に案を提示したのが日本であった、これは本書で初めて知った。
また、歴史の中で、日本から改定に向けた提起をする機会はあったのに、その機会をみすみす逃したこと、アメリカの国務省、国防省・米統合参謀本部の協定を担当する部署の体制の貧弱さなど、地位協定を改定していく道筋は前途多難であるのだろうと考えざるをえない。

そして、日本がジブチと締結している「地位協定」についても、知っておく必要があるのだろう。
日米地位協定では、日本で米兵が事件・事故を起こした場合には、公務と公務外を分け、公務外の事件・事故については、日本側で一応第一次裁判権を行使できるようになっている。
しかし、ジブチでは、公務・公務外の区別なく、ジブチには裁判権はない。
ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文
8 日本国の権限のある当局は、ジブチ共和国の領域内において、ジブチ共和国の権限のある当局と協力して、日本国の法令によって与えられたすべての刑事裁判権および懲戒上の権限をすべての要員について行使する権利を有する。
 9(a) 民間又は政府の財産の損害又は滅失に関する請求及び人の死亡又は傷害に関する請求は、当該請求の当事者間の協議を通じて友好的に解決する。
  (b) 友好的な解決に達することができない場合には、その紛争は、両政府による協議及び交渉を通じて解決する。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pirate/pdfs/djibouti.pdf

はじめに
第1章 占領から日米安保体制へ―駐軍協定
第2章 60年安保改定と日米地位協定締結―非公表の合意議事録
第3章 ヴェトナム戦争下の米軍問題―続発する墜落事故、騒音訴訟
第4章 沖縄返還と膨大な米軍基地―密室のなかの五・一五メモ
第5章 「思いやり予算」の膨張―「援助」の拡大解釈
第6章 冷戦以後の独伊の地位協定―国内法適用を求めて
第7章 沖縄基地問題への注目―度重なる事件、政府の迷走
終章 日米地位協定のゆくえ―改定の条件とは
あとがき
参考文献
付録 沖縄県による日米地位協定見直し要請/日米地位協定/日米安全保障条約(新)
日米地位協定 関連年表

山本章子/著
中央公論社
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/05/102543.html

 

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2019年8月30日 (金)

加藤周一、米原万里と行くチェコの旅

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オーストリアからチェコをめぐる旅の中で、加藤周一さんや米原万里さんをキーにして、小森陽一氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏の各氏が語り対談した記録で、それぞれの地の様子は、ほとんど記述されないので、チェコの景色を期待してはいけない。
当然、日本の状況を重ね合わせた話になるので、社会批評でもあり、批判的立場にある人の内側も語られる。
本書を読みながら、ここ数年で、日本の狭さはますます進んだのだとひしひしと実感してしまう、ことに辛淑玉氏の語りでは。

P.25~26の「ハプスブルク家の夏の王宮でした。」は、「ハプスブルク家の夏の離宮でした。」でしょう。
P.26の写真にはちゃんと「離宮」となっているし、他のページでも「離宮」となっている。

ウィーンでは、1984年にも触れてほしかった。
展示となると、軍事史博物館にはあって見てきたけれど、他に展示されているかどうかは定かではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
今は改修で閉館だけど、ウィーンミュージアムの展示は、どうだろうか。

P.45、クーデルカの写真集、持って行ったのか。
先日、プラハから帰ってきてもう一度眺めてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-2c1ea7.html

P,180にカフカとチャペックが少し出てくるが、シュベイクについても触れてほしかったな。

小森氏も金平氏も、同世代。
加藤周一さんはむろんのこと父母か祖父母世代、米原万里さんは少し上の姉御の世代。

カラーグラビア
旅のはじめに
第1章 ハプスブルグ家に見る中欧の歴史
 1、ハプスブルグ家とウィーン
>2、権力の歴史から「主役は民」の時代へ
第2章 「プラハの春」と加藤周一
 1、加藤周一「言葉と戦車」と言葉の復権
 2、「言葉と戦車」の今日的な読み方
 3、加藤周一の文学的表現について
第3章 旅先で自らの半生を振り返る
 1、加藤周一と「九条の会」、そして私
 2、ニュースキャスターとして思うこと
 3、反転攻勢のために何が必要か
第4章 チェコの歴史と文化と闘い
 1、チェコの歴史を訪ねて
 2、チェコに見る文化の役割
第5章 米原万里とプラハ、そしてソ連崩壊
 1、プラハ時代の米原万里
 2、ソ連崩壊の過程での米原万里
 3、通訳者、小説家としての米原万里
第6章 中欧から見た日本と日本人
 1、世界から見た日本の教育
 2、リベラル左派の将来をどう考えるか
 3、日本の希望は沖縄にある
第7章 ドイツで自分の居場所を考えた
 1、ユダヤ人とテレジン収容所
 2、殺す側の理屈、殺される側の思い
旅のおわりに

小森陽一、金平茂紀、辛淑玉/著
かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/1013.html

 

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2019年8月28日 (水)

夜と霧の明け渡る日に ~ Es kommt der Tag, da bist du frei

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ナチスの強制収容所から解放された人の社会を見る眼と、その眼で見て生まれた思索を、嫌韓の世論を政府自らが煽っているかのようないまのこの国の風潮のなかで、読む。
「未発表書簡、草稿、講演」とある。
フランクルの、収容所からの解放とウィーンへの帰還、その過程で、収容所での経験からフランクルは人びとに何を伝えようと考えたのか。
「夜と霧」よりも、読むことが苦にならない。
これは、「夜と霧」とは違って本書の書簡にしろ講演にしろ、外に向けての言葉だからなのだろうかと思う。
実際のところは、フランクルがこうした言葉にするまでのプロセスがどうであったのかを知りたいところなのだが。

P.129、『そしてついに精神病院における大量殺戮が始まりました。もはや「生産的」でない生命、あるいはごくわずかの「生産性」しかないすべての生命は、文字通り「生きる価値がない」という烙印を押されたのです。』
この文章は1946年3月の講演の中で述べらえた言葉なのだが、70年以上経っても同じ言葉が繰り返さなければならない状況が存在している。
そして、強制収容所から解放された人たちへの周囲の「私たちは何も知らなかったんですよ」「私たちだって苦しんだんです」という言い訳(P.175)、これをフランクルは「責任からの逃避」(P.177)ととらえる。
フランクルは、すでに「オーストリア人の責任」にも触れている(最後にもう一度―『覆われた窓』について)のだが、この「責任からの逃避」は、世間を席巻している「嫌韓」ムード、それ以上の「反韓」ムード、あるいは大臣にある者の民主主義を否定するかのような発言に危機感が示されない状況の底、そうした状況を見聞きしている私たちの中にもあるんじゃないだろうか。

読んでいて思い出すのは、津久井の事件。
あの事件で、むかしいっしょにキャンプに行ったり余暇活動で遊んだりした人たちが、優生思想的考え方の持ち主の被告の行為によって亡くなったり傷ついたりしていることが大きな理由だが、被告についても精神障害に関わる仕事に携わっている立場からは、精神疾患がある(かもしれない)被告ということでは単なる被告としてみることはできない。
二重あの事件を見てしまう。
いまも窓口でいろいろな人に接するなかで、70年以上前からの言葉ではあれ、フランクル氏の言葉が体の中に沁みてくる。

フランクルのウィーンでの跡を探してみると、いくつかのデータがある。
生家と追放までの居住地の記念プレート、Czerningasse 6、2区。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Czerningasse)
亡くなるまで住んでいた家の記念プレート、Mariannengasse 1、9区
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Mariannengasse)
ここに2015年5月26日に「Viktor Frankl Museum」が9区の「Mariannengasse 1」に開館したようだ。
https://www.franklzentrum.org/museum/oeffnungszeiten-und-adresse.html
近くのHöfergasse 5にViktor-Frankl-Parkがある。
https://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/frankl.html
この他にも、ウィーン大学キャンパス(Altes Allgemeines Krankenhaus)に「Viktor E Frankl Gasse」、Praterstern駅の西のZirkusgasse 52の市営アパート「Viktor-Frankl-Hof」、NiederösterreichのReichenau an der Raxに「Dr. Viktor Frankl-Gasse」、KärntenのKlagenfurtに「Viktor-Frankl-Gasse」があるようだ。
次のウィーン行きでは、こうした場所をぜひ歩いてみたい。
GWのウィーン行きでは、ウィーン郊外のアム・シュタインホフ教会に行ったのだが、この教会はSozialmedizinisches Zentrum Baumgartner Höhe Otto-Wagner-Spital mit Pflegezentrum(バウムガルトナー・ヘーエ社会医療センター・オットー・ヴァグナー病院とケアセンター)内にある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-871916.html
この病院の前身は1907年につくられた「Niederösterreichische Landes-Heil- und Pflegeanstalt für Nerven- und Geisteskranke Am Steinhof」で、フランクルは1933年から1937年までここで勤務している。
ここにももしかしたらフランクルの跡が残されているのかもしれない。
また、TürkheimとKauferingのKZ跡地にもそれぞれ「Viktor Frankl Weg」「Viktor-Frankl-Strasse」があるらしい。
https://www.viktorfrankl.org/lifeandwork.html

以前、ブログのいくつかのところでフランクルはダッハウに収容されたということを書いたが、収容されたのはダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)なので、コメントで訂正しておいた。
例えば、2011年にだっはうに行ってきたときのブログ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

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はじめに
「時代の証人たち」 一九八五年六月 ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡 一九四五年~一九四七年
 強制収容所から解放されて
 きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ
 僕のそばには、すべてを変えてくれた人がいる
テキストおよび論文 一九四六年~一九四八年
 精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
 人生の意味と価値について I
 人生の意味と価値について III
 人生はかりそめのもの? いや、すべての者は召し出されている
 人生の価値と人間の尊厳
 実存分析と時代の諸問題
 人種的な理由で迫害された強制収容所被収容者の問題
 最後にもう一度―『覆われた窓』について
 現代の諸問題にサイコセラピストはどう答えるか
 『フルヒェ』紙とスピノザ
 泥棒ではなく、盗まれたものに罪があるのか?
 殺人者は我々の中にいる
記念講演 一九四九年~一九八八年
 追悼
 亡き者たちの名においても和解を
 すべての善意の人々
ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事
使用文献
訳注
訳者あとがき

ヴィクトール・フランクル/著
赤坂桃子/訳
新教出版社
http://www.shinkyo-pb.com/2019/05/23/post-1324.php

 

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2019年8月25日 (日)

ウチナーふたつ 「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」 → 「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」

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なぜかおけいはんな小田急で下北沢へ、井の頭線は神泉で降りて、「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」開催中の松濤美術館へ。
とてつもない手間と暇をかけて紡ぎ出される、沖縄の染織品。

第1章 紅型
第2章 沖縄の織物
第3章 多彩な染織品たち-着物以外の染織品
第4章 沖縄染織の道具
第5章 伝統を伝えて-現代の作品

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美ら島からの染と織 色と文様のマジック
9月23日(月・祝)まで
https://shoto-museum.jp/exhibitions/184okinawa/

ユーロスペースに移動。

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2年前の「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名はカメジロー」に続く「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」が始まった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-5c9d.html

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紹介している記事が張り出されている。

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そして、赤旗日曜版2019年8月25日号に掲載された映画評。
今日、1回め2回めは完売だったようだ。

1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論が圧巻。
論戦後、佐藤首相はカメさんの本を求め、カメさんは「民族の悲劇」と「民族の怒り」を手渡したそうだ。
立場は立場としても、いまの首相とは器が違うのかもしれない。
さまざまな名言が発せられるが、「小異は捨てずに大同につけ」はいまの世の中に求められているのだろう。
前作を見ているからかもしれないが、前作が波乱万丈なカメさんであったのに比べ、今作はそうしたカメさんを支えていたものに視点を向けている。
今回は、ネーネーズの「おしえてよ亀次郎」は、流れない。

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上映終了後、トークあり。

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佐古忠彦監督と瀬永亀次郎次女で不屈館館長内村千尋さん。

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前作も見ているかどうかを問われたが、手を挙げた人は8割ほどか。

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カメさんが1954年に投獄されたときに読んでいたのが「レ・ミゼラブル」、例の「暴動」で刑務所側から話をするように頼まれていたときには、佳境のコゼットとともに逃げるところだったそうな。
晩年、カメさんは孫をコゼットと呼んでいたお話が、プログラムにも載っている。

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前作は、DVDになっている。

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プログラムは、当然購入。

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プログラムに、佐古忠彦監督からサインをいただく。
佐古忠彦監督の、前回作関連記事を読むことができる。
https://gendai.ismedia.jp/list/author/tadahikosako

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米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯
ユーロスペースほかで順次公開。
http://www.kamejiro2.ayapro.ne.jp/
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ラーメンを食べて、帰宅。

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2019年8月15日 (木)

12回目の「この世界の片隅に」

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敗戦の日は台風を心配しながら、台風を心配しながら、GSE7号車(新宿方向の先頭車10Aで新宿へ。

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まもなく土砂降り。

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新宿ピカデリーに行き、チケットを発券してから、早めの晩ごはん。

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オンラインでは完売の表示だったが、残席はあるみたい。
上映は7階の#3ホールであった。

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上映が終わって、片渕監督の舞台挨拶、午後にテアトル新宿でも上映会があり、舞台挨拶もあったので、この日2度目。
きょう8月15日、今日の西暦の頭2桁と74年前の元号を取ってみるというようなお話だった。

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「この世界の片隅に」の公開は2016年11月12日、太平洋戦争の開戦は昭和16年12月8日、西暦頭2桁と元号を取ると、今日は、その日からそろそろ3年を迎えようとしている日。
敗戦の1年前の19年8月、すずさんはリンさんと会う。
日本への本格的な空襲はこれまでまだ行われておらず、19年6月のマリアナ沖海戦での敗北以後マリアナ諸島に米軍が上陸したことで、これから本格的な空襲が始まることになる。

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8月といえば、草津に行ったのが10年8月であった。
20年8月15日までは、あと1年。
そうした時間の重ね合わせで、すずさんたちの暮らしを考えることができるのではないか。

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舞台挨拶のあと、監督と記念撮影。
どう写ったかは、ここで。
https://twitter.com/konosekai_movie/status/1161992561508012032
そして12月、この世界の(さらにいくつもの)片隅に、公開。
https://ikutsumono-katasumini.jp

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2019年8月14日 (水)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

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この時期であるからということもあるが、韓国をめぐる「国民」の意識も気になるところなので、手にした。
歴史サークルに属する高校生を対象とした講義がベースである。
なので、歴史に対する興味関心はあったということでは、テーマの深さに一定ついていけるだけの素地はあったのだろう。
その高校がどこかのかは書いてあるが、へええと思ってしまう。
講義が行われてから10年が経つ、ということは当時の中学生・高校生たちはいま社会に出てきている、選挙権を行使することができる、ということだ。
いまからこの講義を振り返ってみると、どのような意見を出すことになるだろうか。
意見といえば、生徒たちとのやりとりがメモ的に記載されている。
ここのところをもう少し実際のやりとりに即して記述さえていれば、生徒がどのように理解して行ったのかがもっと見えてくるのではなかろうか。
もっとも、これだけの分量では収めることはできないかもしれないが。

さて、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」というタイトルは、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・日中戦争・太平洋戦争と明治から昭和に続いた戰争に、政府の指導者たち、与党野党の国会議員たち、軍人たち、文化人たち、そして一般の国民たちがどのように思い考えたのか、さまざまな史料から見ていくことに由来しているのだろう。
そして講義内容は、「なぜ「戦争」を選んだのか」の答を示すのではなく、なぜなのかを考える「糸口」を示しているにすぎない(「すぎない」とは失礼な言い方だけど)のだが、示される「糸口」は、当然ながら著者の考えてきた歴史観がベースにあるので、著者の歴史観が否な人には「糸口」の選び方やの示し方そのものが「偏り」と見え、その先に進まないのだろう。

歴史の見方が面白い。
ルソーの「戦争および戦争状態論」での戦争の考え方(P.49)、民権派の日清戦争への態度(P.142あたりから)など、通史を追っていたのでは見えない考え方が示されている。
その考え方が自分の歴史観に重なるかどうかは、別であるが。

P.248、第一次世界大戦後のパリ講和会議の記述で、ドイツは「講和会議に被告人として呼ばれる」とあるが、「講和会議」は1919年1月に開会したが、ドイツが呼ばれたのは4月、講和条約案を受け取ったのは5月で6月にヴェルサイユ条約が調印されている。
ドイツは条約そのものの議論の参加はできず、示された条約案に反対の意見を述べただけであったが、受け入れられなかったので、「被告人として呼ばれる」との言い方になったのだろうか。

P.312からの「満蒙は我が国の生命線」、読んでいて「石油輸送の生命線 マラッカ海峡」「ホルムズ海峡は海の生命線」という言葉が思い浮かぶ。
満蒙は辛亥革命のどさくさに乗じてつくられた権益の「生命線」だったわけだが。

P.320では条約のグレーゾーン(満鉄併行線禁止)についての話である。
グレーゾーンなのだから両国で議論を尽くすべきなのだが、「自らは潔白で相手方は条約違反であるといって、白か黒か黒白を決めようとする態度」(P.323)とのくだりは、いまの日韓関係の、日本も消滅していないとしてきた「個人請求権」ではないか。
「歴史は繰り返す」

統制派の「政治的非常事態勃発に処する対策要綱」(P.372)、農民救済を謳ってはいたのか。
北一輝の「日本改造法案大綱」に感化された皇道派青年将校の二・二六事件に対して発動された戒厳令の背景に、「政治的非常事態勃発に処する対策要綱」があったらしいが、本書ではさすがにそこまでは触れない。

はじめに
序章 日本近現代史を考える
 戦争から見る近代、その面白さ:9・11テロの意味/歴史は暗記?
 人民の、人民による、人民のための:南北戦争の途中で/なにが日本国憲法をつくったか
 戦争と社会契約:国民の力を総動員するために/戦争相手国の憲法を変える/日本の憲法原理とはなんだろう
 「なぜ二十年しか平和は続かなかったのか」:変人のカー先生/大戦直前に書かれた本/まちがっていたのは連盟のほうだ!/特殊のなかに一般を見る/過去の歴史が現在に影響を与えた例とは
 歴史の誤用:なぜベスト・アンド・ブライテストが誤ったのか/無条件降伏方式が選ばれた理由/戦争を止められなくなった理由
1章 日清戦争 「侵略・被侵略」では見えてこないもの
 列強にとってなにが最も大切だったのか:日本と中国が競いあう物語/貿易を支える制度とは?/華夷秩序という安全保障
 日清戦争まで:中国の変化/山県有朋の警戒/福沢先生の登場/シュタイン先生の登場
 民権論者は世界をどう見ていたのか:まずは国の独立が大事/それでは国会の意味とはなにか/「無気無力の奴隷根性!」/藩閥政治と対抗するために/戦費をつくったのは我々だ
 日清戦争はなぜ起きたのか:強い外務大臣/中国側の反論は?/日清戦争の国際環境/普選運動が起こる理由
2章 日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題
 日清戦後:戦争の「効用」/なにが新しい戦争だったのか/「二十億の資財と二十万の生霊」/シュタインの予言が現実に
 日英同盟と清の変化:ロシアの対満州政策と中国の変化/開戦への慎重論/ロシア史料からなにがわかったか
 戦わなければならなかった理由:日露交渉の争点/韓国問題では戦えない
 日露戦争がもたらしたもの:日本とアメリカの共同歩調/戦場における中国の協力/戦争はなにを変えたのか
3章 第一次世界大戦 日本が抱いた主観的な挫折
 植民地を持てた時代、持てなくなった時代:世界が総力戦に直面して/日本が一貫して追求したもの/日米のウォー・スケア/西太平洋の島々/山東半島の戦略的な意味
 なぜ国家改造論が生じるのか:変わらなければ国が亡びる/将来の戦争/危機感の三つの要因
 開戦にいたる過程での英米とのやりとり:加藤高明とエドワード・グレイ/イギリスが怖れたこと/アメリカの覚書
 パリ講和会議で批判された日本:松岡洋右の手紙/近衛文麿の憤慨/三・一独立運動
 参加者の横顔と日本が負った傷:空前の外交戦/若き日のケインズ/霊媒師・ロイド=ジョージ/批判の口実に利用される
4章 満州事変と日中戦争 日本切腹、中国介錯論
 当時の人々の意識:謀略で始まった作戦と偶発的な事件と/満州事変と東大生の感覚/戦争ではなく「革命」
 満州事変はなぜ起こされたのか:満蒙は我が国の生命線/条約のグレーゾーン/陸軍と外務省と商社/国家関連が大部分
 事件を計画した主体:石原莞爾の最終戦論/ずれている意図/独断専行と閣議の追認/蒋介石の選択/リットン調査団と報告書の内容/吉野作造の嘆き
 連盟脱退まで:帝国議会での強硬論の裏側/松岡洋右全権の嘆き/すべての連盟国の敵!!
 戦争の時代へ:陸軍のスローガンに魅せられた国民/ドイツ敗北の理由から/暗澹たる覚悟/汪兆銘の選択
5章 太平洋戦争 戦死者の死に場所を教えられなかった国
 太平洋戦争へのいろいろな見方:「歴史は作られた」/天皇の疑念/数値のマジック
 戦争拡大の理由:激しかった上海戦/南進の主観的理由/中国の要求/チャーチルのぼやき/七月二日の御前会議決定の舞台裏
 なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか:特別会計/奇襲による先制攻撃/真珠湾はなぜ無防備なままだったのか/速戦即決以外に道はあったのか/日本は戦争をやる資格のない国
 戦争の諸相:必死の戦い/それでも日本人は必勝を信じていたのか/戦死者の死に場所を教えられない国/満州の記憶/捕虜の扱い/あの戦争をどう見るか
おわりに
文庫版あとがき
参考文献
謝辞
解説 橋本治

加藤陽子/著
新潮文庫
https://www.shinchosha.co.jp/book/120496/

 

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2019年8月11日 (日)

中井英夫戦中日記 彼方より

190713_011  190713_012
鶴見さん「序文」に曰く
 学徒として召集された中井英夫は三宅坂の参謀本部で戦争をのろう日記を書き続けた。その持続は、軍国日本にとって稀有のものである。
 今また軍国にむかっている日本の内部に住んで、すでに故人となった中居の日記は、有効と無効をこえて、私の心にこだまをつくる。

学徒出陣によって参謀本部にあったのは、中井英夫が22歳のときであって、この日記を書いた中井英夫は「虚無への供物」を書いた中井英夫ではない。
中井英夫に日記を書かせ歌を詠ませた母、その死をめぐる日記の記述では、当時ジャワにいた父中井猛之進(そのころ海軍軍属としてジャワに赴任した鶴見さんは当地で植物園長であった中井猛之進と会っているし、敗戦に際して中井猛之進がとった行動についても書いている)が家庭では暴君であったことを示していて(他の著書でも多々出てくるが)、「その夫に精神的な不具にされ、のみならず肉体的にも不具にされ」(P.55)た母に対する思いの強さ深さは、信じられないほどだ。
日記とは雖も、ここまで書くのか、しかも、市ヶ谷の帝国陸軍参謀本部の部屋で。
逆に、ここまでの日記を「完全版」として公開するのかとも思ってしまう。
「日本は愛しよう。併し今その日本を動かす資本主義と軍国主義を私は愛さない」(P18)と書き、「精神革命起案草案」を認める(P49)中井英夫と、連綿と母のことを書き綴る中井英夫との接点は何処にあるのだろうか。

P149の記述。
日比谷でオペレッテをみた。音楽映画ではなく、凡そ下卑た、うはついた代物、で大体フォルストの顔も演技も嫌ひなので全巻不愉快だけれども、ズッペにしろヤウネルにしろ、喜劇役者としてしか登場しないのだからそもそも話にならない。
注によれば、中井英夫が見たのはヴィリ・フォルスト「維納物語」、それにしても酷評。

中井英夫/著
河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309017150/

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2019年8月 8日 (木)

幻の大戦果 大本営発表の真相

190706_011  190706_012
意識的にせよそうでないにせよ、「大本営」の行った情報操作は、今でもなくなってはいない。
むしろ、大本営のありようは、この国を覆っている。
一旦決めたことを見直すことができない、希望的観測を前提として情報を使うあるいは使わない、他の意見を聞かない・・・。
韓国に対するいまの政府の対応に対する世間の反応、そしてその反応を材料にする政治家たち。
少し前の自衛隊のイラクや南スーダンでの日報の隠蔽。
そして、そうしたありようは、官房長官の記者会見をめぐって「時には独裁政権のように振る舞っている」と言われたり、フランスに本拠を置く「国境なき記者団」の「報道の自由ランキング」では180カ国・地域で日本は67位(現政権になってからランクは下がった)、米国に本拠を置く「フリーダムハウス」の「報道の自由2017」では198カ国・地域で日本は48位となっている様相として世界で評価される。
The New York Timesの記事
https://www.nytimes.com/2019/07/05/world/asia/japan-media.html?searchResultPosition=4
「国境なき記者団」の「報道の自由ランキング」
https://rsf.org/en/ranking/2019
「フリーダムハウス」の「報道の自由2017」
https://freedomhouse.org/report/table-country-scores-fotp-2017
https://freedomhouse.org/sites/default/files/FOTP_2017_booklet_FINAL_April28.pdf

もうひとつ。
今の日本放送協会に、こうした問題意識を持った番組が作れるのだろうか。

辻泰明/著
NHK取材班/著
日本放送出版協会
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000807292002.html

 

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