ドイツ俘虜関連

2016年8月16日 (火)

「日独交流150年の軌跡」論文集

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本書は、ドイツでの「遠来の友―日独修好150周年記念展覧会」展覧会で発行された論文集の邦訳で、50本以上の論文が収録されている。
「遠来の友―日独修好150周年記念展覧会」は、2011年の日独修好150年を記念して、ドイツのライス・エンゲルンホルン博物館(マンハイム)で開催された展覧会である。
ある意味では昨年日本で開催された「ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-」展(2015年7月7日~9月6日:国立歴史民俗博物館、2015年9月19日~11月29日:長崎歴史文化博物館、2015年12月9日~2016年1月24日:鳴門市ドイツ館、2016年2月3日~4月10日:横浜開港資料館)と対になる展覧会であろう。

これだけの数なので、興味を引くものやそうでもないもの、多々である。
そのなかで、第一次世界大戦におけるドイツ俘虜と日本、また、ドイツ民主共和国と日本をテーマとして書かれた論文はそれぞれ1本(テーマは異なるが俘虜にふれている論文は他にある)と少ないのが、個人的にはちょっとざんねんではある。
また、第二次世界大戦後のドイツの歩みと日本の歩みとの比較に関する論文は、問題提起をしているといえるのだが、最近のさまざまな情勢に対する日独の対応の違いとも関連しているので、深い掘り下げは行われていない。
そして、2011年3月11日をめぐるドイツの動きについては、幾つかの論文で触れているが、いずれもドイツ人執筆者によるもので、日本人執筆者による日本が当時のドイツの動きをどう受け止めたかについての論文はない。
このあたりのテーマは、ジャーナリズム論的にも比較文明論的にもおもしろいとは思うのだが、誰かがてがけているのだろうか。

ご挨拶/フォルカー・シュタンツェル(駐日ドイツ連邦共和国大使)
『日独交流150年の軌跡』出版に寄せて/古森重隆(全国日独協会連合会、公益財団法人日独協会会長)
『日独交流150年の軌跡』出版に寄せて/ルプレヒト・フォンドラン(独日協会連合会会長)・ハインリヒ・ゼーマン(元駐インドネシア ドイツ連邦共和国大使、2005/06年日本におけるドイツ年特別大使)
1 日独交流の嚆矢
 1.1 オイレンブルク使節団と日独関係の樹立/ペーター・パンツァー
 1.2 将軍への贈り物―徳川記念財団所蔵のプロイセン王立磁器製作所(KPM)製リトファニーについて/中村尚明
 1.3 プロイセンにおける竹内便節団―ドイツの地を踏んだ最初の日本人/ロルフ=ハラルド・ヴィッピヒ
 1.4 ハンザ諸都市と日本/レギーネ・マティアス
 1.5 戊辰戦争とプロイセン/箱石大
 1.6 第一次世界大戦以前の独日貿易/カティヤ・シュミットポット
2 日独交流の黄金時代
 2.1 日独関係の「黄金時代」/スヴェン・サーラ
 2.2 ドイツに目を開いた日本―エッセンとベルリンにおける岩倉使節団/久米邦貞
 2.3 青木周蔵―ドイツと日本の橋渡しをした外交官/ニクラス・サルム=ライファーシャイト伯爵
 2.4 明治憲法の制定とドイツの影響/瀧井一博
 2.5 ヤコブ・メッケル少佐―お雇い外国人、プロイセン参謀将校/トビアス・エルンスト・エシュケ
 2.6 行進曲と神々の煌めき―日本の西洋音楽の草創期におけるドイツの役割/マティアス・ヒルシュフェルド
 2.7 自然科学と技術分野における日独の学問移転:第一次世界大戦まで/エーリッヒ・パウアー
 2.8 ドイツを模範とした日本の医学/フランク・ケーザー
 2.9 エルヴィン・ベルツ―日本近代医学の父/スザンネ・ゲルマン
 2.10 森鷗外と独日文化の橋渡し役/ベアーテ・ヴォンデ
 2.11 ドイツにおけるジャポニスム―芸術と好奇心の間にある日本への熱狂/ペーター・パンツァー
 2.12 日本の俘虜収容所における青島の守備兵たち/ゲルハルト・クレープス
 2.13 明治日本はドイツだけを手本としていたのか/ハインリヒ・ゼーマン
3 学術交流・日本研究
 3.1 ドイツにおける日本学・日本研究/ヴォルフガング・サイフェルト
 3.2 ヴァレニウス、カロン、ケンペル―シーボルト以前にヨーロッパにおける日本理解を深めた人々/デートレフ・ハーバーラント
 3.3 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトと日本開国への影響/コンスタンティン・フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン
 3.4 ルール大学ボーフムのシーボルト・アーカイブズ/レギーネ・マティアス
 3.5 呉秀三のシーボルト研究/宮坂正英
 3.6 世紀転換期の日本人によるドイツ像―1900年から1902年のベルリンにおける巌谷季雄/ハルトムート・ヴァールラーヴェンス
 3.7 日独学術交流の再出発―2人のノーベル賞受賞者アルベルト・アインシュタインとフリッツ・ハーバー/エーリッヒ・パウアー
 3.8 ドイツ東洋文化研究協会(OAG)スヴェン・サーラクリスティアン・W.シュパングロルフ=ハラルド・ヴィッピヒ
 3.9 グラッシ民族学博物館所蔵の徳川家の能面―旧ドイツ東洋文化研究協会コレクショントム・グリグル
 3.10 ボン大学日本・韓国研究専攻所蔵のトラウツ・コレクション/ラインハルト・ツェルナー
4 ヴェルサイユ条約から第二次世界大戦まで
 4.1 両大戦の間―ヴェルサイユ条約から日独同盟、そして総力戦/へテオ・ゾンマー
 4.2 第一次世界大戦後のドイツ国境画定問題と日本委員/宮田奈々
 4.3 ヴィルヘルム・ゾルフ―第一次世界大戦後の初代駐日ドイツ大使/フランク・ケーザー
 4.4 ハンス・パーシェと日本―国境を越えたつながりの物語/小田博志
 4.5 ドイツ哲学と近代日本/平山洋
 4.6 ドイツ語が輝いたとき―大正・昭和戦前期の旧制高等学校におけるドイツの言語と文化の影響/田中祐介
 4.7 日本から見た防共協定/田嶋信雄
 4.8 1939年の「伯林日本古美術展覧会」について―開催経緯と日独双方の思惑/安松みゆき
 4.9 「武士の娘」(邦題:新しき土)―日独合作映画で交わる芸術とプロパガンダ/ジャニーヌ・ハンセン
 4.10 リヒャルト・シュトラウス―大管弦楽のための日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲/イングリッド・ブリッチュ
 4.11 杉原千畝とユダヤ人迫害問題―反ユダヤ人種政策への同調を拒否した日本/ハインツ・エーバーハルト・マウル
5 戦後の日本とドイツ
 5.1 辿ってきたのは同じ道のりか―第二次世界大戦後・ドイツと日本、その復興の歩み/ハインリヒ・ゼーマン
 5.2 「過去の克服」―ドイツと日本を分ける要因/石田勇治
 5.3 コンラート・アデナウアーの訪日―政治と文化の視点から見たある旅の記録/ホルガー・レッテル
 5.4 日本とドイツ民主共和国(1973-1989年)/ペーター・パンツァー
 5.5 日独関係の歴史と日独協会の歩み/黒川剛
 5.6 雨天の友―独日協会と協会の課題/ルプレヒト・フォンドラン
 5.7 ドイツにおける日本の武道の伝播と育成/ダヴィッド・ベンダー
 5.8 マンガに見る「ドイツ」―パロディ・ツールとしての役割/ジャクリーヌ・ベルント
6 未来へ
 6.1 将来の日独アジェンダに取り上げるべきものは何か/ルプレヒト・フォンドラン
 6.2 財団法人ベルリン日独センター/フリデリーケ・ボッセ
 6.3 日本とドイツ―学術・科学技術協力/ハンス=エルク・シュテーレ
 6.4日 本とドイツ―われわれの経済協力のための課題/ユリア・ホルマン
図版一覧
あとがき
執筆者・翻訳者一覧

日独交流史編集委員会/編
雄松堂書店

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2016年3月24日 (木)

ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-

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2015年7月7日(火)~9月6日(日)に国立歴史民俗博物館で「ドイツと日本を結ぶもの-日独修好150年の歴史-」展が開催され、その後日本各地を巡回した。
2015年9月19日~11月29日 長崎歴史文化博物館
2015年12月9日~2016年1月24日 鳴門市ドイツ館(徳島県)
2016年2月3日~4月10日 横浜開港資料館(神奈川県)

本書は、巡回展として横浜にやってきた横浜開港資料館で開催された「日独修好150年の歴史-幕末・明治のプロイセンと日本・横浜」で購入。
横浜開港資料館は会場が手狭なため、ここでの展示は国立歴史民俗博物館と同一の内容ではなく、「幕末から明治初年にかぎって、通商条約締結の過程と横浜でのドイツ人の活躍を紹介」する内容だったのが残念だけれども、横浜では見ることができなかった内容は、本書を眺めることにした。
展示物の解説以外にコラムがいくつもあり、続けて読んでみると、あたかも日独関係史のようでもある。
並べてみよう。
1 19世紀中葉期のドイツとプロイセン東アジア遠征
2 日独条約交渉と幕末政情
3 ドイツ東洋文化研究所(OAG)の設立と明治期の活動
4 19世紀後半の東アジア貿易とクニフラー/イリス商会
5 開成所・静岡学問所・大学南校を渡り歩いたドイツ語教師
6 明治憲法の成立とドイツの影響
7 お雇い外国人の中のドイツ人法律家
8 第一次世界大戦と日・独・英関係
9 フリードリッヒ・マックス・トラウツ(1877-1952)という「日獨の架け橋」
10 中国をめぐる日本とドイツ
11 日本に亡命したドイツ語系ユダヤ人
12 インテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝
13 市民友好都市:ヴェルツブルクと長崎
14 「過去の問題」への取り組み―日独比較史の可能性
15 在ドイツ日本国大使館の歴史
16 東京のドイツ大使館
17 ある留学生の軌跡―岩淵達治の「日記」から
18 ベルトルト・ブレヒト
19 日本におけるドイツ文学紹介の歴史

なお、国立歴史民俗博物館では本書は完売のようだ。

プロローグ ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史―
第1章 プロイセン及びドイツ帝国と幕末維新期の日本
 第1節 オイレンブルク使節団と条約締結
 第2節 日欧外交の仲介者としてのシーボルト父子
 第3節 文久遣欧使節団(竹内使節団)と開港開市延期交渉
第2章 明治日本とドイツ
 第1節 明治維新とフォン・ブラント
 第2節ドイツから学んだもの
 第3節 ドイツにおけるジャポニズム
第3章 両大戦下の日独関係
 第1節 中国をめぐる対立と世界大戦
 第2節 ワイマール時代の交流―大正から昭和へ―
 第3節 ナチズムと軍国主義、第二次世界大戦
第4章 戦後の日本とドイツ
 第1節 日独の戦後―戦争の傷跡を抱えて
 第2節 民主国家としての再出発
エピローグ 宮古島から見た日独関係史
年表
展示資料一覧
参考資料
協力者・展示プロジェクト一覧

歴史民俗博物館振興会/発行

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2015年3月 9日 (月)

ドイツ俘虜の郵便

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とんでもないものを見つけてしまった。
もともとは、ドイツの郵便趣味のオークションの資料として書かれたのだろうか。

捕虜の郵便については、現在の日本においても定めがある。
「内国郵便約款」及び「国際郵便約款」中「料金表」の「通則」に、以下のとおり定められている。

内国郵便約款
料金表
通則
1 (略)
2 (略)
(料金の免除)
3 当社は、法第11条の規定に基づきその規定によることとされる捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(昭和28年条約第25号)第5条第2項、第33条第1項、第74条第2項及び第124条並びに戦時における文民の保護に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(昭和28年条約第26号)第141条の規定によるべき場合は、この料金表に規定する料金を免除します。

国際郵便約款
料金表
通則
1 (略)
2 (略)
(料金の免除)
3 当社は、法第11条の規定に基づきその規定によることとされる捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(昭和28年条約第25号)第5条第2項、第33条第1項、第74条第2項及び第124条、戦時における文民の保護に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(昭和28年条約第26号)第110条第2項及び第141条並びに万国郵便条約第7条2の規定によるべき場合は、この料金表に規定する料金を免除します。なお、対象となる郵便物が航空扱いとするものである場合は、この料金表に規定する航空扱いとするものの料金の額と船便扱いとするものの料金の額との差額を、SAL扱いとするものである場合は、この料金表に規定するSAL扱いとするものの料金の額と船便扱いとするものの料金の額との差額を支払っていただきます。

原文は、↓。

興味深いのは、この規定は、「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律」(平成16年法律第117号)に基づいて変更されたことである。
詳細は、以下を参照

第一次世界大戦当時では、1907年10月18日にオランダのハーグで調印された「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」(陸戦条約)と1929年7月27日にスイスのジュネーブで調印された「俘虜ノ待遇ニ關スル條約」(俘虜待遇条約)があり、日本は両条約に署名しているが、批准したのは陸戦条約のみである。
また、逓信省が日露戦争時に制定した「俘虜郵便規則」(1904年)、「俘虜郵便取扱規程」がある。
これらのなかで、第一次世界大戦におけるドイツ俘虜の郵便についてどのような扱いになっていたのかは、調べてみないとわからない。

1929年ジュネーブ捕虜条約(俘虜の待遇に関する千九百二十九年七月二十七日の条約)より
Convention relative to the Treatment of Prisoners of War Geneva, 27 July 1929.

SECTION IV
RELATIONS OF PRISONERS OF WAR WITH THE EXTERIOR

Art. 35. On the commencement of hostilities, belligerents shall publish the measures prescribed for the execution of the provisions of the present section.

Art. 36. Each of the belligerents shall fix periodically the number of letters and postcards which prisoners of war of different categories shall be permitted to send per month, and shall notify that number to the other belligerent. These letters and cards shall be sent by post by the shortest route. They may not be delayed or withheld for disciplinary motives.
Not later than one week after his arrival in camp, and similarly in case of sickness, each prisoner shall be enabled to send a postcard to his family informing them of his capture and the state of his health. The said postcards shall be forwarded as quickly as possible and shall not be delayed in any manner.
As a general rule, the correspondence of prisoners shall be written in their native language. Belligerents may authorize correspondence in other languages.

Art. 37. Prisoners of war shall be authorized to receive individually postal parcels containing foodstuffs and other articles intended for consumption or clothing. The parcels shall be delivered to the addressees and a receipt given.

Art. 38. Letters and remittances of money or valuables, as well as postal parcels addressed to prisoners of war, or despatched by them, either directly or through the intermediary of the information bureaux mentioned in Article 77, shall be exempt from all postal charges in the countries of origin and destination and in the countries through which they pass.
Presents and relief in kind intended for prisoners of war shall also be exempt from all import or other duties, as well as any charges for carriage on railways operated by the State.
Prisoners may, in cases of recognized urgency, be authorized to send telegrams on payment of the usual charges.

Art. 39. Prisoners of war shall be permitted to receive individually consignments of books which may be subject to censorship.
Representatives of the protecting Powers and of duly recognized and authorized relief societies may send works and collections of books to the libraries of prisoners, camps. The transmission of such consignments to libraries may not be delayed under pretext of difficulties of censorship.

Art. 40. The censoring of correspondence shall be accomplished as quickly as possible. The examination of postal parcels shall, moreover, be effected under such conditions as will ensure the preservation of any foodstuffs which they may contain, and, if possible, be done in the presence of the addressee or of a representative duly recognized by him.
Any prohibition of correspondence ordered by the belligerents, for military or political reasons, shall only be of a temporary character and shall also be for as brief a time as possible.

Art. 41. Belligerents shall accord all facilities for the transmission of documents destined for prisoners of war or signed by them, in particular powers of attorney and wills.
They shall take the necessary measures to secure, in case of need, the legalisation of signatures of prisoners.

第四款 俘虜ト外部トノ連絡
第三十五條 戰爭開始後直ニ交戰者ハ本款ノ規定ノ實施ニ關シ定メラレタル措置ヲ公表スヘシ
第三十六條 各交戰者ハ各種類ノ俘虜カ一月内ニ發送スルコトヲ許サルヘキ信書及郵便葉書ノ数ヲ定期ニ定メ之ヲ他ノ交戰者ニ通告スヘシ該信書及葉書ハ郵便ニ依リ最短路ニ従ヒ送付セラルヘシ
 懲罰的理由ヲ以テ此等郵便物ヲ延著セシメ又ハ抑留スルコトヲ得ザルヘシ
 各俘虜ハ收容所到著後遅クモ一週聞以内ニ及病氣ノ場合ニ同様ニ其ノ家族ニ宛テ捕獲及健康状態ヲ報知スル爲螂便葉書ヲ發迭スルコトヲ許サルヘシ該郵便葉書ハ成ルヘク速ニ送付セラルヘク且何等ノ方法ヲ以テスルヲ問ハス遲滯セラルルコトナカルヘシ
 通則トシテ俘虜ノ通信ハ其ノ母国語ヲ以テ書カルヘシ交戰者ハ他国語ニ依ル通信ヲ許スコトヲ得ヘシ
第三十七條 俘虜ハ其ノ食用又ハ被服ニ供スル爲ノ食料品及其ノ他ノ物品ヲ含ム小包郵便物ヲ個人的ニ受領スルコトヲ許サルヘシ小包ハ受取證ト引換ニ名宛人ニ交付セラルヘシ
第三十八條 直接又ハ第七十七條ニ規定スル情報局ヲ通シテ俘虜ニ宛テラレ又ハ其ノ發シクル信書、金錢又ハ有償物ノ送付及小包郵便物ハ差出國、名宛国及通過國ニ於テ一切ノ郵便料金ヲ免除セラルヘシ同様ニ俘虜ニ宛テタル贈與品及救恤品ハ輸入税其ノ他ノ諸税及國有鐡道ノ運賃ヲ免除セラルヘシ
 俘虜ハ承認セラレタル急用ノ場合ニハ通常ノ料金ヲ支拂ヒテ電信ヲ發スルコトヲ許サルヘン
第三十九條 俘虜ハ個人的ニ書籍ノ送付ヲ受クルコトヲ許サルヘク該書籍ハ検閲セラルルコトヲ得ヘシ保護国及公認救恤團體ノ代表者ハ俘虜收容所ノ圖書室ニ著作物及書籍集ヲ送付スルコトヲ得ヘシ檢閲ノ困難ヲ理由トシテ該送付物ヲ圖書室ニ交付スルヲ遅延セシムルコトヲ得サルヘシ
 終ヘタル後他ノ俘虜ト異ナル待遇ヲ受クルコトナカルヘシ
 尤モ逃走ノ企ニ依リ罰セラレタル俘虜ハ特別ノ監視ノ下ニ置カルルコトヲ得ヘシ但シ該監視ハ本條約ニ依リ俘虜ニ興ヘラルル保障ヲ何等除去スルコトヲ得サルヘシ
第四十條 通信ノ檢閲ハ成ルヘク速ニ爲サルヘシ尚小包郵便物ノ監督ハ小包ノ包含スルコトアルヘキ食料品ノ保存ヲ確保スルニ適スル條件ノ下ニ且出來得レハ名宛人又ハ名宛人ニ依リ正當ニ認メラレタル信任者ノ面前ニ於テ爲サルヘシ
 軍事上又ハ政治上ノ理由ニ依リ交戰者ノ發令スル通信ノ禁止ハ一時的ノ性質ノミヲ有シ得ヘク且出來得ル限リ短期間タルヘシ
第四十一條 交戰者ハ俘虜ニ宛テラレ又ハ其ノ署名シタル證書、文書又ハ記録特ニ委任状及遺言状ノ迭達ニ一切ノ便宜ヲ與フヘシ
 交戰者ハ必要アル場合ニハ俘虜ノ爲セル署名ノ公證ヲ確保スルニ必要ナル措置ヲ執ルヘシ

第1章 青野原収容所(AONOGAHARA CAMP)
第2章 浅草収容所(ASAKUSA CAMP)
第3章 板東収容所(BANDO CAMP)
第4章 福岡収容所(FUKUOKA CAMP)
第5章 姫路収容所(HIMEJI CAMP)
第6章 高良内収容所(KORADAY CAMP)
第7章 熊本収容所(KUMAMOTO CAMP)
第8章 久留米寺院収容所(KURUME TEMPLE CAMP)
第9章 久留米バラック収容所(KURUME BARACK CAMP)
第10章 丸亀収容所(MARUGAME CAMP)
第11章 松山収容所(MATSUYAMA CAMP)
第12章 名古屋収容所(NAGOYA CAMP)
第13章 習志野収容所(NARASHINO CAMP)
第14章 似ノ島収容所(NINOSHIMA CAMP)
第15章 大分収容所(OITA CAMP)
第16章 大阪収容所(OSAKA CAMP)
第17章 静岡収容所(SHIDZUOKA CAMP)
第18章 徳島収容所(TOKUSHIMA CAMP)
参考文献
評価

H. Rufer、W.Rungas/著
吉田景保/訳
鳴海

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2014年12月29日 (月)

ロースハムの誕生―アウグスト・ローマイヤー物語

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日本で名の知られた「ユーハイム」や「ローマイヤー」は、もとは第一次世界大戦時に日本で捕虜生活を送ったドイツ人が、戦後も日本にとどまり、日本で始めた仕事を受け継ぎ現在に至っている会社である。
本書はサブタイトルに「アウグスト・ローマイヤー物語」とあるように、「ローマイヤー」を設立したアウグスト・ローマイヤー(August Lohmeyer)の評伝と言ってもいいのdろうが、むしろ、ローマイヤーを中心とした日本で暮らすドイツ人たち(ゾルゲも含めて)のドキュメント、あるいは、著者によるローマイヤー調査レポートとして読むほうがいいのかもしれない。
記述される年代が前後に飛ぶことがあったり、語られる内容も一貫しているとはいえないので、ちょっと読みづらいところがある。
自身は第一次世界大戦におけるドイツ俘虜関連の流れで本書を読んだのだが、本書を読むにあたってはドイツ俘虜についてある程度の知識があるほうがいいかもしれない。

アウグスト・ローマイヤーは妻のフサとともに、横浜が偉人墓地に眠っている。

「船首第一中看板、キャビン番号何番」(P.64、船での航海中の「ハウスナンバー」が書いてある札の説明)の「船首第一中看板」は「船首第一中甲板」であろう。
「カイザリン・エリーザベト」のマコーヴィッツ(Makowiz)艦長の、福岡における1917年の写真(俘虜時代)が192ページに掲載されていた。
「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」サイトの俘虜名簿には、「1918年3月22日福岡から習志野へ収容所換えになった。1919年12月28日喜福丸で横浜を出航して帰国の途に着いた。」とある。

メロンパンの発明者が、日本に残ったローマイヤーが帝国ホテルで働いていたときの先輩であるアルメニア人だという説、ケテルがローマイヤーのところで働いていたこと、が本書で紹介されている。
そして、レストラン・ローマイヤーは健在だが、レストラン「ケテル」は10年ほど前に閉店してしまった。
また、函館の同業者カール・レイモンがパン・ヨーロッパ運動とかかわったことが紹介されているが、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとは交流があったのだろうか。
もしかしたら、著者の「レイモンさんのハムはボヘミアの味」(河出書房新社・刊)で触れているのかもしれない。
「ユーハイム」にも関連していくつか本が出ていはいるのだが、入手は難しそう。

序―青島
一 だれがロースハムを「発明」したのか
二 ローマイヤーの生い立ち
三 不穏の海
四 第一次世界大戦
五 青島陥落
六 東京で新しい出発
七 それぞれの戦線
八 ゲシュタポ 特高 憲兵隊の時代
九 日はまた昇る
エピローグ
参考文献
ご協力いただいた組織と個人
あとがき

シュミット・村木真寿美/著
論創社

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2014年12月 4日 (木)

丸亀ドイツ兵捕虜収容所物語

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第一次世界大戦におけるドイツ兵捕虜に関する書籍は、もともとは、青島でドイツ帝国軍の一員として日本軍と戦い、青島陥落後は日本に抑留された、K.u.K Kriegsmarine Kaiserin Elisabeth(SMS Kaiser Franz Joseph I class Kleiner Kreuzer)(オーストリア・ハンガリー帝国海軍 カイザリン・エリーザベト/皇帝陛下の艦・カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦)乗組員のことを知りたかったから読むようになったのであった。
この艦の乗組員は青野原俘虜収容所に収容されたのだが、そのほか習志野俘虜収容所、坂東俘虜収容所に関する書籍を読んできた。
丸亀俘虜収容所に関する本書が出版されたことで、本書を手にしたのである。
本書では「第9話「他の捕虜と折り合い悪しき者」―特殊捕虜―」で、カイザリン・エリーザベト乗組員について扱われている。
ここで「特殊捕虜」とあるのは、【「他ノ一般俘虜ト人種ヲ異ニシ、或イハ我ガ邦人ヲ妻トスル等ノ関係上、他ノ俘虜ト折リ合ヒ悪シク寧(ムシ)ロ我ガ帝国又ハ他ノ連合国側ニ好意ヲ有スル」(『収容所記事』)ゆえに「特殊(または特種)俘虜」と呼ばれた捕虜】(P.151)である。
こうした特殊俘虜を一般俘虜と同居することでトラブルが頻発していたことから、陸軍省は特殊俘虜を一般俘虜から隔離することにし、青野原収容所の俘虜のうちの13名のイタリア系オーストリア人が1916年10月に丸亀に移されている。
さらに1917年4月には坂東収容所に移送されているが、移送に当たっては抵抗を示したようである。
なお、イタリア系オーストリア人は「宣誓解放者」(その戦争において以後抑留国に敵対行動をとらないことを宣言することによって解放された者)として1917年6月に解放され、イタリアに移送されている。

丸亀ドイツ兵俘虜研究会
チンタオドイツ兵俘虜研究会

まえがきに言う。
もしも近い将来に日本で「集団的自衛権の行使」や「集団的安全保障措置」が容認されて、実施される事態になれば、殺し合いは当然のことながら、さらに自衛隊が交戦相手の兵士を捕虜にしたり、逆に自衛隊員が相手方の捕虜になったりする可能性も十分に想定しておかなければならない。(P.8)
昨今の、「嫌韓」「嫌中」の様相、あるいはかの国々の「反日」の様相を見るにつけ、とてもドイツ兵俘虜に対する処遇と同じような処遇は期待できないのではないか。
もっとも、そのような事態が生じないようにしなければならないのだが。
それは、「反日」の国の人たちにも同様に言えることだが、相手がこうだから我が方もこうだという論理ではなく、相手国がどうであれ、我々の「相手国」及び「捕虜」は異なるという矜持は持ち続けるとしなければならないだろう。

「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律(平成十六年六月十八日法律第百十七号)」では、第二条で基本原則を次のように定めている。
第1項 国は、武力攻撃事態においてこの法律の規定により拘束され又は抑留された者(以下この条において「捕虜等」という。)の取扱いに当たっては、第三条約その他の国際的な武力紛争において適用される国際人道法に基づき、常に人道的な待遇を確保するとともに、捕虜等の生命、身体、健康及び名誉を尊重し、これらに対する侵害又は危難から常に保護しなければならない。
第2項 この法律(これに基づく命令を含む。)の規定により捕虜等に対して与えられる保護は、人種、国籍、宗教的又は政治的意見その他これに類する基準に基づく不当に差別的なものであってはならない。
第3項 何人も、捕虜等に対し、武力攻撃に対する報復として、いかなる不利益をも与えてはならない。

宣誓解放に関しては第百三十七条などで、「第三条約第二十一条第二項に規定する宣誓又は約束」と定義している。

「第三条約」は、「武力攻撃事態において捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約」とされている。(第一条)

これは、「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第三条約・捕虜条約・Geneva Convention relative to the Treatment of Prisoners of War of August 12, 1949)を指す。
第三条約和文
第三条約和文で省略されている第一条約和文
第三条約英文

まえがき
第1話「大いに友好的に、同情を込めて歓迎します」―捕虜の到着―
第2話「美しい日本における無料の休養期間」―収容所生活―
第3話「彼らは退屈に苦しんでいる」―民間ドイツ人の慰問―
第4話「捕虜達を蹴ったり、殴ったり」―収容所からの密告―
第5話「忘恩は世の常」―メッケル将軍の縁者―
第6話「侮辱的取り扱い」―ランツェレ大尉事件―
第7話「人間社会から隔離されている」―捕虜将校の嘆き―
第8話「そこは異常な過密状態」―米国大使館員の来訪調査―
第9話「他の捕虜と折り合い悪しき者」―特殊捕虜―
第10話「大きな愚行」―捕虜の脱走―
第11話「我が国産業の発達・利益に資す」―捕虜の労働と技術指導―
第12話「参考となる物多し」―製作品展覧会―
第13話「気分は最低」―板東への移転―
第14話「遠処宿縁」―元捕虜の丸亀再訪―
あとがき
参考文献

高橋輝和/著
えにし書房

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2013年12月 3日 (火)

「第九」と日本 出会いの歴史

サブタイトルは「板東ドイツ人俘虜収容所の演奏会と文化活動の記録」。
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2009年1月~9月に「ベートーヴェン・ハウス ボン」で「音楽の力 1917年―1919年板東(日本)におけるドイツ捕虜収容所の文化的生活」が開催され、その資料がウエブ上に公開されたことが、本書刊行につながったとのことである。
「ベートーヴェン・ハウス ボン」のウエブサイトでは、「音楽の力 1917年―1919年板東(日本)におけるドイツ捕虜収容所の文化的生活」を日本語で資料を見ることができる。

板東俘虜収容所に収容された俘虜は約1000人、その中にさまざまな技術を持った人たちがいたことは、他の書物などからも明らかだが、本書に収められた図版のうち、俘虜収容所で印刷された演奏会プログラムなどが、いずれもユーゲント・シュティールでデザインされていることにあらためて驚く。

「K.u.K Kriegsmarine / SMS Kaiserin Elisabeth」については、13ページの俘虜についての記述中に「その中には、”エリザベート王妃”号の400名の乗組員もいた」との記載がある。

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はじめに
膠州のドイツ租借地
丸亀の寺社内に設けられた仮俘虜収容所
板東のバラック式収容所
ベートーヴェン作品のコンサートプログラム
パウル・エンゲルとその手紙
板東における日本初演 交響曲第九番
ベートーヴェン作品の入った他のコンサート・プログラム
その他のコンサート
板東の劇場と演劇
人形劇と展覧会
俘虜生活の終わり
おわりに
板東俘虜収容所関連年譜
図版一覧

ベートーヴェン・ハウス ボン/編
ニコレ・ケンプケン/著
大沼幸雄、ヤスヨ・テラシマ=ヴェアハーン/訳

彩流社

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2013年10月24日 (木)

青島から来た兵士たち―第一次大戦とドイツ兵俘虜の実像

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ドイツによる膠州湾租借からはじまった青島の街の建設の歴史と日独戦争、第一次世界大戦後日本の俘虜となった青島のドイツ軍将兵たちのその後、年表など、興味深い記述が多い。
それぞれの章の内容は多岐であるが、詳細ではなく、啓蒙の書と言うべきだろう。
「帰国後の俘虜の動静」を見ると、聞いたことのある名も多く、現在の日本におけるドイツの基礎を築いた役割を、この俘虜たちが担っていたことを改めて思う。

K.u.K Kriegsmarine Kaiserin Elisabeth(SMS Kaiser Franz Joseph I class Kleiner Kreuzer)(オーストリア・ハンガリー帝国海軍 カイザリン・エリーザベト/皇帝陛下の艦・カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦)については、「第三章 日独戦争」でドイツ総督府守備群の編成の中に「巡洋艦皇后エリーザベト(398名)」、「第五章 一六ヶ所の俘虜収容所と俘虜の活動」中、姫路俘虜収容所に「オーストリア=ハンガリー帝国巡洋艦皇后エリーザベトの乗員を主として収用した。」などの文章があるのみである。
なお、姫路俘虜収容所は1915年5月に閉鎖され、収用されていた俘虜たちは新たに開設された青野原俘虜収容所に移されている。

「チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会」という組織がある。

目次
序章 日本初の「第九」
第一章 ドイツによる青島占領
第二章 ドイツによる青島建設
第三章 日独戦争
第四章 俘虜収容所の設置
第五章 一六ヶ所の俘虜収容所と俘虜の活動
第六章 俘虜群像
第七章 日本による占領・統治時代の青島
第八章 帰国後の俘虜の動静
第九章 日独における俘虜・俘虜収容所研究
年表
参考文献
あとがき

瀬戸武彦/著
同学社
2006/06
ISBN-10: 4810204502
ISBN-13: 978-4810204506

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2012年8月20日 (月)

バルトの楽園(がくえん)

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映画のノベライズということでは、割り引いて読む必要はあるだろう。
主題である第九の初演や“Die Baracke”発行、アメリカの外交官による収容所視察は史実である。

青島総督クルト・ハインリッヒ少将のモデルと思われるワルデック青島総督(Alfred Wilhelm Moritz Meyer-Waldeck、降伏時は海軍大佐、終戦後中将に遡及昇進)が収容されたのは板東収容所ではなく、習志野収容所である。
習志野でも、地域との交流が行われていた。

古田求/著
潮出版社

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2012年2月26日 (日)

板東俘虜収容所―日独戦争と在日ドイツ俘虜

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「バルトの楽園」の舞台ということで、帯にも『1918年6月1日、ベートーヴェン「第九」日本初演の地。』とある。
第一次世界大戦で日本は連合国側の一員として参戦し、青島でドイツと戦うことになる。
宣戦布告が1914年8月23日、青島総攻撃開始が10月30日、青島降伏が11月7日。
4600名あまりの「俘虜」は、その後終戦まで日本国内の収容所で暮らすことになる。
板東俘虜収容所は、3年後の1917年4月9日に開設され、3年間設置されていた。

「降伏」や「俘虜」の考え方については本書の目的ではないけれども、欧米の考え方、日本の考え方の差異、日本が何ゆえに戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」の考え方になっていったのかについて触れられているのが興味深かった。
たとえば、青島におけるドイツ軍とドイツ皇帝のやりとり。
青島「最後の一兵となるまで戦わん」
皇帝「がんばれよ」
一週間後
青島「闘いわれに利あらず。われ降伏す」
皇帝「よくやった」

板東俘虜収容所は、現在はドイツ村公演として整備されている。
周辺に、鳴門市ドイツ館をはじめ、鳴門市賀川豊彦記念館、ドイツ兵が残したドイツ橋、メガネ橋などがある。

「バルトの楽園」のロケ地は、「BANDOロケ村」として公開されていたが、2009年2月に閉館となった。
2010年4月、「阿波大正浪漫 バルトの庭」として再オープンした。

目次
一 第一次大戦と板東俘虜収容所
二 日独戦争と在日ドイツ俘虜
三 『デイ・バラッケ』-板東俘虜収容所新聞
四 『陣営の火』-松山俘虜収容所新聞
五 青島のドイツ軍と海兵大隊
六 俘虜の逃走と懲罰 
「板東俘虜収容所案内書」が付されているが、これは、あらたに別の収容所から板東俘虜収容所に来ることになった俘虜向けの、板東収容所にいた俘虜が作成した案内書である。

富田弘/著
法政大学出版局
ISBN-10: 4588321242
ISBN-13: 978-4588321245

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2011年11月27日 (日)

ドイツ兵士の見たニッポン―習志野俘虜収容所1915~1920

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2001年1月に習志野市教育委員会が「ドイツ兵の見たNARASHINO 1915-1920習志野俘虜収容所」を開催した。
本書は、この展覧会がベースとなっている。

山梨のワイナリー、ケテル、ユーハイムなど、日本で現在知られるドイツ関連の多くが、第一次世界大戦時に日本において俘虜となっていたドイツ兵士たちが遺したもの、あるいは、ドイツに帰らず日本で伝えたものが多いことは、よく知られているところだ。

オーストリア・ハンガリー帝国の俘虜のことは少し触れられているが、主にはドイツ兵たちであり、収容されていた建物は、異なっていたようだ。

大正8年の青きドナウ(習志野市のサイト)
船橋市習志野霊園では、ドイツ国民追悼の日(毎年11月第3日曜日)に慰霊祭が行われている。
慰霊碑は、1955年に設置されたらしい。
2008年11月11日、ドイツ俘虜オーケストラの碑が設置された。

第1部 習志野俘虜収容所-その忘れられた歴史
日本とドイツ、日本とオーストリア―幕末から大正までの点描
青島の戦い―大正三年
浅草、静岡、福岡、大分への収容
習志野での四年半―大正四年から八年
帰国―大正九年
その後の日々
第2部 捕虜の日記帳から
クリスティアン・フォーゲルフェンガーの日記から
ヤーコプ・ノイマイヤーの日記から

習志野市教育委員会
丸善
ISBN-10:4621060945
ISBN-13:978-4621060940

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