オーストリア関連

2020年3月18日 (水)

KLEINER WELTATLAS

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ゴータにあった地図出版社「VEB Hermann Haack Geographisch-Kartographische Anstalt Gotha」の小型世界地図。
日本の奥付のように出版年月日を入れていませんが、1960年のもののようで、この時代はまだ壁はありませんでした(壁の建設は1961年8月から)。

どのような地図なのか、今は変化してしまったところを中心に眺めてみました。

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まずはドイツ。

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東の方が濃い赤で国境が縁取りされています。

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記述のページは、「DEUTSCHE DEMOKRATISCHE REPUBLIK」と「WESTDEUTSCHLAND」、「ドイツ民主共和国」と「西ドイツ」。

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スイスとオーストリア、国境そのものは今と変わりありません

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アドリア海に面した青い縁取りの国は、ユーゴスラビアです。

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今は無き「UNION SOZ. SOWJ. REP.」、ソビエト社会主義共和国連邦。
記述のページはもちろん「UNION DER SOZIALISTISCHEN SOWETREPUBLIKEN」。

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部分図として、ヨーロッパ部分、西アジア部、東アジア部分と3ページにわたっています。

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千島列島は、ソ連領として色付けされています。

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朝鮮半島は、休戦ラインは表示されていますが、「KOREA」と一刻扱い。
朝鮮半島の記述は「KOREANISCHE VOLKSDEMOKRATISCHE REPUBLIK」と「SÜDKOREA」、「朝鮮民主主義人民共和国」と「南朝鮮」。

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そして沖縄は、「RIUKIU」と赤の破線で囲まれています。
奄美諸島は1953年に日本に復帰しているので、赤破線の中にはありません。
尖閣諸島は、どうも赤破線枠の中にありそう。

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記述でも、沖縄は「琉球」として独立しています。

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ベトナムは一国として描かれています。
パキスタンは「WESTPAKISTAN」と「OSTPAKISTAN」との表記(西パキスタンと東パキスタン)で、1971年独立のバングラデシュは、まだ、ありません。

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記述を見ると、「DEMOKRATOSCHEN REPUBLIK VIETNAM」と「SÜD VIETNAM」、「ベトナム民主共和国」と「南ベトナム」。

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キューバはバチスタ時代か革命後か、微妙。
グアンタナモの記載はなさそうです。
アフリカの年と言われる1960年に多くのアフリカの国が独立しましたが、この地図で独立した国の名称は書かれているものの、国境の色分けは他の国ほどには明確ではありません。

目次
 テキスト、地図
発音規則
 ポーランド語、チェコ語・スロバキア語・ソロベニア語・クロアチア語・セルビア語、ハンガリー語、ルーマニア語、デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語、オランダ語・フランドル語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語
地理学的数値
 地球(大きさ、緯度経度、タイムゾーン、大陸、海、近海と沿海、海峡、半島、島、高度、川、内陸湖、雪山脈、氷河、氷河域、最高度居住地、山岳鉄道が到達する最高度、トンネル、百万都市)
 ヨーロッパ(ドイツ民主共和国、西ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アトス、アルバニア、イタリア、バチカン、サンマリノ、マルタ、スペイン、ジブラルタル、ポルトガル、アンドラ、フランス、モナコ、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、イギリス、マン、カナル諸島、アイルランド、アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スヴァールバル諸島とヤンマイエン島、スウェーデン、フィンランド)
 ソ連
 アジア(トルコ、キプロス、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、サウジアラビア、イエメン、アデン、アデン従属地域、マスカットとオマーン、休戦オマーン、カタール、バーレーン島、クェート、イラク、中立地帯、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インド連邦、ブータン、ポルトガル領インド、セイロン、モルジブ、ネパール、ビルマ、たい、マレーシア連盟、シンガポール、北ボルネオ、サラワク、ブルネイ、インドネシア共和国、ポルトガル領チモール、フィリピン、カンボジア、中国、台湾、マカオ、ラオス、ベトナム民主共和国、南ベトナム、香港、日本、琉球、朝鮮人民ミンスy主義共和国、南朝鮮、モンゴル人民共和国)
 オーストラリア/オセアニア(オーストラリア、ココスまたはキーリング諸島、ノーフォーク諸島、ニュージーランド、西イリアン、パプア、ニューギニア、ナウル、イギリス領太平洋諸島、ニューヘブリディーズ、ニューカレドニア、フィジー諸島、フランス領ポリネシア、グアム、マリアナ・カロリン・マーシャル・パラオ諸島、西サモア、アメリカ領サモア、ハワイ)
 北および中央アメリカ(アラスカ、カナダ、サンピエール島・ミクロン島、グリーンランド、アメリカ合衆国、ばミューファ諸島、西インド連邦、バルバドス、ジャマイカ、トリニダード・トバゴ、リーワード諸島、ウィンドワード諸島、バージン諸島、プエルトリコ、ドミニカ共和国、ハイチ、キューバ、バハマ諸島、グアドループ、マルティニーク、小アンティル諸島、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、英領ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、パナマ運河地帯
 南アメリカ(コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、フォークランド諸島、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、フランス領ギアナ、ベネズエラ)
 アフリカ(アラブ連合共和国・エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スペイン領西アフリカ、ガーナ、マリ連邦、モーリタニア、象牙海岸、オートボルタ、ダホミ、ニジェール、チャド、中央アフリカ、コンゴ、ガボン、ガンビア、ポルトガル領ギニア、シエラレオネ、リベリア、ガーナ、トーゴ、ナイジェリア、カメルーン、スペイン領ギニア、コンゴ、ルアンダ・ウルンジ、ポルトガル領西アフリカ、南西アフリカ、南アフリカ連邦、ベチュアナランド、バストランド、スワジランド、ローデシア・ニヤサランド連邦、ポルトガル領東アフリカ、タンガニカ、ケニア、ウガンダ、スーダン、ソマリア、フランス領ソマリランド、エチオピア、カナリア諸島、カペヴェルデ諸島、セントヘレナ、アセンション、トリスタンダクーニャ、サントメ・プリンシペ、マダガスカル、カメルーン、レユニオン、サンジバル、モーリシャス、セーシェル)
 南極
索引、寸法と重量

地図
地球/両極、ヨーロッパ、中欧、両ドイツ(北部とデンマーク)、両ドイツ(南部)、スイス、チェコ西部とオーストリア、ベネルックス、スカンジナビア、バルト諸国、ドナウ諸国、バルカン諸国/西トルコ、イタリア、スペイン/ポルトガル、フランス、イギリス諸島、ソ連のヨーロッパ部分/ソ連の西アジア部分/ソ連の東アジア部分、アジア、オリエント、南西アジア、南東アジア、オーストラリア/オセアニア、北アメリカ、アメリカ合衆国/メキシコ、大きな湖、中央アメリカ、南アメリカ、アフリカ

索引

Hermann Haackについての、Wikiの記事。
https://de.wikipedia.org/wiki/Hermann_Haack_(Kartograf)

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本書を送ってきていただいたショップがお使いになった詰め物が、これまたいい雰囲気。
Rimiというスーパーの、セールのカタログをひっちゃぶいたペーパーです。
このスーパー、ラトビアに本社があって、バルト三国に店舗展開しているようです。
このペーパーも、「KLEINER WELTATLAS」に挟んで保存です。

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2020年3月17日 (火)

ハプスブルク帝国

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「はじめに」に、「一〇〇〇年の歴史を俯瞰する」「俯瞰的な通史の試み」とある。
そのために「特定の時代やテーマに深入りし過ぎず、各時代にそれぞれ十分紙幅を割くように心掛けた」としている。
時代によりその領域は変化し、今の国を基本に考えるとさまざまな国々が入り乱れ、歴史に登場する人物も多い歴史だから、本文で400ページにもなる新書版という制約の中で、その試みはどうだったか。

マクシミリアンが「ティロールの君主に迎えられ」たとの記述(P.79)は、先日読んだ「チロルの悲劇 アンドレーアス・ホーファー」につながるものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9b1fa1.html
そのマクシミリアンは、ウィーナー・ノイシュタットの宮廷礼拝堂(聖ゲオルク教会)に埋葬されているので、行ってみよう。

「王女マルガリータ」の肖像画がある(P.105)が、去年の秋の「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」でお目にかかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-270873.html
ウィーンでは美術史美術館に行っても、青はどこかへお出かけだったりしてなかなかお目にかかれなかったが、2012年にお目にかかっている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/wien-und-hal-34.html

フェルディナント公が収集した珍宝のあるインスブルックのアンブラス城(P.142)には、行ってみたい。

P.168から、著者は「絶対主義」について、「今日の研究はこのような見方から距離をおき、「絶対主義」という用語をあまり用いなくなっている」としているが、本書ではこれだけではなく、これまでの考え方や評価について、今では異なってきているとう記述があちこちに出てくる。
例えば、フェルディナント三世について、「平和を志向して三十年戦争の終結に尽力したという従来の評価は、今では誇張であったと見なされている」(P.173)、チェコに関して「今日では、「暗黒時代」史観は避けられ」(P.181)、などであるが、どう変わったかを確認したければ、従前の考え方を見る必要が出てくる。
それを本書に記載すると、せっかくの新書版が維持できなくなるのだろうな。

P.171のペスト記念柱、グラーベンに行くと嫌でも目に入るのだが、当たり前に立っているので、今更しげしげと眺めることもない。
神・キリスト・精霊の三位一体と、神聖ローマ帝国・ハプスブルク家・オーストリア諸邦、ハンガリー諸邦、チェコ諸邦とを重ね合わせているという見方は、記念柱にあるワッペンとともに、ちゃんと確認してみよう。

カール六世期の「郵便事業の国有化」(P.201)、ヨーゼフ二世のときの「検閲がふたたび強化」(P.237)、ナポレオン戦争時代の「」アンドレアス・ホーファ率いる民衆軍」(P.254)は、これまで別の本で読んでいる。
郵便事業:トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2491.html
検閲:検閲帝国ハプスブルク
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-302280.html
アンドレアス・ホーファ:チロルの悲劇 アンドレーアス・ホーファー
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9b1fa1.html

P.288からフランツ・ヨーゼフとエリーザベトの結婚について記述されている。
ミュージカルではへレーネとのお見合いにきたFJが、へレーネを差し置いてエリーザベトに一目惚れという展開となるのだが、そもそも、バイエルンとの結びつきを画策したのが誰なのだろうか。
当時のハプスブルク家にあっては、ぞギーが目論んだのだろうけれど。

ヨーゼフ・ロートの名が、P.368やP.378にてくる。
「ラデツキー行進曲(上下)」、「聖なる酔っぱらいの伝説」を読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-751d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-4c9d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-5ae435.html

当然だが、2011年7月4日に亡くなったオットー・フォン・ハプスブルクについても、ページが割かれている。
記述は、オーストリア・ファシズムの時代に成人したことで、ナチスドイツと不ファシストイタリアの双方から接近があったことから始まる。(P.381~)
そして戦後のオットーの動き(P.394~)は、1973年から国際汎ヨーロッパ連合の2代目会長に就任したこと(初代会長は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、母がクーデンホーフ=カレルギー・光子)、欧州議会銀であったこと(1979~1999)、そして、主導したのか利用したのか、汎ヨーロッパ・ピクニック(1989.8.19)に関わったことなどがあるが、その評価はまだ難しいことなのだろう。

本文中には他の文献からの引用があるが、訳者名は記されているが文献名はない。
巻末に参考文献の一覧があるのでそこから探ればいいのだが、文献名ぐらいは記載しておいていいのではなかろうか。
また、人物名も、戴冠して「何とか1世」とか「かんとか2世」という名の人物について、そのあとで登場するときには「何とか」や「かんとか」と、1世2世が省略されていることがある。
その人物の記述なのだから略してもいいかと思うのだが、途中で読むのをやめて、のちに再び読み始めるときに、こんがらかることもあった。
人物の一覧表(簡単な略歴を含めて)があると良かった。
そうなると、もう、新書としては刊行できない分量になってしまうのかもしれないが。

そうしたことを措いても、時代によりその領域が異なる「ハプスブルク君主国」の歴史の基本を抑えることができる。
ただし、本書を読んで、そこからさらに様々な文献に伸びていくことを思うと、ちと恐ろしいものがある。

はじめに 
第一章 勃興  
第二章 オーストリアの地で
第三章 「さらに彼方へ」
第四章 「ドナウ君主国」の生成
第五章 主権国家体制の下で
第六章 「何事も人民のために、何事も人民によらず」
第七章 秩序と自由
第八章 「みな一致して」
第九章 ハプスブルク神話
おわりに
年表
参考文献(図版出典含む)

岩崎周一/著
講談社
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210928

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2020年3月 7日 (土)

チロルの悲劇 アンドレーアス・ホーファー

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オーストリアには十数度行っているが、ウィーンから西の地方はザルツブルクまでで、以西にはまだ足を踏み入れていない。
さまざまな映像などを見ていると、たぶん、ウィーンの人たちの気質とは全然違うのだろうなと思う。
そして、一度は行くべきところだと、強く思った。

解説で、作者のインマーマン(プロイセン生まれ)は、初版執筆後にチロルに行き、「チロル見聞記」にまとめたことが紹介されている。
このときのチロル見聞は、改訂版に活かされたらしい。
この時インスブルックでは、泊まった人の名前を見ることのできる「金鷲亭(Zum Goldenen Adler、現在もある)には泊まれなかったようだ。
同時代のハイネは、ここに泊まったようだ「ミュンヘンからジェノバへの旅」(ハイネ散文作品集第2巻「『旅の絵』より」に所収)。
そして、当時のオーストリア帝国政府は、「チロル農民蜂起の反政府的な側面が民衆の間に大きくもてはやされないように神経質に配慮し、同時に、オーストリアの忠臣としてのホーファーを讃えようという政策を取っていたことがうかがわれる」(P.247)とあるのは、先日読んだ「検閲帝国ハプスブルク」を重ねてしまう。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-302280.html

上下二段組の本書なので、初版と改訂版を上下にすれば、対比がおもしろかったかもしれない。

「Wien Geschichte Wiki」に、「Andreas Hofer」の記事がある。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Andreas_Hofer

独語版Wikipediaに、「Andreas Hofer」の記事がある。
https://de.wikipedia.org/wiki/Andreas_Hofer

「Südtirolerland」というサイトにも、「Andreas Hofer」の記事がある。
https://www.suedtirolerland.it/de/highlights/brauchtum-kultur/andreas-hofer/

『チロルの悲劇』(初版)
 第一幕 ベルクイーゼルにフランス軍登場、農民軍の団結
 第二幕 ベルクイーゼルの決戦
 第三幕 休戦とフランス軍司令本部、農民軍の困難
 第四幕 フィラハでのイタリア副王とホーファー
 第五幕 ホーファーの逃亡と逮捕
『アンドレーアス・ホーファー』(改訂版)
 第一幕 ベルクイーゼルにフランス軍登場、農民軍の団結
 第二幕 ベルクイーゼルの決戦
 第三幕 ウィーンのオーストリア宰相
 第四幕 フィラハでのイタリア副王とホーファー
 第五幕 ホーファーの逃亡と逮捕
解説
年表
訳者あとがき

カール・インマーマン/著
宇佐美幸彦/訳
酒井友里/訳
関西大学出版部
http://www.kansai-u.ac.jp/Syppan/product/detail_product.php?control=2&tbl_product_autono=702
http://www.ajup-net.com/bd/isbn978-4-87354-710-7.html

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2020年2月18日 (火)

検閲帝国ハプスブルク

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ハプスブルク家の歴史の中の検閲の最盛期は、1815年から1848年のウィーン体制期であるとして、本書は出発する。
しかし、このウィーン体制期の記述は終章に至って初めて触れられ、それまでの記述は、そこに至るまでの『ハプスブルク王朝の検閲政策を「ここの著名な事実の羅列」としてではなく、歴史的、社会的コンテキストの中で読み解くことで、ドイツ、オーストリアの文化史の一面を探る』ことに費やされる。

P.56からP.57に「マクシミリアンは互いに遠く離れた領地への命令書等々の迅速な通達、あるいはそれぞれの領地からのさまざまな情報の取得のために、ヴェネチアで飛脚問屋を営んでいたタッシス家(ドイツ語名タクシス家)に駅伝網の敷設を命じた」と書かれている。
「タッシス家」(Taxis)については、「トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史」に詳しい。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2491.html
財を成したタクシス家は1812年からレーゲンスブルクに住むようになったのだが、2011年にレーゲンスブルクに行ったときに、トゥルン・ウント・タクシス城の見学をした。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-3ea7.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7c86.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-89aa.html

P.101に帝国議会が1654年にレーゲンスブルクで開かれたこと、帝国議会は1663年からレーゲンスブルクに常設されたとの記述があるが、この帝国議会はレーゲンスブルクの旧市庁舎(Altes Rathaus)に置かれていて、これも見学したことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-60b2.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-9dab.html

P.99あたりから三十年戦争のことが語られるが、三十年戦争は「カトリック vs プロテスタント」「神聖ローマ皇帝 vs 領邦君主」「ハプスブルク家 vs ブルボン家」と言った対立が絡んでいるので、一度はきちんと押さえておきたい。

P.148に『「美しき青きドナウ」のほとりに暮らすウィーンの人々は、プロイセンで蔓延する啓蒙主義というこれらに目をつむり、耳をふさぎ、口をつぐんでいたのだ。人々はこの偉大な女帝の時代に、国境の向こうで、やがて標準語となる「ルターのドイツ語」を喋る人々を馬鹿にして、自分たちの土着方言ヴィーナリッシュに固執していたのである』とある。
これだけ取り出したのではわかりにくいが、この前に「ホウベンのちょっと気取った表現を借りるとすれば、」とあって、著者の言ではなく、ホウベンの引用かもしれない。
ホウベンとは「ドイツの検閲史の泰斗ハインリヒ・フンボルト・ホウベン」(P.22)のことで、巻末の参考文献の中に「Polizei und Zensur」の著者として「H. H. Houben」で名がある。
何れにせよ本書では、マリア・テレジアはフリードリヒ大王の啓蒙主義を嫌い、啓蒙主義的文書が流れ込んでくるのを検閲によって摘発していたという文脈で書かれているので、マリア・テレジアも啓蒙専制君主のひとりとしてのイメージもあるので、こうした捉え方あるのかと思ってしまった。
そして、ウィーン訛りやバイエルン・ドイツ語(Bairisch)は「高地ドイツ語・Hochdeutsch」グループのひとつで、「標準ドイツ語」たる「低地ドイツ語・Niederdeutschh」と分けられているのだが、ウィーン訛りと検閲とを結びつけた記述にも、少々びっくりした。

P.152の検閲委員会の「世俗メンバーの任命は宮廷が行い、世俗メンバーはウィーン大司教が女帝に提案する」とあるが、P.157の記述に従えば「世俗メンバーの任命は宮廷が行い、聖職者メンバーはウィーン大司教が女帝に提案する」だろう。

P.189に「ウィーン郊外劇場」の創設を皇帝ヨーゼフ二世が許可したことが紹介されている。
「ウィーン郊外劇場」とは、リンクのすぐ外側にある現在のフォルクステアターで、当時は市壁の外の「郊外」にあったということだ。
P.188から、ある検閲官が「民衆の啓発を己が崇高な使命と定め、無知な人々を乱倫に引きずり込む、ありとあらゆる民衆喜劇を敵視し」、その結果「民衆喜劇、方言芝居、道化芝居、滑稽芝居といったウィーン生え抜きの芝居はすべてそやで、無形式で、非芸術的、要するにまったくの低俗であると判断され、ウィーンから駆逐された」、芝居好きのウィーン子のフラストレーションはたまりにたまり、なにやら不穏な様相を呈するようになった」という前段があり、フォルクステアターはある意味、ガス抜きの役割を持ったことになる。

こうしてウィーン体制期の検閲は、いわば検閲のための検閲といった様相を呈していったようである。
そしてウィーンも三月革命を迎え、事実上最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフは、以後、「何かをやれば必ずマイナスとなって跳ね返っってくる」経験を重ね、「であるならば、何もしないことがベストである」政策に邁進し、ヴィルヘルム二世の検閲の猛威とは裏腹に、「人々はフランツ・ヨーゼフという絶対の空虚のなかに寝そべり、一時の転寝を楽しむかのようであった」、「検閲を駆使してまで護るべきものは何もないといわんばかり」と、かなり揶揄的な評価が著者によって下されてしまうのである。
そういえば、ロミー・シュナイダーの「Sissi」には、検閲ではないがあれこれ探る人物が登場していて、本書が捉えるようなウィーン体制を思い出させる。

新書であるにしても、全体的に講談調というか漫談調で、記述は経年ではなく行ったり来たり。
「検閲」という、ある意味地味なテーマなので、講談調・漫談調は、読んでいて飽きることはないが、記述内容が果たして定説なのかどうかがわからないところもある。
そして、神聖ローマ皇帝それぞれとその時代の知識が、一定程度必要だろう。
神聖ローマ帝国の簡単な書籍を手元に置くと、いいかもしれない。

序章 検閲から何が見えるか
第一章 活版印刷は世界を制す
第二章 神聖ローマ帝国の検閲事始め
第三章 神聖ローマ帝国における検閲制度の法整備
第四章 印刷特権
第五章 選挙協約と検閲
第六章 領邦国家の検閲制度
第七章 マリア・テレジア治下の検閲制度の改革
第八章 前三月期の検閲事情
終章 窒息しそうな検閲の果てに
あとがきハ
プスブルク検閲史年表
参考文献

菊池良生/著
河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624556/

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2020年1月23日 (木)

Carlos Kleiber New Year's Concert 1992

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1992年の、Das Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker、指揮はCarlos Kleiber。
オーソドックスな、ニューイヤー・コンサートだ。
この年はレナード・バーンスタインの指揮の予定だったのだが、1990年10月14日の死去によりクライバーが代行した。
DVDではパウゼはなく、第1部第2部連続。
このとき、知人が立ち見席にいたらしいのだが、画面では確認できず(笑)。

第1部
Die Lustigen Weiber Von Windsor – Ouvertuere (Otto Nicolai)/ウィンザーの陽気な女房たち序曲(オットー・ニコライ)
Stadt Und Land (Johann Strauss II)/町と田舎(ヨハン・シュトラウス2世)
Dorfschwalben aus Osterreich (Johann Strauss)/オーストリアの村つばめ(ヨーゼフ・シュトラウス)
Feuerfest! (Johann Strauss)/鍛冶屋のポルカ(ヨーゼフ・シュトラウス)
Vergnuegungszug (Johann Strauss II)/観光列車(ヨハン・シュトラウス2世)
第2部
Der Zigeunerbaronr – Ouvertuere (Johann Strauss II)/ジプシー男爵序曲(ヨハン・シュトラウス2世)
Tausend Und Eine Nacht (Johann Strauss II)/千夜一夜物語(ヨハン・シュトラウス2世)
Neue Pizzicato-Polka (Johann Strauss II)/新ピツィカート・ポルカ(ヨハン・シュトラウス2世)
Persischer Marsch (Johann Strauss II)/ペルシャ行進曲(ヨハン・シュトラウス2世)
Tritsch-Tratsch-Polka (Johann Strauss II)/トリッチ・トラッチ・ポルカ(ヨハン・シュトラウス2世)
Sphaerenklaenge (Johann Strauss)/天体の音楽(ヨーゼフ・シュトラウス)
Unter Donner Und Blitz (Johann Strauss II)/雷鳴と稲妻(ヨハン・シュトラウス2世)
Jokey-Polka (Johann Strauss)/騎手(ヨーゼフ・シュトラウス)
An Der Schonen Blauen Donau (Johann Strauss II)/美しく青きドナウ(ヨハン・シュトラウス2世)
Radetzky-Marsch (Johann Strauss I)/ラデツキー行進曲ウ(ヨハン・シュトラウス1世)

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2020年1月17日 (金)

ミニ国家 リヒテンシュタイン侯国

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Bunkamuraで開催された展覧会「建国300年 ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」に行った時に購入した。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-d00011.html

リヒテンシュタイン侯国そのものには行ったことはないが、関係するところには、行ったりそばを通ったりしたことはある。
ウィーンの南西にあり家名の元となったリヒテンシュタイン城には、初めてウィーンに行ったときに、車でそばを走った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/stifi-heilligen.html
またウィーンにあるリヒテンシュタイン侯の夏の離宮が「リヒテンシュタイン美術館」として公開されていた時期があり、そこにも行っていて、本書にも出てくる黄金の馬車は見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/elisabethsisi-m.html
以前スイスに行ったときに、チューリヒからバスでサン・モリッツへ向かったのだが、あの山の向こうはリヒテンシュタインだなと考えていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/swiss-2017-cef2.html

リヒテンシュタインといえば「切手」であるが、すでに小学生の頃にかじった切手趣味のなかでは、リヒテンシュタインという国の存在は知っていたはず。
本書は、「日本リヒテンシュタイン協会」を設立した植田健嗣氏(現在同会の名誉会長)による取材によって書かれている。
その意味では、著者の思い入れの強い著作となっているのだが、この国の全体を見るうえでは、さまざまな分野にわたるエピソードが散りばめられていて、興味深い。
一度は行ってみたい。

初版は1999年、文中では、「国と国が接する国境には検問所があり」(P.16、ただし「EU(ヨーロッパ連合)内では、廃止されつつある。」との注がある。)、「通貨もオーストリア・シリングではなく、ドイツ・マルクが使われ」(P.17、オーストリアは1999年にユーロが法定通貨となり2002年から流通、オーストリア・シリングは同年2月28日までに回収され、ドイツも1999年にユーロが法定通貨となり2002年から流通、ドイツ・マルクは回収された。)となっている。
本書は2015年の第4刷で、その後の変化については別刷りが挟められていて、リヒテンシュタインもシェンゲン協定に加わって国境のチェックがなくなっていること、オーストリア・シリングとドイツ・マルクはユーロとなったことなどが捕捉されている。

日本リヒテンシュタイン協会の公式サイト
https://ljg.li/

まえがき
第一章 侯国との出会い
第二章 歴史
第三章 農業国から工業国へ
第四章 侯家の存在
第五章 立憲君主国の実態
第六章 アルプスのハイテク・ランド
第七章 知らざれる小国の素顔
第八章 転換期のミニ・ストップ観光
第九章 小国の未来
第十章 体験的国際交流論
あとがき
主要参考文献

植田健嗣/著
郁文堂
https://www.ikubundo.com/book/9784261072310/

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2020年1月 1日 (水)

"Neujahrskonzert der Wiener Philharmoniker"まとめ

Ouvertüre zu "Die Landstreicher" / Carl Michael Ziehrer、喜歌劇「放浪者たち」序曲 / カール・ミヒャエル・ツィーラー
Liebesgrüße. Walzer, op. 56 / Josef Strauß、ワルツ「愛のあいさつ」 / ヨーゼフ・シュトラウス
ホーエンザルツブルク城塞
Liechtenstein-Marsch, op. 36 / Josef Strauß、リヒテンシュタイン行進曲 / ヨーゼフ・シュトラウス
Blumenfest-Polka. op. 111 / Johann Strauß (Sohn) 、ポルカ「花祭り」 / ヨハン・シュトラウスII世
Wo die Citronen blüh'n. Walzer, op. 364 / Johann Strauß (Sohn) 、ワルツ「レモンの花咲くところ」 / ヨハン・シュトラウスII世
Knall und Fall. Polka schnell, op. 132 / Eduard Strauß、ポルカ・シュネル「電撃」 / エデュアルド・シュトラウス

-- Pause --
NHKの画像
Café Frauenhube→"Der Kuss"(接吻)と"Beethoven Frieze"(ベートーヴェン・フリーズ)、いずれもクリムト
Orfの画像
バーデンのベートーヴェン神殿→バーデンの家→ハイリゲンシュタットのマイヤー、第九の家→ベートーヴェンの散歩道→ハイリゲンシュタットの遺書の家→ハイリゲンシュタットパークのベートーヴェン像→エロイカハウス→ブドウ畑→Schloss Wasserhof(クレムス)→Kneifelhaus(クレムス)→ウィーン演劇博物館のエロイカの間→Ballgasse4→パスクヴァラティハウス→演劇博物館→スケートリンク前のベートーヴェン像→シュトラウス像→ナッシュマルクト→アン・デア・ウィーン劇場→ヨーゼフ広場→プルンクザール

Ouvertüre zu "Leichte Kavallerie“ / Franz von Suppé、喜歌劇「軽騎兵」序曲 / フランツ・フォン・スッペ
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コルネットおじさん映る
Cupido. Polka française, op. 81 / Josef Strauß、ポルカ・フランセーズ「キューピッド」 / ヨーゼフ・シュトラウス
楽友協会の女神像、以前は前にあったのだが、邪魔なので後ろに下がっていただいたそうな
Seid umschlungen, Millionen. Walzer, op. 443 / Johann Strauß (Sohn)、ワルツ「抱き合え もろびとよ!」 / ヨハン・シュトラウスII世
バレエは、Winterpalais des Prinzen Eugen(オイゲン公の冬の宮殿)
Eisblume. Polka mazur, op. 55 (Arr. W. Dörner) / Eduard Strauß、ポルカ・マズルカ「氷の花」 / エデュアルド・シュトラウス
Gavotte / Josef Hellmesberger (Sohn)、ガヴォット / ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世
Postillon-Galopp, op. 16/2 (Arr. W. Dörner) / Hans Christian Lumbye、郵便馬車のギャロップ / ハンス・クリスティアン・ロンビ
ラッパ吹くネルソンス
Zwölf Contretänze, WoO 14 (Auswahl) / Ludwig van Beethoven、12のコントルダンス から第1曲、第2曲、第3曲、第7曲、第10曲、第8曲 / ベートーヴェン
Heiligenstadtでバレエ
Freuet euch des Lebens. Walzer, op.340 / Johann Strauß (Sohn)、ワルツ「人生を楽しめ」 / ヨハン・シュトラウスII世
アルヒーフ
Tritsch-Tratsch. Polka schnell, op. 214 / Johann Strauß (Sohn)、トリッチ・トラッチ・ポルカ / ヨハン・シュトラウスII世
Dynamiden. Walzer, op. 173 / Josef Strauß、ワルツ「ディナミーデン」 / ヨーゼフ・シュトラウス
Im Fluge - Polka schnell Op. 230 / Josef Strauß、ポルカ「飛ぶように急いで」 / ヨーゼフ・シュトラウス
An der schönen, blauen Donau / Johann Strauß (Sohn)、ワルツ「美しく青きドナウ」 / ヨハン・シュトラウスII世
ウィーン運河のオットー・ワーグナーのライオンの水門→クロスターノイブルク周辺→橋→ウラニア天文台→ウィーン川→フォルクス庭園→シュテファン大聖堂→オペラ座横
Radetzky-Marsch / Josef Strauß、ラデツキー行進曲 / ヨハン・シュトラウスI世

https://www.wienerphilharmoniker.at/neujahrskonzert/neujahrskonzert-main

Radetzky-Marsch、いつもよりのんびりと思ったら、こんなことだったようだ。
https://www.swr.de/swr2/musik-klassik/Wiener-Neujahrskonzert-mit-entnazifiziertem-Radetzky-Marsch,radetzkymarsch-weniger-braun-100.html
https://www.derstandard.at/story/2000112785660/ein-neuer-radetzkymarsch-ohne-ns-schmiss

ヨーゼフ・シュトラウス(ヨハン・シュトラウスII世の弟)は、ウィーン総合技術専門学校(現在のウィーン工科大学)で学んだ。
https://de.wikipedia.org/wiki/Josef_Strauss

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2019年12月17日 (火)

聖なる酔っぱらいの伝説

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「蜘蛛の巣」、「四月、ある愛の物語」、「ファルメライヤー駅長」、「皇帝の胸像」、そして「聖なる酔っぱらいの伝説」を収録。

「蜘蛛の巣」は、戦間期に反ユダヤ運動に入り込む、第一次世界大戦に出征し大尉まで昇進したテオドール・ローゼがいかに「反ユダヤ」に取り込まれていったか、あるいは「反ユダヤ」を利用したかの話が展開する。
「指導者になりたい」青年テオドールが参加した組織の党歌は、
 裏切り者は血でつぐなう
 ユダヤの血をしぼりとれ
 おお、世界に冠たるドイツよ
そこに加わっているほとんどの者たちは、意識的に「反ユダヤ」であるわけではなく、扇動されての「反ユダヤ」であり、扇動に使われる材料は、は正しいか正しくないかは関係がないし、捏造も行われている。
読んでいると、いまのこの日本の歩んでいる道と重なってしまう。
「蜘蛛の巣」は1923年10月7日から11月6日までウィーンの社民党の新聞「アルバイター・ツァイティング」に連載されたが、ミュンヘン一揆が起きたのは、連載終了直後の11月8日から9日であった。

「四月、ある愛の物語」と「ファルメライヤー駅長」は、戦間期の風俗を描き、いずれも旅立つ結末にかかわらず、どこかホッとさせるものがある。

「皇帝の胸像」は、「ラデツキー行進曲」と対になっていると考えていいのかもしれない。
君主国が、多民族からなる「ヨーロッパのミニアチュール」だったとしても、君主国が民族自決を抑圧していたことは確かなわけで、民族自決を経てあとに『あなたはそもそも「何国人」であって、どの民族に属すると考えるか』の質問が、ヨーロッパに限らずどこでも無意味なものになるといいのだが。

「聖なる酔っぱらいの伝説」、「わらしべ長者」のような趣であるが、これはロート自身の姿でもあるようだ。
ロートは、本作品を書き上げてまもなく亡くなる。

池内さんの訳が、作品の中に引き込ませてくれる。

ヨーゼフ・ロートについては、「ラデツキー行進曲」に書いた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-751d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-4c9d.html

ヨーゼフ・ロート/著
池内紀/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b247819.html

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2019年12月15日 (日)

図録「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」

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10月に行ってきた「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」の図録。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-270873.html

ハプスブルク展は、ウィーンの美術史美術館を中心に、ブダペスト国立西洋美術館と西洋美術館所蔵の作品100点が展示されている展覧会で、本書の章ごとの解説やコラムでは、解説が興味深い視点で記されていた。
展示作品では、「青いドレスの王女マルガリータ」とともに「緑」も来ているところが注目点の一つだろう。
ウィーンで、薔薇と白、そしてプラドの赤を見ている(青はお出かけしていた)。
薔薇、白は、以前来日したことがあったはず。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/the-f1a0.html
個人的には「V フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリア=ハンガリー二重帝国の終焉」で展示されていた作品は、本書でも解説を含めてじっくり観た。

「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」は、2020年1月26日(日)まで、上野の西洋美術館で開催。
https://habsburg2019.jp/

一族の宝物から公共の美術館へ
I ハプスブルク家のコレクションの始まり
 コラム マクシミリアン1世のコレクションと権力
II ルドルフ2世とプラハの宮廷
 コラム ルドルフ2世の宮廷における神話画
III コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集
 1.スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世
 コラム スペイン式ドレスを脱がなかった王女たち
 2.フェルディナント・カールとティロルのコレクション
 3.レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督
IV 18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
 コラム 18世紀における帝室ギャラリーの整備について
V フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリア=ハンガリー二重帝国の終焉
16—17世紀 のハプスブルク家コレクションにおけるイタリアおよびヴェネツィア絵画の運命
ルドルフ2世の版画および銅画コレクション
ハプスブルク家関連年表
ハプスブルク家略系図
ハプスブルク家関連地図
主要参考文献

https://ishop.tbs.co.jp/tbs/?s_cd=0001&c_cd=10002&ps_id=3002447

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2019年12月13日 (金)

ウィーンの日本 欧州に根づく異文化の軌跡

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2011年に一度読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-58c7.html
当時は全く意識していなかったが、著者は「少年写真家の見た明治日本」を手がけたペーター・パンツァーさんなので、もう一度読んでみる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-5ce0.html
そうすると、改めて、チュックしておくことがたくさん出てきた。

P.14~19のシーボルトの記念碑、シェーンブルン庭園にあるの温室の東(P.98)なので、近くまで行くこともあったが、これまでいずれもスルーのままである。

P.50のミツコの孫のうちの「高名な画家」の次男は、ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー氏のことだ。
以前、2度ほどお会いしたことがあったが、2018年12月26日に帰天なさってしまい、追悼展に行って作品をお持ち帰りしてしまった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-ee45.html
2011年にお会いしたこと。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-f4c3.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-2d43.html

P.75以降の“日本巡り”、いくつかは見ているが、見ていないものもあるので、今も同じように展示されているかどうかはわからないが、じっくり見て回りたい。
美術史美術館のコイン陳列館、自然史美術館九号室、民族学博物館、美術史美術館の武器武器コレクション、陶磁器コレクション、時計博物館、応用美術博物館、技術博物館、シェーンブルン宮殿。
そして、「連邦動産保管倉庫」、本書刊行当時は非公開だったが、現在は家具博物館となっている。

P.114の、20帝国代表団が日本に運んできたベーゼンドルファーのピアノについては、先日の「音楽のある展覧会」でのギャラリートーク「皇城に贈られた初めてのグランドピアノ」に出てくるピアノだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-e2802d.html

P.125から斎藤茂吉のエピソードが紹介されている。
斎藤茂吉は1922年1月にウィーンきて、ホテル・ド・フランスに泊まり、2月にヌスドルファー77号に部屋を借りる。
4月末にグリューネントア18号2階4号に転居、1923年7月20日にウィーンを去るまで住んでいた。

P.132の「大学付属イエズス教会のボルジア礼拝堂の内陣」に、二十六聖人のうちの三聖人を描いた祭壇画があるということだが、調べてみると「Jesuiten-kirche」(イエズス会教会)がある。
https://jesuitenkirche-wien.at/

関連で、ザンクト・ガブリエルにあるシュタイラー修道院の伝道博物館(P.135)も興味深い。
Missionshaus St. Gabrielのことか。
https://www.steyler.eu/svd/niederlassungen/st-gabriel/

P.138に「平和の灯台」、以前運がめぐりの観光船から見たことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/elisabeth-201-9.html
https://www.peacepagoda.net/

1 世紀末ウィーンに登場した日本
 日本人のみたウィーン
 日本生まれの皇帝メダル
 19世紀最高の日本研究者シーボルト
 ウィーン万国博覧会の花形“日本”
 プラーターの茶屋
2 ウィーンの日本ブーム
 「ゲイシャよ、きみは夜のメルへン」
 伯爵夫人ミツコ
 ジャポニスムに酔った芸術家
 ウィーンを驚嘆させた貞奴
3 ウィーンに生きる日本
 美術館にみる伝統工芸
 服装の芸術キモノ
 日本の植物と日本庭園
 日本ゆかりの墓碑を訪ねて
4 ウィーンと日本の文化交流
 東西音楽の出会い
 歌人斎藤茂吉のウィーン
 キリスト教と仏教
 広がる日本学
 スキーと碁と武道
 日本人学校と日本語学習
 ウィーン日本映画祭
 深まる経済関係

ペーター・パンツァー/Peter Pantzer/著
ユリア・クレイサ/Julia Krejsa/著
佐久間穆/訳
サイマル出版会

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