戦争・平和関連

2019年10月18日 (金)

戒厳令

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1978年の刊行であるが、台風15号や19号での政府の動き、あいちトリエンナーレをめぐる動きなどを見ていると、2014年7月1日の「国の存立を全うし、国民を守るための.切れ目のない安全保障法制の整備について」の閣議決定以後、この国は権力の恣意的な運用が目につく。
2014年7月1日は、日本国憲法を停止せしめる事実上のクーデターが起きた日であると考えていたのだが、「クーデター」「戒厳令」をおさえておこう。
緻密な内容の本書を簡単にはまとめることはできないが、「戒厳令」をめぐっては、二・二六事件以降は当初の「戒厳令」の趣旨から大きく逸脱し、明治憲法の規定にも逸脱するような運用を恣意的に行い、「軍ファシズムの成立」さらに「日本ファシズムの成立」へと連なっていったことが理解できる。
本書刊行の時期は、1977年の三原防衛庁長官の指示による「有事法制の研究」と重なっているのだが、「戒厳立法の研究は、現在でも、国民の目のとどかないところで、着々とすすめられてると考えてよい」との著者が指摘(P.213)は、今だからこそもう一度おさえておくべきだろう。

そしてもうひとつおさえておくべきは、P.203以降の治安出動における自衛隊の武器使用の基準で、自衛隊法に規定されているのだが、戦前の衛戍勤務令(明治43年3月18日軍令陸第3号)第一二での正当防衛での武器使用に限定していたものから拡大されているとの指摘であろう。

自衛隊法
第九十条 第七十八条第一項又は第八十一条第二項の規定により出動を命ぜられた自衛隊の自衛官は、前条の規定により武器を使用する場合のほか、次の各号の一に該当すると認める相当の理由があるときは、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。
一 職務上警護する人、施設又は物件が暴行又は侵害を受け、又は受けようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを排除する適当な手段がない場合
二 多衆集合して暴行若しくは脅迫をし、又は暴行若しくは脅迫をしようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合
三 前号に掲げる場合のほか、小銃、機関銃(機関けん銃を含む。)、砲、化学兵器、生物兵器その他その殺傷力がこれらに類する武器を所持し、又は所持していると疑うに足りる相当の理由のある者が暴行又は脅迫をし又はする高い蓋がい然性があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合
2 前条第二項の規定は、前項の場合について準用する。

60年安保や70年安保のような治安の理由による出動は、為政者にとっても躊躇わせしめるものがあったようだが、いまは当然視されている60年安保や70年安保のような治安の理由による出動は、為政者にとっても躊躇わせしめるものがあったようだが、いまは当然視されている災害救助を理由とした出動から憲法への「緊急事態」盛り込み、そして「治安」出動へは、おそらくほとんど抵抗なしに進むのではないだろうか。

1882年:太政官布告第三十六号戒嚴令
1889年:大日本帝国憲法
第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
○行政戒厳→二・二六事件
第十四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
○軍事戒厳→日清戦争、日露戦争で7回、以後なし。
第三十一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
○行政戒厳→日比谷焼打事件、関東大震災、二・二六事件の3回。
○二・二六事件で設置された関東戒厳司令部は戒厳解止とともに廃止されたが、東京警備司令部が設置され常設となった。
第七十六条第一項 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス
○太政官布告第三十六号戒嚴令を、法律に相当する効力を有するものとした
戒厳令実行ニ関スル大方針(日露戦争時):戒厳令を「非常事態における非常権の限界を示した法令」(立法趣旨、元老院会議での提案理由説明)から「事実上の非常権無制限」(P.98)とした。

「おわりに」で紹介されている警察法第七十一条と自衛隊法第七十八条以下を、以下に示しておく。
警察法
第七十一条 内閣総理大臣は、大規模な災害又は騒乱その他の緊急事態に際して、治安の維持のため特に必要があると認めるときは、国家公安委員会の勧告に基き、全国又は一部の区域について緊急事態の布告を発することができる。
2 前項の布告には、その区域、事態の概要及び布告の効力を発する日時を記載しなければならない。

自衛隊法
第七十八条 内閣総理大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
2 内閣総理大臣は、前項の規定による出動を命じた場合には、出動を命じた日から二十日以内に国会に付議して、その承認を求めなければならない。ただし、国会が閉会中の場合又は衆議院が解散されている場合には、その後最初に召集される国会において、すみやかに、その承認を求めなければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があつたとき、又は出動の必要がなくなつたときは、すみやかに、自衛隊の撤収を命じなければならない。
(治安出動待機命令)
第七十九条 防衛大臣は、事態が緊迫し、前条第一項の規定による治安出動命令が発せられることが予測される場合において、これに対処するため必要があると認めるときは、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の全部又は一部に対し出動待機命令を発することができる。
2 前項の場合においては、防衛大臣は、国家公安委員会と緊密な連絡を保つものとする。
(治安出動下令前に行う情報収集)
第七十九条の二 防衛大臣は、事態が緊迫し第七十八条第一項の規定による治安出動命令が発せられること及び小銃、機関銃(機関けん銃を含む。)、砲、化学兵器、生物兵器その他その殺傷力がこれらに類する武器を所持した者による不法行為が行われることが予測される場合において、当該事態の状況の把握に資する情報の収集を行うため特別の必要があると認めるときは、国家公安委員会と協議の上、内閣総理大臣の承認を得て、武器を携行する自衛隊の部隊に当該者が所在すると見込まれる場所及びその近傍において当該情報の収集を行うことを命ずることができる。
(海上保安庁の統制)
第八十条 (略)
(要請による治安出動)
第八十一条 都道府県知事は、治安維持上重大な事態につきやむを得ない必要があると認める場合には、当該都道府県の都道府県公安委員会と協議の上、内閣総理大臣に対し、部隊等の出動を要請することができる。
2 内閣総理大臣は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等の出動を命ずることができる。
3 都道府県知事は、事態が収まり、部隊等の出動の必要がなくなつたと認める場合には、内閣総理大臣に対し、すみやかに、部隊等の撤収を要請しなければならない。
4 内閣総理大臣は、前項の要請があつた場合又は部隊等の出動の必要がなくなつたと認める場合には、すみやかに、部隊等の撤収を命じなければならない。
5 都道府県知事は、第一項に規定する要請をした場合には、事態が収つた後、すみやかに、その旨を当該都道府県の議会に報告しなければならない。
6 第一項及び第三項に規定する要請の手続は、政令で定める。

そして、自由民主党の「日本国憲法改正草案」。
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

自民党大会で示された改憲4項目のうちの緊急事態条項。
第64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。
第73条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
2 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

「戒嚴令」の全文。
戒嚴令
第一條 戒嚴令ハ戦時若クハ事變ニ際シ兵備ヲ以テ全國若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス
第二條 戒嚴ハ臨戦地境ト合圍地境トノ二種ニ分ツ
 第一 臨戦地境ハ戦時若クハ事變ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ區畫シテ臨戦ノ區域ト爲ス者ナリ
 第二 合圍地境ハ敵ノ合圍若クハ攻撃其他ノ事變ニ際シ警戒ス可キ地方ヲ區畫シテ合圍ノ區域ト爲ス者ナリ
第三條 戒嚴ハ時機ニ應シ其要ス可キ地境ヲ區畫シテ之ヲ布告ス
第四條 戦時ニ際シ鎭臺營所要塞海軍港鎭守府海軍造船所等遽カニ合圍若クハ攻撃ヲ受クル時ハ其地ノ司令官臨時戒嚴ヲ宣告スルヿヲ得又戦略上臨機ノ處分ヲ要スル時ハ出征ノ司令官之ヲ宣告スルヿヲ得
第五條 平時土寇ヲ鎭定スル爲メ臨時戒嚴ヲ要スル場合ニ於テハ其地ノ司令官速カニ上奏シテ命ヲ請フ可シ若シ時機切迫シテ通信斷絶シ命ヲ請フノ道ナキ時ハ直ニ戒嚴ヲ宣告スルヿヲ得
第六條 軍團長師團長旅團長鎭臺營所要塞司令官或ハ艦隊司令長官艦隊司令官鎭守府長官若クハ特命司令官ハ戒嚴ヲ宣告シ得ルノ權アル司令官トス
第七條 戒嚴ノ宣告ヲ爲シタル時ハ直チニ其状勢及ヒ事由ヲ具シテ之ヲ太政官ニ上申ス可シ
 但其隷属スル所ノ長官ニハ別ニ之ヲ具申ス可シ
第八條 戒嚴ノ宣告ハ曩ニ布告シタル所ノ臨戦若クハ合圍地境ノ區畫ヲ改定スルヿヲ得
第九條 臨戦地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ノ軍事ニ關係アル事件ヲ限リ其地ノ司令官ニ管掌ノ權ヲ委スル者トス故ニ地方官地方裁判官及ヒ檢察官ハ其戒嚴ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ
第十條 合圍地境内ニ於テハ地方行政事務及ヒ司法事務ハ其地ノ司令官ニ管掌ノ權ヲ委スル者トス故ニ地方官地方裁判官及ヒ檢察官ハ其戒嚴ノ布告若クハ宣告アル時ハ速カニ該司令官ニ就テ其指揮ヲ請フ可シ
第十一條 合圍地境内ニ於テハ軍事ニ係ル民事及ヒ左ニ開列スル犯罪ニ係ル者ハ總テ軍衙ニ於テ裁判ス
 刑法
  第二編
   第一章 皇室ニ對スル罪
   第二章 國事ニ對スル罪
   第三章 静謐ヲ害スル罪
   第四章 信用ヲ害スル罪
   第九章 官吏瀆職ノ罪
  第三編
   第一章
    第一節 謀殺故殺ノ罪
    第二節 殴打創傷ノ罪
    第六節 擅ニ人ヲ逮捕監禁スル罪
    第七節 脅迫ノ罪
   第二章
    第二節 強盗ノ罪
    第七節 放火失火ノ罪
    第八節 決水ノ罪
    第九節 船舶ヲ覆没スル罪
    第十節 家屋物品ヲ毀壊シ及ヒ動植物ヲ害スル罪
第十二條 合圍地境内ニ裁判所ナク又其管轄裁判所ト通路斷絶セシ時ハ民事刑事ノ別ナク總テ軍衙ノ裁判ニ屬ス
第十三條 合圍地境内ニ於ケル軍衙ノ裁判ニ對シテハ控訴上告ヲ爲スヿヲ得ス
第十四條 戒嚴地境内ニ於ケル司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ權ヲ有ス但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルヿヲ得ス
 第一 集會若クハ新聞雑誌廣告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルヿ
 第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルヿ
 第三 銃砲弾藥兵器火具其他危險ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ之ヲ檢査シ時期ニ依リ押収スルヿ
 第四 郵信電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ檢査シ竝ニ陸海通路ヲ停止スルヿ
 第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルヿ
 第六 合圍地境内ニ於テハ晝夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ檢察スルヿ
 第七 合圍地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルヿ
 第十五條 戒嚴ハ平定ノ後ト雖モ解止ノ布告若クハ宣告ヲ受クルノ日迄ハ其効力ヲ有スル者トス
第十六條 戒嚴解止ノ日ヨリ地方行政事務司法事務及ヒ裁判權ハ總テ其常例ニ復ス

まえがき
はじめに
I 戒厳令とは何か
II 軍事立法としての日本の戒厳令
III 日本における戒厳令の発動
IV クーデターの手段としての戒厳令—二・二六事件—
おわりに—自衛隊の戦時立法研究と戒厳令—

大江志乃夫
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b267509.html


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2019年10月12日 (土)

Das schweigende Klassenzimmer/沈黙する教室

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先日見た映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」の原作を、独語原著と翻訳とを同時進行で読む。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-371ced.html
原著のサブタイトルは「Eine wahre Geschichte über Mut, Zusammenhalt und den Kalten Krieg」、「勇気、結束、冷戦についての真実の物語」ってところか。
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邦訳本(本書)のサブタイトルは「1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語」。

映画と本書とでは、黙祷事件→調査→退学処分→西への逃亡という大筋のストーリーは同じだが、ひとつひとつのエピソードは異なっている。
映画でのような盛り上がりシーンは、ない。
また、映画の登場人物に相当するような人物は、本書には明確には登場しない。
そして、原著は発言をクォーテーションマークで囲んでいないので、発言なのか文章なのかが判然としないところが多々ある。
改行位置も、原著と訳書とでは異なっているところが多い。

そして、「全訳」(訳者あとがき、P.416)となっているが、ところどころ訳されていない文章がある。
●原文「...und im Rückspiel in Budapest mit 7 : 1 nach Hause schickte. Wir konnte die Spiele im DDR Rundfunk verfolgen. Dass diese ungarische Mannschaft im WM-Endspiel 1954 gegen Deutschland verloren hatten...」(P.34)は、「...さらにブダペストで行われた第二試合では、七対一の大差で勝利し、ホームへ送り返したのである。このハンガリーチームは一九五四年のW杯決勝でドイツに敗退したが...」(P.51)と、「Wir konnte die Spiele im DDR Rundfunk verfolgen.」(私たちは東独の放送で試合を追うことができた。)の訳文がない。
●本書P.102の「RIASがハンガリーの自由放送局による支援の呼びかけを流した。」の次の「Einigen von uns ruft er immer noch ins Ohr.」(P.64)が訳されていない。
訳されていない文章は、他にもあり。

また、この訳でいいのかしらと思うところもある。
本書P.18最終行「その三年前にあたる一九五三年六月十一日」、原文は「Drei Jahre zuvor, am 17. Juni 1953」(P.16)、「17」がなぜ「十一日」になった?。
当然「6月17日蜂起」(Aufstand des 17. Juni)であるなら「一九五三年六月十七日」でなきゃ。
本書P.266では「一九五三年六月十七日の暴動」となっている。

これは原著への疑問だが、本書P.27の2行目「それからカラシニコフを構えたロシア兵が穴に入ってきて」、原文は「Denn kam ein Soldat mit einer vorgehaltenen Kalaschnikow.」(P.21)とあるが、「カラシニコフ」が設計したAK-47がソ連で採用されたのは1949年で、ドイツに侵攻したソ連軍は、当時はまだ所持していなかったのではないか。
当時だと、ドラム型弾倉のPPSh-41、バラライカまたはマンドリンではなかったか。
本書P.35の歴史教科書について「(フォルク・ウントヴィセン社)、一九五三年。」とあるが、原文の「Volk und Wissen Volkseigener Verlag Berlin, 1953, das..」(P.25)は「(フォルク・ウントヴィセン社、一九五三年)」とする方がいいと思う。
「人と知識人民出版社」としてしまうかは別として。
なお、「Volk und Wissen Volkseigener Verlag」は再統一後民営化され、存続しているようだ。
https://www.cornelsen.de/empfehlungen/volk-und-wissen
本書p.37「領土の二万八千五百三ヘクタール」の原文は「Gebiet von 28.5 Millionen Hektar」(P.27)だから、「二千八百五十万ヘクタール」だろう。
本書P.65の市長フランツ・ベッカーのが書いた言葉の中に、学校が「民主主義と人文主義の、シンボル」とされている記述があるが、「ein Symbol der Demokratie und des Humanismus」(P.43)は、「人文主義」ではなく「ヒューマニズム」でいいのではないか。
本書P137「大臣にはすでに首謀者の検討がついていた。」は、「大臣にはすでに首謀者の見当がついていた。」
本書P.174「Sバーン」が2か所に出てくるが「(国営の都市近郊鉄道)」と注釈がついているのは、2度目の「Sバーン」、ホントは最初の「Sバーン」につけなきゃ。

以外にも、日本語としてこなれていない、意味不明な文章も多いと感じたのだが、原著著者じしんが文章を生業とする人ではないのだろうし、映画に合わせた突貫工事での翻訳だったであろうことは、想像できる。

シナリオ本もあるので、おいおい読んでみよう。

Dietrich Garstka/著
Ullstein Buchverlage GmbH, Berlin
https://www.ullstein-buchverlage.de/nc/buch/details/das-schweigende-klassenzimmer-9783548607696.html

ディートリッヒ・ガルスカ/著
大川珠季/訳
アルファベータブックス
https://ab-books.hondana.jp/book/b439134.html

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2019年10月 7日 (月)

井上ひさし ベスト・エッセイ

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それぞれの文章に、さまざまな想いが湧き出てくる。
その中で二つだけ。

「魯迅の講義ノート」で遅筆堂は「魯迅の五十六年の生涯を貫くものの一つに「一般論は危険だ」という考え方があったのではないかと、私は思う。「日本人は狡猾だ」、「中国人は国家の概念がない」。「アメリカ人は明るい」。「イギリス人は重厚だ」、「フランス人は洒落ている」という言い方は避けよう」と書いている。
いまなら「韓国人は~~」と加えるだろう。
これが、「シャンハイムーン」の底を流れているのだな。

「被爆した父と娘を描いて—人類史、あの時折り返した」は、「父と暮らせば」にまつわるエッセイであるが、ヒロシマ、ナガサキの、「その特別な日付を刻まれた日本人が、戦争放棄を含む憲法によって、二十世紀の人類の希望を背負わされた、とぼくは考えています。」(P.335)と、遅筆堂は記す。
現政府を構成する面々、国会の大多数の議員たちに欠けているのは、そう、「二十世紀の人類の希望を背負わされた」とする、その意識である。
そしてその意識は、「特別な日付を記された「日本人」という思いを持ち続ける一方で、自分たちを、国境を超えて地球上に生きている「人間」を規定し直す。そして、志を同じくする人々と一緒に動く。」(P.337)と、世界に開かれている。
遅筆堂は、「ベストセラーの戦後史」(1995年)で、長崎の永井博士の「原爆は神の摂理」を痛烈に批判していたのだが、この「二十世紀の人類の希望を背負わされた」意識は、永井博士の1945年11月23日の「原子爆弾死者合同葬弔辞」での「ああ、全知全能の天主の御業は常に讃美せらるべきかな! 浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられたことを感謝致しましょう。浦上教会の犠牲によりて世界に平和が恢復せられ、日本に信仰の自由が与えられたことを感謝致しましょう。願わくは死せる人々の霊魂、天主の御哀燐によりて安らかに憩わんことを。アーメン。」の中に込められていたであろう永井博士の思い、日本におけるキリシタン弾圧の歴史を踏まえたと思いと通じるものがあるのではないかと考えてしまう。

佐藤優氏が解説を書いている。
それにしても、ユリさんは、体操苦労なさったのだろうな。

お話しをつくる人が好き
ことば・コトバ・言葉
こころの中の小さな宝石
ユートピアの時間
むずかしいことをやさしく

井上ユリ
筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480436009/

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2019年9月24日 (火)

アウシュヴィッツのタトゥー係

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本書は、実話を元にした「フィクション」である。
まず最初に書いておく。
タイトルにある「タトゥー係」、原著はTATTOOISTで、ペパンが自己紹介した時の「タトゥー係」に「タトヴィエラ」とのルビがあるが、「Tätowierer」だろう。
この「タトゥー」であるが、いまのファッション的「タトゥー」を連想させる「タトゥー」ではなく、第二次世界大戦時の収容所における収容者識別のための番号のためなので、ここではあえて「入れ墨」としたい、

著者の本書への思いは、The Telegraphで記事になっている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180204-00010001-clc_teleg-int
その、元記事もある(会員登録必要)。
https://www.telegraph.co.uk/men/thinking-man/tattooist-auschwitz-moving-love-story-inside-horror-nazi-death/
この記事で言えることは、モデルとなった人が被収容者に入れ墨の番号を彫る係であったこと、少女に番号を彫ったこと、そして戦後に再開し家庭を持ったことは、事実のようだ。
しかし、本書に記述された収容所内での様子は、どこまでが「事実」に近いのか、「創作」なのか、わからない。

収容所に連れてこられる前、ラリはどのような暮らしをしていたのか。
家畜運搬用の貨車に乗せられたときは「いつも通りの服装」、アイロンのかかったスーツ、清潔なワイシャツとネクタイ」といういでたち。(P.10)
親衛隊曹長の「何語が話せる?」の問いに「スロバキア語、ドイツ語、ロシア語、フランス語、ハンガリー語、それからポーランド語を少し」と答える。(P.51~52)
欧州に住む者として複数の言語の読み書きができることは当たり前だとしても、これだけの言語ができると親衛隊曹長自ら言うと言うことは、ラリはそれなりの教育を受けており、服装からしても上層階級に属していたのだろうと想像できる。

ラリは、入れ墨係から選ばれて、入れ墨係助手となり、前の入れ墨係がいなくなったことですぐに入れ墨係となる。
入れ墨係にあんったことで、ラリは特権を得ることができたようだ。
収容所そのものは親衛隊の管理下にあったが、収容所の被収容者の選定権がゲシュタポにあったことから、収容所にゲシュタポ政治局が置かれていて、入れ墨係は被収容者の収容に関わるということでその政治局直轄となっていたらしい。(P.60)
その特権に対し、ラリ自身「自分が特権を得たことを恐れるべきなのだろうか?」と自問し(P.64)、それまでいた収用棟から出るとき、「裏切り者」と言われる経験をする。(P.65)
しかし、「裏切り者」に対する報復は、ない。
それは、特権を利用したラリが得た食料を、元の収用棟に運んだからなのか。
それにしても、入れ墨係となったことでラリは担当親衛隊員より上位に立つことになる。

収容所では、ラリはさまざまな「偶然」と「幸運」に恵まれ、そして、特権を得ていることを示せる(入れ墨のための鞄をいつも持ち歩いている)とはいえ、親衛隊員と話ができる、交渉もできる、収容所内を歩きまわれる、他被収容者、女子被収容者や外部から来た作業員と話ができる、さらに食料や略奪された宝石貨幣を得ることができるといった描写が続く。
不思議なことに、接する人物や親衛隊の側にいる人物は、ほとんど「悪人」としてはラリに面と向かって登場しない。
ラリ担当の親衛隊員バレツキにしても根っからの「悪人」ではなさそうで、道の途中でユダヤ人を射殺するシーンはあるが、その前にラリは「今日のバレツキはひどく様子がおかしい」と感じ(P.121~122)、ふだんはそうではない人物像を匂わせている。
その親衛隊員バレツキは、ドイツ人ではなくルーマニア生まれ(P.74)であるが、どうして親衛隊員になることができたのだろうか。
バレツキは「ルーマニア生まれ」とあるだけで、非アーリア人とは書かれていないことが、その答か。
そして、さすがにメンゲレの描写は「悪人」っぽいが、逆に、いかにも的すぎるような気もする。
人が殺される場面、たとえば監視塔から被収容者が銃撃される場面、作業で最後になった者が銃殺される場面は、ある。
ラリは被収容者が殺されるところを目撃するのだが、人を殺す親衛隊員についてのいい意味でも悪い意味でも人間臭い描写はなく、ラリの受け止め方も第三者的な受け止め方だ。
収容された年月と経験が、ラリの受け止め方をそうさせたということになるのだろうか。

と、辛口に評してみた。

訳者あとがきに「ラリは、アウシュビッツという現実を構成の人々のために語るために、その証人として神から遣わされた人物だったような気がする」とあるが、本書は、「ひとりを救うことは、世界を救うこと」の言葉によって犠牲になった者、そのような言葉を発することすらできずに犠牲になった者、「この借りは、かえづことができない。今、ここでは返せない。つまりは永遠には返せないということだ」と思いながら生きのびる者、あるいは「ひとりを殺してほかの住人が助かるなら、おれは殺す」と「仕事」をする者、さまざまな被収容者たちの生き方(あるいは死に方)に対して、読む者としてどのように共感できるのかできないのか、という投げかけであると言えるのかもしれない。
共感したからと行って、現実の数多くの死者の群れに対する救いにはならないのだが。
もっと具体的に示せば、コルベ神父の行為をどう受け止めるのか、ということと重なるのだろう。

「謝辞」によれば、元々は脚本として存在していたとのことだ。
それを小説としたのが本書だという。
そう言われると、本書の淡々とした人物や情景の描写は、うなずくことができる。
とはいえ、本書の描写によって、アウシュビッツの、あるいは、他の収容所の持つ非道さが薄まってしまうことを危惧する。
ドイツ首相がなぜアウシュビッツのことを謝罪し続けるのか、目的は謝罪というよりも、忘れていないことを表すことだと考えるし、ヴァイツゼッカーの「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」(Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.)演説とともに、その底にはキリスト教の罪と贖罪、神と人間との関係があると考えるが、そうしたアウシュビッツをめぐるさまざまな考え(「なかった」とする考えも含め)も、あわせて知っておいて欲しいと思う。

本書のことを知ったときに真っ先に思ったことは、ふたつ。
ひとつはフランクル氏のこと、もうひとつは、マシュカン教授のこと。
本書を読む少し前に、フランクル氏の「夜と霧の明け渡る日に」を読んだのだが、フランクル氏についてはあらためて言及するまでもなかろう。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-758f87.html
「夜と霧の明け渡る日に」を読んでいたことが、これまでここに書いたように、本書に対して厳しい視線を向けることになったのだとは思う。
そしてマシュカン教授は、「詩人の恋」(加藤健一氏が何度か演じ、4度くらい舞台を見た)に登場するウィーンの声楽の先生で、劇の後半で、マシュカン教授はかつては収容所の被収容者で、腕に入れ墨があることが明らかになる。
また、マシュカン教授の指導を受けるスティーブンはダッハウ収容所を訪れ、観光地まがいの、そしてドイツ語の説明しかないダッハウの様子を見て、ドイツ語表記しかないのでドイツ人以外にはわからない、展示のしかたについてもこんな展示は真実を伝えていない怒りを爆発させる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-ae42.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-ae42.html
アウシュビッツまで行くのは大変だが、ダッハウなら、ミュンヘンから半日あれば行ってくることができるので、バイエルンに行く機会があれば、ぜひ訪れてほしい。
8年前に行ったが、今は、英語の説明もある。
ダッハウへ
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-7c7c.html
ダッハウ収容所
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-190b.html
食堂棟と囚人棟、ムゼウム
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-e03f.html
二度と繰り返すな
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

ちなみに、欧米での「The Tattooist of Auschwitz」の評価をAmazonで見ておこう
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ヘザー・モリス/著
金原瑞人・笹山裕子/訳
双葉社
https://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-24204-1.html

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2019年9月20日 (金)

民族の悲劇 沖縄県民の抵抗

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戦後沖縄の歴史を、沖縄の眼で見るのと本土の眼で見るのとでは、こうも異なるのかと驚かされる。
そして、弾圧されても挫けることのないカメさんの文章の高揚感は、いかにも当時の雰囲気を伝えてくれている。

1971年12月4日の、現首相に在職日数を上回られた佐藤栄作首相との国会討論の後、佐藤首相はカメさんの本を求め、カメさんは「民族の悲劇」と「民族の怒り」を手渡したそうだ。
その後、佐藤栄作首相は、読んだのだろうか。
読んだとしたら、どのような思いを抱いたのだろうか。

まえがき
I 基地権力者の意志は法なり
II 講和条約第三条のからくり
III スキャップ指令と占領政策
IV 吹きすさぶ反共旋風
V 略奪はこうしてやる
VI 島ぐるみのたたかい
VII 「赤い市長」の出現
VIII 新しい情勢

瀬長亀次郎/著
新日本出版社
http://www.shinnihon-net.co.jp/general/detail/code/978-4-406-05690-8/

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2019年9月11日 (水)

スターリニズム

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わかっているようで、しかし、それぞれの論者によって定義づけられているのでますますわかりにくくなっている「スターリニズム」、これはいったい何なのだ?
著者グレイム・ギルは、「スターリニズム」を「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から、その起源や内実を論じ、コンパクトにまとめている。
ガチガチの全体主義だろうとの先入観であまり眼がいくことのなかった、中央と地方との関係、中央による地方や下部組織に対する統制の弱さという指摘は興味深い。
むろん中央の統制が弱いことが民主的だったとか自由だったとかいうことにはならず、地方は地方でミニ・スターリニズムの社会だったのだろう。
国土の広さとインフラの未発達が影響していたのかもしれない。
だとしたら、シベリア抑留でのそれぞれの地方での思惑とモスクワの思惑とは、どのようなものだったのだろうか。
そしてこの指摘は、「全体主義」を考える上で、ファシズムやナチズムと同じようにスターリニズムを置いていいのかという問題提起にもなるだろう。

この中央と地方との関係は、ベトナム戦争でも論じられたことがあることを思い出した。
「ハノイ対話」でのプレイク事件(1965年2月7日のベトナム中部のブレイク空軍基地に対する解放戦線による攻撃)をめぐるやりとりで、「我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話」で触れられている。
アメリカ側は、ブレイク攻撃を北ベトナムによる挑発であり、ハノイからの指令に基づく攻撃であるととらえたのだが、「ハノイ対話」においてはベトナム側から現地司令官が計画し実行された作戦であると言明された。
当時の解放戦線側においては米軍が持っていたよう指揮命令系統・手段は整備されておらず、「自分たちと同じような指揮命令系統を解放戦線も持っていたはずで、すべてハノイからの指令によって作戦が行われた」とするアメリカの判断はとんでもない誤解であるというやりとりであった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1d9f.html

スターリニズムの要素は、P.86に7点がまとめられている。
(1) 制度上は高度に中央集権化された司令経済システム。大衆動員と重工業発展の最大限の重視を特徴とする。
(2) 初期の段階では、大々的な流動を特徴とした社会構造。なかでも特筆すべきは、かつての下層階級を権力と特権ある地位に引き上げた高水準の社会的流動。その後、社会は安定し、等級や地位、厳格な上下関係が支配する社会構造へと帰結。
(3) 文化的、知的領域では、すべてが指導部の定める政治的目的に奉仕すべきであるとされ、文化的、知的活動の全分野が政治的監視を受けた状態に置かれる。
(4) 当地の手段としてテロルを用いた個人独裁。ここでは、政治組織はほとんど独裁者の道具以上の何物でもなかった。
(5) 国家にとって重要と見なされる限りで、あらゆる生活領域が政治化される。
(6) 権力の中央集権化と、その反面に見られた中央からの日常的統制の著しい弱さ。その結果、実際には日々の活動が厳格な統制を受けず、組織化もされていないシステムが出来上がった。
(7) 初期の革命的な価値規範は、保守的で現状維持の志向によって取って代わられた。
そして「四つの相貌すべてを備えたスターリニズムの登場にとって最も重要だったのは、一九二〇年代末から一九三〇年代初頭にかけての「上からの革命」と一九三〇年代後半のテロルであろう」(P.89~90)とする。
さらに「後進性」と「指導者たちの個人的選択」についての検討となる。

「大テロル」の論考で、NKBDに関して、「存在意義を強く主張しようと躍起になっていた」(P.44)ことで、「敵の摘発を通じて今まで以上に目立つ存在となるばかりか・・・大勢の指導機関として君臨できるから」(P.47)「大テロル」で役割を担ったというように記されているが、NKBD長官のエジョフやベリヤが「大勢の指導機関として君臨」することを考えていた、ということなのだろうか。

ソ連邦が崩壊しロシア連邦となったからといって、「スターリニズム」がなくなったわけではないだろう。
現代ロシアとスターリニズムとの関係も、考えていかなければならない課題なのだと思う。
そして、「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から嫌韓な我が国を見たとき、どんな評価をすることができるだろうか。
さらに、奇しくもきょうは9.11。
以前ノーマンメイラーは、アメリカが全体主義に向かいつつあると言ったようだし、鶴見さんもどこかでアメリカの知人にそのようなことを言われたことがあるとか言っていたが、「アメリカ・ファースト」なアメリカは、どう評価できるだろうか。

第二版への序文
判例
第1章 スターリニズムの歴史的起源?
 1 ロシアの後進性
 2 レーニン主義
 3 人格的要因
第2章 スターリニズムの確立
 1 「上からの革命」
 2 文化革命
 4 社会的流動
 4 大テロル
 5 スターリニズムの政治
 6 外国の脅威?
第3章 大戦と盛期スターリニズム
 1 戦時経済
 2 文化的動員
 3 戦時の社会
 4 戦時の政治
 5 盛期スターリン経済
 6 戦後の社会
 7 戦後の文化
 8 政治的相貌
 9 国際的スターリニズム
第4章 スターリニズムの特質
 1 起源の問題
終章 スターリニズムの遺産
 1 公的な場でのスターリニズム
 2 スターリニズムの構造上の帰結)
訳者解説
参考文献・日本語文献案内
関連年表
索引

グレイム・ギル/著
内田健二/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b257739.html

 

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2019年9月10日 (火)

わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想

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日本障害者協議会代表などをなさっている藤井克徳さんが、障害者差別や優生思想について、歴史や現状、そしてこれからのことを簡潔にまとめている。
「ノーマライゼーション」が日本でも言われて久しいが、この国で使われている「ノーマライゼーション」は、ちと違うのではないかと思ってしまう。
既存の社会の枠組みに「障害者(そして外国人その他)を迎えてあげよう」的な「ノーマライゼーション」なのである。
そして、「既存社会のありようは変えない」という但し書きが付いている。
鳴り物入りで登場した「障害者自立支援法」も、そうだ。
枠組みありき制約ありきの中での「自己決定」。
どうも、「reasonable accommodation」が「特権」であるかのような理解がなされているようにも見える。
「Nothing about us without us!」が置き去りにされている、ということだ。

「障害者の権利に関する条約」にしても、この条約に込められた理念は、障害者「だけ」に適用されるというものではない。
国会議員や自治体首長・議員らによる差別的発言(対象は障害者に限らず外国人などマイノリティ、あるいは女性)は、こうした人たちが障害者権利条約を知らない、理解していないことを如実に示している。

Convention on the Rights of Persons with Disabilities
https://www.un.org/development/desa/disabilities/convention-on-the-rights-of-persons-with-disabilities.html

障害者の権利に関する条約(和文)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page22_000899.html

きょうされんの本書紹介記事。
http://www.kyosaren.or.jp/book/6690/

第1章 オットー・ヴァイトとの出会い
第2章 殺された障害者は20万人あまり
第3章 優生思想は多くの国々で、 そして日本でもはびこった
第4章 優生思想に対峙する 障害者権利条約
第5章 やまゆり園事件と障害のある人の今
第6章 私たちにできること

藤井克徳/著
合同出版株式会社
http://www.godo-shuppan.co.jp/book/b474135.html

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2019年9月 9日 (月)

日米地位協定 在日米軍と「同盟」の70年

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「諸悪の根源」とまでは言わないにしても、主権が損害されていることが当たり前であることは、たぶん本土にあってはなかなか気付けないのだろう。
今住んでいるところの近くにも実家の近くにも米軍基地は当たり前のように存在し、米軍も「それなりに」地域とうまくやっていこうとしている風には見える。
けれど、いざというときには豹変する。
9.11のときがそうだ。
ゲートには装甲車が置かれ、装甲車に装備された機関銃の銃口は、外に、つまり私たちのほうに向けられていた。

著者は、「日米安保条約を支持する立場」(P.214)と明言しているが、その立場は立場としても、地位協定の歴史をたどり、外国の例も踏まえながら、協定、そしてその背後にある「日米地位協定合意議事録」に様々な問題があることを明らかにする。
日米安全保障条約と地位協定の成立過程も、「日米安全保障協定」が1951年1月25日にダレス国務省顧問が対日したときに日本側から示されたこと、その対案が翌日米国柄示されたこと、日本は修正案を提示、米国は2月6日に日米行政協定案を提示した、というプロセスがある。(P.9~12)
最初に案を提示したのが日本であった、これは本書で初めて知った。
また、歴史の中で、日本から改定に向けた提起をする機会はあったのに、その機会をみすみす逃したこと、アメリカの国務省、国防省・米統合参謀本部の協定を担当する部署の体制の貧弱さなど、地位協定を改定していく道筋は前途多難であるのだろうと考えざるをえない。

そして、日本がジブチと締結している「地位協定」についても、知っておく必要があるのだろう。
日米地位協定では、日本で米兵が事件・事故を起こした場合には、公務と公務外を分け、公務外の事件・事故については、日本側で一応第一次裁判権を行使できるようになっている。
しかし、ジブチでは、公務・公務外の区別なく、ジブチには裁判権はない。
ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文
8 日本国の権限のある当局は、ジブチ共和国の領域内において、ジブチ共和国の権限のある当局と協力して、日本国の法令によって与えられたすべての刑事裁判権および懲戒上の権限をすべての要員について行使する権利を有する。
 9(a) 民間又は政府の財産の損害又は滅失に関する請求及び人の死亡又は傷害に関する請求は、当該請求の当事者間の協議を通じて友好的に解決する。
  (b) 友好的な解決に達することができない場合には、その紛争は、両政府による協議及び交渉を通じて解決する。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pirate/pdfs/djibouti.pdf

はじめに
第1章 占領から日米安保体制へ―駐軍協定
第2章 60年安保改定と日米地位協定締結―非公表の合意議事録
第3章 ヴェトナム戦争下の米軍問題―続発する墜落事故、騒音訴訟
第4章 沖縄返還と膨大な米軍基地―密室のなかの五・一五メモ
第5章 「思いやり予算」の膨張―「援助」の拡大解釈
第6章 冷戦以後の独伊の地位協定―国内法適用を求めて
第7章 沖縄基地問題への注目―度重なる事件、政府の迷走
終章 日米地位協定のゆくえ―改定の条件とは
あとがき
参考文献
付録 沖縄県による日米地位協定見直し要請/日米地位協定/日米安全保障条約(新)
日米地位協定 関連年表

山本章子/著
中央公論社
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/05/102543.html

 

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2019年8月30日 (金)

加藤周一、米原万里と行くチェコの旅

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オーストリアからチェコをめぐる旅の中で、加藤周一さんや米原万里さんをキーにして、小森陽一氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏の各氏が語り対談した記録で、それぞれの地の様子は、ほとんど記述されないので、チェコの景色を期待してはいけない。
当然、日本の状況を重ね合わせた話になるので、社会批評でもあり、批判的立場にある人の内側も語られる。
本書を読みながら、ここ数年で、日本の狭さはますます進んだのだとひしひしと実感してしまう、ことに辛淑玉氏の語りでは。

P.25~26の「ハプスブルク家の夏の王宮でした。」は、「ハプスブルク家の夏の離宮でした。」でしょう。
P.26の写真にはちゃんと「離宮」となっているし、他のページでも「離宮」となっている。

ウィーンでは、1984年にも触れてほしかった。
展示となると、軍事史博物館にはあって見てきたけれど、他に展示されているかどうかは定かではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
今は改修で閉館だけど、ウィーンミュージアムの展示は、どうだろうか。

P.45、クーデルカの写真集、持って行ったのか。
先日、プラハから帰ってきてもう一度眺めてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-2c1ea7.html

P,180にカフカとチャペックが少し出てくるが、シュベイクについても触れてほしかったな。

小森氏も金平氏も、同世代。
加藤周一さんはむろんのこと父母か祖父母世代、米原万里さんは少し上の姉御の世代。

カラーグラビア
旅のはじめに
第1章 ハプスブルグ家に見る中欧の歴史
 1、ハプスブルグ家とウィーン
>2、権力の歴史から「主役は民」の時代へ
第2章 「プラハの春」と加藤周一
 1、加藤周一「言葉と戦車」と言葉の復権
 2、「言葉と戦車」の今日的な読み方
 3、加藤周一の文学的表現について
第3章 旅先で自らの半生を振り返る
 1、加藤周一と「九条の会」、そして私
 2、ニュースキャスターとして思うこと
 3、反転攻勢のために何が必要か
第4章 チェコの歴史と文化と闘い
 1、チェコの歴史を訪ねて
 2、チェコに見る文化の役割
第5章 米原万里とプラハ、そしてソ連崩壊
 1、プラハ時代の米原万里
 2、ソ連崩壊の過程での米原万里
 3、通訳者、小説家としての米原万里
第6章 中欧から見た日本と日本人
 1、世界から見た日本の教育
 2、リベラル左派の将来をどう考えるか
 3、日本の希望は沖縄にある
第7章 ドイツで自分の居場所を考えた
 1、ユダヤ人とテレジン収容所
 2、殺す側の理屈、殺される側の思い
旅のおわりに

小森陽一、金平茂紀、辛淑玉/著
かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/1013.html

 

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2019年8月28日 (水)

夜と霧の明け渡る日に ~ Es kommt der Tag, da bist du frei

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ナチスの強制収容所から解放された人の社会を見る眼と、その眼で見て生まれた思索を、嫌韓の世論を政府自らが煽っているかのようないまのこの国の風潮のなかで、読む。
「未発表書簡、草稿、講演」とある。
フランクルの、収容所からの解放とウィーンへの帰還、その過程で、収容所での経験からフランクルは人びとに何を伝えようと考えたのか。
「夜と霧」よりも、読むことが苦にならない。
これは、「夜と霧」とは違って本書の書簡にしろ講演にしろ、外に向けての言葉だからなのだろうかと思う。
実際のところは、フランクルがこうした言葉にするまでのプロセスがどうであったのかを知りたいところなのだが。

P.129、『そしてついに精神病院における大量殺戮が始まりました。もはや「生産的」でない生命、あるいはごくわずかの「生産性」しかないすべての生命は、文字通り「生きる価値がない」という烙印を押されたのです。』
この文章は1946年3月の講演の中で述べらえた言葉なのだが、70年以上経っても同じ言葉が繰り返さなければならない状況が存在している。
そして、強制収容所から解放された人たちへの周囲の「私たちは何も知らなかったんですよ」「私たちだって苦しんだんです」という言い訳(P.175)、これをフランクルは「責任からの逃避」(P.177)ととらえる。
フランクルは、すでに「オーストリア人の責任」にも触れている(最後にもう一度―『覆われた窓』について)のだが、この「責任からの逃避」は、世間を席巻している「嫌韓」ムード、それ以上の「反韓」ムード、あるいは大臣にある者の民主主義を否定するかのような発言に危機感が示されない状況の底、そうした状況を見聞きしている私たちの中にもあるんじゃないだろうか。

読んでいて思い出すのは、津久井の事件。
あの事件で、むかしいっしょにキャンプに行ったり余暇活動で遊んだりした人たちが、優生思想的考え方の持ち主の被告の行為によって亡くなったり傷ついたりしていることが大きな理由だが、被告についても精神障害に関わる仕事に携わっている立場からは、精神疾患がある(かもしれない)被告ということでは単なる被告としてみることはできない。
二重あの事件を見てしまう。
いまも窓口でいろいろな人に接するなかで、70年以上前からの言葉ではあれ、フランクル氏の言葉が体の中に沁みてくる。

フランクルのウィーンでの跡を探してみると、いくつかのデータがある。
生家と追放までの居住地の記念プレート、Czerningasse 6、2区。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Czerningasse)
亡くなるまで住んでいた家の記念プレート、Mariannengasse 1、9区
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Mariannengasse)
ここに2015年5月26日に「Viktor Frankl Museum」が9区の「Mariannengasse 1」に開館したようだ。
https://www.franklzentrum.org/museum/oeffnungszeiten-und-adresse.html
近くのHöfergasse 5にViktor-Frankl-Parkがある。
https://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/frankl.html
この他にも、ウィーン大学キャンパス(Altes Allgemeines Krankenhaus)に「Viktor E Frankl Gasse」、Praterstern駅の西のZirkusgasse 52の市営アパート「Viktor-Frankl-Hof」、NiederösterreichのReichenau an der Raxに「Dr. Viktor Frankl-Gasse」、KärntenのKlagenfurtに「Viktor-Frankl-Gasse」があるようだ。
次のウィーン行きでは、こうした場所をぜひ歩いてみたい。
GWのウィーン行きでは、ウィーン郊外のアム・シュタインホフ教会に行ったのだが、この教会はSozialmedizinisches Zentrum Baumgartner Höhe Otto-Wagner-Spital mit Pflegezentrum(バウムガルトナー・ヘーエ社会医療センター・オットー・ヴァグナー病院とケアセンター)内にある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-871916.html
この病院の前身は1907年につくられた「Niederösterreichische Landes-Heil- und Pflegeanstalt für Nerven- und Geisteskranke Am Steinhof」で、フランクルは1933年から1937年までここで勤務している。
ここにももしかしたらフランクルの跡が残されているのかもしれない。
また、TürkheimとKauferingのKZ跡地にもそれぞれ「Viktor Frankl Weg」「Viktor-Frankl-Strasse」があるらしい。
https://www.viktorfrankl.org/lifeandwork.html

以前、ブログのいくつかのところでフランクルはダッハウに収容されたということを書いたが、収容されたのはダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)なので、コメントで訂正しておいた。
例えば、2011年にだっはうに行ってきたときのブログ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

190719_013
はじめに
「時代の証人たち」 一九八五年六月 ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡 一九四五年~一九四七年
 強制収容所から解放されて
 きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ
 僕のそばには、すべてを変えてくれた人がいる
テキストおよび論文 一九四六年~一九四八年
 精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
 人生の意味と価値について I
 人生の意味と価値について III
 人生はかりそめのもの? いや、すべての者は召し出されている
 人生の価値と人間の尊厳
 実存分析と時代の諸問題
 人種的な理由で迫害された強制収容所被収容者の問題
 最後にもう一度―『覆われた窓』について
 現代の諸問題にサイコセラピストはどう答えるか
 『フルヒェ』紙とスピノザ
 泥棒ではなく、盗まれたものに罪があるのか?
 殺人者は我々の中にいる
記念講演 一九四九年~一九八八年
 追悼
 亡き者たちの名においても和解を
 すべての善意の人々
ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事
使用文献
訳注
訳者あとがき

ヴィクトール・フランクル/著
赤坂桃子/訳
新教出版社
http://www.shinkyo-pb.com/2019/05/23/post-1324.php

 

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