ソ連・東欧関連

2020年3月18日 (水)

KLEINER WELTATLAS

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ゴータにあった地図出版社「VEB Hermann Haack Geographisch-Kartographische Anstalt Gotha」の小型世界地図。
日本の奥付のように出版年月日を入れていませんが、1960年のもののようで、この時代はまだ壁はありませんでした(壁の建設は1961年8月から)。

どのような地図なのか、今は変化してしまったところを中心に眺めてみました。

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まずはドイツ。

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東の方が濃い赤で国境が縁取りされています。

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記述のページは、「DEUTSCHE DEMOKRATISCHE REPUBLIK」と「WESTDEUTSCHLAND」、「ドイツ民主共和国」と「西ドイツ」。

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スイスとオーストリア、国境そのものは今と変わりありません

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アドリア海に面した青い縁取りの国は、ユーゴスラビアです。

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今は無き「UNION SOZ. SOWJ. REP.」、ソビエト社会主義共和国連邦。
記述のページはもちろん「UNION DER SOZIALISTISCHEN SOWETREPUBLIKEN」。

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部分図として、ヨーロッパ部分、西アジア部、東アジア部分と3ページにわたっています。

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千島列島は、ソ連領として色付けされています。

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朝鮮半島は、休戦ラインは表示されていますが、「KOREA」と一刻扱い。
朝鮮半島の記述は「KOREANISCHE VOLKSDEMOKRATISCHE REPUBLIK」と「SÜDKOREA」、「朝鮮民主主義人民共和国」と「南朝鮮」。

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そして沖縄は、「RIUKIU」と赤の破線で囲まれています。
奄美諸島は1953年に日本に復帰しているので、赤破線の中にはありません。
尖閣諸島は、どうも赤破線枠の中にありそう。

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記述でも、沖縄は「琉球」として独立しています。

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ベトナムは一国として描かれています。
パキスタンは「WESTPAKISTAN」と「OSTPAKISTAN」との表記(西パキスタンと東パキスタン)で、1971年独立のバングラデシュは、まだ、ありません。

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記述を見ると、「DEMOKRATOSCHEN REPUBLIK VIETNAM」と「SÜD VIETNAM」、「ベトナム民主共和国」と「南ベトナム」。

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キューバはバチスタ時代か革命後か、微妙。
グアンタナモの記載はなさそうです。
アフリカの年と言われる1960年に多くのアフリカの国が独立しましたが、この地図で独立した国の名称は書かれているものの、国境の色分けは他の国ほどには明確ではありません。

目次
 テキスト、地図
発音規則
 ポーランド語、チェコ語・スロバキア語・ソロベニア語・クロアチア語・セルビア語、ハンガリー語、ルーマニア語、デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語、オランダ語・フランドル語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語
地理学的数値
 地球(大きさ、緯度経度、タイムゾーン、大陸、海、近海と沿海、海峡、半島、島、高度、川、内陸湖、雪山脈、氷河、氷河域、最高度居住地、山岳鉄道が到達する最高度、トンネル、百万都市)
 ヨーロッパ(ドイツ民主共和国、西ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アトス、アルバニア、イタリア、バチカン、サンマリノ、マルタ、スペイン、ジブラルタル、ポルトガル、アンドラ、フランス、モナコ、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、イギリス、マン、カナル諸島、アイルランド、アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スヴァールバル諸島とヤンマイエン島、スウェーデン、フィンランド)
 ソ連
 アジア(トルコ、キプロス、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、サウジアラビア、イエメン、アデン、アデン従属地域、マスカットとオマーン、休戦オマーン、カタール、バーレーン島、クェート、イラク、中立地帯、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インド連邦、ブータン、ポルトガル領インド、セイロン、モルジブ、ネパール、ビルマ、たい、マレーシア連盟、シンガポール、北ボルネオ、サラワク、ブルネイ、インドネシア共和国、ポルトガル領チモール、フィリピン、カンボジア、中国、台湾、マカオ、ラオス、ベトナム民主共和国、南ベトナム、香港、日本、琉球、朝鮮人民ミンスy主義共和国、南朝鮮、モンゴル人民共和国)
 オーストラリア/オセアニア(オーストラリア、ココスまたはキーリング諸島、ノーフォーク諸島、ニュージーランド、西イリアン、パプア、ニューギニア、ナウル、イギリス領太平洋諸島、ニューヘブリディーズ、ニューカレドニア、フィジー諸島、フランス領ポリネシア、グアム、マリアナ・カロリン・マーシャル・パラオ諸島、西サモア、アメリカ領サモア、ハワイ)
 北および中央アメリカ(アラスカ、カナダ、サンピエール島・ミクロン島、グリーンランド、アメリカ合衆国、ばミューファ諸島、西インド連邦、バルバドス、ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、リーワード諸島、ウィンドワード諸島、バージン諸島、プエルトリコ、ドミニカ共和国、ハイチ、キューバ、バハマ諸島、グアドループ、マルティニーク、小アンティル諸島、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、英領ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、パナマ運河地帯
 南アメリカ(コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、フォークランド諸島、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、フランス領ギアナ、ベネズエラ)
 アフリカ(アラブ連合共和国・エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スペイン領西アフリカ、ガーナ、マリ連邦、モーリタニア、象牙海岸、オートボルタ、ダホミ、ニジェール、チャド、中央アフリカ、コンゴ、ガボン、ガンビア、ポルトガル領ギニア、シエラレオネ、リベリア、ガーナ、トーゴ、ナイジェリア、カメルーン、スペイン領ギニア、コンゴ、ルアンダ・ウルンジ、ポルトガル領西アフリカ、南西アフリカ、南アフリカ連邦、ベチュアナランド、バストランド、スワジランド、ローデシア・ニヤサランド連邦、ポルトガル領東アフリカ、タンガニカ、ケニア、ウガンダ、スーダン、ソマリア、フランス領ソマリランド、エチオピア、カナリア諸島、カペヴェルデ諸島、セントヘレナ、アセンション、トリスタンダクーニャ、サントメ・プリンシペ、マダガスカル、カメルーン、レユニオン、サンジバル、モーリシャス、セーシェル)
 南極
索引、寸法と重量

地図
地球/両極、ヨーロッパ、中欧、両ドイツ(北部とデンマーク)、両ドイツ(南部)、スイス、チェコ西部とオーストリア、ベネルックス、スカンジナビア、バルト諸国、ドナウ諸国、バルカン諸国/西トルコ、イタリア、スペイン/ポルトガル、フランス、イギリス諸島、ソ連のヨーロッパ部分/ソ連の西アジア部分/ソ連の東アジア部分、アジア、オリエント、南西アジア、南東アジア、オーストラリア/オセアニア、北アメリカ、アメリカ合衆国/メキシコ、大きな湖、中央アメリカ、南アメリカ、アフリカ

索引

Hermann Haackについての、Wikiの記事。
https://de.wikipedia.org/wiki/Hermann_Haack_(Kartograf)

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本書を送ってきていただいたショップがお使いになった詰め物が、これまたいい雰囲気。
Rimiというスーパーの、セールのカタログをひっちゃぶいたペーパーです。
このスーパー、ラトビアに本社があって、バルト三国に店舗展開しているようです。
このペーパーも、「KLEINER WELTATLAS」に挟んで保存です。

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2020年2月19日 (水)

コメコンデザインシリーズ(11) 「在りし日の食堂で」社会主義食堂レシピ vol.5

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各国のレシピは、
東ドイツ:2
ポーランド&ウクライナ:1
リトアニア:2
ラトビア:2
ハンガリー:1
ロシア:4
グルジア:1
マケドニア:1
ブルガリア:1

巻末のグルジア旅の写真、社会主義的デザインが残っているのだな。
ワインが出てこない・・・。
旧東ドイツ駆け抜け旅じゃ、あまり見かけなくなっていて、ドレスデンの文化宮殿(Kulturpalast)が、それっぽかったけれど。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_6-kreutzkamm-.html

第1集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/20vol1-9afd.html
第2集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/22vol2-e41b.html
第3集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/620vol3-3dca.html
第4集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-0264ad.html

イスクラ
http://iskra.ocnk.net/product/19228

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2019年12月21日 (土)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

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本書は、独ソ戦を、「通常戦争」「収奪戦争」そして「絶滅戦争」とのレベルを提示し、「通常戦争」から「絶滅戦争」へと進む中でのWehrmacht(国防軍)の役割を示す。
著者の本は、先日『「砂漠の狐」ロンメル』を読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-456c05.html
著者によるパウル・カレル批判は本書でも同様なのだが、正直言えば、パウル・カレルの本は、読んでいて面白いのだな、パウリ・カレル評価は横に置いておいて。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-6fd6.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-003c.html

マルクス・プランにしてもロスベルク・プランにしても、あるいは対フランスにあってのマンシュタイン・プランは、第一次世界大戦のシュリーフェン・プランにどう学んだのだろうか。

ソ連側からの対独戦争は、ナショナリズムを鼓舞して「大祖国戦争」として展開されたのであれば、スターリンによる「大テロル」がソ連を覆う中でいかに進めることができたのか、あるいはグルジア人のスターリンが、いかにして「ソ連の大祖国戦争」を組織化できたのか。
本書は主としてドイツ側から見た独ソ戦であるが、ソ連側から見たソ独戦としての「大祖国戦争」側からも、見てみたい。

そして、独ソ戦での役割はほぼなかったしナチス・ドイツのプロパガンダでしかなったにせよ、「ロシア解放軍」にも触れてみてよかったのではなかろうか。

巻末の年表は、表にしたほうがみやすかったと思う。

現在の日本がこれからどのような道を進んでいくのか、歴史から学んで進路をさだめていくことをしているのか、ドイツやソ連の独ソ戦での経験をどう学ぶかと不可分ではなかろう。

東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2019090802000176.html
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190922/ddm/015/070/002000c

はじめに 現代の野蛮
第一章 偽りの握手から激突へ
 第一節 スターリンの逃避
 第二節 対ソ戦決定
 第三節 作戦計画
第二章 敗北に向かう勝利
 第一節 大敗したソ連軍
 第二節 スモレンスクの転回点
 第三節 最初の敗走
第三章 絶滅戦争
 第一節 対ソ戦のイデオロギー
 第二節 帝国主義的収奪
 第三節 絶滅政策の実行
 第四節 「大祖国戦争」の内実
第四章 潮流の逆転
 第一節 スターリングラードへの道
 第二節 機能しはじめた「作戦術」
 第三節 「城塞」の挫折とソ連軍連続攻勢の開始
第五章 理性なき絶対戦争
 第一節 軍事的合理性の消失
 第二節 「バグラチオン」作戦
 第三節 ベルリンへの道
終章 「絶滅戦争」の長い影
文献解題
略称,および軍事用語について
独ソ戦関連年表
おわりに

大木毅/著
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b458082.html

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2019年10月12日 (土)

Das schweigende Klassenzimmer/沈黙する教室

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先日見た映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」の原作を、独語原著と翻訳とを同時進行で読む。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-371ced.html
原著のサブタイトルは「Eine wahre Geschichte über Mut, Zusammenhalt und den Kalten Krieg」、「勇気、結束、冷戦についての真実の物語」ってところか。
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邦訳本(本書)のサブタイトルは「1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語」。

映画と本書とでは、黙祷事件→調査→退学処分→西への逃亡という大筋のストーリーは同じだが、ひとつひとつのエピソードは異なっている。
映画でのような盛り上がりシーンは、ない。
また、映画の登場人物に相当するような人物は、本書には明確には登場しない。
そして、原著は発言をクォーテーションマークで囲んでいないので、発言なのか文章なのかが判然としないところが多々ある。
改行位置も、原著と訳書とでは異なっているところが多い。

そして、「全訳」(訳者あとがき、P.416)となっているが、ところどころ訳されていない文章がある。
●原文「...und im Rückspiel in Budapest mit 7 : 1 nach Hause schickte. Wir konnte die Spiele im DDR Rundfunk verfolgen. Dass diese ungarische Mannschaft im WM-Endspiel 1954 gegen Deutschland verloren hatten...」(P.34)は、「...さらにブダペストで行われた第二試合では、七対一の大差で勝利し、ホームへ送り返したのである。このハンガリーチームは一九五四年のW杯決勝でドイツに敗退したが...」(P.51)と、「Wir konnte die Spiele im DDR Rundfunk verfolgen.」(私たちは東独の放送で試合を追うことができた。)の訳文がない。
●本書P.102の「RIASがハンガリーの自由放送局による支援の呼びかけを流した。」の次の「Einigen von uns ruft er immer noch ins Ohr.」(P.64)が訳されていない。
訳されていない文章は、他にもあり。

また、この訳でいいのかしらと思うところもある。
本書P.18最終行「その三年前にあたる一九五三年六月十一日」、原文は「Drei Jahre zuvor, am 17. Juni 1953」(P.16)、「17」がなぜ「十一日」になった?。
当然「6月17日蜂起」(Aufstand des 17. Juni)であるなら「一九五三年六月十七日」でなきゃ。
本書P.266では「一九五三年六月十七日の暴動」となっている。

これは原著への疑問だが、本書P.27の2行目「それからカラシニコフを構えたロシア兵が穴に入ってきて」、原文は「Denn kam ein Soldat mit einer vorgehaltenen Kalaschnikow.」(P.21)とあるが、「カラシニコフ」が設計したAK-47がソ連で採用されたのは1949年で、ドイツに侵攻したソ連軍は、当時はまだ所持していなかったのではないか。
当時だと、ドラム型弾倉のPPSh-41、バラライカまたはマンドリンではなかったか。
本書P.35の歴史教科書について「(フォルク・ウントヴィセン社)、一九五三年。」とあるが、原文の「Volk und Wissen Volkseigener Verlag Berlin, 1953, das..」(P.25)は「(フォルク・ウントヴィセン社、一九五三年)」とする方がいいと思う。
「人と知識人民出版社」としてしまうかは別として。
なお、「Volk und Wissen Volkseigener Verlag」は再統一後民営化され、存続しているようだ。
https://www.cornelsen.de/empfehlungen/volk-und-wissen
本書p.37「領土の二万八千五百三ヘクタール」の原文は「Gebiet von 28.5 Millionen Hektar」(P.27)だから、「二千八百五十万ヘクタール」だろう。
本書P.65の市長フランツ・ベッカーのが書いた言葉の中に、学校が「民主主義と人文主義の、シンボル」とされている記述があるが、「ein Symbol der Demokratie und des Humanismus」(P.43)は、「人文主義」ではなく「ヒューマニズム」でいいのではないか。
本書P137「大臣にはすでに首謀者の検討がついていた。」は、「大臣にはすでに首謀者の見当がついていた。」
本書P.174「Sバーン」が2か所に出てくるが「(国営の都市近郊鉄道)」と注釈がついているのは、2度目の「Sバーン」、ホントは最初の「Sバーン」につけなきゃ。

以外にも、日本語としてこなれていない、意味不明な文章も多いと感じたのだが、原著著者じしんが文章を生業とする人ではないのだろうし、映画に合わせた突貫工事での翻訳だったであろうことは、想像できる。

シナリオ本もあるので、おいおい読んでみよう。

Dietrich Garstka/著
Ullstein Buchverlage GmbH, Berlin
https://www.ullstein-buchverlage.de/nc/buch/details/das-schweigende-klassenzimmer-9783548607696.html

ディートリッヒ・ガルスカ/著
大川珠季/訳
アルファベータブックス
https://ab-books.hondana.jp/book/b439134.html

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2019年9月16日 (月)

希望のかたわれ

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ひょんな経緯で、訳者から本書をいただくことになった。
内容は重たそうなのですぐには読まないでいたのだが、そういつまでも積ん読状態でいるのはいかがなものかということで読み始め、数多い(紹介ページは2ページにわたる)登場人物のことがおおむね理解できた中盤あたりから、一挙に読み進むことになってしまった。
時間軸と空間軸が交差しながら話が進行していく手法は本書ばかりではないが、本書ではさらに手記というかたちで「過去」が絡んでいる。
その「過去」も、現在進行形の話に収斂する。
チェルノブイリへの対応、モスクワがどこまで知っていてどのような対応を指示したのか、現地がどこまで状況を把握し対応しようとしたのか。
そして、モスクワや現地は、住民たちにどう対応したのか。
そこに、スターリン時代やブレジネフ時代の影響が残っていたのかどうか。
ブレジネフの死去が1982年11月10日、その後アンドロポフ、チェルネンコと短命の書記長が続き、ゴルバチョフの書記長就任が1985年3月11日。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は、1986年4月26日。
当時、中央地方のほとんどの指導部の人たちの頭の中には、政治状況の揺り戻しについてチラチラしていたのではなかろうか。
そう思いながら、千葉や伊豆諸島での15号台風による被害、そして対応、「棄民」という言葉が頭のなかをぐるぐる回る。

ヨーロッパの街を歩くと、それらしきエリアがあったり女性が立っていたりするのをよく見ることがあるのだが、職業として認められているといっても、その背景にあるものを見ないで、認められているからOKではいかんのじゃないか。
韓国との問題にしても、強制か自由意志かの問題じゃない。
人として許せるの?、だと思うのだが。
西ヨーロッパにとっての東ヨーロッパは、日本にとってのアジアか。

「希望のかたわれ」、原著タイトルは「DIE ANDERE HÄLFTE DER HOFFNUNG」、直訳的には「べつの半分の希望」ということになるのだろうが、「かたわれ」にしても「べつの半分」にしても、それはなんだ?
手記には、いろいろなところで「希望」について書かれている。
数々の「希望」のうしろには数々の「絶望」があるのだろうが、もうすぐ観ることができる遅筆堂のお芝居には「絶望するな!」と叫ぶシーンがあって、「希望」には裏切られルカもしれないけれど、「絶望」だけは御免こうむりたい。

それにしても、まとまらない、まとめられない。
なので、「ロシア人の名前、覚えにくい」としておこう。

なお、萩尾望都さんが「私が薦める河出の本」に本書を書いている。
http://web.kawade.co.jp/sp130th/524/

メヒティルト・ボルマン/著
赤坂桃子/訳
河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309206813/

 

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2019年9月11日 (水)

スターリニズム

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わかっているようで、しかし、それぞれの論者によって定義づけられているのでますますわかりにくくなっている「スターリニズム」、これはいったい何なのだ?
著者グレイム・ギルは、「スターリニズム」を「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から、その起源や内実を論じ、コンパクトにまとめている。
ガチガチの全体主義だろうとの先入観であまり眼がいくことのなかった、中央と地方との関係、中央による地方や下部組織に対する統制の弱さという指摘は興味深い。
むろん中央の統制が弱いことが民主的だったとか自由だったとかいうことにはならず、地方は地方でミニ・スターリニズムの社会だったのだろう。
国土の広さとインフラの未発達が影響していたのかもしれない。
だとしたら、シベリア抑留でのそれぞれの地方での思惑とモスクワの思惑とは、どのようなものだったのだろうか。
そしてこの指摘は、「全体主義」を考える上で、ファシズムやナチズムと同じようにスターリニズムを置いていいのかという問題提起にもなるだろう。

この中央と地方との関係は、ベトナム戦争でも論じられたことがあることを思い出した。
「ハノイ対話」でのプレイク事件(1965年2月7日のベトナム中部のブレイク空軍基地に対する解放戦線による攻撃)をめぐるやりとりで、「我々はなぜ戦争をしたのか―米国・ベトナム 敵との対話」で触れられている。
アメリカ側は、ブレイク攻撃を北ベトナムによる挑発であり、ハノイからの指令に基づく攻撃であるととらえたのだが、「ハノイ対話」においてはベトナム側から現地司令官が計画し実行された作戦であると言明された。
当時の解放戦線側においては米軍が持っていたよう指揮命令系統・手段は整備されておらず、「自分たちと同じような指揮命令系統を解放戦線も持っていたはずで、すべてハノイからの指令によって作戦が行われた」とするアメリカの判断はとんでもない誤解であるというやりとりであった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-1d9f.html

スターリニズムの要素は、P.86に7点がまとめられている。
(1) 制度上は高度に中央集権化された司令経済システム。大衆動員と重工業発展の最大限の重視を特徴とする。
(2) 初期の段階では、大々的な流動を特徴とした社会構造。なかでも特筆すべきは、かつての下層階級を権力と特権ある地位に引き上げた高水準の社会的流動。その後、社会は安定し、等級や地位、厳格な上下関係が支配する社会構造へと帰結。
(3) 文化的、知的領域では、すべてが指導部の定める政治的目的に奉仕すべきであるとされ、文化的、知的活動の全分野が政治的監視を受けた状態に置かれる。
(4) 当地の手段としてテロルを用いた個人独裁。ここでは、政治組織はほとんど独裁者の道具以上の何物でもなかった。
(5) 国家にとって重要と見なされる限りで、あらゆる生活領域が政治化される。
(6) 権力の中央集権化と、その反面に見られた中央からの日常的統制の著しい弱さ。その結果、実際には日々の活動が厳格な統制を受けず、組織化もされていないシステムが出来上がった。
(7) 初期の革命的な価値規範は、保守的で現状維持の志向によって取って代わられた。
そして「四つの相貌すべてを備えたスターリニズムの登場にとって最も重要だったのは、一九二〇年代末から一九三〇年代初頭にかけての「上からの革命」と一九三〇年代後半のテロルであろう」(P.89~90)とする。
さらに「後進性」と「指導者たちの個人的選択」についての検討となる。

「大テロル」の論考で、NKBDに関して、「存在意義を強く主張しようと躍起になっていた」(P.44)ことで、「敵の摘発を通じて今まで以上に目立つ存在となるばかりか・・・大勢の指導機関として君臨できるから」(P.47)「大テロル」で役割を担ったというように記されているが、NKBD長官のエジョフやベリヤが「大勢の指導機関として君臨」することを考えていた、ということなのだろうか。

ソ連邦が崩壊しロシア連邦となったからといって、「スターリニズム」がなくなったわけではないだろう。
現代ロシアとスターリニズムとの関係も、考えていかなければならない課題なのだと思う。
そして、「経済」「文化」「社会」「政治」の「四つの相貌」から嫌韓な我が国を見たとき、どんな評価をすることができるだろうか。
さらに、奇しくもきょうは9.11。
以前ノーマンメイラーは、アメリカが全体主義に向かいつつあると言ったようだし、鶴見さんもどこかでアメリカの知人にそのようなことを言われたことがあるとか言っていたが、「アメリカ・ファースト」なアメリカは、どう評価できるだろうか。

第二版への序文
判例
第1章 スターリニズムの歴史的起源?
 1 ロシアの後進性
 2 レーニン主義
 3 人格的要因
第2章 スターリニズムの確立
 1 「上からの革命」
 2 文化革命
 4 社会的流動
 4 大テロル
 5 スターリニズムの政治
 6 外国の脅威?
第3章 大戦と盛期スターリニズム
 1 戦時経済
 2 文化的動員
 3 戦時の社会
 4 戦時の政治
 5 盛期スターリン経済
 6 戦後の社会
 7 戦後の文化
 8 政治的相貌
 9 国際的スターリニズム
第4章 スターリニズムの特質
 1 起源の問題
終章 スターリニズムの遺産
 1 公的な場でのスターリニズム
 2 スターリニズムの構造上の帰結)
訳者解説
参考文献・日本語文献案内
関連年表
索引

グレイム・ギル/著
内田健二/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b257739.html

 

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2019年8月30日 (金)

加藤周一、米原万里と行くチェコの旅

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オーストリアからチェコをめぐる旅の中で、加藤周一さんや米原万里さんをキーにして、小森陽一氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏の各氏が語り対談した記録で、それぞれの地の様子は、ほとんど記述されないので、チェコの景色を期待してはいけない。
当然、日本の状況を重ね合わせた話になるので、社会批評でもあり、批判的立場にある人の内側も語られる。
本書を読みながら、ここ数年で、日本の狭さはますます進んだのだとひしひしと実感してしまう、ことに辛淑玉氏の語りでは。

P.25~26の「ハプスブルク家の夏の王宮でした。」は、「ハプスブルク家の夏の離宮でした。」でしょう。
P.26の写真にはちゃんと「離宮」となっているし、他のページでも「離宮」となっている。

ウィーンでは、1984年にも触れてほしかった。
展示となると、軍事史博物館にはあって見てきたけれど、他に展示されているかどうかは定かではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
今は改修で閉館だけど、ウィーンミュージアムの展示は、どうだろうか。

P.45、クーデルカの写真集、持って行ったのか。
先日、プラハから帰ってきてもう一度眺めてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-2c1ea7.html

P,180にカフカとチャペックが少し出てくるが、シュベイクについても触れてほしかったな。

小森氏も金平氏も、同世代。
加藤周一さんはむろんのこと父母か祖父母世代、米原万里さんは少し上の姉御の世代。

カラーグラビア
旅のはじめに
第1章 ハプスブルグ家に見る中欧の歴史
 1、ハプスブルグ家とウィーン
>2、権力の歴史から「主役は民」の時代へ
第2章 「プラハの春」と加藤周一
 1、加藤周一「言葉と戦車」と言葉の復権
 2、「言葉と戦車」の今日的な読み方
 3、加藤周一の文学的表現について
第3章 旅先で自らの半生を振り返る
 1、加藤周一と「九条の会」、そして私
 2、ニュースキャスターとして思うこと
 3、反転攻勢のために何が必要か
第4章 チェコの歴史と文化と闘い
 1、チェコの歴史を訪ねて
 2、チェコに見る文化の役割
第5章 米原万里とプラハ、そしてソ連崩壊
 1、プラハ時代の米原万里
 2、ソ連崩壊の過程での米原万里
 3、通訳者、小説家としての米原万里
第6章 中欧から見た日本と日本人
 1、世界から見た日本の教育
 2、リベラル左派の将来をどう考えるか
 3、日本の希望は沖縄にある
第7章 ドイツで自分の居場所を考えた
 1、ユダヤ人とテレジン収容所
 2、殺す側の理屈、殺される側の思い
旅のおわりに

小森陽一、金平茂紀、辛淑玉/著
かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/1013.html

 

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2019年8月14日 (水)

わが青春の国際学連 プラハ1959~1968

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「プラハの春」から51年、そしてこの春プラハを歩いたということで、読んでみる。
本当は、プラハに行く前に読んでおこうと考えていたのだが、結局、今の時期になってしまった。
米原万理さんがプラハで暮らしたのが1959年11月から1964年11月まで、著者のプラハ在住時期(1959年3月から1968年9月)とは重なっている。
しかし、年齢も離れているし、何より決定的に立場の違いが鮮明であるから、邂逅する機会はなかっただろう。

著者の立場はブントで(それは本書刊行当時も変わらないようだ)、日本共産党に対する姿勢は60年第70年代そのままであるが、本書を読むにあたっては全学連内部での争いは、背景として押さえておくべきだろう。
もっとも、ブントの分裂前に著者は日本を出ている。
一方で、ソ連型社会主義の批判者でありながら、ソ連型社会主義国のただなかでのソ連型社会主義を支える任務を持つ組織の一員としての活動記録、という内容も可能だったかもしれない。
しかし著者は、チェコ事件ののち、プラハを去らなければならなかった。
反スターリン主義の著者が長年プラハで活動できたのは、国際学連じたいがソ連型社会主義組織とは言い切れない側面を持っていた(著者も書いているが、国際学連は丸々ソ連の下請け機関というわけではなかったようで、68年後活動できなくなった)としても、プラハで、そして国際学連で、著者が何をしていたのか、どんな議論があったのか、また、国際学連がどのようなことをしていたのか、本書では何もわからない。
私はプラハに居ました、WPO軍を見ました、他の国にも行きました、プラハに居られなくなったのでドイツに行きました、以上報告終わり、であった。
それに、加藤周一氏は1969年にベルリン自由大学に赴任しているが、氏を招くにあたって著者が尽力したというエピソードが書かれているが、これはどういうことなのだろう?

そうしたことが目的で本書を読んだのではないからその点はいいとしても、50年前のプラハの様子や暮らしの様子は、著者が住んでいたあたりの平和広場の写真はあるが、よくわからなかった。
東大を去るにあたって学長に激励されたこと、十数年後に東大に復学できたことも、なぜ?と疑問符はついたままだ。

まえがき
第I部 医学連の活動、そしてプラハへ
 一 そのころ、自分のおかれた座標
 二 プラハへ出発(一九五九年二月)
 三 自己寸史「学生運動へのかかわり」――原水爆禁止のたたかい
 四 1960年代――世界と日本
 五 「冷戦」時代にみる「東側体制」をどう把握するか
第II部 国際学連書記局(プラハ)を舞台に
 一 国際学連(IUS)について
 二 1968年8月20日 チェコスロヴァキアの軍事制圧の現場
 三 国際学連内で日本全学連の占める確固たる位置
 四 世界各国歴訪
 五 プラハからベルリンへ
 六 国際活動で学んだこと
 七 その後の「身のふり方」――14年遅れ四〇歳で医者に
 八 21世紀の世界
書きおえて

石井保男/著
社会評論社
http://www.shahyo.com/mokuroku/consciousnes/shakaisyugi/ISBN978-4-7845-1479-3.php

 

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2019年8月 6日 (火)

犬が星見た ロシア紀行

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ロシア絡みで読もうと思ったのは、昨年暮れの「ロマンティック・ロシア展」の影響である。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/bunkamura-c1ee.html
自分自身はロシアの上空は何度も飛んでいるが、ロシアの大地の上にいたのは、四半世紀前に北欧に行くときに成田を飛び立ったエアフラ機がシェレメチボ空港で給油したときだけで、危害には出られなかったから、大地の上に直接いたわけではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1994/08/post-d5ed.html

1969年、このころナホトカ航路は流行りではあった。
横浜からバイカル号やハバロフスク号でナホトカへ、ナホトカからシベリア鉄道でハバロフスクへ、そしてハバロフスクから引き返す、プチ・シベリア鉄道旅ができたと記憶する。
本書であちこちで出てくる「うどん」、麺類はエライ。
そして、あちこちといえば絵葉書と酒を買う日々、その時に買いたいと思ったら買っておく、後では買えないは、海外旅行の鉄則ではある、特に、率いられて移動する団体ツァーにあっては。
また、プロペラ機は、イリューシンだろうな。

P.210に興味深い記述があった。
一行がレニングラードに行ったときのこと、地下鉄に乗るためにエスカレーターで降りていったのだが、「二人並べる幅のエスカレーターの右側に一列に並んで下って行く。左側はあけておくのだ。急いでいる人が、急降下するエスカレーターの左側を駆け降りて行く」のだそうだ。
最近はエスカレーターでは「歩かない、走らない」がトレンドであるが、50年前、すでに片側は歩く走る人用となっていたのであった。

ロシア旅から9年を経て書かれたものなので、思いつくまま書いていったのか、計算して表現したのか、わからない。
全く違った武田泰淳氏の姿、竹内好氏の姿に、笑える。
無頼を背負った、当時の「文化人」の姿ということか。
持参した「観光案内書」はどのような案内をしていたのだろうか。
「歩き方」は、まだ刊行されていない。

ルートをメモしておく。
6/10:横浜→ナホトカ航路
6/11:船上
6/12:ナホトカ→シベリヤ鉄道
6/13:シベリヤ鉄道→ハバロフスク
6/14:ハバロフスク→ノボシビルスク空港
6/15:ノボシビルスク空港→アルマ・アタ→タシケント
6/16:タシケント→サマルカンド
6/17:サマルカンド→ブハラ
6/18:ブハラ
6/19:ブハラ→タシケント
6/20:タシケント
6/21:タシケント→トビリシ
6/22:トビリシ→シンフェローボ空港→ヤルタ
6/23:ヤルタ
6/24:ヤルタ→シンフェローボ空港→レニングラード
6/25:レニングラード
6/26:レニングラード
6/27:レニングラード→モスクワ
6/28:モスクワ
6/29:モスクワ
6/30:モスクワ→ストックホルム
7/01:ストックホルム
7/02:ストックホルム→コペンハーゲン
7/03:コペンハーゲン
7/04:コペンハーゲン→アンカレッジ

武田百合子/著
中央公論新社
http://www.chuko.co.jp/bunko/2018/10/206651.html

 

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2019年7月20日 (土)

コメコンデザインシリーズ(9) 「在りし日の食堂で」社会主義食堂レシピ vol.4

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今回は、東ドイツ(2)、ハンガリー(1)、チェコ(1)、グルジア(1)、ウズベキスタン(1)、ウクライナ(1)、ソヴィエト(3)、ルーマニア(2)、バルカン諸国(1)、クロアチア(1)、アルメニア(1)。
巻末読み物は、極東ロシア。
そろそろ甘いものはどうかと、提案しておいた。

第1集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/20vol1-9afd.html
第2集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/22vol2-e41b.html
第3集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/620vol3-3dca.html

イスクラ
http://iskra.ocnk.net/product/18797

 

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