戦争・平和関連

2020年3月14日 (土)

きらめく星座@紀伊國屋サザンシアター

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お昼をどうしようかと通りかかったのが、高野フルーツパーラーだった。

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当初は8日の日曜日に来ようと思っていた、こまつ座第131回公演「きらめく星座」、新型コロナウイルスの影響で5日の初日から8日までが休園となってしまい、こまつ座に電話して今日に振り返ってもらったのであった。
そんなわけで、ステージ上は防毒面、客席はマスクと、シュールなのである。

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前回見たのは、2017年の、小笠原正一を田代万里くんが正一を演じたとき。
その前に一度見たはずだが、いつだったか、公演記録はつぎのとおりなので、第106回公演だったのだろう。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-aaeb.html
第4回公演 紀伊國屋ホール 1985/9/5~21日 
第25回公演 紀伊國屋ホール 1992/2/20~3/10
第40回公演 東京芸術劇場中ホール 1996/3/8~17
第54回公演 紀伊國屋ホール 1999/10/22~11/3
特別公演 銀河劇場 2009/5/6~24
第106回公演 紀伊國屋サザンシアター 2014/9/8~10/5
第120回公演 紀伊國屋サザンシアター 2017/11/5~23

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チケットは、当初のチケットと引き換えである。
このとき、Sisiyさんは麻矢さんに声をかけられてしまうというハプニング。
なぜ?
いい機会なので、今回のような理由で公演中止となったときにチケットの返金を求めず、寄付にしてしまうのはアリかどうかを尋ねてみた。
というのも、チケットの事前購入の場合、主催者が前金として受けた料金は債務として計上されているので、返金手続きを放棄されても直ちには主催者の収益にはならないということを聞いていたからだ。
たぶん、どこでチケットを購入したかにもよるが、こまつ座の場合はこまつ座から直接買っているので、あえて聞いてみた。
麻矢さん曰く「気持ちだけでありがたいです」ということだったが、あえて返金を求めないのであれば、その旨連絡すれば良さそうだ。
今回のthe座は、麻矢さんと望月衣塑子さんとの対談が載っている。

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前回と同じキャストは三人(小笠原信吉、権藤三郎憲兵伍長、森本忠夫)で、あとは入れ替わっている。
小笠原信吉:久保酎吉
小笠原ふじ:松岡依都美(秋山菜津子)
小笠原正一:高橋光臣(田代万里生)
小笠原みさを:瀬戸さおり(深谷美歩)
源次郎:粟野史浩(山西惇)
竹田慶介:大鷹明良(木場勝己)
権藤三郎憲兵伍長:木村靖司
森本忠夫:後藤浩明
防共護國団団員/電報配達夫:高倉直人(阿岐之将一)
防共護國団団員/魚屋店員:村岡哲至(岩男海史)

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入りは、1/3ほどではなかろうか。
この作品でこの入りでは寂しい気がするが、イベントを自粛するよう要請されているなかでの公演なので、よくやったというべきだろう。
そのせいもあって、栗山さんの怒りがビシビシと伝わってくる。
ただ、前回のキャストたちのほうが、丁々発止のクセは強かったように思う。

カーテンコールは、2回あって、それでも拍手が鳴り止まなかったので、もう1回。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20191207133030.html

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2020年2月29日 (土)

ホロコーストを次世代に伝える アウシュビッツ・ミュージアムのガイドとして

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以前、ミュンヘンに行ったときにNSDAP関連の跡を歩いてみたことがある。
 フーバー教授記念広場とショル兄妹記念広場 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-25da.html
 白バラ記念館 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-ee44.html
 NSDAP関連地の散策 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/nsdap-ce44.html
 国家社会主義犠牲者記念広場と白バラ記念碑 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-6b7c.html
 将軍堂とオデオンスプラッツ http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-d325.html
 卑怯者の小径と裁判所 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/10-eaf8.html
このときは、ミュンヘンから足を伸ばしてダッハウ収容所にも行ってきた。
 ダッハウへ http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-7c7c.html
 ダッハウ収容所 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-190b.html
 食堂棟と囚人棟、ムゼウム http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-e03f.html
 二度と繰り返すな http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html
 白バラふたたび http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-16dc.html
 ペルラッハ・フォルスト墓地 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-e1b0.html

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ダッハウにも、門に「ARBEIT MACHT FREI」があるのだが、「B」の文字は、アウシュビッツのようには逆さまにはなっていない。

また、ウィーンでも、負の遺産にまつわるウィーンの碑めぐりをやってみた。
 ゲシュタポ犠牲者のための記念碑、ホローコースト記念碑、ナチ時代の澳人の脱走兵や兵役拒否者祈念の碑 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d261b3.html
 戦争とファシズムに反対する記念碑 http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-7fdafb.html

ずっと以前のベトナムも、戦争の跡を訪ねた旅だった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/vietnam-report.html

ここ、アウシュビッツも、いつかは行ってみたい。
他にも、自らのこととしては、中国にもいかなきゃとは思っている。

プロローグ
I アウシュヴィッツ・ミュージアムの道のり
  アウシュヴィッツ強制収容所からミュージアムへ
  体験者からの伝達
  東西冷戦のなかで
  東欧の自由・民主化を経て
  記憶の風化とその対策
  ローマ法王訪問と欧州連合の拡大
II ガイドとしてホロコーストと向き合う
  戦争を知らない世代からの伝達
  歴史学習のための戦争遺産
  フィールドワークのための戦争遺産
  日本人の見学者たち
  ひめゆり学徒の方々との出会い
  私とポーランドとの出会い
  日本人からの伝達
エピローグ

中谷剛
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b254248.html

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2020年2月25日 (火)

キューバの声

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「読者のための覚え書き」によれば、著者が世に本書を問うたのは1960年9月で、バティスタが辞任して1年9ヶ月後のことで、日本語版はさらに半年後である。
実際に本書を読んだのは大学に入ってからだったから、さらに10年以上経ってからのことだ。
キューバ革命から60年、日本ではこのようなプロセスは考えられないけれど、なんとかならんかなあと思いながら、そんな本書を、もう一度掘り出してみた。

カストロは、こんなことを言っていた。
資本主義は人間を犠牲に供する。共産主義国家は、その全体主義的概念によって人間の諸権利を犠牲に供する。わたしたちがこれらのいずれとも同意しないのはこのゆえである。彼らに押しつけられたのでもなく、彼らが模写したのでもないところの自らの要求の中から、自らの政治的組織を発展させなければならない。そしてわたしたちの革命は、自発的なキューバの革命なのである。それはわたしたちの音楽同様にキューバのものである。
(P.156~157)
この理念がそのとおりに進むことなく、キューバを反米に追いやったのがアメリカ自身であったということを、本書は示している。

日本に触れているところがある。
アメリカがキューバの砂糖を書くことを減らしたとき、「ロシア人と中国人と日本人が、わたしたちの砂糖を買うことによって、キューバを苦境から救い、たぶん起こったかも知れない経済的破局から救っってくれた」(P.117)
「ひとつの県ではわたしたちはもう五万えーかーの棉畠を持っていて、その近所に織物工場もひとつあります。わたしたちはそれを日本人から買いました」(P.133)
「わたしたちが読んだところでは、最近日本では八百万の人びとがあなたがたに反対するデモンストレーションに参加したそうです」(P.154)
前二者が具体的に何を指しているのかはわからないが、三番目は安保闘争のことだろう。

簡単に、キューバの歴史をメモしておく。
1898年:米西戦争に勝利した米国が、スペインにキューバ独立を認めさせる
1901年:米国がキューバを保護国化
1903年:グアンタナモを米軍基地として咀嚼(現在まで続いている)
1936年5月20日:アリアスが大統領に就任、バティスタが国防相兼軍総司令官に就任
1940年10月:総選挙の結果、バティスタ、大統領に就任
1944年:バティスタ、総選挙に敗れ、フロリダへ逃亡
1948年6月:バティスタ、総選挙で上院議員当選
1950年:バティスタ帰国
1952年3月10日:バティスタによる軍事クーデター、大統領就任
1953年7月26日:弁護士のフィデル・カストロがモンカダ兵営攻撃、失敗し逮捕
1955年5月:カストロ、恩赦で釈放
1955年7月:カストロ、メキシコに亡命
1956年11月25日:カストロ、「グランマ号」でメキシコから秘密裏に出発
1956年12月2日:カストロ、キューバ上陸、マエストラ山脈でゲリラ活動
1958年8月:カストロの革命軍、西進開始
1958年12月31日:バティスタ、大統領辞
1959年1月1日:バティスタ、ドミニカ共和国へ亡命
1959年1月2日:カストロ、臨時革命政府の成立宣言
1959年1月7日:合衆国、臨時革命政府承認
1959年4月:カストロ、訪米するもアイゼンハワー大統領は面会せず
1959年:ラウル、モスクワ訪問
1959年12月:合衆国国家安全保障会議、CIAにカストロ政権転覆計画立案を指示
1960年2月:アイゼンハワー大統領、CIAに亡命キューバ人によるキューバ侵攻作戦の準備着手を命令
1960年3月9日:合衆国国家安全保障会議、カストロ政権に対抗する秘密作戦計画「プルータス作戦」報告
1960年3月17日:アイゼンハワー大統領、「プルータス作戦」同意
1960年6月:キューバ政府、アメリカ資産の国有化開始
1960年9月:第15回国連総会、合衆国政府、カストロを中心街のホテルからハーレムのホテルに移す
1960年10月:合衆国、食料品を除き対キューバ輸出禁止
1961年1月3日:合衆国政府、キューバと断交
1961年1月20日:ジョン・F・ケネディが合衆国大統領就任
1961年4月4日:合衆国国家安全保障会議、CIAの侵攻計画了承
1961年4月15日:反革命傭兵軍、米軍爆撃機でハバナを空襲
1961年4月17日:反革命傭兵軍、ピッグス湾上陸、「プラヤヒロン事件」
1961年4月21日:ハバナの審問
1961年5月1日:カストロ、「われわれの革命は社会主義革命である」と宣言
1961年8月:合衆国政府、マングース作戦開始、カストロ暗殺、キューバ侵攻を計画
1962年:ソ連、キューバにミサイル基地建設開始
1962年10月14日:アメリカ空軍のU-2偵察機がキューバ国内を飛行し中距離ミサイル確認
1962年10月22日:合衆国政府、キューバを海上封鎖
1962年10月27日:キューバ、アメリカ空軍のU-2偵察機を撃墜
1962年10月28日:ソ連、ミサイル撤去決定

「ピッグス湾事件」については、「ハバナの審問」が取り上げている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-eca9.html

ライト・ミルズ/著
鶴見俊輔/訳
みすず書房

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2020年1月21日 (火)

昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅

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澤地久枝さんの著作から、文章を断片的に集めて構成されている。
その意味では、導入本だ。
澤地久枝さんの著作は「妻たちの二・二六事件」「滄海よ眠れ」など、何冊か読んでいるが、一番最初に読んだのはたぶん「火はわが胸中にあり」、5年前にも手にしている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-5085.html

銘記しておきたいのは、「あたりまえのことを言ううのに、勇気が試される。それが、タブーのある社会である。(中略)思考にせよ信仰にせよ、信じるところを表明するのがいのちがけであるような社会は誰に幸福をもたらすか、考えたい。」(P.119、『わたしが行きた「昭和」』より)。
そしてとくに前半の「I わたしの満州 戦前から戦中を過ごして」「II 棄民となった日々 敗戦から引揚げ」「III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく」は、昨今のこの国のありように身を置いている者として、元の本も含めて後世に伝えるべき言葉の数々である。

ルドンの作品を「鎌倉まで出かけてゆき」見たとの記述(P.227、1993年の「画家の妻たち」)があるが、これは、閉館した神奈川県立近代美術館鎌倉で1992年10月10日~1992年12月20日に開催された、「マネ・ルドン・クリンガー展 幻想版画の詩と神秘」ではなかろうか。

本書でも冒頭(P.19)と後半(P.230)で、向田邦子さんからすすめられた「時の娘」も、読んだなあ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-adb1.html

序 その仕事を貫くもの
I わたしの満州 戦前から戦中を過ごして
II 棄民となった日々 敗戦から引揚げ
III 異郷日本の戦後 わが青春は苦く切なく
IV もの書きになってから 出会ったひと・考えたこと
V 心の海にある記憶 静かに半生をふりかえる
VI 向田邦子さん 生き続ける思い出

澤地久枝/著
文藝春秋
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166612314

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2020年1月 6日 (月)

アフガニスタンの診療所から

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原著は1993年刊、文庫化は2005年、まだ医療活動中心だった頃の中村哲氏による報告で、ある意味では原点と言うことになる。
今になって読むのでは何もならんとは思うのだが、それでも読んでおこう。
以前、MSFで活動している方とお話をする機会があったのだが、中村哲氏がMSFをどう見ていたのか、本書でも批判の対象とされている、アフガニスタンに群がったNGOの一つとして見られていたのだろうか。

本書では、中村哲氏は「ハンセン病」ではなく「らい」を使っている。
その理由も書かれている(P.41)。
NIIDは、「従来本疾患は「らい」、「癩」などと呼称されてきたが、これらの呼称は現在は偏見・差別を助長するものとして使用せず、「ハンセン病」が正式病名である。」としている。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/468-leprosy-info.html

中村哲氏の考え方は、「障害」が「障がい」や「障碍」と表されることとも通底する。
例えば。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/176340/
「障がい」や「障碍」ではなく、「障害」としているのだが、「ハンセン病」・「らい」に関しては、個人としては「らい」は使いたくないと考えるけれども、この違いは、身近に存在していることの差かもしれない。

本書では触れていないが、中村哲氏の9条観は、記憶しておきたい。
https://web.archive.org/web/20190524095313/http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php

ペシャワール会
http://www.peshawar-pms.com/

帰郷―カイバル峠にて
縁―アフガニスタンとのかかわり
アフガニスタン―闘争の歴史と風土
人びととともに―らい病棟の改善と患者たちとのふれあい
戦乱の中で―「アフガニスタン計画」の発足
希望を求めて―アフガニスタン国内活動へ
平和を力へ―ダラエ・ヌール診療所
支援の輪の静かな拡大―協力者たちの苦闘
そして日本は…
あとがき
文庫版あとがき
解説 安倍謹也

中村哲/著
筑摩書房
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480041708/

 

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2020年1月 4日 (土)

再会の夏

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まず、銀座のTAUに行く。
家の某所用のカレンダー、「生もみじ」、先日の呉では買えなかったすずさん手ぬぐい「小春橋のデエト)を購入。
https://www.tau-hiroshima.jp/
http://www.seifukunofuji.co.jp/SHOP/G1362.html

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そしてお昼はひろしまCAFEで汁なし担担麺、ネギはトッピングで追加。
30回以上混ぜて食べるのですと。
一番人気の2辛を頼んだが、それでも口の中が痺れてくる。

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さて、シネスイッチ銀座へ。
12月から公開されていたが、関東での映画館は少なくて、ようやく本日観ることにした。

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「最強のふたり」(リメイクではない前のほう)でパラグライダーの事故で頚損を負ったフィリップを演じていたフランソワ・クリュゼが、本作では軍判事のランティエ少佐を渋く演じる。
ランティエ少佐の本心は「最後の仕事なので穏やかに退官したい」のだが、裁く相手の、レジオンドヌール勲章(赤いリボンで吊られているから原題が「Le Collier rouge」か)受賞者でありながら獄中のモルラックは、頑なに応じようとしない。
そんな冒頭から、モルラックの経験が回想されていく。

いかにもフランス映画らしいフランス映画。
中央同盟軍側と対峙する前線で、ロシア革命が伝えられ、両軍兵士がインターを歌いながら近づき、和解しようとするシーンがある。
フランス軍とロシア軍はこちら側の塹壕にいて、向こう側の塹壕にいるのはブルガリア軍、ブルガリアは第一次世界大戦では中央同盟側であった。
仏語を話す兵士がいるこのロシア軍は、西部戦線に派遣されてきたロシア軍部隊ということか。

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http://saikai-natsu.com/
Jean-Christophe Rufinによる原作「Le Collier rouge」の邦訳は、ない。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Le_Collier_rouge

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教文館に寄って、シュトレンでパウゼ。
ここは穴場だろうと思ったが、ちょっと待たなければ席につけなかった。
https://www.kyobunkwan.co.jp/cafe

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2019年12月31日 (火)

Zweite 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」

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振り返ってみる。
2017/1/4、アルテリオシネマ
2017/1/9、アルテリオシネマ
2017/1/21、アルテリオシネマ
2017/2/11、イオンシネマ海老名:片渕監督舞台挨拶
2017/2/12、映画.comシネマ
2017/2/19、アルテリオシネマ
2017/6/10、イオンシネマ幕張:片渕監督舞台挨拶
2017/8/13、ユーロスペース
2017/11/19、イオンシネマ海老名
2018/2/7、イオンシネマ新百合ケ丘
2018/8/12、Cinema Chupki Tabata:片渕監督舞台挨拶ドタキャン
2019/8/15、新宿ピカデリー:片渕監督舞台挨拶
2019/9/21、東京国立博物館:野外映画館

さらにいくつもの
2019/11/22、NTTクレドホール:広島国際映画祭
2019/12/22、ユーロスペース
2019/12/31、TOHOシネマズ海老名

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2019年12月24日 (火)

民族の怒り もえあがる沖縄

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「民族の悲劇」の続編。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-da9b1e.html
日本国憲法も米国憲法すらも適用されていなかった(1965年9月7日に日本国政府がまとめた「沖縄の法的地位に関する政府統一見解」では、「日本国憲法の沖縄における適用」で「沖縄の施政権は、平和条約により米国が行使しているので、憲法の適用はない」とされていたらしい。)60年代から70年代はじめの沖縄での、米国民政府に執拗に弾圧され続けたカメさんの奮闘ぶりには、涙が出る。
この頃、大学で沖縄から来た同級生がいて、当時はパスポートを持って「本土」の大学に来ていたことを思い出す。
当時の沖縄、そして1972年の「施政権返還」、しかし復帰のスローガン「核抜き本土並み」は、いまだに達成されていない。
復帰以後の歴史といまの普天間と辺野古のありさま、いまだに日本の米軍専用施設の約70%が沖縄に集中し、沖縄本島の約15%を占めていることを見て、カメさんは何と言うだろうか。

本書は、1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論の後、佐藤首相はカメさんの本を求めに応じ、カメさんは「民族の悲劇」とともに手渡したもの。

まえがき
I 祖国へ
II ケネディと沖縄新政策
III キャラウェイ旋風
IV 統一の波—銃剣の前で
V 勝利への進撃
VI 十二年ぶりの本土
VII 日米沖縄協定
むすび 沖縄は何を求めるか

瀬長亀次郎/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-06006-6/

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2019年12月21日 (土)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

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本書は、独ソ戦を、「通常戦争」「収奪戦争」そして「絶滅戦争」とのレベルを提示し、「通常戦争」から「絶滅戦争」へと進む中でのWehrmacht(国防軍)の役割を示す。
著者の本は、先日『「砂漠の狐」ロンメル』を読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-456c05.html
著者によるパウル・カレル批判は本書でも同様なのだが、正直言えば、パウル・カレルの本は、読んでいて面白いのだな、パウリ・カレル評価は横に置いておいて。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-6fd6.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-003c.html

マルクス・プランにしてもロスベルク・プランにしても、あるいは対フランスにあってのマンシュタイン・プランは、第一次世界大戦のシュリーフェン・プランにどう学んだのだろうか。

ソ連側からの対独戦争は、ナショナリズムを鼓舞して「大祖国戦争」として展開されたのであれば、スターリンによる「大テロル」がソ連を覆う中でいかに進めることができたのか、あるいはグルジア人のスターリンが、いかにして「ソ連の大祖国戦争」を組織化できたのか。
本書は主としてドイツ側から見た独ソ戦であるが、ソ連側から見たソ独戦としての「大祖国戦争」側からも、見てみたい。

そして、独ソ戦での役割はほぼなかったしナチス・ドイツのプロパガンダでしかなったにせよ、「ロシア解放軍」にも触れてみてよかったのではなかろうか。

巻末の年表は、表にしたほうがみやすかったと思う。

現在の日本がこれからどのような道を進んでいくのか、歴史から学んで進路をさだめていくことをしているのか、ドイツやソ連の独ソ戦での経験をどう学ぶかと不可分ではなかろう。

東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2019090802000176.html
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190922/ddm/015/070/002000c

はじめに 現代の野蛮
第一章 偽りの握手から激突へ
 第一節 スターリンの逃避
 第二節 対ソ戦決定
 第三節 作戦計画
第二章 敗北に向かう勝利
 第一節 大敗したソ連軍
 第二節 スモレンスクの転回点
 第三節 最初の敗走
第三章 絶滅戦争
 第一節 対ソ戦のイデオロギー
 第二節 帝国主義的収奪
 第三節 絶滅政策の実行
 第四節 「大祖国戦争」の内実
第四章 潮流の逆転
 第一節 スターリングラードへの道
 第二節 機能しはじめた「作戦術」
 第三節 「城塞」の挫折とソ連軍連続攻勢の開始
第五章 理性なき絶対戦争
 第一節 軍事的合理性の消失
 第二節 「バグラチオン」作戦
 第三節 ベルリンへの道
終章 「絶滅戦争」の長い影
文献解題
略称,および軍事用語について
独ソ戦関連年表
おわりに

大木毅/著
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b458082.html

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2019年12月 6日 (金)

『この世界の片隅』を生きる ~広島の女(ひと)たち~

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広島の5人の女性の評伝である。
山代巴さん、大田洋子さん、こうの史代さんは知っているし、それぞれの著作を読んだこともある。

5人それぞれの体験、経験、伝承といったものをそれぞれが受け止めたあと、それぞれのしかたで外に示した。
そうした経験や体験を自身にくぐり抜けさせたあと、外に示すのか示さないのか。
示すとしたらどんなふうに示すのか、示すことだけにするのか未来に向けた思いや志を含めるのか含めないのか、そこには、様々な方法や目的があるだろう。
そこに政治的なスタンスや思惑、方針などが絡んできたとき、「分裂」が生まれてしまうのだろう。

小田実さんの作品に、「HIROSHIMA」がある。
http://odamakoto.jp/literary/novel_016.html
「全体小説」の一環である。
5人の女性たちとは異なった立場からのアプローチで、小田氏自身には原爆体験はないけれど、大阪空襲の経験はある。
読んだのはもう何年も前のことだが、今は電子本しかないようだ。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000311119

はじめに
第一章 山代巴——『この世界の片隅』で
第二章 大田洋子——『夕凪の街』『桜の園』で
第三章 こうの史代——共感の源泉
第四章 早志百合子——『原爆の子』を生きて
第五章 保田麻友——語り継ぐ未来
おわりに
参考文献など

堀和恵/著
郁朋社
http://www.ikuhousha.com/

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