「オーストリアはナチスドイツによって最初に侵略された犠牲国である」史観は従前から知っていたが、その史観のなりたちと「オーストリア」国へのアイデンテティとを掘り下げた労作といえるだろう。
多民族国家オーストリア帝国は「大ドイツ主義」は望まなかったが、帝国が崩壊し、ハンガリーやチェコスロバキアが独立して、残ったところが「オーストリア」となり、「ドナウ連邦」や「ドイツとの統合」も視野に入ったが、連合国はそれを許さなかった。
さらに時代はドイツによる「アンシュルス」をもって独澳が一体化するのだが、第二次世界大戦後は米英仏ソの4ヵ国の分割管理下に置かれ、オーストリア国家条約で「独立」を回復することになる。
そうしたなかでの「独立国オーストリア」の拠って立つところは何か、
本書は、こうした戦後オーストリアの歴史における『「オーストリア国民」国家の形成のありようを明らかにする』ことを目的として編まれている。
著者は、日本の研究者である。
さて、「National」を日本語でどう表現するか、「国民」か「国家」か。
本書では「Nationalsozialismus」を「国民社会主義」としており、「国家社会主義」とはしていない。
さいきんは、こうなのかしら。
P.25の「注」で、「共和国建国一〇〇周年を記念して計画された「オーストリアの歴史の家」博物館」が「二〇一八年一一月一〇日、英雄広場の新王宮に開設された」とある。
今度ウィーンに行けたら、行ってみたい。
https://www.hdgoe.at/
第二次世界大戦後、オーストリアでは「ファシズムの犠牲者」「戦争犠牲者」への「扶助」「援護」が行われていったことが記述されている(用語の定義は、ここには書かない)が、たとえば「四五歳以上で子どもがいない寡婦Aは、仕事を持っていれば月々五〇シリングを受け取ることができ、「扶養年金」について「寡婦Aの例でみると、支給額は二三〇シリング」(いずれもP.82)、「戦争犠牲者援護政策に基づく年金の支給額は(中略)少なくとも月々数十シリング、多ければ一〇〇〇シリングを超える程度」(P.101)など、通貨単位シリングで表記されている。
これがいったいどの程度の貨幣価値を持っているのか、ヒントは「一九四六年当時、パンが一キロ四六グロッシェン、牛乳一リットルは五〇グロッシェン」(P.101)にある。
1シリング(Schilling)は100グロッシェン(Groschen)なので、パン1キロ0.46グシリング、牛乳1リットル0.5シリングということになる。
ユーロ導入にともない、2002年1月1日にシリングは廃止され、1ユーロは13.7603シリングで交換されたのだが、これは戦後のシリング の貨幣価値とは乖離しているだろう。
日本の例で試算してみると、パンは1斤2~300円、牛乳1リットルのパックで200円前後であることから、1シリングは400円から500円ということになるだろうか。
仮に1シリング500円とすると、寡婦Aは月々2万5千円の扶助、年金は11万5千円、戦争犠牲者援護政策に基づく年金は2万数千円から50万円程度ということになる。
P.151の『「アーリア化」によって没取された彼らの財産は、戦後はオーストリア国家の財産として押収され、元の持ち主に返還されることはなかった。ようやく二〇世紀も終わる頃になって、シーレやクリムトの絵画が一部、ナチの略奪美術品として認定され、返還訴訟に発展するなど新たな展開をみせた』は、映画「黄金のアデーレ」を思い出させる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-d7ca.html
P.279以降の「第10章 戦没者記念碑――戦争をめぐる記憶の相克」は、日本の各地にある「忠魂碑」や「靖國」を考えてしまう。
日本のような神格化ではないだろうが、「英雄」と括ることは、顕彰の形として通底するものがあるような気もする。
2019年にウィーンに行ったときに、「負の遺産」にまつわるところを歩いてみた。
「Denkmal der Opfer der Gestapo」(ゲシュタポ犠牲者のための記念碑)(Schwedenplatz):1985年11月1日
「Holocaust-Mahnmal」(ホローコースト記念碑)(Judenplatz):2000年10月25日
「Denkmal für die Verfolgten der NS-Militärjustiz」(ナチ時代の澳人の脱走兵や兵役拒否者祈念の碑)(首相府と大統領府の前):2014年
「Mahnmal gegen Krieg und Faschismus」(戦争とファシズムに反対する記念碑)(Helmut-Zilk-Plat):1988年
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d261b3.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-7fdafb.html
P.288以降の、Burgtor(ブルク門)にある「「英雄記念碑」「オーストリア解放闘争で犠牲となった者を追悼する」記念碑は、Burgtorは何度も通るのだが、気づかなかった。
今度行ったら、よく見ておこう。
オーストリアに行きはじめたのは21世紀になってからで、すでに10回以上になるのfだが、何度もオーストリアに行って感じる「寛容」さ、とくに2015年に行ったときの、中央駅や西駅に集まった難民たちの間を歩き、カリタスが支援する姿を見たときの印象は、P.303からの、『二〇世紀後半の「オーストリア国民」を成り立たせていた排他的な価値は一九八〇年以降、第二の問題系を通じて批判的省察を迫られ、その結果他者に対する寛容の精神を醸成する、一見すると民主主義的な政治文化の進化につながったようにみえた。そしてその分だけ「オーストリア国民」としての成熟度もましたように感じられた』のだとしたら、やはり上っ面しか見ていなかった、ということでもある。
2019年に見た「負の遺産」の設置時期を見れば、その証左ともいえるかもしれない。
また、この時代において、ほんとうに「負の遺産」として存在しているのか、機能しているのか、という問いかけでもあるだろう。
そして、「第三帝国」のその後の歴史への向き合い方というところでは、ドイツの(西と東の時代も含めて)向き合い方と、さらに日本の私たちの向き合い方も含めて考えていかなければならないのだろう。
はじめに
序章 オーストリア国民をめぐる二つの問題系――「八」のつく年をめぐって
1 ドイツ国民か、オーストリア国民か
2 オーストリア・ファシズムからナチズムへ
3 過去との付き合い方を問う視角
4 犠牲者国民のスペクトラムと本書の構成
第I部 犠牲者国民という射程
第1章 第二共和国の誕生と「犠牲者テーゼ」――「オーストリア国民」意識の勝利
1 「オーストリアの主権に関する宣言」と「モスクワ宣言」
2 レンナー政府による国家再建の試み
3 国家統一への道
4 1955年以後の展開
第2章 「ファシズムの犠牲者」を創出する――抵抗運動の犠牲者
1 顕彰制度にみる「犠牲者性」
2 犠牲者を「扶助」すること
3 権利の獲得に向かって
4 政治的被迫害者同盟の全国組織化
第3章 「ファシズムの犠牲者」を周縁化する――人種・信仰・国民的帰属による迫害の犠牲者
1 人種・信仰・国民的帰属が理由で迫害された人びとへの補償
2 新犠牲者扶助法の制定にみる格差の論理
3 犠牲者イメージのヴァリアント
4 犠牲者の統合を求めて
5 「加害者性」と「犠牲者性」の共存
第4章 「戦争犠牲者」をめぐる国民福祉の論理――「神話」と「実体」の間
1 「戦争犠牲者」とは誰か
2 戦争犠牲者援護法にみる国民福祉の領域
3 犠牲者国民を創り出す
4 競合する「犠牲者」たち
第II部 犠牲者ナショナリズムの陥穽
第5章 元ナチの再統合と「犠牲者国民」の形成――抑圧される記憶
1 ナチズムの遺産
2 フィーグル政権による「脱ナチ化」政策
3 免罪される青年世代
4 交錯する恩赦=忘却のディスコース
第6章 占領軍当局による戦犯追及――英、米、仏の実践
1 四連合国占領下オーストリアにおける戦争犯罪者訴追
2 米軍当局の訴追方針
3 仏軍当局による戦犯訴追の実態
4 英軍当局の戦犯訴追システム
第7章 オーストリア人民裁判による戦犯追及と国民の境界――内発的冷戦の構図から
1 戦争犯罪の射程
2 オーストリア人民裁判の制度と実践
3 ナチ・戦争犯罪と国民的正義
4 国家反逆罪をめぐる人民裁判
5 新たな「国家反逆者」像の構築と冷戦
第III部 犠牲者国民の記憶空間
第8章 反ファシズム闘争をめぐる想起の文化――マウトハウゼンを例に
1 抵抗運動の記憶?
2 記念施設化されるマウトハウゼン
3 記念される過去
4 反ファシズムの記憶の周縁化
第9章 戦没者の記憶を継承する――オーストリア黒十字協会の活動を例に
1 戦没者をめぐる記憶のポリティクス
2 想起の文化の担い手「黒十字」
3 戦間期黒十字の思想と活動
4 1945年以後の黒十字と戦没者
5 「戦争犠牲者」イメージの再構築
6 「戦争犠牲者」観の変容
第10章 戦没者記念碑――戦争をめぐる記憶の相克
1 戦間期における戦没者記念碑の建設
2 国家による英雄顕彰
3 「われわれの犠牲者」を想起する
4 愛国的な兵士像
終章 終わりなき犠牲者ナショナリズム―― 第三の問題系に向けて
補論 ブルゲンラント・ロマ迫害の二重構造――近代=国民の境界をまたぐ人びと
1 ブルゲンラント・ロマ――国民的ディスコースの再検討
2 オーストリアにおけるロマの人びと
3 ブルゲンラント・ロマの歴史
4 「オーストリア国民」国家の中のロマ
5 再生産される「異者」
おわりに
初出一覧
参考文献一覧
人名・事項索引
水野博子/著
ミネルヴァ書房
https://www.minervashobo.co.jp/book/b505233.html
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