オーストリア関連

2019年9月18日 (水)

ウィーンこだわり旅ブック Ein Reisebuch von Wien mit den auserlesenen Empfehlungen

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今年8月刊行の、最新事情のウィーン、取材は3月らしい。
本書には、いわゆる観光地情報はほとんど掲載されていない。
前半に取り上げられている情報は既存のガイドブックに少しは重なるが、後半は比較的最近オープンしたお店やカフェがメインである。
なので、初めてウィーンに行く人向きではなく、何度か行っている人向きであるが、それだけに、著者と好みに合わない人にはハズレになるかもしれない。

表紙には日本語タイトルのほかに「Ein Reisebuch von Wien mit den auserlesenen Empfehlungen」と、ドイツ語タイトルもあるし、目次もドイツ語表記もある。
けれど、本文の各項目のタイトルは独英混在だったりするところもある。
たとえばオットー・ヴァグナーの郵便貯金局は「Österreichische Postsparkasse」だが、カールスプラッツ駅舎は「Karlsplatz Station」である。
シュタットバーンのカールスプラッツ駅の西駅舎は現在は駅舎としては使われておらず、西駅舎の現在名は本書にある通り「Otto Wagner Pavillon am Karlsplatz」である。
だが、著者は、駅だっとことを強調したかったのかもしれないが、「Der alte Stadtbahn-Bahnhof am Karlsplatz」だと長すぎるか。
あるいは「Wotruba Church」は、「Kirche zur Heiligsten Dreifaltigkeit」ではなくてもいいけれど、「Wotrubakirche」にしておいてほしい。

巻末にマップがあり、掲載されている建物やお店などの場所がわかる。
一部、地図のエリア外の情報もあり、それは地図には載っていない。
所在地とURLは載っているので、気になれば探すことは可能。
ただし、いずれもアクセス方法は載っていない。
まあ、大抵は歩いていけるところにあるけれど。

本文が始まる前に「Fliegen Sie mit ANA nach Wien.」という記事が4ページあるので、ANAがスポンサーになったのかもしれない。

1 Gebäude in Wien erkundigen / ウィーンの建築探訪
2 Auch mal einen Firmenbesuch wagen / 会社訪問をしてみる
3 Das alltäglich Leben in Wien / ウィーンの暮らし いつもの暮らし
4 Am Wochenende muss man auf den Flohmarkt gehen! / 週末は絶対蚤の市!
5 Verschiedene schöne Gemischtwarengeschäfte / 雑貨ショップいろいろ
6 Köstliche Mahlzeiten und Caffé / 美味しいご飯とカフェ
7 Brot, Kaffee und Desert / パンとコーヒーとスイーツも
8 Das Hotel auch ein wichtiger Punkt / ホテルも大事なポイント

塚本太朗/著
産業編集センター
https://www.shc.co.jp/book/11097

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2019年8月30日 (金)

加藤周一、米原万里と行くチェコの旅

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オーストリアからチェコをめぐる旅の中で、加藤周一さんや米原万里さんをキーにして、小森陽一氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏の各氏が語り対談した記録で、それぞれの地の様子は、ほとんど記述されないので、チェコの景色を期待してはいけない。
当然、日本の状況を重ね合わせた話になるので、社会批評でもあり、批判的立場にある人の内側も語られる。
本書を読みながら、ここ数年で、日本の狭さはますます進んだのだとひしひしと実感してしまう、ことに辛淑玉氏の語りでは。

P.25~26の「ハプスブルク家の夏の王宮でした。」は、「ハプスブルク家の夏の離宮でした。」でしょう。
P.26の写真にはちゃんと「離宮」となっているし、他のページでも「離宮」となっている。

ウィーンでは、1984年にも触れてほしかった。
展示となると、軍事史博物館にはあって見てきたけれど、他に展示されているかどうかは定かではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
今は改修で閉館だけど、ウィーンミュージアムの展示は、どうだろうか。

P.45、クーデルカの写真集、持って行ったのか。
先日、プラハから帰ってきてもう一度眺めてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-2c1ea7.html

P,180にカフカとチャペックが少し出てくるが、シュベイクについても触れてほしかったな。

小森氏も金平氏も、同世代。
加藤周一さんはむろんのこと父母か祖父母世代、米原万里さんは少し上の姉御の世代。

カラーグラビア
旅のはじめに
第1章 ハプスブルグ家に見る中欧の歴史
 1、ハプスブルグ家とウィーン
>2、権力の歴史から「主役は民」の時代へ
第2章 「プラハの春」と加藤周一
 1、加藤周一「言葉と戦車」と言葉の復権
 2、「言葉と戦車」の今日的な読み方
 3、加藤周一の文学的表現について
第3章 旅先で自らの半生を振り返る
 1、加藤周一と「九条の会」、そして私
 2、ニュースキャスターとして思うこと
 3、反転攻勢のために何が必要か
第4章 チェコの歴史と文化と闘い
 1、チェコの歴史を訪ねて
 2、チェコに見る文化の役割
第5章 米原万里とプラハ、そしてソ連崩壊
 1、プラハ時代の米原万里
 2、ソ連崩壊の過程での米原万里
 3、通訳者、小説家としての米原万里
第6章 中欧から見た日本と日本人
 1、世界から見た日本の教育
 2、リベラル左派の将来をどう考えるか
 3、日本の希望は沖縄にある
第7章 ドイツで自分の居場所を考えた
 1、ユダヤ人とテレジン収容所
 2、殺す側の理屈、殺される側の思い
旅のおわりに

小森陽一、金平茂紀、辛淑玉/著
かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/1013.html

 

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2019年8月28日 (水)

夜と霧の明け渡る日に ~ Es kommt der Tag, da bist du frei

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ナチスの強制収容所から解放された人の社会を見る眼と、その眼で見て生まれた思索を、嫌韓の世論を政府自らが煽っているかのようないまのこの国の風潮のなかで、読む。
「未発表書簡、草稿、講演」とある。
フランクルの、収容所からの解放とウィーンへの帰還、その過程で、収容所での経験からフランクルは人びとに何を伝えようと考えたのか。
「夜と霧」よりも、読むことが苦にならない。
これは、「夜と霧」とは違って本書の書簡にしろ講演にしろ、外に向けての言葉だからなのだろうかと思う。
実際のところは、フランクルがこうした言葉にするまでのプロセスがどうであったのかを知りたいところなのだが。

P.129、『そしてついに精神病院における大量殺戮が始まりました。もはや「生産的」でない生命、あるいはごくわずかの「生産性」しかないすべての生命は、文字通り「生きる価値がない」という烙印を押されたのです。』
この文章は1946年3月の講演の中で述べらえた言葉なのだが、70年以上経っても同じ言葉が繰り返さなければならない状況が存在している。
そして、強制収容所から解放された人たちへの周囲の「私たちは何も知らなかったんですよ」「私たちだって苦しんだんです」という言い訳(P.175)、これをフランクルは「責任からの逃避」(P.177)ととらえる。
フランクルは、すでに「オーストリア人の責任」にも触れている(最後にもう一度―『覆われた窓』について)のだが、この「責任からの逃避」は、世間を席巻している「嫌韓」ムード、それ以上の「反韓」ムード、あるいは大臣にある者の民主主義を否定するかのような発言に危機感が示されない状況の底、そうした状況を見聞きしている私たちの中にもあるんじゃないだろうか。

読んでいて思い出すのは、津久井の事件。
あの事件で、むかしいっしょにキャンプに行ったり余暇活動で遊んだりした人たちが、優生思想的考え方の持ち主の被告の行為によって亡くなったり傷ついたりしていることが大きな理由だが、被告についても精神障害に関わる仕事に携わっている立場からは、精神疾患がある(かもしれない)被告ということでは単なる被告としてみることはできない。
二重あの事件を見てしまう。
いまも窓口でいろいろな人に接するなかで、70年以上前からの言葉ではあれ、フランクル氏の言葉が体の中に沁みてくる。

フランクルのウィーンでの跡を探してみると、いくつかのデータがある。
生家と追放までの居住地の記念プレート、Czerningasse 6、2区。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Czerningasse)
亡くなるまで住んでいた家の記念プレート、Mariannengasse 1、9区
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Mariannengasse)
ここに2015年5月26日に「Viktor Frankl Museum」が9区の「Mariannengasse 1」に開館したようだ。
https://www.franklzentrum.org/museum/oeffnungszeiten-und-adresse.html
近くのHöfergasse 5にViktor-Frankl-Parkがある。
https://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/frankl.html
この他にも、ウィーン大学キャンパス(Altes Allgemeines Krankenhaus)に「Viktor E Frankl Gasse」、Praterstern駅の西のZirkusgasse 52の市営アパート「Viktor-Frankl-Hof」、NiederösterreichのReichenau an der Raxに「Dr. Viktor Frankl-Gasse」、KärntenのKlagenfurtに「Viktor-Frankl-Gasse」があるようだ。
次のウィーン行きでは、こうした場所をぜひ歩いてみたい。
GWのウィーン行きでは、ウィーン郊外のアム・シュタインホフ教会に行ったのだが、この教会はSozialmedizinisches Zentrum Baumgartner Höhe Otto-Wagner-Spital mit Pflegezentrum(バウムガルトナー・ヘーエ社会医療センター・オットー・ヴァグナー病院とケアセンター)内にある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-871916.html
この病院の前身は1907年につくられた「Niederösterreichische Landes-Heil- und Pflegeanstalt für Nerven- und Geisteskranke Am Steinhof」で、フランクルは1933年から1937年までここで勤務している。
ここにももしかしたらフランクルの跡が残されているのかもしれない。
また、TürkheimとKauferingのKZ跡地にもそれぞれ「Viktor Frankl Weg」「Viktor-Frankl-Strasse」があるらしい。
https://www.viktorfrankl.org/lifeandwork.html

以前、ブログのいくつかのところでフランクルはダッハウに収容されたということを書いたが、収容されたのはダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)なので、コメントで訂正しておいた。
例えば、2011年にだっはうに行ってきたときのブログ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

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はじめに
「時代の証人たち」 一九八五年六月 ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡 一九四五年~一九四七年
 強制収容所から解放されて
 きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ
 僕のそばには、すべてを変えてくれた人がいる
テキストおよび論文 一九四六年~一九四八年
 精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
 人生の意味と価値について I
 人生の意味と価値について III
 人生はかりそめのもの? いや、すべての者は召し出されている
 人生の価値と人間の尊厳
 実存分析と時代の諸問題
 人種的な理由で迫害された強制収容所被収容者の問題
 最後にもう一度―『覆われた窓』について
 現代の諸問題にサイコセラピストはどう答えるか
 『フルヒェ』紙とスピノザ
 泥棒ではなく、盗まれたものに罪があるのか?
 殺人者は我々の中にいる
記念講演 一九四九年~一九八八年
 追悼
 亡き者たちの名においても和解を
 すべての善意の人々
ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事
使用文献
訳注
訳者あとがき

ヴィクトール・フランクル/著
赤坂桃子/訳
新教出版社
http://www.shinkyo-pb.com/2019/05/23/post-1324.php

 

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2019年8月20日 (火)

芸術新潮 百花繚乱のウィーン

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「二十世紀を拓いた百花繚乱のウィーン」特集の芸術新潮、、なんと「1985年10月号」、35年近く前の芸術新潮を見つけてしまった。
なぜこの時期にウィーンなのだろう?
そして当時、ウィーンをオーストリアを、どのような眼で見ていたのだろうか。

最初の疑問の答は、池内さんの文章にある。
1984年3月28日~1985年10月6日、ウィーンのカールスプラッツに面した「キュンストラーハウス」(Künstlerhaus Wien)で「夢と現実ウィーン・1870―1930年」展(Traum und Wirklichkeit 1870 - 1930)が開かれていたのだそうだ。
http://www.hollein.com/ger/Ausstellungen/Traum-und-Wirklichkeit-1870-1930
Amazon.deを見ると、図録、あるのだな・・・・。
思わずクリックしてしまった。

ベートーヴェン・フリーズ、独語ではBeethovenfries、知らなかった事実。
冒頭に、
「クリムトのベートーヴェン・フリーズ」をご存知だろうか。部分的には画集などでみることができる。しかし全体をみた人はいないのではなかろうか。」
とある。
2006年にウィーンに行ったとき、セセッシオンでみたが、この当時は、そうだったのか。
そして「ベートーヴェン・フリーズ」のたどった歴史が、次のようであったと描かれている。
もともとは1902年の第14回分離派展でクリムトが描き、展覧会終了後は取り壊される予定だったところを、クリムトの友人カール・ライトニングハウスが買いあげる。
1915年、レーデラー家に売却。
1938年アンシュルス、レーデラー家財産は没収され国家所有(むろん、ナチス・ドイツだろう)となるが、1943年戦火を避けるためチュルンタール城に移送。
戦後、没収財産返還令によりレーデラー家所有となるが、後にアルテンブルク財団に寄託されオーストリア美術館(ベルヴェデーレ内)で修復。
1973年、オーストイア政府がレーデラー家から買い上げ、収蔵された。
1984年に開催された「夢と現実ウィーン・1870―1930年」展(Traum und Wirklichkeit 1870 - 1930)でセセッシオンに復元。

ウィーン幻想派の文章には、昨年亡くなったミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー氏の名前は出てこない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-ee45.html

その他の展覧会案内や記事、そして広告などは、このテの雑誌だからそれほど世相を直接的に反映しているわけではないが、まだバブル景気は始まっていない1985年らしさに満ち溢れている。
この年は、日本の総理大臣は中曽根康弘氏のときで、ソ連でゴルバチョフが書記長に就任、イライラ戦争の最中トルコ航空がイラクにいた日本人の脱出に協力、NTTとJT発足、聖輝の結婚、日航123便墜落事故、夏目雅子死去、任天堂のスーパーマリオブラザーズ発売ってなことがあった。
このころのレンプ大統領はルドルフ・キルヒシュレーガー(Rudolf Kirchschläger)が2期目である。
クルト・ヴァルトハイム(Kurt Josef Waldheim)が就任し顰蹙を買ったのは、翌1986年のことであった。

世紀末ウィーンへの招待 解説:池内紀、撮影:南川三治郎
20世紀への扉・建築編 近代建築を拓いたオットー・ヴァーグナー
 アム・シュタインホーフ教会
 マジョリカ・ハウス
ヴァーグナー建築散歩
オットー・ヴァーグナーの生涯
 今でも新鮮な公共建築 郵便貯金局
 市の新しい顔 カール広場駅
フロイト『夢判断』の背景
20世紀への扉・美術編 反伝統の画家・クリムト
運命の年一九一八―ヴァーグナー クリムト シーレ死す
20世紀への扉・工芸編 “美”の大衆化をはかった「ウィーン工房」
1860~1930ウィーン年表
現代の世紀末芸術「ウィーン幻想派」

新潮社

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2019年8月 4日 (日)

アール・ヌーヴォーの残照

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著者自身が訪れ撮影した世界各国の「アール・ヌーヴォー」な建築物の数々、なかにはこの建物もアール・ヌーヴォーなの?と思ってしまうものもあるが、「講義」のアール・ヌーヴォーとして捉えればいいだろう。

「イギリス」の章に「ラファエル前派」と題する文章がある。
春に「ラファエル前派の軌跡展」に行ってきたので、この文章はチェックしてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-bcc2.html
展覧会では、ウィリアム・モリスの「Arts and Crafts」がアール・ヌーヴォーの先駆だとしても、ラファエル前派と「Arts and Crafts」との関係がよく分からないで終わったのだが、ウィリアム・モリスはラファエル前派のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティを師とし、またセッティのモデルを務めた女性がウィリアム・モリスの妻となったようだ。
本書には「ロセッティは親友ウィリアム・モリスの妻ジェーンの連作を描き、ついには結婚する」と書かれているが、関係はあったようだが結婚に至ったわけではないようだ。

ジョルナイ工房の「ギュギ・コレクション」(P.263)の陶磁器は、宮川香山の高浮彫を彷彿とさせる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/100-de94.html

「現在の共産主義体制国家ロシアの首都モスクワ市民の99%は集合住宅に住んでいる。」との文章があり、共産主義時代に「貧富の差によって生まれる個人住宅の所有は許され」ず、モスクワ市内の個人住宅はあらかた取り壊され、集合住宅に建て替えられた」と続く。(P.324)
前段の「現在の共産主義体制国家ロシア」、ううむ、謎。
後段の個人住宅の所有は許されなかったとしても、市内の個人住宅とは元は個人所有の邸宅だったマンションを集合住宅に建て替え、あるいは改造した、ということではないか。
モスクワに限らず、ヨーロッパの多くの都市の建物は、そうした歴史を持っているのではないか。
メトロポールホテル(P.328)は、先日読んだ「モスクワの伯爵」が住んでいたホテルだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-453166.html

P.444に、ウラジオストック駅の手書きのスケッチに『「BARAUBOGTOK」と大きく書いてある』という記述があり、そのスケッチを見ると、案の定キリル文字の「ВЛАДИВОСТОК」であるのだが、編集者はこの辺りのチェックはスルーしてしまったのだろうか。

P.459に大連の旧横浜正金銀行の写真がある。
設計は妻木頼黄と太田毅で1909年竣工、ドームが三つあるが、このドームの形状は、横浜は馬車道にある神奈川県立歴史博物館、横浜正金銀行本店のドームとそっくりだ。
横浜正金銀行本店の設計は妻木頼黄で、1904年竣工。

小谷匡宏のヒューマニズム 建築家・隈研吾
はじめに
アールヌーヴォー建築とは
各国のアールヌーヴォーの名称
1 イギリス:ウィリアム・モリス/チャールズ・レニー・マッキントッシュ/チャールズ・ハリソン・タウンゼント/ヨーク/ラファエル前派
2 ベルギー:ヴィクトール・オルタ/アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド/ポール・アンカール/ギュスターブ・ストローヴァン/ポール・コーシー/ブリュッセル ゲント アントワープ
3 フランス:エクトール・ギマール/ジュール・ラヴィロット/エミール・アンドレ/アンリ・ソヴァージュ/リュシアン・ヴァイセンビュルガー/オーギュスト・ペレ/パリ ナンシー/メッス 74
4 オーストリア:オットー・ワーグナー/ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ/ヨゼフ・ホフマン/オットー・シェーンタール/アドルフ・ロース/ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン/アルマ・マーラー/ウィーン/トウルン
5 ドイツ:ペーター・ベーレンス/ブルーノ・タウト/エリッヒ・メンデルゾーン/フリッツ・ヘーガー/ベルンハルト・ヘットガー/ミュンヘン/バーデン・バーデン/マンハイム/ワイマール/エアフルト/ヴォルプスヴェーデ/ヴィースバーデン
6 イタリア:ピエトロ・フェノーリオ/ジョヴァンニ・ミケラッツィ/ジュゼッペ・ソマルーガ/エルネスト・バジーレ/ジュゼッペ・ブレガ/ジュリオ・ウリッセ・アラタ/トリノ
7 オランダ:ヘンドリックス・ペトルス・ベルラーヘ/ウィレム・クロムハウト/ヨハン・メルヒオール・ファン・デル・メイ/ミハエル・デ・クレルク/ピッテル・ロードウェイク・クラメル/ヨハン・ルドヴィクス・マテウス・ラウエリクス/アムステルダム/ユトレヒト/デン・ハーグ
8 スペイン:アントニ・ガウディ・イ・コルネ/ルイス・ドメネク・イ・モンタネル/ジョゼップ・プーチ・イ・カダファルク/ジュゼッペ・マリア・ジュジョール・イ・ジベルト/バルセロナ/サン・ジョアン・デスピ
9 ボルトガル:リスボン
10 ルクセンブルク:ルクセンブルク
11 スイス:ル・コルビュジエ(シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)/ルドルフ・シュタイナー/バーゼル
12 ハンガリー:レヒネル・エデン/ライタ・ベーラ/コモル&ヤコブ/ヘゲデーシュ・アールミン/バウムガルテン・シャーンドル/マールクシュ・ゲーザ/マジャール・エーデ/メンデ・バレール/ヤーンボル・ラヨシュ/ボルゾ・ヨーゼフ/アールカイ・アラダール/コーシュ・カーロイ/ピルヒ・アンドール/ジョルナイ工房/ブダペスト
13 チェコ:オズワルド・ポリーフカ/ヤン・コチェラ/ヨゼフ・ファンタ/プラハ/プルゼニュ/カルロヴィ・ヴァリ/マリアーンスケ・ラーズニエ/チェスキー・クルムロフ/チェスケー・ブディエヨヴィツェ/湖畔に建つアールヌーヴォー
14 スロヴァキア:ブラチスラヴァ
15 ルーマニア:ヴアーゴ・ラースロー・ヨージェフ兄弟/リマノーツィ・カールマーン
ティミショアラ クルージ・ナポカ アラド トゥルグ・ムレシュ 294
16 ブルガリア:プロヴディフ/コプリフシティツァ
17 スロベニア:ヨージェ・プレチニック/マックス・ファビアーニ/シリル・メトッド・コック
18 セルビア:ライヒレ・フェレンツ/ベオグラード/スボティツァ
19 クロアチア:スプリット/ザグレブ
20 ボスニア・ヘルツェゴビナ:サラエボ
21 マケドニア:スコピエ
22 ロシア:フョードル・シェーフテリ/モスクワ/サンクトペテルブルグ
23 ウクライナ:ギエフ/オデッサ/リヴネ (ロブノ)
24 ポーランド:ワルシャワ
25 フィンランド:エリエル・サーリネン/ラルシュ・ソンク/ヘルシンキ
26 スウェーデン:ラグナル・エストベリ/ストックホルム
27 デンマーク:コペンハーゲン
28 ノルウェー:アールヌーヴォーの街 オーレスンの無名の建築家達/オスロ/ベルゲン
29 ラトヴィア:ミハイル・エイゼンシュタイン/リガ
30 エストニア/タリン
31 アイルランド:タブリン
32 アゼルバイジャン:バクー
33 ジョージア:クタイシ/トビリシ
34 トルコ:ライモンド・ダロンコ/イスタンブール/イズミール
35 アメリカ:ルイス・ヘンリー・サリヴァン/マッキム、ミード、ホワイト/フランク・ロイド・ライト
36 アルゼンチン:
アルゼンチンのアールヌーヴォー建築概観/フリアン・ハイメ・ガルシア・ヌーニェス/ビルヒニオ・コロンボ/エンリケ・フォルカース/エンリケ・ロドリゲス・オルテガ/ルイ・デュボワ、パブロ・パテル、エミリオ・ユジュ
37 メキシコ:メキシコシティ
38 モロッコ:マラケシュ
39 ペルー:リマ/クスコ
40 チュニジア:チュニス
41 インド:ダージリン
42 マレーシア:クアラルンプール/ジョージタウン
43 ベトナム:ホーチミン/フエ/ハノイ
44 ブータン:ティンプー/パロ
45 ネパール:カトマンズ/バクタブル
46 中国:ハルビン/長春/瀋陽/大連/青島
47 日本:辰野金吾、武田五一、岩元禄/田上義也/今井兼次/板谷波山
コラム 世界初のアールヌーヴォー建築はなにか
コラム アールヌーヴォーを捜しにゆく:スリランカ/ブルネイ/ニュージーランド/ベラルーシ/モルドバ/ウズベキスタン/カンボジア/シリア/タイ/インドネシア
あとがき
参考文献

小谷匡宏/著
三省堂
https://www.books-sanseido.co.jp/soeisha_books/303632

 

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2019年7月28日 (日)

関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅 オーストリア編

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2016年だったかに日めくり版が放映されたときにHDに録画したのだが、その機器のDVDがディスクを認識しなくなって交換するハメになり、その機器のHDデータは救出できなかったので、しょうがない、購入してしまったのであった。
日めくり版ではないので、映像はちょっとカットされている。
https://www.nhk.or.jp/sekiguchi-tabi/himekuri/austria.html

関口クンがウィーンに到着したのは2015年9月5日で、到着したウィーン西駅にはシリアなどからの難民が溢れていた映像であった。
関口クンがウィーンに着いた20日後、西駅ではなく中央駅に行き、難民たちの間を歩いたことを思い出す。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-3c82.html

関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅 オーストリア編
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h21859AA

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2019年7月21日 (日)

[共同研究]1848年革命

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1979年の刊行、40年前の知見であるという前提で、読む。
良知力さんが書いたのは49歳の頃、良知力さんらしさはまだ生まれていないようで、ずいぶん固い文章だし、分析も機械的な印象を受ける。
一八四八年革命というと、イタリア、フランス、オーストリア、ドイツといったところは様々な文献などで知る機会は多いが、本書でハンガリーやチェコの革命についても論考されているのが良かった。
ハンガリーについては、その後の第一次世界大戦後と第二次世界大戦後の動き、1956年、そして1989年と、歴史の前面に出てくる動きがあったが、そうした歴史の経験は、現代のハンガリーを規定しているのか規定していないのか。
チェコについては、GWにプラハの街を歩いたので、1848年当時とは街並みは異なっているだろうが、その街のバリケードが築かれたツェレトナー通りや広場などの景色を思い浮かべながら、本書を読み進めることができた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-17e252.html

民主主義と社会主義、独裁政治と立憲政治、そこに民族の問題が加わると、一挙に複雑な情勢となる。
それは、いまの日韓関係が、政治的経済的な課題の解決以上に、民族観、そして歴史認識との関係から解決に向けていかなければならないのと同じようなことが起きていたのだろう。
本書では、「ドイツ人民主主義者はドイツ国内では国家統一をめざし、国外では諸民族の解放を提唱していたにもかかわらず、プラハ蜂起を民族主義的陰謀と規定することによってその非「コスモポリタン」的性格をあらわにした。(中略)こうして反革命の台頭は、ドイツ人がボヘミアのこの時期の運動の内実を正しく評価しなかった点に一因があった」(P.335~336)とする一方、「チェコ人民主主義の運動は地域的であり(中略)、地域主義を前面に押し立てたへ個人の運動は、ドイツ人にとってなんら民主主義的なものではなく、たんなる民族主義的運動と映ったのである」(P.336)としている。
こうした評価は、現在ではどうなっているのだろうか。

5月にウィーンに行っときに軍事史博物館に行ったら、ウィーン1848革命の展示があった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
市民側のビラだか政府側の布告だか、これを読めればいいなあと思ったものだ。

良知力さんの著作は、オーストリア関連でずいぶん読んできた。
向う岸からの世界史 一つの四八年革命史論(1978年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-d888.html
1848年の社会史 ウィーンをめぐって(1986年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/1848-668b.html
女が銃をとるまで 若きマルクスとその時代(1986年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-079d.html
青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年(1985年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/1848-d245.html

あと、こうした著書がある。
ドイツ社会思想史研究
初期マルクス試論 現代マルクス主義の検討とあわせて
マルクスと批判者群像
魂の現象学 一社会思想家として
ヘーゲル左派論叢 第1,3,4巻
ヘーゲル左派と初期マルクス

増谷英樹さんの著書や訳書も読んでいる。
歴史のなかのウィーン―都市とユダヤと女たち(著書・1993年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-2237.html
図説 ウィーンの歴史
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-8f65.html
ビラの中の革命―ウィーン・1848年(著書・1987年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/1848-23d9.html
橋 ユダヤ混血少年の東部戦線(訳書・1990年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-1740.html
ドイツ戦争責任論争(訳書・1999年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-f14f.html
1848年 ウィーンのマルクス(訳書・1998年)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1848-a355.html

序論
 一八四八年革命の概観と研究の課題 増谷英樹
第一章 革命思想の構造
 マルクス=エンゲルスにおける四八年革命論の基礎構造 良知力
第二章 労働者の状態と運動
 革命前夜のベルリン労働者 川越修
 「フランクフルト労働協会」と九月蜂起 増谷英樹
第三章 民主主義者・共産主義者
 四八年革命における共産主義者同盟 松岡晋
 一八四九年バーデン革命の起点 上野卓郎
第四章 農村蜂起の性格
 オーデンヴァルト農村の運動 藤田幸一郎
第五章 民族運動の展開
 ハンガリーにおける四八年革命 南塚信吾
 プラハ六月蜂起とスラヴ民族主義 稲野強
文献・史料案内
あとがき
付録 一八四八年革命史年表

良知力/編
大月書店
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b51802.html

 

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2019年7月17日 (水)

クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代

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1918年2月6日、クリムト、スペイン風邪がもとで死去。
1918年10月31日、エゴン・シーレ、スペイン風邪により死去。
1918年11月3日、オーストリア・ハンガリー帝国、休戦協定に署名。
1918年11月12日、カール1世退位。

この映画は、二人の没後100年で製作された、イタリア人の目から見たクリムトとシーレ、そしてWiener Secessionとその周辺、マーラーやフロイト、ワーグナーやモーザたちも登場し、世紀末ウィーンの芸術と20世紀21世紀へのつながりを描く。
けれど、数々のエピソードの羅列的印象で、クリムトとシーレを同時に扱うのは、同時代であり影響があったとはいえ、いささか無理ではなかったか。

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クリムトのお墓には行ったことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/elisabeth-20-29.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-90fc.html

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http://klimt.ayapro.ne.jp/

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2019年7月11日 (木)

物語 オーストリアの歴史 中欧「いにしえの大国」の千年

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本書は、いきなり、「NO KANGAROOS IN AUSTRIA」のTシャツの話題から始まる。
Tシャツは10年くらい前かららしいが、このキャンペーンは、初めて墺国に行ったときには、すでにあった。
いつだったか、欧州から物品を送ってもらったとき、当然「JAPAN」と明記してあるにもかかわらず、ジャマイカ経由で到着した経験はある。
このような経験をしていると、冗談では済まされない場合ものあるので、日本から墺国に何がしかを送るときには、送り状の国名表記のあとに「(EU)」とか「Europe」とかは、書いてはいる。
しかし、本文の内容は、最近の柔らかな新書とは異なり、極めて硬派であり、ユニークな視点によるオーストリア史である。

オーストリアの歴史というと、神聖ローマ帝国史あるいはハプスブルク史、そしてウィーンの動きが中心の歴史のように描かれているので、この国の地域や州がどのような歴史をたどり成立してきたのかということまでは、ほとんど見ることがなかった。
ウィーンだけを見ていてはオーストリアの全体像が見えないのは、ウィーンが他の地域とは異なった存在であったこと、例えば「赤いウィーン」を想起すればわかるだろうし、2016年のオーストリア大統領選挙の各州の結果、とくに第1回の結果を見てもそうだ。
http://wahl16.bmi.gv.at/1604-0.html
その意味で、州ごとの歴史によって成り立っている本書は、面白いオーストリアの歴史書籍と言える。

オーストリア公領、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、そしてオーストリア共和国となり、その領域は時代と共に変遷しているが、たとえばもともとハンガリー領だったブルゲンラントがオーストリアの州となったのは1921年であった。
そして、ショプロンがなぜ、ハンガリーの領土としてオーストリア側に食い込んでいるのか、そのことが1989年に大きな役割を果たすことになったのだが、こうした歴史は、「国境」を意識することがない日本に住んでいると、なかなか実感として掴むことは難しいのかもしれない。
また、先日読んだ「敗北者たち」に描かれていた第一次世界大戦後の「民族自決」の様相は、オーストリア=ハンガリー二重帝国が解体していく過程での暴力と生命と血の伴う混乱となり、とくにハンガリー、スロベニア、イタリアとの関係は、第二次世界大戦を経て、現在のオーストリアにおいて別の形で残っているようにも思える。
そして、オーストリアというとドナウ川とセットであるが、スイスに源を発し北海に流れ込むライン川も、オーストリアと無関係ではない。
リヒテンシュタインとスイスとの国境をなしたあと、ライン川はスイスのザンクト・ガレン州とオーストリアのフォアアールベルク州との国境となり、オーストリア、スイス、ドイツにまたがるボーデン湖に流れ込んでいる。
このように、本書によって新たなオーストリアの姿を見ることができた。

章ごとに各州の歴史「物語」が描かれ、それぞれ各州の年表が章の冒頭に付いている。
「物語」シリーズではあるが、何を持って「物語」とするかは著者それぞれの考えによるものか、本書の著者は「各州について、ただ通史をなぞるだけでなく、「物語」というタイトルにふさわしい、その地に生きる人びとの気質や生活の息遣いをも伝える」(P.436)という意図を持っていたようだ。
著者自身、時系列の記述ではないことを意識しているが、この辺りは「物語」の難しさだろう。
惜しむらくは、州ごとの地図がないこと。
パソコンがそばにあれば、州の地図を表示しながら読むことができるが、そうではないときは地名があってもどのあたりに位置しているのかがわからないのが残念至極だし、街や建物その他の写真などももっと載せてもいいのではないか。
また多く登場する様々な人たちの名前も、登場したときのエピソードの中で何をしたかが語られるが、その人の生涯がどうあったかまでは描かれない。
さらに、地域での政治経済文化の様々な分野にわたる記述は、きわめて簡潔であって、それは要を得ているとは思うのだが、もうちょっとここは掘り下げてみたいというところも数多くある。
けれども、新書でありながらすでに四百数十ページと大部であるので、地図やら何やらを加えると、とても新書では収まりきらず単行本化しなければならないだろう。

なぜだろうと思ったのは、ちょっと古い漢字を使っていること。
たとえば「イタリアのパラッツォを聯想させる壮麗な家屋群に彩られた街並み」(P.149)の「聯想」とか、「ボヘミア王オットカール二世を斃して」(P.152)の「斃」とか、「連想」や「倒」を使わなかったのは、何か意味があるのだろうか。
巻末の「読書案内」には21の文献が紹介されていて、うち読んだことがあるものは4冊、まだまだ奥は深い。

10回以上墺国に行っているとはいえ、ほぼウィーン以外には足を伸ばしたことがないので、さらにいろいろなところを歩いてみたくなる。
ニーダーエスタライヒ:メルク(1)、クレムス(2)、デュルンシュタイン(1)、メードリンク(1)、ラクセンブルク(1)
ブルゲンラント:アイゼンシュタット(1)
シュタイアーマルク:グラーツ(1)
オーバーエスタライヒ:バート・イシェル(2)、ザンクト・ヴォルフガング(1)、ハルシュタット(1)
ザルツブルク:ザルツブルク(2)
ケルンテン、ティロル、フォアアールベルクには行っていない。
墺国にひきかえ独国には4回しか行っていないが、ベルリン、バイエルン、ライン、北や東と、はるかに広く回っている。

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はじめに―各州の歴史でめぐるオーストリア
第1章 ニーダーエスタライヒ―「世界帝国」発祥の地
第2章 ブルゲンラント―幅三五キロメートルの「国境線」
第3章 シュタイアーマルク―オーストリアの「緑の心臓」
第4章 オーバーエスタライヒ―「アルプスの国」の原風景
第5章 ケルンテン―リゾート文化と右翼政治の狭間で
第6章 ザルツブルク―大司教たちの夢の跡
第7章 ティロル―翼をもがれたオーストリアの鷲
第8章 フォアアールベルク―西方への架け橋
第9章 ウィーン―異文化が交叉するミクロコスモス
おわりに
読書案内
オーストリア歴代君主一覧
人名索引

山之内克子/著
中央公論社
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/06/102546.html
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2019年6月27日 (木)

クリムト展 図録

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先日、東京都美術館のクリムト展に行ってきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-fd29f0.html

作品ごとに付された、ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア絵画館(オーストリア・ギャラリーのほうが一般的かな)の方による詳細な解説も、読み応えがある。
その他の文章などを合わせると、クリムトの生涯をたどることができる図録だ。
クリムトの親友で初期には「芸術家カンパニー」をつくってクリムトと共同で仕事をしたフランツ・マッチュ、この人はアンカー時計をデザインした人だ。
アンカー時計は何度も見ているが、先日ウィーンに行ったときに、たぶん初めて全登場人物を見てきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-1d1277.html

クリムトと日本―長きにわたる親しい関係 ステラ・ローリッグ
生命の円環―クリムト自身を映す象徴主義 ナークス・フェリンガー
クリムトと分離派 千足伸行
クリムトの「黄金様式」 小林明子
クリムトの晩年の肖像画と東洋的モティーフ―《オイゲニア・プリマフェージの肖像》を通じて 西﨑紀衣
1. クリムトとその家族
2. 修業時代と劇場装飾
3. 私生活
4. ウィーンと日本 1900
5. ウィーン分離派
6. 風景画
7. 肖像画
8. 生命の円環
グスタフ・クリムト関連年譜
主要参考文献
作品リスト

 

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