東独関連

2019年10月12日 (土)

Das schweigende Klassenzimmer/沈黙する教室

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先日見た映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」の原作を、独語原著と翻訳とを同時進行で読む。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-371ced.html
原著のサブタイトルは「Eine wahre Geschichte über Mut, Zusammenhalt und den Kalten Krieg」、「勇気、結束、冷戦についての真実の物語」ってところか。
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邦訳本(本書)のサブタイトルは「1956年東ドイツ—自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語」。

映画と本書とでは、黙祷事件→調査→退学処分→西への逃亡という大筋のストーリーは同じだが、ひとつひとつのエピソードは異なっている。
映画でのような盛り上がりシーンは、ない。
また、映画の登場人物に相当するような人物は、本書には明確には登場しない。
そして、原著は発言をクォーテーションマークで囲んでいないので、発言なのか文章なのかが判然としないところが多々ある。
改行位置も、原著と訳書とでは異なっているところが多い。

そして、「全訳」(訳者あとがき、P.416)となっているが、ところどころ訳されていない文章がある。
●原文「...und im Rückspiel in Budapest mit 7 : 1 nach Hause schickte. Wir konnte die Spiele im DDR Rundfunk verfolgen. Dass diese ungarische Mannschaft im WM-Endspiel 1954 gegen Deutschland verloren hatten...」(P.34)は、「...さらにブダペストで行われた第二試合では、七対一の大差で勝利し、ホームへ送り返したのである。このハンガリーチームは一九五四年のW杯決勝でドイツに敗退したが...」(P.51)と、「Wir konnte die Spiele im DDR Rundfunk verfolgen.」(私たちは東独の放送で試合を追うことができた。)の訳文がない。
●本書P.102の「RIASがハンガリーの自由放送局による支援の呼びかけを流した。」の次の「Einigen von uns ruft er immer noch ins Ohr.」(P.64)が訳されていない。
訳されていない文章は、他にもあり。

また、この訳でいいのかしらと思うところもある。
本書P.18最終行「その三年前にあたる一九五三年六月十一日」、原文は「Drei Jahre zuvor, am 17. Juni 1953」(P.16)、「17」がなぜ「十一日」になった?。
当然「6月17日蜂起」(Aufstand des 17. Juni)であるなら「一九五三年六月十七日」でなきゃ。
本書P.266では「一九五三年六月十七日の暴動」となっている。

これは原著への疑問だが、本書P.27の2行目「それからカラシニコフを構えたロシア兵が穴に入ってきて」、原文は「Denn kam ein Soldat mit einer vorgehaltenen Kalaschnikow.」(P.21)とあるが、「カラシニコフ」が設計したAK-47がソ連で採用されたのは1949年で、ドイツに侵攻したソ連軍は、当時はまだ所持していなかったのではないか。
当時だと、ドラム型弾倉のPPSh-41、バラライカまたはマンドリンではなかったか。
本書P.35の歴史教科書について「(フォルク・ウントヴィセン社)、一九五三年。」とあるが、原文の「Volk und Wissen Volkseigener Verlag Berlin, 1953, das..」(P.25)は「(フォルク・ウントヴィセン社、一九五三年)」とする方がいいと思う。
「人と知識人民出版社」としてしまうかは別として。
なお、「Volk und Wissen Volkseigener Verlag」は再統一後民営化され、存続しているようだ。
https://www.cornelsen.de/empfehlungen/volk-und-wissen
本書p.37「領土の二万八千五百三ヘクタール」の原文は「Gebiet von 28.5 Millionen Hektar」(P.27)だから、「二千八百五十万ヘクタール」だろう。
本書P.65の市長フランツ・ベッカーのが書いた言葉の中に、学校が「民主主義と人文主義の、シンボル」とされている記述があるが、「ein Symbol der Demokratie und des Humanismus」(P.43)は、「人文主義」ではなく「ヒューマニズム」でいいのではないか。
本書P137「大臣にはすでに首謀者の検討がついていた。」は、「大臣にはすでに首謀者の見当がついていた。」
本書P.174「Sバーン」が2か所に出てくるが「(国営の都市近郊鉄道)」と注釈がついているのは、2度目の「Sバーン」、ホントは最初の「Sバーン」につけなきゃ。

以外にも、日本語としてこなれていない、意味不明な文章も多いと感じたのだが、原著著者じしんが文章を生業とする人ではないのだろうし、映画に合わせた突貫工事での翻訳だったであろうことは、想像できる。

シナリオ本もあるので、おいおい読んでみよう。

Dietrich Garstka/著
Ullstein Buchverlage GmbH, Berlin
https://www.ullstein-buchverlage.de/nc/buch/details/das-schweigende-klassenzimmer-9783548607696.html

ディートリッヒ・ガルスカ/著
大川珠季/訳
アルファベータブックス
https://ab-books.hondana.jp/book/b439134.html

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2019年7月20日 (土)

コメコンデザインシリーズ(9) 「在りし日の食堂で」社会主義食堂レシピ vol.4

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今回は、東ドイツ(2)、ハンガリー(1)、チェコ(1)、グルジア(1)、ウズベキスタン(1)、ウクライナ(1)、ソヴィエト(3)、ルーマニア(2)、バルカン諸国(1)、クロアチア(1)、アルメニア(1)。
巻末読み物は、極東ロシア。
そろそろ甘いものはどうかと、提案しておいた。

第1集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/20vol1-9afd.html
第2集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/22vol2-e41b.html
第3集
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/620vol3-3dca.html

イスクラ
http://iskra.ocnk.net/product/18797

 

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2019年4月19日 (金)

歴史としての社会主義 東ドイツの経験

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2018年夏、ドイツを歩いてきて印象的だったことのひとつは、ドレスデンでのできごとである。
ドレスデンでは「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)、つまりDDR博物館に行ってきたのだが、そこにはDDR時代の暮らしや仕事などの場が再現され、日常生活で使われた多くの道具類などの様々なモノたちが集められ展示されている。
学校の教室も再現されていて、そこでは若いホーネッカーの写真が掲げられ、テレビの画面からは1989年5月14日のパレードの映像が流れていた。
パレードでの自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend、FDJ)の映像で行進曲と歌が流れると、映像を見ていた年配男女が合わせて歌っている。
同時代の人たちなのだろうが、四半世紀が過ぎ、この映像を見てどのような思いを持っているのだろうかと思ったものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html
Die Welt der DDR
https://www.weltderddr.de/

また、本書「第三章 農村の社会主義体験 土地改革から農業集団化へ(一九四五―一九六〇)」でバート・ドベラン郡の農村が取り上げられているが、ここにも2018年に行ってきた。
もっとも目的はモリー鉄道であるが、ロストックからバート・ドベランに向かうローカル線の車窓から、あるいはモリー鉄道の車窓から畑は見ているのだが、そのときはこの国の農村の歴史については頭をかすめなかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/4_3-von-bad-dob.html
そして、この日の朝散歩したときに廃墟があって、何だろうと思ったことはある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/4_1-morgen-von.html
廃墟は、モリー鉄道の終点キュールングスボルンにもあった。
執筆者が行ったケーグスドルフ村は、キュールングスボルンよりさらに南西数キロのところに位置している。
ホーエンフェルデ村はバート・ドベランの南2キロのところにある村で、バート・ドベランに到着するときに車窓から見た景色がその一部だったのだろう。

学生の頃、何の授業でだったかは忘れたが、「東ドイツの労働者は、分業での単なる歯車的な存在ではなく、自分が担当する作業について、作業の全体を把握していてその中の任務を理解している」というようなことを教えられたことがある。
そのときは、ふうん、社会主義的人間とはそういうものかとして聞いたのだが、本書での「作業班」での作業が、もしかしたらその意味なのかもしれない。
それは本書に引用されている文献での「私たちの企業」、「自分が影響力をもっていると感じた」、「働きに行くのが好きだった」(P.88)といった労働者の思いとなっているのだろう。

「第五章 東ドイツでの余暇活動」の「3 「不測の社会」下における余暇」の「(2)消費財の「不足」と余暇」で語られる消費財の不足の状況は、「グッバイ・レーニン」でも描かれていた。

「第八章 東ドイツ「平和革命」と教会 建設兵士の活動を中心に」では、ライプツィヒのニコライ教会の活動が取り上げられているが、その「月曜デモ」などの活動は1989年に突然起こったのではなく、1981年9月13日の「平和の祈り」から始まったこと、以後の活動で「棲み分け」を求める教会指導部とも対立していったこと、1989年においても教会指導部と活動ウループトの間に揺れがあったことなど、その頃の様子をあらためて見ることができた。
この章のの「3 建設兵士らによる平和を求める活動」の「(3)徴兵制の変革を求める活動」での「剣を鍬に」運動で使用された図柄の原典となった「旧約聖書」の「ミカ書」4章3節は、注に一部が載っているが、全文は「主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」である。

執筆陣の世代によって、「社会主義」への想いの差が表れているのは、1989年以降の歴史を物語っている。
そして、巻末の「東ドイツ史略年表」は、以前さまざまな文献や書籍から作成した年表「ドイツを中心とした東欧史」を補完してくれる。

ドイツを中心とした東欧史
(1)1945〜1946 (2)1947〜1949 (3)1950〜1954
(4)1955〜1957 (5)1958〜1963 (6)1964〜1967
(7)1968 (8)1969〜1970 (9)1971〜1972
(10)1973 (11)1974 (12)1975
(13)1976〜1978 (14)1979 (15)1980
(16)1981 (17)1982〜1983 (18)1984
(19)1985 (20)1986〜1987 (21)1988
(22)1989(1-8) (23)1989(9-12) (24)1990(1-5)
(25)1990(6-12) (26)1991〜1993 (27)1994〜1998
(28)1999〜2000 (29)2001〜2002 (30)2001〜2005

第I部 いまなぜ東ドイツか
 第一章 歴史としての東ドイツ
 第二章 東ドイツ研究の現在
第II部 東ドイツ社会を生きる
 第三章 農村の社会主義体験 土地改革から農業集団化へ(一九四五―一九六〇)
 第四章 職場における「つながり」 工業企業現場の実態
 第五章 東ドイツでの余暇活動 休暇旅行の実態から
 第六章 高齢者と社会
 第七章 東ドイツのポピュラー音楽の系譜
 第八章 東ドイツ「平和革命」と教会 建設兵士の活動を中心に
第III部 歴史としての社会主義
 第九章 思想としての社会主義/現に存在した社会主義
 第一〇章 東ドイツの「中間グループ」の役割
 第一一章 社会主義経済再考 東ドイツ計画経済の現実
あとがき
参考文献
東ドイツ史略年表
索引

川越修/編著
河合信晴/編著
ナカニシヤ出版
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b239954.html

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2019年4月 2日 (火)

DDR Spielzeug

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東独の玩具が満載の大型本である。
東独玩具概観、人形とぬいぐるみ、金属玩具と電気技術玩具、木の玩具、ボートと船、プラスチックの玩具、模型、軍隊玩具、筐体玩具と家庭玩具といった多くの種類の玩具や製造会社の歴史などが盛りだくさん。
独語なので細かいところまではわからないけれど、解説部分では、ハルツの職人の手で行われてきた木工芸が人民企業にまとめられていったような、東独におけるおもちゃ産業史や、西側に対抗しようとした歴史を知ることもできる。
Amazon.deのカスタマーレビューには、「掲載されているのは輸出用だと思う、幼稚園ではほとんど見なかった」とあるのは、東独内の地理的な影響、住んでいたのが都会か地方かといった影響もあるのかもしれない。

昨夏にいったドレスデンにあるDDR博物館、正式には「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)には、日常生活で使われた品々が所狭しと並んでいたが、その中で再現された子ども部屋があったり、ショーケースの中に玩具類が並んでいたりした。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_3-die-welt-d.html

Prolog/プロローグ
SPIELZEUG AUS DER DDR/東独の玩具
PUPPEN UND PLÜSCHTIERE/人形とぬいぐるみ
BAUKÄSTEN/組み立て玩具
METALSPIELWAREN UND ELEKTROMECHANISCHE SPIEWAREN/金属玩具と電気技術玩具
HOLZSPIEWAREN/木の玩具
BOOTE UND SCHIEFE/ボートと船
SPIELWAREN AUS PLASTE/プラスチックの玩具
MODELLSPIELWAREN/模型
MILITAÄRSPIELWAREN/軍隊玩具
GEHÄUSESPIELWAREN UND HAUSHALTSGERÄTE/筐体玩具と家庭玩具
EPILOG/エピローグ
Bernd Havenstein/著
Komet Verlag Gmbh
ISBN-10:3898366510
ISBN-13:978-3898366519
http://www.amazon.de/DDR-Spielzeug-Bernd-Havenstein/dp/3898366510

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2019年2月 2日 (土)

在りし日の食堂で コメコンデザインシリーズ(6) 社会主義食堂レシピ20選 vol.3

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東ドイツ(7)、ソヴィエト(4)、リトアニア(1)、ポーランド(2)、タジキスタン(1)、ウズベキスタン(1)、グルジア(ジョージア)(2)、ハンガリー(1)、アルバニア(1)。
凝った料理ではないので、トライしてみる価値はあるかもしれん。

第1集
第2集

イスクラ

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2018年12月19日 (水)

Weltraumflug UdSSR - DDR

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「宇宙飛行 ソ連―東ドイツ」。
1979年にライプツィヒで発行された、1978年8月26日にソ連のソユーズ31号に搭乗してサリュート6号に滞在し、11月2日にソユーズ29号で地球に帰還した、ドイツ人初の宇宙飛行士ジークムント・イェーンの、帰還後の歓迎ぶりを記した豆本である。
また、製1937年2月13日に生まレ、父は製材所の労働者で会ったこと、軍に入ってソ連の軍事アカデミー「ユーリ・ガガーリン」を卒業したこと、2人の子供がいることも紹介されている。
帰還後、大佐に昇進。
当時の東ドイツ各地で視察や講演を重ね、当時のホーネッカー国家評議会議長にも会っている。
内容は、ソ連と東独の協力による宇宙飛行の成功が、インターコスモス計画に参加していた東独の技術によるものであり、宇宙での実験の成果が東独の科学技術に役立てられることも期待されていた。
こうしたことを紹介する展覧会も開催されたようだ。
最後に、ホーネッカー氏の挨拶も紹介されているが、「すでに多くの点で地球上で実りある結果を生み出してきたソ連と東独の友情は、今や宇宙で証明されている!」だったり、「今日世界は、科学、経済、文化の発展において社会主義諸国の目覚しい成功を目の当たりにして」おり、それは「マルクス、エンゲルス、レーニンの思想を証明してい」たりするのは、その10年後に何が起こったかを知っているものとしては、感慨深いものがある。

Offizin Andersen Nexö Leipzig
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2018年11月27日 (火)

5cmのポスター

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かつてはマッチのラベル集めをしたこともあった。
本書には、ポーランド、ソヴィエト、チェコスロヴァキア、ハンガリー、東ドイツ、リトアニア、ユーゴスラヴィア、ベラルーシ、ラトヴィア、エストニア、カザフソヴィエト、グルジアソヴィエト、ウズベクソヴィエト、ブルガリアの東欧諸国のほか、西ドイツフィンランド、中国、日本のマッチラベルが収められている。
2010年から2018年までイスクラで販売されたものから、厳選されたそうだ。

アネクドートに
モスクワのマッチ工場が火事で焼けた。
燃え跡には大量のマッチが焼け残っていた。
とか
ソ連ではマッチの管理はどこ?
技術・文化省
どうして?
マッチに点火するには高度な技術を要し、しくじったときの悪態を抑えるには、高度な文化を要する。
とか
ヴォストーク1号の成功で人類は宇宙空間への進出が可能となり、政治集会でも共産党の偉業と声高らかに宣言された。
「同志諸君。もう少し計画が進めば諸君自らの宇宙船で自由に宇宙に行ける日がやって来るであろう」
「すいません同志。それを我々は何に使えば良いのでしょうか」
「もうマッチを買う為長い行列に並んで買う必要はなくなる。宇宙船に乗ってマッチのある町まで一飛すれば、同志諸君、並んで買わなくてもマッチを買えるであろう」

イスクラ

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2018年10月29日 (月)

在りし日の食堂で 社会主義食堂レシピ22選 vol.2

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社会主義食堂レシピの第2弾。

ズルチェ、カーラおばちゃん地には、あるときには、ある。
その他の食べ物も、適当な材料で作ることはできるだろうな。

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巻末のインターフルーク・カフェ、夏に行ってきた。

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社会主義食堂メニュー

イスクラ

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2018年10月28日 (日)

東西ベルリン動物園大戦争

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ベルリンのツォーには行ったことがある。
この夏にもドイツに行き、ライプツィヒやドレスデンも歩いてきた。
プラン段階ではライプツィヒ動物園は行きたいところリストに載せていたのだが、実際には時間を取ることができずに行かなかった。
ドレスデン動物園は、行きたいところリストには載せていなかった。

「ワニのスープが動物園の腹ぺこの職員にふるまわれた」(P.30)で、「ベルリンは晴れているか」を思い出した。
職員ではないが、「ワニのスープ」が出てくる(「ベルリンは~」P.142あたり)し、それを怒る飼育員も登場する。
高射砲塔も、グスタフという名前で出てきた。
高射砲塔はウィーンには残っていて、アウガルテンにある塔は壊すに壊すことができないでそのまま、6区にある塔は水族館になっている。
ベルリン動物園の動物で生き延びたのは89頭とされていた(同P.152)が、本書によれば91頭だったようだ。(P.36)

「VEB」(P.86)を「国営企業」と訳してあるのだが、「Volkseigener Betrieb」の「Volks」に注目するなら「人民所有企業」「人民企業」のほうが「らしい」感じはする。
89年に「Wir sind das Volk」が叫ばれたように、「Volks」がついていても、実態は国営の一形態なのだろうが。

1989年に至って、ライプツィヒの幾つかの地名が出てくる。
ヨルク・アドラーが通っていたニコライ教会(P.309)には、二度行った。

アドラーが呼び出しをくらった内務局について、「ライプツィヒ市役所にあるシュタージの別名」(P.310)としているが、いまの旧国家保安省記念館(Gedenkstätte Museum in der „Runden Ecke“)とは別の場所なのだろうか。

そして1989年10月7日にアドラーがデモに参加して放水車の水を浴びた「カールマルクス広場(訳註 現在のアウグストゥス広場)とグリマーイッシュ通りが交わる角」(P.312)も、最初にニコライ教会に行くときにゲヴァントハウスの前から歩いたときの角だ。

登場人物が多いので、後半になるにつれて人間関係がだんだんわからなくなってしまう。
それにしてもいずれも強烈な個性の持ち主のようで、もともとそのような人物像だったのか、本書の中でそのような人物としてある程度デフォルメされて描かれたのかわからないけれど、この園長たちの下で働くのは大変そうだ。
もっとも、わからんちんの当局と渡り合うためには、そうしたキャラクターも必要だったということなのかもしれない。

戦後の動物園事情、動物たちに対する向き合い方などは疑問を抱いてしまうが、そういう時代だったのだろう。
1950年代後半から1960年代にかけて住んでいたところには阪神パークが、電車に乗って行ったところには須磨水族館があり、よく親に連れて行ってもらった。
阪神パークは「レオポン」(牡ヒョウと牝ライオンの子)を生んだのだが、今の動物飼育の基準からすると、あまり褒められたものではないのかもしれない。
レオポンは、かはくでの「人体」展で、剥製が展示されていた。

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雑誌AERAのNo.50(’18,10,22)に掲載された書評。

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プロローグ――動物園人
第1章 戦争とワニの尻尾のスープ
第2章 動物園フィーバー
第3章 第四の男
第4章 パンダと国家の威信
第5章 狩猟家と収集家
第6章 大きな計画、小さな魚
第7章 一つの島に二頭のクマ
第8章 灰色の巨人、倒れる
エピローグ――古い男たちと新しい時代
その後
謝辞
訳者あとがき
監修者解説

ヤン・モーンハウプト/著
黒鳥英俊/監修
赤坂桃子/訳
CCCメディアハウス

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2018年8月17日 (金)

在りし日の食堂で 社会主義食堂レシピ20選 vol.1

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「東」の食器と「東」のごはん、体制はどうであれ、人は食べて生きている。
映画「グッバイ、レーニン!」で、再統一後スーパーの棚からDDRの製品がなくなってしまうシーンを思い出した。
先日、ドレスデンの「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)に行ったが、DDR時代の家の様子(リビングルーム、ベッドルーム、ダイニングルームなど)やお店の様子が再現されていた。

ここにもいっぱい。

イスクラ

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