東独関連

2020年11月17日 (火)

East German Modern

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記述は英語である。
ドイツ民主共和国時代に建設された建物の写真集で、29の都市の120以上の施設・建物が掲載されている。
スターリン様式などのソ連的な建築物はない。
「東ドイツの現代建築」というタイトルに、「東ドイツモダニズム」というような意味合いを持たせたのかもしれない。

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しかし、東独時代の建物の名称と所在する都市の名称はあるが、詳しい所在地はないので、建物の名称を使って地図でなどで検索してみた。
すでに取り壊されてしまった建物も含んでいるので、検索できない建物もある。

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本文は写真と建物名と都市名のみの記載で、巻末に、建築年、設計者(と思う)氏名、簡単な解説が記されている。

掲載ページ、都市名、名称、所在地を一覧にしておく。

前文
4/ベルリン/国際映画館/Karl-Marx-Allee 33
4/ベルリン/教師の家/Alexanderstraße 9
6/ベルリン/住宅宮殿/Karl-Marx-Allee 83
6/ベルリン/カール・マルクス書店があった建物/Karl-Marx-Allee 78
6/ノイシュトレーリッツ/劇場/
7/ベルリン/レストラン・モスクワのロビー/Karl-Marx-Allee 34
7/ポツダム/プール/
8/ベルリン/国際映画館/Karl-Marx-Allee 33
9/ベルリン/会議ホールのロビーにある階段/Alexanderstraße 11
9/ライプツィヒ/オペラハウス/Augustusplatz 12
10/ベルリン/レストラン「アホルンブラット」/
10/ゲーラ/文化の家のロビーにあるレリーフ「リート・デ・レーベン」/
11/ベルリン/教師の家/Alexanderstraße 9
11/ベルリン/会議ホール/Alexanderstraße 11
12/ドレスデン/中央百貨店/
12/ドレスデン/レストラン・バスタイ/
13/ハレ/革命的ドイツ労働者の運動の碑/Riebeckplatz
14/ドレスデン/ルンド映画館/Prager Str. 6
14/ベルリン/ハウス・デス・ライゼン/Alexanderstraße 7
14/ベルリン/ベルリンテレビ塔/Panoramastraße 1A
本文
17/バート・フランケンハウゼン/パノラマ博物館/Am Schlachtberg 9
18/ライプツィヒ/新ゲヴァントハウス/Augustusplatz 8
20/ライプツィヒ/オペラハウス/Augustusplatz 12
21/ライプツィヒ/Wintergartenhochhaus/Wintergartenstraße 2
22/ライプツィヒ/Europahaus/Augustusplatz 7
23/ライプツィヒ/Bowlingtreff/Wilhelm-Leuschner-Platz
25/ライプツィヒ/ドイツ体育大学(DHfK)/Jahnallee 59
27/ライプツィヒ/エルンスト・グルーベ・ホール/Jahnallee 59
29/ライプツィヒ/水泳施設/Mainzer Str. 4
30/ライプツィヒ/大学高層ビル/Augustusplatz 9
31/ザンガーハウゼン/円形駅売店/
33/ザンガーハウゼン/駅ビル/
34/コトブス/ブランデンブルク工科大学の教育棟/Universitätsstraße 18あたり
35/コトブス/第32工科高校/Theodor-Storm-Straße 22
36/コトブス/宇宙飛行プラネタリウム・ユーリ・ガガーリン/Lindenpl. 21
37/コトブス/市役所/Berliner Pl. 6
38/イエナ/大学高層ビル/Leutragraben 1
41/オーバーホーフ/インターホテル・パノラマ/Dr, Theo-Neubauer-Straße 29
42/アイゼンヒュッテルシュタット/オートパビリオン/Lindenallee 17
43/アイゼンヒュッテルシュタット/スポワ小売店/Lindenallee 26あたり
44/アイゼンヒュッテルシュタット/Magnet Department Store/Lindenallee
45/アイゼンヒュッテルシュタット/美容院/
47/アイゼンヒュッテルシュタット/マギスタル薬局/Lindenallee 13
48/アイゼンヒュッテルシュタット/ショッピングセンター・フィックス/Lindenallee 20あたり
49/アイゼンヒュッテルシュタット/家具屋/Lindenallee 24
50/アイゼンヒュッテルシュタット/ゲストハウス/Karl-Marx-Straße 37
52/アイゼンヒュッテルシュタット/集合住宅II/Pawlowallee
53/アイゼンヒュッテルシュタット/保育園/Erich-Weinert-Allee 3
54/アイゼンヒュッテルシュタット/集合住宅II/Pawlowallee
55/アイゼンヒュッテルシュタット/集合住宅II、ブロック51/53/Pawlowallee
57/ピルナ/人民企業飛行機タービン工場の食堂/Dr.-Benno-Scholze-Straße
58/ロストック/カトリック教会/äktweg 4–6
60/ロストック/カモメハウスとヴァーノフ薬局/Lange Str. 6
61/ロストック/旧市街北の家々/Grapengießerstraße
63/ロストック/カフェバー・コスモス/Nobelstraße 50
64/ロストック/クンストハレ/Hamburger Str. 40
65/ロストック/ネプチューン水泳プール施設/Kopernikusstraße 17
67/ロストック/マーブルホール、ネプチューン水泳プール施設/Kopernikusstraße 17
68/ロストック/ひまわり住宅/Mecklenburger Allee 19
69/ロストック/段々とした高層住宅/Bertolt-Brecht-Straße
71/フランクフルト(オーダー)/プラッテンバウ、P2型/
72/フランクフルト(オーダー)/オーダー塔/Logenstraße 8, Oderturm, 10
73/フランクフルト(オーダー)/若者の映画館/Heilbronner Str. 18
74/ザスニッツ/音楽パビリオン/Strandpromenade 6
76/ケムニッツ/ナツィオネン通りの建物/Str. der Nationen 48
77/ケムニッツ/ナツィオネン通りの建物/Str. der Nationen 48
78/ケムニッツ/ナツィオネン通りの建物/Str. der Nationen 46
79/ケムニッツ/ナツィオネン通りの建物/Brückenstraße 8
80/ケムニッツ/州機関の建物と党の建物/Brückenstraße 12
83/ケムニッツ/カール・マルクス像/Brückenstraße 10
84/ケムニッツ/市庁舎と議会ホテル/Theaterstraße 3
85/ケムニッツ/バスターミナル/Str. der Nationen 33
87/ヴァーネミュンデ/海岸レストランティーポット/Am Leuchtturm
88/ポツダム/中央駅/Zum Bahnhof Pirschheide 1
89/ポツダム/カフェ・ゼーローゼ/Breite Str. 24
90/ポツダム/データ処理センター/Dortustraße 46
91/ポツダム/スタウデンホフの住宅アパート/Am Kanal 49
93/エアフルト/円形パビリオン/Gothaer Str. 38
94/エアフルト/フリッツ・グレマーの彫刻「建設助手」/
95/エアフルト/グロッセ・ヴィーゼのパビリオン/Gothaer Strasse 38
96/エアフルト/SED地区党校/Werner-Seelenbinder-Strasse 14
98/エアフルト/ビリニュス・パサージュ/Mainzer Str. 36-37
99/エアフルト/管理棟/Jürgen-Fuchs-Straße 1
100/マグデブルク/中央デパート/Breiter Weg 128
102/マグデブルク/ローテホルン市立公園多目的ホール/Heinrich-Heine-Weg
105/ホイエルスヴェルダ/中央デパート/Lausitzer Pl. 1-3
106/ビンツ/沿岸監視塔/Strandpromenade
107/ビンツ/バス停の屋根/
108/ベルリン/カール・マルクス・アレー、ブロックC北/Karl-Marx-Allee 71〜91
110/ベルリン/高層建築、シュトラウスベルガー・プラッツ/Strausberger Pl.
111/ベルリン/Café Sibylle/Karl-Marx-Allee 72
112/ベルリン/フランクフルト門/Frankfurter Tor 1、Frankfurter Tor 9
113/ベルリン/バルコニーアクセス住宅/Karl-Marx-Allee 130, あたり
114/ベルリン/ブロックC南のポータル/Karl-Marx-Allee 72〜90
115/ベルリン/子供の家/Strausberger Pl. 19
116/ベルリン/テレビ塔/Panoramastraße 1A
118/ベルリン/統計の家/Karl-Marx-Allee 1
119/ベルリン/旅行の家/Alexanderstraße 7
120/ベルリン/会議ホール/Alexanderstraße 11
121/ベルリン/教師の家/Alexanderstraße 9
122/ベルリン/家の中の芸術ギャラリー・パビリオン/Karl-Marx-Allee 45
123/ベルリン/インターフロア花店/Karl-Marx-Allee 35
125/ベルリン/国際映画館/Karl-Marx-Allee 33
126/ベルリン/ベルト・ヘラーの壁画「ソビエト連邦の人々の生活から」、レストラン・モスクワ/Karl-Marx-Allee 34
127/ベルリン/レストラン・モスクワ/Karl-Marx-Allee 34
128/ベルリン/映画館コスモス/Karl-Marx-Allee 131A
129/ベルリン/バベッテ美容院/Karl-Marx-Allee 36
130/ベルリン/放送局/Nalepastraße 18
131/ベルリン/チェコ大使館/Wilhelmstraße 44
133/ベルリン/ディナモ・スポーツセンター/Weißenseer Weg 53
134/ベルリン/トレーニング・ホール、スポーツフォーラム/Weißenseer Weg 53
135/ベルリン/スポーツとレクリエーションセンター/Landsberger Allee 77
136/ベルリン/ミュッゲルタワー/Str. zum Müggelturm 1
137/ベルリン/プレンツラウアーベルクのツァイスの大きなプラネタリウム/Prenzlauer Allee 80
138/ベルリン/国連広場/Platz der Vereinten Nationen 1
139/ベルリン/フリードリヒ通り駅の出入国管理会館/涙の宮殿/Reichstagufer 17
140/ベルリン/ノイエス・ドイッチェラント出版社/Franz-Mehring-Platz 1
141/ベルリン/フリードリヒシュタットパラスト/Friedrichstraße 107
142/ベルリン/ハインリッヒ-ハイネ地区/Heinrich-Heine-Straße 2
144/ベルリン/移動可能拡張ホール/Kopenhagener Str. 17
145/ベルリン/フォルクスビューネ/Linienstraße 227
146/ベルリン/ライップツィヒ通り住宅街/Leipziger Str. 43
147/ベルリン/シュピッテレック/Seydelstraße 37
149/オーシャッツ/ロネヴィッツ・サービスセンター/Lonnewitz
150/ハレ/ドーム広場の住宅/
151/ハレ/壁画「原子エネルギーの平和利用」/Magdeburger Str. 36
152/シュヴェリーン/パノラマレストラン/Johannes-Brahms-Straße 65
153/シュヴェリーン/スポーツと会議ホール/Wittenburger Str. 118
155/ヘリングスドルフ/アートパビリオン/Auf der am Rosengarten, Promenade
156/ワイマール/キオスク/Coudraystraße 3
157/ワイマール/公園のカフェテリア/Marienstraße 15b
158/ノイブランデンブルク/文化教育の家/Marktpl. 1
159/ノイブランデンブルク/文化教育の家/Marktpl. 1
160/ゲーラ/文化と会議センター/Schloßstraße 1
163/バーベ/島の楽園/Am Inselparadies 1
164/ドレスデン/人民企業ターボエンジン/Königsbrücker Str. 96
166/ドレスデン/人民企業ターボエンジン/Königsbrücker Str. 96
167/ドレスデン/人民企業ターボエンジン/Königsbrücker Str. 96
168/ドレスデン/ロボトロン研究センター/Grunaer Str. 2
169/ドレスデン/ロボトロン研究センター/Grunaer Str. 2
170/ドレスデン/ロボトロン研究センター/Lingnerallee 3
172/ドレスデン/ロボトロン研究センター/Zinzendorfstraße 5
173/ドレスデン/ロボトロン研究センター/Lingnerallee 3
175/ドレスデン/ノイシュタットの郵便局/Königsbrücker Str. 21
176/ドレスデン/ノイシュタットの郵便局/Königsbrücker Str. 21
178/ドレスデン/住宅用高層ビル/Grunaer Str. 5
179/ドレスデン/事務所および商業ビル/Wilsdruffer Str. 3
181/ドレスデン/円形映画館/Prager Str. 6
182/ドレスデン/交通工学大学/Strehlener Pl. 2
183/ドレスデン/技術大学学生寮/
184/ドレスデン/文化宮殿/Schloßstraße 2
185/ドレスデン/ブラセウィッツ漕艇センター/Ferdinand-Avenarius-Straße 4
186/ドレスデン/労働安全中央研究所/Gerhart-Hauptmann-Straße 1

Hans Engels/著
Prestel
https://prestelpublishing.randomhouse.de/book/East-German-Modern/Hans-Engels/Prestel-com/e552265.rhd

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2020年11月 7日 (土)

物語 東ドイツの歴史 分断国家の挑戦と挫折

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2018年のドイツ行きでは、東であったエリアに行ってきた。
東ドイツ時代はどんな街だったのだろうか、村だったのだろうかと思いながら景色を眺めていたものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/deutsch-2018.html
そして、先日、「ドイツ統一」を読んだばかりである。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-44f087.html
「ドイツ統一」の著者の見方は、「西」のCDUの立ち位置からの東西両ドイツと「統一」後のドイツの通史ということができるだろう。
けれど、本書の東ドイツへの見方のほうが「ドイツ統一」よりもかなり辛辣であるとの印象が残った。
これは、ドイツ人が見た東ドイツと、ドイツとは一定の関係を持ってはいるが、日本人が見た東ドイツの違いなのだろうか。
とはいえ、著者の立ち位置は、いまひとつはっきりとしない。

P.72に「質の管理がなされていない商品が大量に出回るという計画経済の欠点」、P.73に「社会主義体制下では、消費財が必要なところに供給されずに不足しつつも、物資は退蔵されるという「不足の経済」が生じる」という記述がある。
「質の管理がなされていない商品が大量に出回る」ことや「不足しつつも、物資は退蔵される」ことが「計画経済」や「社会主義体制」の必然的結果のような記述だが、結果としてそうした現象はあったとしても、必然的結果と断定するのはどうなのだろうかと思う。
また、P.102にベルリンの壁が建設された頃の写真が二葉掲げられていて、上の写真は「自由への跳躍」(Sprung in die Freiheit)として有名な写真なのだが、これは「壁」建設が始まった2日後、まだ「壁」になる前の鉄条網で遮断されたときのできごとで、本文との関係からいえば、唐突すぎやしないかと思う。
こうしたことも、本書の著者の立ち位置が判然としないことを示しているのかもしれないし、「物語」であるのかもしれない。

私じしんは、いまだに東ドイツ、DDRを追っているのだが、東ドイツといえば、大学の授業で、「東ドイツの労働者は分業の一部を担っているが、分業での単なる歯車的な存在ではなく、自分が担当する作業について、作業の全体を把握していてその中の任務を理解していて、資本主義体制下の労働者のような歯車としての存在でしかないような労働者ではない」、ということを聞いていたことが始まりと言える。
当時は、日本でも東ドイツは東の優等生として語られていており、そうした見方は自分でも見聞きしていた。
これは、本書P.180の「一九七〇年代、東ドイツは外から見れば安定しており、世界で一〇指に入る先進工業国であるという評価」と重なる。
しかし、著者は、存在していた東ドイツを同時代的に実体験することは、年齢的に不可能だ。
また、1989年は、それまで自分のなかに積み重なっていたドイツだとか、社会主義、資本主義、民主主義だとかといったもろもろとの関係で見なおさなければならなかったし、そのプロセスである種の喪失感がともなったのだが、「一九八九年の変動を思春期に経験した」(P.271)著者は、どのような思いで1989年を見ていたのだろうか。
それはある意味、何にもとらわれないで東ドイツを記述できるということでもある。
であるとしても、実際に行ったわけではなく伝聞でしかないが、現在進行形で東ドイツを見聞きしていた体験がある者からすれば、残念ながら、本書の内容は自分の中に落ちてこないで読み終えてしまったのである。
同じ著者の「歴史としての社会主義 東ドイツの経験」も読んでいるが、本書ほどには落ちてこないということではなかったのは、「歴史としての社会主義 東ドイツの経験」が単著ではないからかしら。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-c5545b.html

「コラム(3) 映画のなかの東ドイツ」に出てくる映画は、「グッバイ・レーニン」「善き人のためのソナタ」「東ベルリンから来た女」「僕たちは希望という名の列車に乗った」「Sonnnenalle」の5本。
最後の「Sonnnenalle」以外は、映画も見たし、DVDも持っている。
「僕たちは希望という名の列車に乗った」は、原著がある。
「グッバイ・レーニン」「僕たちは希望という名の列車に乗った」は、いずれも独語のシナリオ本がある。
「グッバイ・レーニン」「善き人のためのソナタ」はノベライズ本があり、「グッバイ・レーニン」は和訳本、「善き人のためのソナタ」は独語。
「グッバイ・レーニン」
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/good-bye-lenin.html
「僕たちは希望という名の列車に乗った」
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-b5ab06.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-ac0753.html
「バルーン 奇蹟の脱出飛行」は、間に合わなかったか。

巻末の年表と文献は、整理しておこう。

はじめに
序章 東ドイツを知る意味
第1章 新しいドイツの模索―胎動 1945‐1949
第2章 冷戦と過去の重荷を背負って―建国 1949‐1961
コラム(1) オリンピックと東ドイツ
コラム(2) シュタージ
第3章 ウルブリヒトと「奇跡の経済」―安定 1961‐1972
コラム(3) 映画のなかの東ドイツ
コラム(4) 東ドイツ時代のメルケル
第4章 ホーネッカーの「後見社会国家」―繁栄から危機へ 1971‐1980
コラム(5) トラバントと「オスト・プロダクト」の今
コラム(6) 請願と日常生活の政治
第5章 労働者と農民の国の終焉―崩壊 1981‐1990
終章 統一後の矛盾と対峙
あとがき
参考文献
略語一覧
関連年表

河合信晴/著
中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/10/102615.html

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2020年10月13日 (火)

ドイツ統一

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1990年10月3日をはさんで、それまでの東西両ドイツ、「統一」後のドイツの、通史である。
あらたな事実はないが、30年経って当時を振り返るためにはとっつきやすい。
ただし、いくつか課題がある。
1989年10月9日のライプツィヒの月曜デモでの、クルト・マズアの役割は書かれていない。
SED機関紙「Neues Deutschland」を「新しいドイツ」と訳して表記しているが、訳語としてはそのとおりなのだが、「ノイエス・ドイチュラント」で通用するのではないか。
P.87に「一九八九年の秋にソヴィエト帝国が崩壊したとき」という記述があって、あれ、ソ連の崩壊は1991年12月だろうと思ったのだが、この「ソヴィエト帝国」は、ソ連を頂点として東欧諸国を含めた「東」を、著者のスタンスを表しているのだろう。
それはP.137でも同じ考え方で「ソヴィエト帝国」が使われている。

2018年にドイツに行ったとき、ドレスデンの「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)という、DDR時代のさまざまなものが展示されている博物館に行ったのだが、教室が再現されているエリアで1989年5月14日のパレードの映像が流れていた。
そのとき、自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend、FDJ)の映像で行進曲と歌が流れると、映像を見ていた年配男女が合わせて歌っていた。
同時代の人たちなのだろうが、四半世紀が過ぎ、どのような思いを持っているのだろうか。
その人たちに尋ねることができれば訪ねたかったけれど、アジア人がそばにいるのに当時の歌を歌ってしまうのは、やはりオスタルギーの一面だったのだろうか。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html

P.115以降に旧ドイツ領のことがとりあげられている。
本書では、ポーランドとの国境確定での旧ドイツ領だけであるが、旧ドイツ領については、『旧ドイツ領全史 「国民史」において分断されてきた「境界地域」を読み解く』が詳しく取り扱っている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-9ed135.html

原著は「Geschichte der deutschen Wiedervereinigung」(ドイツ再統一の歴史)であるが、あえて「統一」としたことについては、訳者がCDUに所属する保守派の著者の評価とともに、解説で詳しく書いている。

「読書案内」があるので、リストアップしておこう。
★は、既読。
また、本源的蓄積がすすむのだろうか。
図説 ドイツの歴史(河出書房新社)★
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-964d.html
ドイツの歴史を知るための50章(明石書店)
自由と統一への長い道(昭和堂)
二つのドイツ 1945-1990(岩波書店)★
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/1945-1990-9035.html
ベルリンの壁 ドイツ分断の歴史(洛北出版)★
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-6108.html
ヨーロッパに架ける橋 東西冷戦とドイツ外交(みすず書房)
東ドイツ史 1945-1990(白水社)
物語 東ドイツの歴史(中公新書・予定)
ゴルバチョフ その人生と時代(白水社)
冷戦終焉二十年 何がどのようにして終わったのか(勁草書房)
東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊(白水社)
1989 東ドイツ史(作品社)
われらが革命 1989年から90年 ライプチッヒ、ベルリン、そしてドイツの統一(彩流社)★
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/198990-cf8e.html
歴史としてのドイツ統一 指導者たちはどう動いたか(岩波書店)

第1章 革命前夜
第2章 平和革命
第3章 国民をめぐる転換
第4章 再統一と世界政治
第5章 編入による統一
結語
訳者解説
略語表
解題付き文献表
関連年譜
人名索引

アンドレアス・レダー/著
板橋拓己/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b527921.html

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2020年9月12日 (土)

豪華映画二本立て「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」「バルーン 奇蹟の脱出飛行」

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相模大野の車庫に入っていたSEが、なぜか外に出ていた。

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さて、まずは「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」である。

湖のあるHeimatから汽車に乗る駅は、SHÖRFLING、そこは、Attersee、Salzkammergut。
しかし、ロケはアッター湖ではなく、南チロルだったようだ。

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着いた駅は、ウィーン西駅(Wien Westbahnhof)だろうが、えらく小さい。
ロタンダが火事?

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フランツは、フロイト教授を訪ねる。
フロイトがウィーンで住んだところは、いま、フロイト博物館となっているが、映画での映画でのフロイト教授が住む建物は、別の建物のようだ。

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それで、フランツとフロイトが語り合うこのシーン。
アルベルティーナのテラスではないか。

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フランツがフロイト教授といっしょにいくカフェは、Café Landtmannっぽい。

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そして、ウィーンのゲシュタポの建物であるが、いまは存在しない。
その跡地には、「Denkmal der Opfer der Gestapo」(ゲシュタポ犠牲者のための記念碑)があるのみ。

映画は、う・・・・む、フロイトと17歳とくれば、「リビドー」に満ちた映画であった。

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プログラムは、買った。

「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」公式
https://17wien.jp/

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続いて「バルーン 奇蹟の脱出飛行」。
DDRとくれば、このトートバッグでしょう。

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しかし、である。
冒頭で背景が語られるが、なんと、英語。
なぜ独語じゃないんだ?
そうか、この映画はUSAも関与していたのか。

学校の成年式での歌「Unsere Heimat)は、2018年のドイツ行きで、ドレスデンのDDR博物館で聞いた(もしかしたらライプツィヒのシュタージ博物館での「WIR SIND DAS VOLK!」展でだったかもしれない)。
https://www.youtube.com/watch?v=f5wQ1AQdjlQ

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電気技師ペーターは、Wartburg(ヴァルトブルク)を運転しているのだが、舞台がテューリンゲンだからアイゼナハで生産されていたWartburgで、Trabantではないのか。
型式は1956年に生産が始まった、Wartburg 311のようだ。
1965年にはWartburg 353にモデルチェンジしているので、入手はそれ以前なのだろう。
それにしても、1979年の脱出までよく走り続けたものだ。
もっともDDRでは車を自分で整備するのは当たり前だったので、電気技師であれば当然だったのかもしれない。
しかし、シュタージは、車を買った人物のチェックはしていないのだろうか。
ヴァルトブルクの持ち主を当たれ、というシーンは、なかった。

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「壁」のあるBrandenburger Torと、Unter den Lindenは、CGだろうな。

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ヘリコプターは、Mi-2だろう。

ペーターの家にあるラジオには、「REMA MON」とあったが、これだったか。
https://www.flickr.com/photos/gynti/4122835332

ペスネック(Pößneck)が舞台となるが、場所はライプツィヒの南西約80kmに位置している。
https://www.poessneck.de/de/landingpage.html
そして、脱出に成功する直前、ザイデル中佐のセリフに「ブランケンシュタイン(Blankenstein)」の地名が出てくる。
当時のDDRとBRDの国境沿いの、DDR側のエリアだ。
ただし、ロケ地はペスネック(Pößneck)ではなく、バイエルンのノルトハルベン((Nordhalben)。

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気球が飛んだのは、ツィーゲンリュック(Ziegenrück)、降りたのは、オーバーフランケン地方の街ナイラ(Naila)

映画としては、USAがからんだせいなのか、画面上はこれでもかこれでもかとスリルの連続である。
当時のDDRの閉塞感、重圧感を表現したかったのかもしれないが、たとえば、ペーター家の長男フランクがお向かいのバウマン家(親父のエリックはシュタージだと)の娘クララに宛てた手紙をポストから取り戻すときにいきなりワンコが吠えるのは、あまりにも唐突すぎる演出だと思った。
ほかでも、シュタージが呼び鈴を鳴らしたのがいかにもペーターの家だと思わせ、じつはフランクが帰ってきたのであったというシーンも、やり過ぎじゃないかと思った。
その意味では「僕たちは希望という名の列車に乗った」のほうが、控えた演出で臨場感をたっぷり味わうことができたと思う。

「善き人のためのソナタ」のヴィースラー大尉は左遷後は封書を開ける業務についていたが、シュトレルツィク家の家族とギュンター池の家族の逃亡を許してしまったザイデル中佐、お向かいのエリック・バウマンは、責任を問われたのか。

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プログラムは、買った。

「バルーン 奇蹟の脱出飛行」公式
https://balloon-movie.jp/

いずれも、アルテリオ映像館にて。
https://kac-cinema.jp/

映画の場面の画像は、トレーラーより。

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2020年7月23日 (木)

ノスタルジア食堂 労働者の在りし日の食卓

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イスクラさんから出た「社会主義食堂レシピ」シリーズから。
社会主義食堂レシピ20選 vol.1
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/20vol1-9afd.html
社会主義食堂レシピ22選 vol.2
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/22vol2-e41b.html
社会主義食堂レシピ20選 vol.3
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/620vol3-3dca.html
社会主義食堂レシピ vol.4
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-0264ad.html
社会主義食堂レシピ vol.5
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-c2a278.html

いずれも、特別な材料を必要とした料理ではないので、自作可能。

ズルチェ、カーラおばちゃんちに行ったとき、あれば食べる。
https://www.facebook.com/seacastlekamakura/
ウィーンはヘルメス・ヴィラに行ったときに冷たいターフェルシュピッツを食べたのだが、ほぼズルチェだったような記憶。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/im-wunderschn-6.html

巻末に、食堂の風景写真があるので、次回は探してみようという気分になる。
ドレスデンのKäseglockeは、Postplatzにあるので、立ち寄ってはいないけれど、前は何度か歩いた。
けれど、写真を撮ってないである。
近くの、1969年築のバリバリのDDR時代の多目的ホール「文化宮殿(Kulturpalast)」ばかりが目についた。
小さいけれど、社会主義建築でもあるので、撮っておけばよかった。
ドレスデンでは、ほかの社会主義建築も、見てはいるが撮っていなかったのが、つくづく残念。
バウムクーヘン、Konditorei & Café Müllerには行っていないが、Kreutzkammに行った。
DDR時代、Kreutzkammはどうしてたのだろう。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_6-kreutzkamm-.html
そして、ライプツィヒのIl62、ここにはイスクラさんに教わって行ってきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/7_6-il-62-gewan.html

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この次に渡欧するときには、食堂に行って「これを食べたい」と指すために、持っていかなきゃ。

1 前菜 サラダとスープ
2 メインディッシュ 肉と卵の料理
2 米料理 ベーカリーフードとデザート
所変われば、呼び名も変わる
禁断の脂身「サーロ」
ソヴィエトの普段使いの食器
憧れの食堂を探しに
魅惑のストリートフード

イスクラ/著
グラフィック社
http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=41319

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2020年7月22日 (水)

ドイツ史3 1890年~現在

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山川の「世界歴史大系」の「ドイツ史」全3巻のうちの第3巻で、ドイツの近現代史である。
ちなみに、第1巻は先史~1648年、第2巻は1648年~1890年までである。
1997年の刊行なので、記述もその頃までであるが、あらためてじっくり読んだ。
ドイツ近現代史の基礎的な事項は網羅されているので、ドイツ関連の書籍文献を読んでいて時代背景などを知りたいときに参考書として使える。

P.277に、ゲオルク・エルザーが、1939年11月8日に、ミュンヘンの「ビュルガーブロイケラー」でヒトラーを暗殺しようとしたが失敗した記述がある。
ミュンヘンには、彼を記念した広場があり、そこに行ってきたことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-16dc.html
ビュルガーブロイケラーは、現在はガスタイク文化センターになっている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

第一章 ヴィルヘルム時代
第二章 第一次世界大戦下のドイツ
第三章 ヴァイマル共和国
第四章 第三帝国の編成
第五章 第三帝国と第二次世界大戦
第六章 ドイツ連邦共和国
第七章 ドイツ民主共和国
第八章 統一ドイツ
補説

木村靖二/著
望田幸男/著
芝健介/著
高橋進/著
平島健司/著
斉藤晢/著
山川出版社
https://www.yamakawa.co.jp/product/46140

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2020年7月19日 (日)

僕たちは希望という名の列車に乗った

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1年以上生ドイツ語を耳にしていないので、ドイツ語映画を見る。
聞き慣れたHochdeutschではないけれど。

映画は見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-371ced.html

独語版と翻訳版の原作も読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-b5ab06.html

舞台は、ドイツとポーランドとの国境であるオーデル川沿いのアイゼンヒュッテルシュタット(Eisenhüttenstadt)、1953年のスターリン死去を受けて「スターリンシュタット (Stalinstadt)」と名付けられたが、スターリン批判後の1961年に「アイゼンヒュッテンシュタット」に改称された。

トム・ハンクスも訪れたようだ。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=10&v=RDR_30M9d_E

そして、街を紹介しているサイト。
https://chikatravel.com/2017/03/17/eisenhuttenstadt/

実際の舞台は、ベルリン近郊のシュトルコー(Storkow)。
https://www.sueddeutsche.de/politik/kalter-krieg-so-floh-eine-schulklasse-aus-der-ddr-1.3295139

レオナルド・シャイヒャー:テオ・レムケ
トム・グラメンツ:クルト・ヴェヒター
レナ・クレンク:レナ
ヨナス・ダスラー:エリック・バビンスキー
イシャイア・ミカルスキ:パウル
ロナルト・ツェアフェルト:ヘルマン・レムケ、テオの父(東ベルリンから来た女、アイヒマンを追え)
フロリアン・ルーカス:シュヴァルツ校長(グッバイ、レーニン!)
ヨルディス・トリーベル:ケスラー郡視学官
ブルクハルト・クラウスナー:ランゲ国民教育大臣(グッバイ、レーニン!、リスボンに誘われて、アイヒマンを追え)
ミヒャエル・グヴィスデク:エドガー、パウルの大叔父(グッバイ、レーニン!)
マックス・ホップ:ハンス・ヴェヒター、クルトの父
ユーディット・エンゲル:アンナ・ヴェヒター、クルトの母
ゲッツ・シューベルト:メルツァー牧師、エリックの義父
ロルフ・カニース:ヴァルデツキ、射撃の教官

監督・脚本:ラース・クラウメ
原作:ディートリッヒ・ガルスカ

https://www.albatros-film.com/archives/11774

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2020年7月 5日 (日)

コメコンデザインシリーズ(13) カールマルクスシュタットとライプツィヒ・ハレ 社会主義建造物を追って vol.2

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社会主義建造物の第2回。
2年前のドイツ行きでは、プラン段階ではカールマルクスシュタット(現ケムニッツ)も候補にしていたが、日数的に断念した。

ライプツィヒも1泊だけだったので、社会主義建造物の探索はできていない。
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社会主義関連・東独関連では、ゲヴァントハウス(上左、Gewandhaus)、メードラー・パッサージュの並びの現代史博物館(上右、Zeitgeschichtliches Forum Leipzig)で「ALLES NACH PLAN? Formgestaltung in der DDR」(計画によるのがすべて? 東独のデザイン)展を見たのと、旧国家保安省記念館(下、Gedenkstätte Museum in der „Runden Ecke“)を見ただけ。
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ゲヴァントハウス
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/7_6-il-62-gewan.html
現代史博物館
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_1-altes-ratha.html
旧国家保安省記念館
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_3-gedenksttte.html

ハレは、ヴェルニゲローデからライプツィヒに向かう途中で、乗り換えをしただけだが、しばらくすると空港駅もあった。
サイトを見てみると、ドレスデン空港と使い分けをしているようだ。
ウィーンからだとドレスデンは飛んでおらず、ライプツィヒに飛んでいる。
https://www.mdf-ag.com/

付録の、著者の3月の渡欧がちょうど国境閉鎖の時期と重なり、ハラハラドキドキ。
出国→フランクフルト(独)泊→クラクフ(波)泊→ドレスデン(独)3泊→ベルリン(独)泊→帰国、現地6泊機中2泊計8泊のあいだに4回の国境越え。

イスクラ
https://iskra.ocnk.net/product/19527

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2020年6月13日 (土)

DDR Volksmarine Kampfschiffe 1949-1990

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2010年刊行の、東独海軍の装備カタログである。
東ドイツにとっての海はバルト海だけだから、基本的には沿岸警備ということになるのだろう。
そして、逃亡者監視が人民海軍の任務でもあった。

それにしても、揚陸船があったことにびっくり。
旧東ドイツが面していた海はバルト海だけで、どこの海岸に上陸作戦を行おうと考えていたのかしら。
ワルシャワ条約機構軍の一員としてバルト海より西側の海に出ようにも、デンマークとスウェーデンの間を抜けていくことは、相当困難だろうに。
巻末に年表があるのが興味深い。

目次を日本語にしてみたが、不正確かもしれない。

はじめに
用語集/略語
フリーゲート
沿岸警備 50型(リガ級)
沿岸警備艇 1159型(コニ級)
コルベット駆潜艇
 潜水艦防衛船 133.1型(パルチン級)
駆潜艇
 駆潜艇 201M型(SO-1級)
 駆潜艇 12.4M型(ハイ級)
ミサイル高速艇
 ミサイル高速艇 205型(オサ-I級)
 小型ミサイル船 1241RÄ型(タランタル-I級)
 ミサイル高速艇 151型(バルコム-10級)
高速魚雷艇
 高速魚雷艇 183型(P-6級)
 高速魚雷艇 206型(シェルシェン級)
 軽高速魚雷艇 63/イルティス型(イルティス-A級)
 軽高速魚雷艇 68/ヒドラ型(イルティス-B級)
 小型高速魚雷艇 131型(リベレ級)
揚陸船
 上陸用舟艇 46型(ラボ−100級)
 中型揚陸船 47型(ロッベ級)
 中型揚陸船 108型(フロッシュ-I級)
 戦闘供給船 109型(フロッシュ-II級)
機雷敷設船/掃海艇
 掃海艇 R218型(511級)
 掃海艇 8型(シュヴァルベ級)
 機雷敷設船と掃海船 1型(ハビフト級)
 機雷敷設船と掃海船 15型(クラーケ級)
 掃海艦 89.1型(コンドル-I級)
 掃海艦 89.2型(コンドル-II級)
監視船
 沿岸警備艇 沿岸警備艇I/II(シュペルバー級)
 港湾警備船 デルフィン型(デルフィン級)
 沿岸警備艇 ティムラー型I/II(ティムラー級)
訓練船
 訓練艇 フュルステンベルクとプレンツラウ 2型
 訓練艇 WB26 5型(FLB-V級)
 訓練艇 エルンスト・テールマン 3型
 訓練船 ヴィルヘルム・ピーク 888型(ウォドニック級)
偵察船
 観測船 水理学(オケアン級)
 小型偵察船 115型(コンドル級)
 偵察船 ヤスムント 602.137型(ダース級)
海上航空隊
 多目的ヘリコプター Mi-4A(ホウンド)
 UAW-ヘリコプター Mi-4M(ホウンドB)
 輸送ヘリコプター Mi-8T(ヒップ)
 戦闘ヘリコプター Mi-8TB(ヒップE)
 UAW-ヘリコプター Mi-14PL(ハゼA)
 MAW-ヘリコプター Mi-14BT(ハゼB)
 戦闘爆弾機 Su-22M4(フィッターK)
 訓練戦闘機 Su-22UM3K(フィッターG)
年表
海軍組織

Knut Schäfer/著
Motorbuch Verlag
https://www.motorbuch-versand.de/product_info.php/info/p4435_DDR-Volksmarine.html

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2020年5月23日 (土)

コメコンデザインシリーズ10 マインプラネット 東ドイツのパッケージデザイン イスクラコレクションVol.1

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60年第70年代感満載で、ペラペラな感じとそれでも先端を行きたい思いとが交錯した、東独デザインの数々である。
2年前にドイツに行ったときに、ドレスデンで「Die Welt der DDR」に行ってきたのだが、「雑然」という語がぴったりな展示だったことを思い出す。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_1-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_3-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_4-die-welt-d.html
https://www.weltderddr.de/

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そして、その名も「DDR Design」という本があるので、これもページをめくってみよう。

イスクラ
http://iskra.ocnk.net/product/19127


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