戦争・平和関連

2021年2月27日 (土)

戦争は女の顔をしていない 2

210113_011  210113_012
漫画化された「戦争は女の顔をしていない」第1巻に引き続き。
原作
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-3994e5.html
第1巻
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-c476c6.html
今回は、作者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの、執筆の動機、聞き取りしながら葛藤する様子も描かれている。

第8話 人間は戦争よりずっと大きい
第9話 狙撃兵マリヤ・イワーノヴナ・モローゾワ(イワーヌシュキナ)兵長の話
第10話 モスクワに向かう汽車の中にて
第11話 母のところに戻ったのは私一人だけ……
第12話 お母ちゃんお父ちゃんのこと

小梅けいと/著
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/原作
速水螺旋人/監修
角川書店
https://www.kadokawa.co.jp/product/322009000048/

| | コメント (0)

2021年2月21日 (日)

劇画 ヒットラー

210120_2
ヒトラーと周囲の人たちとの関係が、本書が描いたような関係であったりやりとりが行われたりしたかどうかはともかく、周囲がヒトラーの妄想を支えていたのは確かだろう。
その妄想のなかにアーリア人を中心とする人種思想があったはずだが、本書ではユダヤ人根絶やスラヴ人奴隷化などはテーマとしては描かれていない。
戦争体験者たる水木氏に、ヒトラーの名で何が行われたのかを描くのではなく、むしろ、周囲の人たちとの関係を中心にヒトラーを描くという本書の描き方には、何か意図があったのだろうか。
飄々としつつ、一面では激昂するヒトラー、冒頭の黙示録の蒼褪めたる馬はヒトラーが連れてきたのか。

水木しげる/著
筑摩書房
https://www.chikumashobo.co.jp/special/hitler/

| | コメント (0)

2021年2月 6日 (土)

井上ひさし全芝居 その七

201224_1
「東京裁判三部作」の「夢の裂け目」「夢の泪」「夢の痂」が収録されているほか、「円生と志ん生」「箱根強羅ホテル」、最後の作品となった「組曲虐殺」と、21世紀になってからの作品が収録されている。
遅筆堂の、さまざまの社会的な役割を担い発言してきたこととの重なり、あるいは作品への投射を考える。

このなかでじっさいに舞台を観たのは、「組曲虐殺」だけだ。
「組曲虐殺」は、2012年と2019年の2度、観た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-e16a.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-8aeacc.html
2020年にせたぶんで開催された「井上ひさし展-希望へ橋渡しする人」でも、「組曲虐殺」の大きなスペースがあった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/11/post-c9dbd2.html

「夢の裂け目」「夢の泪」の再演で、土居裕子さんが出ていたのか。
土居さんの遅筆堂は、「マンザナ、わが町」を二度観た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-6e1f.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-0622.html

「夢の泪」での「日本人のことは、日本人が考えて、始末をつける」(P.145)ことにならなかった「戦争責任」や。「なぜ」と問うこともなかった思考や行動は、いまだにこの国を覆っていることが、コロナ禍や五輪をめぐる動きからも見えてくる。
そして、「ムサシ」の「恨みの鎖を断つ」(P.608)は、日本国憲法の役割を思う。

東京裁判三部作、箱根強羅ホテルは、舞台を観たい。

夢の裂け目
夢の泪
夢の痂
水の手紙――群読のために――
円生と志ん生
箱根強羅ホテル
私はだれでしょう
ロマンス
少年口伝隊一九四五
ムサシ
組曲虐殺
初演記録
解説 扇田昭彦
劇中歌リスト

井上ひさし/著
新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/302332/

| | コメント (0)

2021年1月31日 (日)

写真記録 ベトナム戦争

200422_001  200422_002
ベトナムにいったときに、博物館に石川文洋さんの一角があり、展示されていた。
200422_005
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1999/05/vietnam-repor-6.html
もともと、ベトナムに写真集を送ろうと、ベトナムに写真集を贈る運動委員会が刊行した「ベトナム解放戦争」が本書のベースとなったという経緯がある。

すでに何度も図書館で読んではいるのだが、えいやっと入手して飾っておいた。
ついに、じっくり読む。
1980年5月の刊行であるが、本書は同年末の第3刷である。

200422_003  200422_004
1.南ベトナムのアメリカ兵
2.ある村の「作戦」
3.サイゴン政府軍
3.戦火の中の民衆
5.萌えるサイゴン
6.ラオス・カンボジア
7.北ベトナム
8.解放区
9.全土解放
10.カンボジア・中越紛争
各章扉解説 丸山静雄
ベトナムと石川文洋氏 本多勝一
血と土と太陽と闇の15年 石川文洋
ベトナム戦争とベトナム革命の勝利年表 陸井三郎編

石川文洋/著
すずさわ書店

| | コメント (0)

2021年1月 5日 (火)

戦後オーストリアにおける犠牲者ナショナリズム

200624_011  200624_012
「オーストリアはナチスドイツによって最初に侵略された犠牲国である」史観は従前から知っていたが、その史観のなりたちと「オーストリア」国へのアイデンテティとを掘り下げた労作といえるだろう。
多民族国家オーストリア帝国は「大ドイツ主義」は望まなかったが、帝国が崩壊し、ハンガリーやチェコスロバキアが独立して、残ったところが「オーストリア」となり、「ドナウ連邦」や「ドイツとの統合」も視野に入ったが、連合国はそれを許さなかった。
さらに時代はドイツによる「アンシュルス」をもって独澳が一体化するのだが、第二次世界大戦後は米英仏ソの4ヵ国の分割管理下に置かれ、オーストリア国家条約で「独立」を回復することになる。
そうしたなかでの「独立国オーストリア」の拠って立つところは何か、
本書は、こうした戦後オーストリアの歴史における『「オーストリア国民」国家の形成のありようを明らかにする』ことを目的として編まれている。
著者は、日本の研究者である。

さて、「National」を日本語でどう表現するか、「国民」か「国家」か。
本書では「Nationalsozialismus」を「国民社会主義」としており、「国家社会主義」とはしていない。
さいきんは、こうなのかしら。

P.25の「注」で、「共和国建国一〇〇周年を記念して計画された「オーストリアの歴史の家」博物館」が「二〇一八年一一月一〇日、英雄広場の新王宮に開設された」とある。
今度ウィーンに行けたら、行ってみたい。
https://www.hdgoe.at/

第二次世界大戦後、オーストリアでは「ファシズムの犠牲者」「戦争犠牲者」への「扶助」「援護」が行われていったことが記述されている(用語の定義は、ここには書かない)が、たとえば「四五歳以上で子どもがいない寡婦Aは、仕事を持っていれば月々五〇シリングを受け取ることができ、「扶養年金」について「寡婦Aの例でみると、支給額は二三〇シリング」(いずれもP.82)、「戦争犠牲者援護政策に基づく年金の支給額は(中略)少なくとも月々数十シリング、多ければ一〇〇〇シリングを超える程度」(P.101)など、通貨単位シリングで表記されている。
これがいったいどの程度の貨幣価値を持っているのか、ヒントは「一九四六年当時、パンが一キロ四六グロッシェン、牛乳一リットルは五〇グロッシェン」(P.101)にある。
1シリング(Schilling)は100グロッシェン(Groschen)なので、パン1キロ0.46グシリング、牛乳1リットル0.5シリングということになる。
ユーロ導入にともない、2002年1月1日にシリングは廃止され、1ユーロは13.7603シリングで交換されたのだが、これは戦後のシリング の貨幣価値とは乖離しているだろう。
日本の例で試算してみると、パンは1斤2~300円、牛乳1リットルのパックで200円前後であることから、1シリングは400円から500円ということになるだろうか。
仮に1シリング500円とすると、寡婦Aは月々2万5千円の扶助、年金は11万5千円、戦争犠牲者援護政策に基づく年金は2万数千円から50万円程度ということになる。

P.151の『「アーリア化」によって没取された彼らの財産は、戦後はオーストリア国家の財産として押収され、元の持ち主に返還されることはなかった。ようやく二〇世紀も終わる頃になって、シーレやクリムトの絵画が一部、ナチの略奪美術品として認定され、返還訴訟に発展するなど新たな展開をみせた』は、映画「黄金のアデーレ」を思い出させる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d7ca.html

P.279以降の「第10章 戦没者記念碑――戦争をめぐる記憶の相克」は、日本の各地にある「忠魂碑」や「靖國」を考えてしまう。
日本のような神格化ではないだろうが、「英雄」と括ることは、顕彰の形として通底するものがあるような気もする。

2019年にウィーンに行ったときに、「負の遺産」にまつわるところを歩いてみた。
200624_013
「Denkmal der Opfer der Gestapo」(ゲシュタポ犠牲者のための記念碑)(Schwedenplatz):1985年11月1日
200624_014
「Holocaust-Mahnmal」(ホローコースト記念碑)(Judenplatz):2000年10月25日
200624_015
「Denkmal für die Verfolgten der NS-Militärjustiz」(ナチ時代の澳人の脱走兵や兵役拒否者祈念の碑)(首相府と大統領府の前):2014年
200624_016  200624_017
「Mahnmal gegen Krieg und Faschismus」(戦争とファシズムに反対する記念碑)(Helmut-Zilk-Plat):1988年
200624_018  200624_019
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d261b3.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-7fdafb.html

P.288以降の、Burgtor(ブルク門)にある「「英雄記念碑」「オーストリア解放闘争で犠牲となった者を追悼する」記念碑は、Burgtorは何度も通るのだが、気づかなかった。
今度行ったら、よく見ておこう。

オーストリアに行きはじめたのは21世紀になってからで、すでに10回以上になるのfだが、何度もオーストリアに行って感じる「寛容」さ、とくに2015年に行ったときの、中央駅や西駅に集まった難民たちの間を歩き、カリタスが支援する姿を見たときの印象は、P.303からの、『二〇世紀後半の「オーストリア国民」を成り立たせていた排他的な価値は一九八〇年以降、第二の問題系を通じて批判的省察を迫られ、その結果他者に対する寛容の精神を醸成する、一見すると民主主義的な政治文化の進化につながったようにみえた。そしてその分だけ「オーストリア国民」としての成熟度もましたように感じられた』のだとしたら、やはり上っ面しか見ていなかった、ということでもある。
2019年に見た「負の遺産」の設置時期を見れば、その証左ともいえるかもしれない。
また、この時代において、ほんとうに「負の遺産」として存在しているのか、機能しているのか、という問いかけでもあるだろう。
そして、「第三帝国」のその後の歴史への向き合い方というところでは、ドイツの(西と東の時代も含めて)向き合い方と、さらに日本の私たちの向き合い方も含めて考えていかなければならないのだろう。

はじめに
序章 オーストリア国民をめぐる二つの問題系――「八」のつく年をめぐって
 1 ドイツ国民か、オーストリア国民か
 2 オーストリア・ファシズムからナチズムへ
 3 過去との付き合い方を問う視角
 4 犠牲者国民のスペクトラムと本書の構成
第I部 犠牲者国民という射程
第1章 第二共和国の誕生と「犠牲者テーゼ」――「オーストリア国民」意識の勝利
 1 「オーストリアの主権に関する宣言」と「モスクワ宣言」
 2 レンナー政府による国家再建の試み
 3 国家統一への道
 4 1955年以後の展開
第2章 「ファシズムの犠牲者」を創出する――抵抗運動の犠牲者
 1 顕彰制度にみる「犠牲者性」
 2 犠牲者を「扶助」すること
 3 権利の獲得に向かって
 4 政治的被迫害者同盟の全国組織化
第3章 「ファシズムの犠牲者」を周縁化する――人種・信仰・国民的帰属による迫害の犠牲者
 1 人種・信仰・国民的帰属が理由で迫害された人びとへの補償
 2 新犠牲者扶助法の制定にみる格差の論理
 3 犠牲者イメージのヴァリアント
 4 犠牲者の統合を求めて
 5 「加害者性」と「犠牲者性」の共存
第4章 「戦争犠牲者」をめぐる国民福祉の論理――「神話」と「実体」の間
 1 「戦争犠牲者」とは誰か
 2 戦争犠牲者援護法にみる国民福祉の領域
 3 犠牲者国民を創り出す
 4 競合する「犠牲者」たち
第II部 犠牲者ナショナリズムの陥穽
第5章 元ナチの再統合と「犠牲者国民」の形成――抑圧される記憶
 1 ナチズムの遺産
 2 フィーグル政権による「脱ナチ化」政策
 3 免罪される青年世代
 4 交錯する恩赦=忘却のディスコース
第6章 占領軍当局による戦犯追及――英、米、仏の実践
 1 四連合国占領下オーストリアにおける戦争犯罪者訴追
 2 米軍当局の訴追方針
 3 仏軍当局による戦犯訴追の実態
 4 英軍当局の戦犯訴追システム
第7章 オーストリア人民裁判による戦犯追及と国民の境界――内発的冷戦の構図から
 1 戦争犯罪の射程
 2 オーストリア人民裁判の制度と実践
 3 ナチ・戦争犯罪と国民的正義
 4 国家反逆罪をめぐる人民裁判
 5 新たな「国家反逆者」像の構築と冷戦
第III部 犠牲者国民の記憶空間
第8章 反ファシズム闘争をめぐる想起の文化――マウトハウゼンを例に
 1 抵抗運動の記憶?
 2 記念施設化されるマウトハウゼン
 3 記念される過去
 4 反ファシズムの記憶の周縁化
第9章 戦没者の記憶を継承する――オーストリア黒十字協会の活動を例に
 1 戦没者をめぐる記憶のポリティクス
 2 想起の文化の担い手「黒十字」
 3 戦間期黒十字の思想と活動
 4 1945年以後の黒十字と戦没者
 5 「戦争犠牲者」イメージの再構築
 6 「戦争犠牲者」観の変容
第10章 戦没者記念碑――戦争をめぐる記憶の相克
 1 戦間期における戦没者記念碑の建設
 2 国家による英雄顕彰
 3 「われわれの犠牲者」を想起する
 4 愛国的な兵士像
終章 終わりなき犠牲者ナショナリズム―― 第三の問題系に向けて
補論 ブルゲンラント・ロマ迫害の二重構造――近代=国民の境界をまたぐ人びと
 1 ブルゲンラント・ロマ――国民的ディスコースの再検討
 2  オーストリアにおけるロマの人びと
 3 ブルゲンラント・ロマの歴史
 4 「オーストリア国民」国家の中のロマ
 5 再生産される「異者」
おわりに
初出一覧
参考文献一覧
人名・事項索引

水野博子/著
ミネルヴァ書房
https://www.minervashobo.co.jp/book/b505233.html

| | コメント (0)

2020年12月26日 (土)

瀬長亀次郎と岩波書店

200715_051  200715_052
2015年1月に不屈館で開催された、特別企画展「岩波書店と沖縄展―瀬長亀次郎の言論活動を中心に」の図録としてのブックレット。
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-236966.html
この展覧会は、先日読んだ岩波新書「沖縄からの報告」がきっかけとのことである。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-8ade6c.html

「瀬長亀次郎の軌跡を伝え、沖縄の戦後史 資料館「不屈館」を守る」のリターンである。
https://a-port.asahi.com/projects/keep-fukutsukan/

ごあいさつ
企画展の主題とブックレットの構成
第I部 瀬長亀次郎の言論活動
 1 獄中生活を支えた岩波文庫—沖縄人民党事件
 2 雑誌「世界」と瀬長亀次郎
 3 岩波新書『沖縄からの報告』
第II部 岩波書店の歴史
第III部 解説と資料
 1 展示解説「岩波書店と沖縄について—瀬長亀次郎の言論活動を中心に」
 2 未発表論文「ケネディー新政策発表のその後の発展(「世界」1962年7月号のために執筆)
 3 年譜

不屈館
http://senaga-kamejiro.com/index.html

| | コメント (0)

2020年12月15日 (火)

沖縄からの報告

200715_021
コザ暴動(1970年12月20日)から50年のこの時期に読む。
コザ暴動は、新聞で読み、テレビのニュースでも流れていた。
先日、「コザ暴動再現企画」が行われたが、なぜコザ暴動が起きたのか、あれだけの事件になったのか。
https://ryukyushimpo.jp/photo/entry-1240398.html
現在の沖縄も相当虐げられていると思うが、現在の沖縄の姿を見るだけでは、おそらく想像することは難しい。
その理解を助けるのが本書だ。

第1刷は1959年7月で、本書は2018年9月の第16刷で、脈々と読み継がれていることに驚いた。
内容は、数々の統計を用いた緻密な分析で、まるで学術論文を読んでいるようで、今のラノベ的な新書とは違って、昔の新書ってこうだったなあと感慨を持つ。
詳細だがわかりやすいのは、説明が具体的だからだ。
たとえば失業者についてさまざまな数字をあげたあと、『現に仕事にありついている労働者十万余のうしろには「お前たち、そろそろ仕事をやめてオレたちとかわってくれないか」とうらめしげに待ちかまえているのが、それぞれ一人以上ついていることになる』(P,169)と説明するのである。

「B円」がよく出てくる。
これは、占領下の沖縄や奄美で流通していた米軍軍票で、1958年9月に廃止された。

1907年6月10日 豊見城村で出生
1932年 丹那トンネル労働争議で治安維持法違反で検挙
1946年 うるま新報(現:琉球新報)社長に就任
1947年7月20日 沖縄人民党結成
1950年 沖縄群島知事選挙に出馬、落選
1952年 第1回立法院議員総選挙で最高得票数で当選
1954年10月 沖縄人民党事件、米国民政府により沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕
1956年4月 出獄
1956年12月 那覇市長選に出馬、当選
1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将の米民政府高等弁務官布令143号(瀬長布令)により、1954年の投獄を理由に被選挙権を剥奪、市長解任
1967年12月 瀬長布令廃止され被選挙権回復
1968年 第8回立法院議員選挙で立法院議席を回復
1970年 沖縄初の国政参加選挙、沖縄人民党公認で当選
1972年 第33回衆議院議員総選挙、人民党公認で2期目の当選
1973年10月31日 人民党は日本共産党と合流
1976年 第34回衆議院議員総選挙、日本共産党公認で当選
1979年 第35回衆議院議員総選挙、日本共産党公認で当選
1980年 第36回衆議院議員総選挙、日本共産党公認で当選
1983年 第37回衆議院議員総選挙、日本共産党公認で当選
1986年 第38回衆議院議員総選挙、日本共産党公認で当選、通算7期連続当選
1990年 引退
2001年10月5日 死去、享年94歳

本書は、「瀬長亀次郎の軌跡を伝え、沖縄の戦後史 資料館「不屈館」を守る」のリターンでやってきた。
https://a-port.asahi.com/projects/keep-fukutsukan/

まえがき
I ひしめき合う人口
II 経済の成長
III 農民のくらし
IV 労働者と中小企業
V 基地の群像
VI 人民のたたかい
VII 琉球政府のからくり
VIII 祖国へ
重要事件略年表

瀬長亀次郎/著
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b325241.html

| | コメント (0)

2020年11月16日 (月)

障害とは何か 戦力ならざる者の戦争と福祉

190824_001  190824_002
現在の身体障害者手帳の障害種別と等級を表にした「身体障害者障害程度等級表」(身体障害者福祉法施行規則別表第五号)の変遷をさぐると、身体障害者福祉法は傷痍軍人に対する援助がルーツであるという見方は誤りではないとしても、兵役法と朝鮮人、戦争と戦時下の労災補償などを考察すると、さらに奥が深いことがよくわかる。
国策としての戦争に役に立たなければ非国民という考えかただけではなく、そもそも「戦争にとって人的資源確保たりえる存在にはできるだけその保全・培養のため社会政策を活用するが、はじめから人的資源としてふさわしくないとした人間には、出生そのものの抑制を目指し、国家が直接その出征にかいにゅうする仕組みを導入していったプロセス」(P.65)があって、そのプロセスの結果として国民体力法と国民優生法があることを、あらためて確認できる。
本書を簡単にまとめることは難しいが、徴兵制と障害の排除、恩給と障害保障、「産業戦士」と障害保障など、政策目的によってさまざまな対応が行われてきて、戦後の身体障害者福祉法に至り、そのなかにそれまでの「障害者」像が盛り込まれているということになろうか。
そして、戦力にあらざれば人として認められないという考え方があったことを知ると、「生産性」を価値基軸とする考え方を、国会議員の地位にある者が公然と主張し続けていることに、暗然たる思いがする。

もともとが博士論文であったことから、記述はいわゆる論文形式であり、決して読みやすいとはいえない。

身体障害者障害程度等級表
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/dl/s1027-11d.pdf

京都新聞で紹介。
https://www.hanazono.ac.jp/news/education/psychology/000596.html

はしがき
初出一覧
第1章 軍事政策における障害
 はじめに
 1 徴兵制と障害
 2 徴兵制の確立と障害
 3 兵役法下における障害
 4 除役と障害
 5 軍人恩給と障害
 おわりに
第2章 戦時政策における障害
 はじめに
 1 国民体力の低下
 2 農村の疲弊
 3 結核と障害
 4 人口政策と保健国策
 5 虚弱児問題と国民体力法
 6 国民体力法と国民優生法
 おわりに
第3章 社会政策における障害
 はじめに
 1 医療保険と障害
 2 年金保険制度成立への助走
 3 労働者年金保険法の制定
 4 年金保険制度における障害
 5 障害年金がつくられたねらいとは
 おわりに
第4章 障害者福祉における障害
 はじめに
 1 戦後の社会福祉改革
 2 傷痍者保護対策
 3 身体障害者福祉法の成立
 4 身体障害者福祉法は元傷痍軍人対策か
 5 身体障害者福祉法における障害とは
 おわりに
第5章 障害概念はどこから来たか
 はじめに
 1 身体障害者福祉法の障害概念
 2 等級表の登場
 3 等級表はどこから来たか
 4 等級表の比較検証
 5 等級表の特徴とは
 6 等級表のその後
 おわりに
第6章 戦争と障害
 はじめに
 1 排除対象としての障害
 2 保障対象としての障害
 3 社会政策的障害観
 4 障害原因による差別化
 5 生存権にとっての障害
 6 戦争と障害者観
 おわりに
あとがき
巻末資料1 陸軍身体検査における体格等位基準
巻末資料2  身体障害者福祉法等級表案と厚生年金保険法労働者災害補償保険法恩給法の等級表との比較
巻末資料3 関係法による対象規定の比較分析

藤井渉/著
法律文化社
https://www.hou-bun.com/cgi-bin/search/detail.cgi?c=ISBN978-4-589-03845-6

| | コメント (0)

2020年11月 7日 (土)

物語 東ドイツの歴史 分断国家の挑戦と挫折

201028_001  201028_002
2018年のドイツ行きでは、東であったエリアに行ってきた。
東ドイツ時代はどんな街だったのだろうか、村だったのだろうかと思いながら景色を眺めていたものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/deutsch-2018.html
そして、先日、「ドイツ統一」を読んだばかりである。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-44f087.html
「ドイツ統一」の著者の見方は、「西」のCDUの立ち位置からの東西両ドイツと「統一」後のドイツの通史ということができるだろう。
けれど、本書の東ドイツへの見方のほうが「ドイツ統一」よりもかなり辛辣であるとの印象が残った。
これは、ドイツ人が見た東ドイツと、ドイツとは一定の関係を持ってはいるが、日本人が見た東ドイツの違いなのだろうか。
とはいえ、著者の立ち位置は、いまひとつはっきりとしない。

P.72に「質の管理がなされていない商品が大量に出回るという計画経済の欠点」、P.73に「社会主義体制下では、消費財が必要なところに供給されずに不足しつつも、物資は退蔵されるという「不足の経済」が生じる」という記述がある。
「質の管理がなされていない商品が大量に出回る」ことや「不足しつつも、物資は退蔵される」ことが「計画経済」や「社会主義体制」の必然的結果のような記述だが、結果としてそうした現象はあったとしても、必然的結果と断定するのはどうなのだろうかと思う。
また、P.102にベルリンの壁が建設された頃の写真が二葉掲げられていて、上の写真は「自由への跳躍」(Sprung in die Freiheit)として有名な写真なのだが、これは「壁」建設が始まった2日後、まだ「壁」になる前の鉄条網で遮断されたときのできごとで、本文との関係からいえば、唐突すぎやしないかと思う。
こうしたことも、本書の著者の立ち位置が判然としないことを示しているのかもしれないし、「物語」であるのかもしれない。

私じしんは、いまだに東ドイツ、DDRを追っているのだが、東ドイツといえば、大学の授業で、「東ドイツの労働者は分業の一部を担っているが、分業での単なる歯車的な存在ではなく、自分が担当する作業について、作業の全体を把握していてその中の任務を理解していて、資本主義体制下の労働者のような歯車としての存在でしかないような労働者ではない」、ということを聞いていたことが始まりと言える。
当時は、日本でも東ドイツは東の優等生として語られていており、そうした見方は自分でも見聞きしていた。
これは、本書P.180の「一九七〇年代、東ドイツは外から見れば安定しており、世界で一〇指に入る先進工業国であるという評価」と重なる。
しかし、著者は、存在していた東ドイツを同時代的に実体験することは、年齢的に不可能だ。
また、1989年は、それまで自分のなかに積み重なっていたドイツだとか、社会主義、資本主義、民主主義だとかといったもろもろとの関係で見なおさなければならなかったし、そのプロセスである種の喪失感がともなったのだが、「一九八九年の変動を思春期に経験した」(P.271)著者は、どのような思いで1989年を見ていたのだろうか。
それはある意味、何にもとらわれないで東ドイツを記述できるということでもある。
であるとしても、実際に行ったわけではなく伝聞でしかないが、現在進行形で東ドイツを見聞きしていた体験がある者からすれば、残念ながら、本書の内容は自分の中に落ちてこないで読み終えてしまったのである。
同じ著者の「歴史としての社会主義 東ドイツの経験」も読んでいるが、本書ほどには落ちてこないということではなかったのは、「歴史としての社会主義 東ドイツの経験」が単著ではないからかしら。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-c5545b.html

「コラム(3) 映画のなかの東ドイツ」に出てくる映画は、「グッバイ・レーニン」「善き人のためのソナタ」「東ベルリンから来た女」「僕たちは希望という名の列車に乗った」「Sonnnenalle」の5本。
最後の「Sonnnenalle」以外は、映画も見たし、DVDも持っている。
「僕たちは希望という名の列車に乗った」は、原著がある。
「グッバイ・レーニン」「僕たちは希望という名の列車に乗った」は、いずれも独語のシナリオ本がある。
「グッバイ・レーニン」「善き人のためのソナタ」はノベライズ本があり、「グッバイ・レーニン」は和訳本、「善き人のためのソナタ」は独語。
「グッバイ・レーニン」
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/good-bye-lenin.html
「僕たちは希望という名の列車に乗った」
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-b5ab06.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-ac0753.html
「バルーン 奇蹟の脱出飛行」は、間に合わなかったか。

巻末の年表と文献は、整理しておこう。

はじめに
序章 東ドイツを知る意味
第1章 新しいドイツの模索―胎動 1945‐1949
第2章 冷戦と過去の重荷を背負って―建国 1949‐1961
コラム(1) オリンピックと東ドイツ
コラム(2) シュタージ
第3章 ウルブリヒトと「奇跡の経済」―安定 1961‐1972
コラム(3) 映画のなかの東ドイツ
コラム(4) 東ドイツ時代のメルケル
第4章 ホーネッカーの「後見社会国家」―繁栄から危機へ 1971‐1980
コラム(5) トラバントと「オスト・プロダクト」の今
コラム(6) 請願と日常生活の政治
第5章 労働者と農民の国の終焉―崩壊 1981‐1990
終章 統一後の矛盾と対峙
あとがき
参考文献
略語一覧
関連年表

河合信晴/著
中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/10/102615.html

| | コメント (0)

2020年11月 1日 (日)

証言 沖縄スパイ戦史

200819_021  200819_022
映画は見ていないのだが、書籍として刊行されたので、読む。
http://www.spy-senshi.com/
新書版ながら700ページを超えるボリュームであるが、一挙に読ませる内容である。
つい先ごろ、「戦争は女の顔をしていない」を読んだばかりであるが、本書の「第一章 少年ゲリラ兵たちの証言」は、「戦争は女の顔をしていない」の数々の証言と重なる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-3994e5.html
戦後の、人に言うことができない状況も、重なっている。

関東でも、軍は、連合軍の本土上陸に対する準備を行っていた。
義勇兵役法との関係(P.192)、さまざまな教令との関係(P.688以降、P.740以降)は、本土ではどう活かされようとしていたのだろうか。
「国土決戦教令」(1945年4月)の「第十四 敵は住民、婦女、老幼を先頭に立てて前進し我が繊維の消摩を計ることあるべし斯かる場合我が同法は己が生命の長きを希はんよりは皇国の戦捷を祈念しあるべきを信じて騎兵撃滅に躊躇すべからず」「第十一 決戦間傷病者は後送せざるを本旨とす」、そして「国民義勇戦闘隊教令」(P.707以降)には、戦慄を覚える。
そこでは、軍による住民支配ではなく、住民による住民に対する監視と「処置」が規定されている。
以前読んだ「相模湾上陸作戦 第二次大戦終結への道」を、もう一度読んでみよう。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-3798.html
そして、自衛隊は、どのような「教令」を持って、離島に配備されているのだろうか。

ゲリラ戦といえば、ベトナム。
ベトナムに行ったときに、ホーチミン市郊外のクチや、17度線に接したヴィンモック村に行き、説明を聞いたり展示物を見たりすることができたのだが、同じように「言えない」経験もあるのだろうか。
また、「ゲリラ戦になったら戦争は終わらないな(中略)アメリカが日本本土に上陸して完全に占領することをしなかったのは、やっぱり沖縄のゲリラ戦部隊の恩恵もあると思う」との証言もある(P.429)が、アメリカがベトナムで失敗したのは、沖縄が教訓となっていなかったということになる。
沖縄の「ゲリラ」に対して、アメリカはどんな評価をしていたのだろうか。
それは、ソ連とアフガニスタンとの関係も同様だろう。

本書の証言の数々は、さらに学術的な研究につなげていかなければならないと思うのだが、どうなるだろうか。

はじめに
第一章 少年ゲリラ兵たちの証言
第二章 陸軍中野学校卒の護郷隊隊長たち
第三章 国土防衛隊 陸軍中野学校宇治分校
第四章 スパイ虐殺の証言
第五章 虐殺者たちの肖像
第六章 戦争マニュアルから浮かび上がる秘密戦の狂気
補稿 住民はいつから「玉砕」対象になったのか
おわりにかえて—始末の悪い国民から始末のつく国民へ
教令一覧
本書関連地図
山王文献

三上智恵/著
集英社
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1011-d/

| | コメント (0)

より以前の記事一覧