オーストリア関連

2020年9月12日 (土)

豪華映画二本立て「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」「バルーン 奇蹟の脱出飛行」

200912_a1  200912_a2
相模大野の車庫に入っていたSEが、なぜか外に出ていた。

200912_b11  200912_b12
さて、まずは「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」である。

湖のあるHeimatから汽車に乗る駅は、SHÖRFLING、そこは、Attersee、Salzkammergut。
しかし、ロケはアッター湖ではなく、南チロルだったようだ。

200912_b21
着いた駅は、ウィーン西駅(Wien Westbahnhof)だろうが、えらく小さい。
ロタンダが火事?

200912_b31  200912_b32
フランツは、フロイト教授を訪ねる。
フロイトがウィーンで住んだところは、いま、フロイト博物館となっているが、映画での映画でのフロイト教授が住む建物は、別の建物のようだ。

200912_b41  200912_b42
それで、フランツとフロイトが語り合うこのシーン。
アルベルティーナのテラスではないか。

200912_b51
フランツがフロイト教授といっしょにいくカフェは、Café Landtmannっぽい。

200912_b61  200912_b62
そして、ウィーンのゲシュタポの建物であるが、いまは存在しない。
その跡地には、「Denkmal der Opfer der Gestapo」(ゲシュタポ犠牲者のための記念碑)があるのみ。

映画は、う・・・・む、フロイトと17歳とくれば、「リビドー」に満ちた映画であった。

200912_b91  200912_b92
プログラムは、買った。

「17歳のウィーン フロイト教授 人生のレッスン」公式
https://17wien.jp/

200912_c01  200912_c02
続いて「バルーン 奇蹟の脱出飛行」。
DDRとくれば、このトートバッグでしょう。

200912_c11  200912_c12
しかし、である。
冒頭で背景が語られるが、なんと、英語。
なぜ独語じゃないんだ?
そうか、この映画はUSAも関与していたのか。

学校の成年式での歌「Unsere Heimat)は、2018年のドイツ行きで、ドレスデンのDDR博物館で聞いた(もしかしたらライプツィヒのシュタージ博物館での「WIR SIND DAS VOLK!」展でだったかもしれない)。
https://www.youtube.com/watch?v=f5wQ1AQdjlQ

200912_c21
電気技師ペーターは、Wartburg(ヴァルトブルク)を運転しているのだが、舞台がテューリンゲンだからアイゼナハで生産されていたWartburgで、Trabantではないのか。
型式は1956年に生産が始まった、Wartburg 311のようだ。
1965年にはWartburg 353にモデルチェンジしているので、入手はそれ以前なのだろう。
それにしても、1979年の脱出までよく走り続けたものだ。
もっともDDRでは車を自分で整備するのは当たり前だったので、電気技師であれば当然だったのかもしれない。
しかし、シュタージは、車を買った人物のチェックはしていないのだろうか。
ヴァルトブルクの持ち主を当たれ、というシーンは、なかった。

200912_c31
「壁」のあるBrandenburger Torと、Unter den Lindenは、CGだろうな。

200912_c41
ヘリコプターは、Mi-2だろう。

ペーターの家にあるラジオには、「REMA MON」とあったが、これだったか。
https://www.flickr.com/photos/gynti/4122835332

ペスネック(Pößneck)が舞台となるが、場所はライプツィヒの南西約80kmに位置している。
https://www.poessneck.de/de/landingpage.html
そして、脱出に成功する直前、ザイデル中佐のセリフに「ブランケンシュタイン(Blankenstein)」の地名が出てくる。
当時のDDRとBRDの国境沿いの、DDR側のエリアだ。
ただし、ロケ地はペスネック(Pößneck)ではなく、バイエルンのノルトハルベン((Nordhalben)。

200912_c51
気球が飛んだのは、ツィーゲンリュック(Ziegenrück)、降りたのは、オーバーフランケン地方の街ナイラ(Naila)

映画としては、USAがからんだせいなのか、画面上はこれでもかこれでもかとスリルの連続である。
当時のDDRの閉塞感、重圧感を表現したかったのかもしれないが、たとえば、ペーター家の長男フランクがお向かいのバウマン家(親父のエリックはシュタージだと)の娘クララに宛てた手紙をポストから取り戻すときにいきなりワンコが吠えるのは、あまりにも唐突すぎる演出だと思った。
ほかでも、シュタージが呼び鈴を鳴らしたのがいかにもペーターの家だと思わせ、じつはフランクが帰ってきたのであったというシーンも、やり過ぎじゃないかと思った。
その意味では「僕たちは希望という名の列車に乗った」のほうが、控えた演出で臨場感をたっぷり味わうことができたと思う。

「善き人のためのソナタ」のヴィースラー大尉は左遷後は封書を開ける業務についていたが、シュトレルツィク家の家族とギュンター池の家族の逃亡を許してしまったザイデル中佐、お向かいのエリック・バウマンは、責任を問われたのか。

200912_c91  200912_c92
プログラムは、買った。

「バルーン 奇蹟の脱出飛行」公式
https://balloon-movie.jp/

いずれも、アルテリオ映像館にて。
https://kac-cinema.jp/

映画の場面の画像は、トレーラーより。

| | コメント (0)

2020年9月 9日 (水)

リニューアル・オープン記念展 Ⅰ「ART in LIFE, LIFE and BEAUTY」@サントリー美術館

200909_a01
昨年秋から改修工事が行われていたサントリー美術館が、7月にリニューアル・オープンし、所蔵している品々を中心に展示する「ART in LIFE, LIFE and BEAUTY」が間も無く終了するので、行ってきた。
かつて持っていた(いまでも持ってはいるが)PowerBook G3が描かれた山本太郎氏の「熊本ものがたりの屛風 女性のハレの日金屛風」と「誰ヶ裾屏風」を除き、撮影はできる。

第1章1節 装い:浮線綾螺鈿蒔絵手箱と化粧道具
200909_a11a  200909_a11b
会場に入ったとたんに、国宝「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」、螺鈿が麗しい。
蓋は閉まっているので、蒔絵は見ることはできない。
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=1

第1章2節 装い:美人画と着物
200909_a12a  200909_a12b
重文「清水・住吉図蒔絵螺鈿西洋双六盤」
バックギャモンは、日本でも盛んだった模様。
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=184

200909_a13
重文「舞踊図」、六曲一隻分のうち三面。
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=532

第1章3節 装い:鎧兜と戦のいで立ち
200909_a14a  200909_a14b
朱漆塗矢筈札紺糸素懸威具足
200909_a14c  200909_a14d
野口哲哉氏の「YOU ARE YOU ~木下利房と仮定~」が横に置かれている。

200909_a15
碁石頭切付縫延二枚胴具足

第2章1節 祝祭・宴:祝いの調度
200909_a16
「賀茂競馬図屛風」、野口哲哉氏の武者たちが競馬を見ている。
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=538

第2章2節 祝祭・宴:宴の屛風と酒のうつわ
200909_a17  200909_a18
「切子 蓋付三段重」と「吉原風俗蒔絵提重」
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=1157

200909_a21a  200909_a21b
薩摩切子 藍色被栓付瓶

第3章1節 異国趣味:南蛮屛風と初期洋風画
200909_a19  200909_a19a
重文「泰西王侯騎馬図屛風」、ペルシア王

200909_a19b  200909_a19c  200909_a19d
アビシニア王(エチオピア王)、フランス王アンリ四世、イギリス王(諸説あり)
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=611

200909_a20a  200909_a20b
南蛮屛風
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/gallery/detail?id=524

200909_a27a  200909_a27b  200909_a27c
山口晃氏の「成田国際空港 南ウィング盛況の圖」と「成田国際空港 飛行機百珍圖」、「成田国際空港 飛行機百珍圖」の成田空港部分を拡大。

第3章2節 異国趣味:異国趣味の意匠(デザイン)
200909_a22  200909_a23
「花鳥螺鈿蒔絵聖龕」と「IHS草花螺鈿蒔絵聖餅箱」
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=173

200909_a24
IHS桜橘桐螺鈿蒔絵書見台
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=169

200909_a25a  200909_a25b
「草花鳥獣螺鈿蒔絵鮫皮貼櫃」、螺鈿で描かれた虎
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=152

200909_a25c  200909_a25d
螺鈿で描かれた楼閣、鳥

200909_a25e  200909_a25f
螺鈿で描かれた鳥、鍵

200909_a26
柏葉螺鈿沈金高杯
https://www.suntory.co.jp/sma/collection/data/detail?id=55

出品リスト
https://www.suntory.com/sma/exhibition/visual/2020_1/List.pdf

200909_a91  200909_a92
リニューアル・オープン記念展 Ⅰ ART in LIFE, LIFE and BEAUTY
9月13日(日)まで

200909_a93  200909_a94
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2020_1/index.html

200909_b01
フジフイルム・スクエアでは、「100年前にカワセミを撮った男・下村兼史 -日本最初の野鳥生態写真家-」をやっていたので、行ってきた。
下村氏が使ったR.B. オートグラフレックスと同型のガラス乾板を使うカメラが置かれていて、ファインダーを覗くことができた。
こんなカメラで、よく鳥の写真が撮れたものだ。

200909_b11a  200909_b11b
9月30日(水)まで
http://fujifilmsquare.jp/detail/20040104.html

200909_c
お昼は、蕎麦六本でおそば。
https://www.facebook.com/sobaroppon

200909_d1  200909_d2
参宮橋の「参宮橋ワイン」に寄って、オーストリアのワイン、Esterhazyの白と赤、Zahelのorangeをお持ち帰り。
https://esterhazyweinshop.at/weine/23102-gruener-veltliner-8q7e
https://esterhazyweinshop.at/weine/33102-zweigelt-y21v
https://shop.zahel.at/products/orange-t
先日、小布施から届いてはいたのだが。
https://sangubashi-wine.com/

200909_d3  200909_d4
「ODAKYU VOICE」9月号に掲載されていた。
https://www.odakyu-voice.jp/town/2020_09_townfile/
夕食に、EsterhazyのGRÜNER VELTLINERをいただく。

| | コメント (0)

2020年8月 6日 (木)

Der Weg zur Republik__Die Presse Geschichte Magazin

200502_121  200502_122
今日は、広島の日。
「共和国への道」、1918年の第一次世界大戦の敗北による帝国の終焉と共和国の誕生、そして1938年のアンシュルス(合邦)による共和国の消滅までの20年の歴史を描く。
以下の目次を見れば、どのような内容が書かれているのか、ある程度わかる。

この王朝
 オーストリア・ハンガリーは運命の帝国だったのか?
 1918:オーストリア・ハンガリー二重帝国の崩壊
最後の救助の試み
 皇帝カールのハプスブルク帝国の連邦化の申し出が届いた。
 1918年10月16日:皇帝宣言「我が忠実なオーストリア国民へ!」
崩壊と始まり
 ハプスブルク家の君主制が終了で、共和国が形成された。
 1918年10月30日:ドイツ・オーストリア国会は政府の設立を発表した。
苦い終焉まで
 1918年は、皇后に関する噂や噂話が飛び交う中傷キャンペーンの年だ。
 1918年11月11日:「私は国事には一切の利害関係を放棄する」(皇帝カール1世)
シェーンブルンその後
 宮殿は国有地となり、戦争孤児が住む。
 1918年11月12日:皇帝カール一家がシェーンブルン宮殿を出て行く
カフカと革命
 フランツ・カフカは、プラハに新国家が誕生したとき、ベッドの上で重病に倒れていた。
 1918年10月28日:プラハのヴァーツラフ広場でチェコスロバキア共和国が宣言される。
「彼らはお互いを憎む」
 スロベニア、クロアチア人、セルビア人、そしてユーゴスラビア主義の夢。
 1918年12月1日:セルビア、クロアチア、スロベニアの王国が設立された。
軍は解散する
 オーストリア-ハンガリーの兵士たちは4年間戦っていた。
 1918年11月3日:オーストリアとイタリアの間の停戦協定が署名された。
共和国宣言
 新国家の正式な建国にはまだ儀式的な行為が必要だ。
 1918年11月12日:国会前でドイツ・オーストリア共和国を宣言。
革命?
 オーストリアは古典的な意味での革命を経験していない。
 1918年10月/11月:無血の移行が助け合う。
国の領土のために戦う
 この新しい国の境界線はどこにあるのだろうか?
 1920年10月1日:ブルゲンラントの統合。
 1920年10月10日:ケルンテンで国民投票。
合邦理念
 ドイツへの併合という考えは、小国オーストリアの万能薬になる。
 1918年19年:小さな国は、経済的には生き残れないと考えている。
革命の妖怪
 赤衛兵が恐れられ、ブルジョアジーは死後硬直状態が続いている。
 1918年11月:ロシアではボリシェビキが支配している。オーストリアではもうすぐ?
復帰を残念に思う
 囚われの身と兵士たちのトラウマ。
 1918年19年:ロシアからの帰国者は歓迎されているとは思えない。
創設者の死
 ビクトール・アドラーは共和国の宣言を見るまで生きていない。
 1918年12月11日:社会民主労働党のビクター・アドラー委員長が死去。
妥協のない批評家
 君主制の終わりとともに、カールク・ラウスは彼の根本的な批判が確認されたのを見た。
 1918年19年:「人類の最後の日。5五幕の悲劇」は、「トーチ」の4版に現れる。
パンデミック
 エゴン・シーレは、他の何百万人と同様に、スペイン風邪で死亡した。
 1918年10月31日:エゴン・シーレは28歳でウィーンで死んだ。
借りた解放
 戦争中女性は制度を維持した。
 1914年-1918年:武器産業の女性、ひとり親としての女性。
女性参政権
 それに反対する好奇心旺盛な議論と、それに反対する抗議が増えている-女性参政権。
 1919年2月19日:オーストリアで初めて女性に選挙権が与えられた。
軽蔑される少数派
 ユダヤ人は1918年の共和国を不安視している。
 1918年:ユダヤ人難民がウィーンに群がる。ジークムント・フロイトは共和国を歓迎する。
短命
 新しい民主主義の良い局面は短期間だけ続き、その後に危機が訪れる。
 1918年-1938年:共和国が民主的なのは16年だけで、1938年には消滅している。

Die Presse Verlags-Gesellschaft m.b.H. Co KG
https://shop.diepresse.com/die-presse-shop/geschichte-magazin-der-weg-zur-republik-1

| | コメント (0)

2020年7月 7日 (火)

オーストリアの風景

200418_001  200418_002
2015年の刊行だが、文章や写真は2005年に亡くなった浮田典良氏の文章や写真、そのほかの執筆者の文章や写真で、20世紀最後の頃から刊行まで十数年にわたっている。
個人の旅行記、今で言えば旅ブログを読んでいるような印象であり、文章の対象の情報は、アクセス方法や所在地など、何もない。
写真にしても、その対象を説明するようなキャプションではなく、筆者の印象を写し取って載せたような雰囲気なのだが、それは、執筆者自身が「見聞をもとにまとめてみた」(P.5)と書いていることで頷けるものはある。
何度か行っている人なら、本書が伝えたいこと、ガイドブックに載っていないような「風景」(執筆者によれば、「われわれが精一杯「視覚」を働かしてキャッチできるもののうち、キャッチする側が何らかの意味をもつものとして捉えることのできるもの」、P.4)のイメージは伝わるだろうが、オーストリアが初めてだと、本書から「ここに行きたい」と思い至るのは、少し難しいかもしれない。
そして、写真が小さいのが難点だが、大きくすると本書のサイズでは収まりきらないだろう。
各編とも2ページの仕様。

P.18はヴォルツァイレのハイナーさん、5年前(もうそんなになるか)に行った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-50c8.html
ケルントナーにもあるのに、ヴォルツァイレとは。

P.34のCafé Westend‎、何度か入った。
この名称、お店がマリアフィルファー通り(Mariahilfer Str.)とギュルテル(Gürtel)の角にあるので、マリアフィルファー通りの西端だからだろうと想像していたのだが、現代のマリアフィルファー通りはギュルテルを超えてさらに西、シェーンブルン宮殿正門から北に伸びるシュロスアレー(Schloßallee)まで続いている。
ギュルテルは、もとはウィーンの外縁部を取り巻く市壁「リーニエンヴァル」(Linienwall)だったところで、1894年から取り壊されて環状道路ギュルテルが造られたのだが、それまでのマリアフィルファー通りはリーニエンヴァルでおわったのだろう。
お店のサイトには創業1895年らしいので、この当時はマリアフィルファー通りの西端にあった、ということだろう。
http://cafe-westend.at/
ウィーン西駅の始まりは、まだリーニエンヴァルのあった、皇后エリザベート鉄道(Kaiserin Elisabeth-Bahn、KEB)のウィーン西駅(1858年12月15日にウィーン西駅からリンツまで開通、1860年8月1日にザルツブルグまで開通)なので、リーニエンヴァル取り壊しのあとは駅前の一等地のお店となったとも言える。
https://de.wikipedia.org/wiki/Kaiserin_Elisabeth-Bahn
古い時代の地図と現代の地図を重ね合わせた地図を、ここから閲覧できる。
「Historische Stadtpläne」にチェックを入れて、閲覧したい年代を選択できる。
https://www.wien.gv.at/kulturportal/public/
200418_005_1887  200418_005_1904
左が1887年、右が1904年。いずれも赤丸がCafé Westend‎の場所。

P.47で、執筆者浮田典良氏の定宿が「クルーガー通りにある」と書かれているが、Hotel Zur Wiener Staatsoper、寅さんが泊まったホテルだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/krntner-str-778.html

フランツ・ヨーゼフがウィーンからバート・イシェルまで行くのにどのくらいの時間がかかったか、ウィーンからリンツまで船、リンツからグムンデンまで馬車鉄道、トラウン湖を船で行き、エーベンゼーからバート・イシェルまで馬車、都合50時間(うち馬車鉄道が6時間)だったそうな。(P.101)

200418_004
本書でとりあげたところを、「歩き方」のマップに落としてみた。
200418_003

目次では、執筆者(敬称略)もメモしておく。
浮田典良→(浮田)
加賀美雅弘→(加賀美)
藤塚吉浩→(藤塚)
呉羽正昭→(呉羽)
また、下線は行ったことのある場所。

まえがき(浮田)
浮田典良先生の思い出
オーストリアとはどんな国(加賀美)
 キーワードで示してみる(浮田)
 アルプスと丘陵・平原(浮田)
 ドナウ川とオーストリア(浮田)
 ハプスブルクの遺産(加賀美)
 オーストリアの気候(浮田)
 畜産に重点を置いた農業(浮田)
 オーストリアの観光(1)(浮田)
 オーストリアの観光(2)(浮田)
 オーストリアの地域中心都市(藤塚)
 オーストリアの鉄道(加賀美)
 オーストリアのホテルと民宿(加賀美)
 オーストリアのカフェ(加賀美)
 オーストリアの料理(加賀美)
 オーストリアのビールとワイン(加賀美)
オーストリア九つの州
 ウィーン州
  1.ウィーン特別市(藤塚)/2.ウィーンの概観(浮田)/3.ウィーンの旧市街(浮田)/4.ウィーンの市電(浮田)/5.音楽を楽しむ町(浮田)/6.クリスマスの風情(浮田)/7.ウィーンの生活に触れる(浮田)/8.ユダヤ人が残した風景(加賀美)/9.外国人が暮らすブルネン小路(加賀美)/10.ウィーンの森(加賀美)/11.ラクセンブルク(加賀美)
 ブルゲンラント州
  12.ブルゲンラント州(浮田)/13.アイゼンシュタット(浮田)/14.ノイジードラー湖(浮田)/15.ルスト(浮田)/16.バート・タッツマンスドルフ(浮田)
 ニーダーエスターライヒ州
  17.ニーダーエスターライヒ州(浮田)/18.バーデンとシュネーベルク(浮田)/19.レッツ(浮田)/20.サンクト・ペルテン(浮田)/21.メルクヴァッハウ渓谷(浮田)/22.デュルンシュタインクレムス(浮田)
 オーバーエスターライヒ州
  23.オーバーエスターライヒ州(浮田)/24.リンツ(浮田)/25.ドナウ川下り(浮田)/26.ケルシュバウム(浮田)/27.シュタイヤー(浮田)/28.シュタイヤーのクリスマス(浮田)/29.ヴェルス(浮田)/30.鉄道馬車の名残り(浮田)/31.バート・ハル(浮田)/32.バート・シャラーバッハ(浮田)/33.グムンデン(浮田)
 ザルツブルク州
  34.ザルツブルク州(加賀美)/35.ザルツブルク(加賀美)/36.ザルツブルク音楽祭(加賀美)/37.ツェル・アム・ゼー(加賀美)/38.グロースグロックナー・ホッホアルペン道路(加賀美)
 ザルツカンマーグート
  39.ザルツカンマーグート(加賀美)/40.サンクト・ヴォルフガング湖(加賀美)/41.バート・イシェル(加賀美)/42.ハルシュタット(加賀美)
 シュタイアマルク州
  43.シュタイアマルク州(浮田)/44.センメリンク(浮田)/45.グラーツ(浮田)/46.リーガースブルク(加賀美)/47.シュトゥービンク(加賀美)/48.南シュタイアマルク・ワイン街道(加賀美)
 ケルンテン州
  49.ケルンテン州(浮田)/50.クラーゲンフルト(浮田)/51.ミニムンドゥス(浮田)/52.ヴェルター湖(浮田)/53.マリア・ヴェルト(浮田)/54.トレポラッハ村(浮田)/55.マリア・ザールとフリーザッハ(浮田)/56.バート・クラインキルヒハイム(浮田)
 チロル州
  57.チロル州(浮田)/58.インスブルック(呉羽)/59.ノルトケッテ(呉羽)/60.ブレンナー峠(呉羽)/61.イエンバッハ(呉羽)/62.キッツビューエル(呉羽)/63.サンクト・アントン(呉羽)/64.伝統的なスキーリゾート(呉羽)/65.エッツ谷(呉羽)/66.ゼルデン(呉羽)/67.東チロル(呉羽)
 フォアアールベルク州
  68.フォアアールベルク州(呉羽)/69.ブレゲンツ(呉羽)/70.ブレゲンツァーヴァルト(呉羽)/71.モンタフォン(呉羽)
参考文献
あとがき

浮田典良/著
加賀美雅弘/著
藤塚吉浩/著
呉羽正昭/著
ナカニシヤ
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b200202.html

| | コメント (0)

2020年6月26日 (金)

ニーベルンゲンの歌 前編 後編

200405_011  200405_012
成立は13世紀初頭とされているが、もともとは5、6世紀のブリュンヒルト伝説とブルグント伝説が語り継がれてきたもののようだ。
しかし16世紀には忘れさられてしまい、現在では1755年にオーストリア西部フォアアールベルクのホーエン・エムス伯爵の図書館発見された写本A(13世紀末)、1768年にザンクト・ガレンにある修道院図書館から発見された写本B(13世紀半ば)、は19世紀半ばに発見された「ホーエン・エムス・ラスベルク本」と呼ばれる写本C(13世紀前半)で、写本Cは写本Bの改作とされているようだ。
本書は、写本Cの新訳である。
おおざっぱに歴史を見てみると、5、6世紀から13世紀といえば、日本では聖徳太子の摂政の時代が6世紀の末から7世紀、大化の改新が7世紀中頃、平城京遷都が8世紀はじめ、8世紀末に平安京遷都、藤原氏の全盛期が9世紀から10世紀、鎌倉幕府成立が12世紀末である。
ヨーロッパでは4世紀からゲルマン諸民族が西に向かい、フランク王国や西ゴート帝国の成立、西ローマ帝国の滅亡を経て、9世紀にフランク王国が三つに分割され、10世紀に神聖ローマ帝国が成立、モンゴルの西征が13世紀という時代である。

200405_031
地図をチェックしておきたい。
ヴォルムス:ブルグント族の本拠地
ベッヒェラルン:辺境伯リューディガーの街
エッツェルンブルク:エッツェル王の都

ドイツやオーストリアで行われている騎士まつりに行きたくなってくる。
騎士まつりの時代設定は、ニーベルンゲンの歌の時代とは異なっているが。
そして、ワグナーは、この叙事詩からどんなプロセスで「ニーベルングの指環」をつくりあげたのだろうか。

石川栄作/訳
筑摩書房
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480428165/
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480428172/
200405_021  200405_022

| | コメント (0)

2020年5月30日 (土)

Österreicher im zweiten Weltkrieg / Krone Magazin Geschichte

190924_011
「第二次世界大戦のオーストリア人」、タイトルのとおり、第二次世界大戦下のオーストリア人のさまざまな経験が特集されている。
ÖSTERREICHER BEI DER WEHRMACHT(国防軍のオーストリア人)では、いろいろな映画などで描かれる「ドイツ軍」のなかには、オーストリア出身の兵士や将校たちがいたのかもしれない、いたはずだと、改めて考えた。
だとしたら、占領地での「ドイツ軍」の行為は、もしかしたら「オーストリア人」の行為だったのかもしれない、ということだ。
また、ドイツ国防軍の約2000人の将軍のうち、121人がアンシュルス後オーストリア軍から配置されたようだが、きっとここにトラップ大佐佐(トラップ氏はKorvettenkapitän=海軍少佐あるいはKapitän=艦長であって海軍大佐ではないのだが、"Kapitän"と呼ばれたことが、"Captain"=大佐と混同されたらしい))も呼ばれた、ということだろう。

そして、オーストリア人の「抵抗」についてもページを割いている。
これは、日本の文献ではあまり触れらられることはないようだが、対独レジスタンスの「戦死」あるいは「処刑」された人びとの確認可能数は(中略)オーストリアで一万八八〇〇」(「ドイツ史 3」、1997年、山川出版社、P.305)とあって、1938年3月12日のアンシュルス後の1938年4月10日の選挙で99.73%の賛成票であっても、それを是としない人たちが多くいたのだろう。

また、子供たちや若者のナチス・イデオロギーへの取り込みについても書かれている。

86ページの爆撃されている写真は、ウィーンの南ウィーナー・ノイシュタット、1911年にオーストリアで初めて飛行機が飛んだ飛行場がある。
1190924_012
Wiener Neustädtの歴史
https://www.wiener-neustadt.at/de/stadt/geschichte

最後に、シュテファン寺院の再建についての記事がある。
シュテファン寺院の火災についてはこれまでも知ることができていたが、1945年4月10日にソ連軍とドイツ国防軍との「ウィーンの戦い」の最中、シュテファン寺院から白い旗が掲げられたこと、その報復としてシュテファン寺院の破壊を命じられたドイツ国防軍大尉が命令を拒否したことは、本書で初めて知った。
2019年にウィーンに行ったときにj、シュテファン寺院周辺では、修復のパネル展示が行われていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-642d97.html

IMPRESSIONEN / 印象
写真での第二次世界大戦の道
ÖSTERREICHER BEI DER WEHRMACHT / 国防軍のオーストリア人
インタビュー:軍事史家M.クリスチャン・オルトナー
MUTTERKREUZ UND ARBEITSDIENST / 母親十字章と勤労奉仕
国家社会主義時代の女性の生活
HILERS "SOLDATEN DER ARBEIT" / ヒトラーの労働戦士
インタビュー:大学教授ローター・ホーベルト
「主要な要因としての反ユダヤ主義」
インタビュー:系図学者ゲオルク・ゴーグシュ
ZEITLEISTE ZWEITER WELTKRIEG / 第二次大戦年表
戦争の勃発からゼロ時まで
WER WAR IN DER PARTEI? / 党に参加したのは誰?
インタビュー:弁護士で歴史家のマイケル・ウラディカ
ÖSTERREICHER IM WIDERSTAND / 抵抗するオーストリア人
抵抗運動と抵抗戦士
"PIMPF" UND "JUNGMÄDEL" / 「少年」と「少女」
国家社会主義の子供時代
LUFTKRIEG ÜBER ÖSTERREICH / オーストリアの空中戦
連合国の爆撃機編隊の攻撃対象としてのオーストリア
SCHLACHT UM WIEN / ウィーンの戦い
赤軍はどのように数日でウィーンを占領したか
DER WIEDERAUFBAU BEGINNT / 再建が始まる
シンボルとしての聖シュテファン大聖堂の再建

| | コメント (0)

2020年5月13日 (水)

Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914–18

200502_001  200502_002
タイトルは「オーストリア・ハンガリーの巡洋艦と駆逐艦 19194-1918」、第一次世界大戦期の巡洋艦と駆逐艦の英語のブックレットである。
ウィーンの軍事史博物館で買ってきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-a344d8.html

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦は、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Kaiser Franz Joseph I)」と「皇后エリーザベト(Kaiserin Elisabeth)」の二隻で、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Kaiser Franz Joseph I)」は戦後回航途中に座礁沈没してしまった。
一方、「皇后エリーザベト(Kaiserin Elisabeth)」は青島に派遣されていて、青島のドイツ軍とともに日本軍と戦い、ドイツ銀行服の前に1914年11月2日に自沈処分された。
この艦は日本との因縁浅からぬものがあり、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が日本に来たときに乗船していた、横浜開港50周年記念祝典に参列するなど、何度も親善訪問している。
以前、まとめたことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kaiserin-elisab.html
本書では、こうした経緯は書かれていない。

はじめに
二重帝国海軍の巡洋艦と駆逐艦
・皇帝フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦
・SMS(Seine Majestät Schiff、皇帝陛下の艦)皇后にして国王マリア・テレジア
・ツェンタ級防護巡洋艦
・SMS皇帝カール6世
・SMSザンクト・ゲオルク6世
・フサール級駆逐艦
・SMSアドミラル・シュパウンとノヴァーラ級軽駆逐艦
・タトラ級とトリグラフ級駆逐艦
二重帝国海軍の巡洋艦と駆逐艦の第一次世界大戦での作戦
・アドリア海への最初の連合軍の前進を阻止する
・アドリア海北部および中央部の保護
・アドリア海南部の保護
・ロンドニ岬/ガルガーノの戦い、1915年12月28〜29日
・オトラント海峡
・オトラント海峡海戦、1917年5月14〜15日
・戦争の最終年
結論
書誌
索引

Ryan K.Noppen/著
Paul Wright/イラスト
Osprey Publishing
https://ospreypublishing.com/austro-hungarian-cruisers-and-destroyers-1914-18

| | コメント (0)

2020年5月 2日 (土)

Die Ringstraße - Geschichte eines Boulevards

200502_101
サブタイトル「大通の歴史」とあるように、ウィーンの旧市街を取り巻くリンク通りの、昔からあった市壁の解体からの歴史解説である。
1857年、オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、ウィーン市街を取り囲んでいた市壁を取り壊し、また、市壁の周囲にあったグラシ(斜堤)を撤去し、環状の道路(Ringstraße)の建設が始まった。
1865年5月1日、フランツ・ヨーゼフ1世はブルク門の前で開通を宣言下が、この時点ではまだ全部の完成ではなかったのだが、150年後の2015年には、リンク開通150周年が祝われた。

先日読んだ「ウィーン ブルジョアの時代から世紀末へ」と重なる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-5019d5.html

目次のタイトルと、そのページのタイトルが微妙に違う。
間違っているわけじゃないけれど。
ということで、目次、該当ページタイトルなどを書いておこう。
Der Plan/Gesamtkunstwerk Ringstrae:リンク沿いの二十の建物の簡単な案内
Einst und jetzt/(タイトルなし):今昔の写真、Opernring、Burgring、Dr.-Karl-Renner-Ring、Universitätsring、Schottenring、Franz-Josefs-Kai、Stubenring、Parkring、Schubertring、Kärntnerring
Ende der Befestigung/Wien befreit sich von seinen Fesseln:市壁撤去の前後の様子
Die Straße als Bühne/Eine Straße als Bühne der Gesellschaft:リンクの役割、かな
Die Hauptdarsteller/Ihr Auftritt bitte!:リンクに関わった6人の人物紹介
Die Gesellschaft/Der Vormarsch der Ringstraßengesellschaft:リンクの発展、さまざまな機会に見た絵なども載っているし、現存する建物の当時の画像もあるので興味深い
Jüdisches Bürgertum/Man will wohnen an der Ringstraße:リンクに住みたい
Die Bauwerke:8つの建物
・Votivkirche/Die Votivkirche - Wiens Westminster Abbey?:ヴォティーフ教会
・Staatsoper/Ouvertüre der Ringstraßenära:歌劇場
・Universtät/Die Universtät - der Palast der Wissenschaften:ウィーン大学
・Börse/Die Börse - der rote Burg des Geldes:証券取引所
・Rathaus/Das Rathaus - Kathedrale der Bürger:市庁舎
・Burgtheater/Das Burgtheater - eine nationale Meistererzählung:ブルク劇場
・Parlament/Das Parlament - Hellenismus an der Ringstraße:国会議事堂
・Museen und Neue Burg/Kunst und Natur - die Museumszwillinge:美術史美術館と自然史博物館
Architekturgespräch/Das Wichtigste ist:Leben schaffen mit Architektur:建築について
Parks und Gärten/"Atem den Duft der Rosen":フォルクスガルテンなど
Erste Adresse/Ein Boulevard (nicht nur) für Gäste:ホテル
Im Kaffeehaus/"Die Ringstraße bräuchte eine Gebietsbetreuung":リンク沿いのカフェ
Auf- und Absteiger/Von oben nach unten:リンクに関わった6人の人物紹介
Das 20. Jahrhundert/"Diese Stadt ist in meinen Augen eine Perle":20世紀のリンク、戦争
Moderne Ringstraßenarchitektur/Die Lücken, die sich füllen mussten:現代建築
Zeitraffer/Die Straße wächst heran Eine Chronologie:1857年から1955年までのリンク
Quellen/

https://shop.diepresse.com/die-presse-shop/geschichte-magazin-150-jahre-ringstrasse
200502_102

| | コメント (0)

2020年4月25日 (土)

HISTORISCHE FLUGZEUGE

181113_061
出版年は不明だが、東独で刊行された「歴史的航空機」である。
掲載されている飛行機の選択基準は、よくわからない。
オーストリアから、第一次世界大戦で日本が青島を攻略したときに、ドイツ側の偵察機として使用された「タウべ」が登場している。
日本の飛行機は、取り上げられていない。

845953_2327070032_40large
出版社の「トランスプレス出版社ベルリン(Transpress VEB Verlag für Verkehrswesen Berlin)」は、1960年にベルリンに設立された、鉄道や交通を専門とする出版社らしい。
再統一後、「ポール・ピエッチ出版社(Paul Pietsch Verlag)」に吸収されたようだ。
http://www.paul-pietsch-verlage.de/index.php?aktion=ausgabe&saktion=geschichte&sort=6701.02&grp=0&ump=6701.02&mp=&lk=&darst=&bestnr=&autornr=&sustr=&datsatz=0&detail=&saktion1=&id=xw99900Z0jNOklDpEFjlF53uLD20200419155917
「Bezirksschule der Zivilverteidigung 1115 Berlin」のスタンプと「249」という番号も書かれているので、「市民防衛ベルリン地区学校」の蔵書だったのかもしれない。
「1115」は、当時の郵便番号か。
「Zivilverteidigung」については、Wiki(独語版)に説明がある。
https://de.wikipedia.org/wiki/Zivilverteidigung_der_DDR

序文

航空機技術の進歩
掲載されている写真は、オットー・リリエンタール、ハンス・グラーデ、オーヴィル・ライト、フーゴー・ユンカース、アンドレイ・ニコラエヴィッチ・ツポレフ。

ベルギー
SABCA S-2

チェコスロバキア
Avia B-534
Letw S-328
Prafa E-114 "Air Baby"

ドイツ
Albatros B-I
Albatros B-II
Albatros C-V
Albatros C-VII
Albatros D-I
Albatros G-III
Albatros L-75 "Ass"
Albatros W-4
Albatros W-8
Blohm & Voss Ha-139
Blohm & Voss Ha-142
Buucker Bü-131 "Jungmann"
Dornier Do B "Merkur"
Dornier Do C-3 "Komet I/II"
Dornier Do D-1
Dornier Do X
Dornier Do-18
Dornier Do-26
Dornier Rs-I
Dornier Rs-II
Dornier Rs-III
Dornier Rs-IV
Dornier "Spatz"
Dornier "Wal"
Fieseler Fi-156 "Storch"
Focke-Wulf A-16
Focke-Wulf A-17 "Möwe"
Focke-Wulf F-19 "Ente"
Focke-Wulf FW-44 "Stieglitz"
Focke-Wulf FW-56 "Stösser"
Focke-Wulf FW-200 "Condor"
Fokker D-VII
Fokker Eindecker
Fokker "Spinne"
Friedrichshafen FF-33
Grade Eindecker
Heinkel He-45
Heinkel He-46
Heinkel He-50
Heinkel He-51
Heinkel He-59
Heinkel He-60
Heinkel He-63
Heinkel He-70 "Blitz"
Heinkel He-111
Heinkel He-116
Heinkel He-176
Heinkel He-178
Junkers F-13
Junkers G-23
Junkers G-24
Junkers G-38
Junkers Ju-52 / 3m
Junkers Ju-90
Junkers W-33
Lilienthal "Gleitflugzeug"
Messerschmitt M-20
Messerschmitt Me-108 (Bf-108)
Messerschmitt Me-109 (B f-109)
Rohrbach "Roland"
Rohrbach "Romar"
Siebel Fh-104
Siebel Si-202 "Hummel"
Siebel Si-204
Udet U-12 "Flamingo"
Zeppelin Staaken 8301

フランス
Blériot "La Manche" "La Manche"
Blériot XI/2
Bréguet XIX
Bréguet 462
Bréguet 521 "Bizerte"
Caudron G-3
Dewoitine 338
Farman MF-7
Latécoère 28
Nieuport-Dunne
SPAD 13

大英帝国
Boulton-Paul "Defiant"
De Havilland DH-2
De Havilland DH-60 "Moth"
De Havilland DH-89A "Rapide"
Fairey "Swordfish"
Handley Page 0/400 (H. P. 12)
Handley Page V/1500
Hawker "Hurricane"
S. E. 5 und S. E. 5a
Short "Calcutta"
Short "Empire Boat" (C-Klasse)
Short "Singapore"
Sopwith "Camel" F. I
Sopwith "Pup"
Sopwith 7 F. I "Snipe"
Vickers Supermarine "Spitfire"
Vickers "Vimy"

イタリア
Breda 25
Aeronautica macchi MC-72
Aeronautica macchi MC-94
Aeronautica macchi MC-200
Savoia-Marchetti S-73 (S-81)

オランダ
Fokker F. VII-3m

オーストリア
Etrich "Taube"

ポーランド
PZL Ł-2
PZL-5
PZL P-11C
PWD-2
PWD-4
PWD-8
PWD-10
PWD-13

ロシア
"Ilja Muromez"
"Russki Witjas"

ソ連
Berijew Be-2 (MBR-2, Np-1)
Berijew KOR-1
Bolchowitinow BI-1
ChAI-1
Grigorowitsch I-2 bis
Iljusshin Il-2
Iljusshin Il-4 (ZKB-30, DB-3)
Iljusshin Il-10
Jakowlew Ja-6 (AIR-6)
Jakowlew Jak-1 (I-26)
Jakowlew Jak-3 (I-30)
Jakowlew Jak-4 (BB-22)
Jakowlew Jak-15
Jakowlew UT-1 (AIR-14)
Jakowlew UT-2
Jermolajew Jer-2 (DB-240)
Lawotschkin-Gorbunow-Gudkow LaGG-3 (I-301)
Lawotschkin La-5
Lawotschkin La-7
Lawotschkin La-11
Li-2 (PS-84)
Milpjan-Gurewitsch Mig-1 (I-61)
Milpjan-Gurewitsch Mig-3 (I-200)
Milpjan-Gurewitsch Mig-9 (I-300)
Mjassischtschew DWB-102
Petljakow Pe-2
Petljakow Pe-8 (TB-1, ANT-42)
Polikarpow I-1 (IL-400bis)
Polikarpow I-3
Polikarpow I-5
Polikarpow I-15 (ZKB-3)
Polikarpow I-16
Polikarpow I-153
Polikarpow Po-2 (U-2)
Polikarpow R-5
PS-89 (SIG-1)
R-1
Schawrow Sch-1 / Sch-2
Schtscherbakow Schtsch-2
Stahl-2
Suchoj Su-2 (ANT-511-360)
Tupolew ANT-2
Tupolew ANT-3 (R-3)
Tupolew ANT-4 (TB-1)
Tupolew ANT-5 (I-4)
Tupolew ANT-6 (TB-3)
Tupolew ANT-9
Tupolew ANT-14
Tupolew ANT-20 "Maxim Gorki"
Tupolew ANT-20bis
Tupolew ANT-22 (MK-1)
Tupolew ANT-25 (RD)
Tupolew ANT-35 (PS-35)
Tupolew ANT-40 (SB)
Tupolew ANT-44 (MTB-2)
Tupolew TU-2 (ANT-58)

アメリカ
Bell X-1
Bellanca WB-2 "Columbia"
Consolidated Modell 28 "Catalina"
Dougas "Cloudster"
Lockheed "Orion"
Martin Model 170 "Mars"
Martin MB
Ryan MYP "Spirit of St. Louis"
Sikorsky S-38
Sikorsky S-40
Sikorsky S-41
Sikorsky S-42
Wright "The Flyer"

HEINZ A. F.SCHMIDT/著
Transpress VEB Verlag für Verkehrswesen Berlin

| | コメント (0)

2020年4月23日 (木)

鉄道のドイツ史 帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ

200322_011  200322_012
「鉄道のドイツ史」であって「ドイツの鉄道史」ではない。
鉄道をめぐる、ドイツの経済史であり社会史である。
以前「ハプスブルク帝国の鉄道と汽船」を読んだことがあって、そのドイツ版かと思ったのだが、違った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-b7bc.html

「ドイツ」といっても、その実態は時代によって大きく変わるので、著者は「ドイツ語圏」と表現しているようだ。
ドイツに鉄道が開通したのは1835年、当時はオーストリア帝国、プロイセン王国、4のの帝国自由都市(リューベック、フランクフルト、ブレーメン、ハンブルク)その他の領邦からなる「ドイツ連邦」は存在していたが、統一された「ドイツ」という国はまだ登場していない。
その「ドイツ連邦」、普仏戦争で成立した「ドイツ帝国」、第一次世界大戦後の「ヴァイマル共和政のドイツ」、さらに第二次世界大戦後の東西ドイツ、1990年の再統一後のドイツ、それぞれの領土は、絶えず動いていた。
その「ドイツ」のつかみどころのなさを、本書「鉄道のドイツ史」でどのように伝えているか。
例えば、目次を見たところ、本書の記述は経年的になっているように思うのだが、実際は、各章の中でも歴史的に記述されていて、ある章からある章に移ったときに、前章の時代から記述が続いているわけではなく、再び以前の時代に戻り別のテーマで記述される。
そのテーマも多様だし、「ドイツ鉄道」とは直接関係のなさそうな記述も出てくる。
ドイツの鉄道は、最初から単一の「ドイツ鉄道」として発展してきたのではないことから、本書のテーマが多様さに満ちてしまうのは当然なのだが、ある意味では、本書そのものが、著者が伝えたい「ドイツ」のつかみどころのなさを表すことになったのだろう。

このことからか、本書の構成は、「ドイツ語圏」にある様々な国・領邦のそれぞれの産業の発展と諸国間の関係や鉄道へのかかわり、1871年の、プロイセン国王ヴィルヘルム1世をドイツ帝国皇帝とした統一国家を経ての鉄道、戦争、戦間期、そして戦争、東西分裂と再統一といった鉄道をめぐる190年ほどの歴史のなかで、1848年革命までが約半分、ライヒスバーンの成立(1920年)までの約90年についての記述が本書の三分の二以上のページを占めることになっている。
そのためか、WWIでの様子はあっけないほど少ないし、ライヒスバーン設立後の記述、WWII以後の記述も少ないように思う。
DDR時代の国鉄は「DR(Deutsche Reichsbahn)」との名称を使っていたが、帝国時代ナチス時代からの「Reich」をそのまま使用し続けたことにも触れている(P.254)のが興味深い。

P.141に、「一九八〇年代以降の欧米やそれに触発されたわが国のドイツ「三月革命」史研究が、従来の思考の固い枠組みを離れて着目したのは、もちろん市民ならざるものたちであった」という記述があり、続いて『「乱痴気」「向こう岸」といった印象的な単語が「三月革命」史に登場したとき、私たちの司会は一気に広がった』とある。
「乱痴気」「向う岸」と言えば、「青きドナウの乱痴気」「向う岸からの世界史」だろうし、良知力氏の名前が思い出される。
「乱痴気」「向う岸」もドイツ「三月革命」と同じ一八四八年革命の流れでの、ウィーンでの様相を言い表しているので、参考文献には出てきていない。
著者とは世代は異なるが、どこかで繋がりがあったのだろうか。

P.171に、ライプツィヒ-ドレスデン鉄道が1839年に全通したとの記述があるが、この路線は2018年にライプツィヒからドレスデンまで、ICEに乗って約1時間で走った。
そのときは、そんな古い歴史のある路線であることは、知らなかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_5-von-leipzig.html

ドイツを鉄道で移動すると、大きな街からの出発であっても、列車はすぐに都市ではないところを走る。
都市、街、村は、それぞれが独立して存在している。
そうした景色を思い浮かべながら本書を読むと、つかみどころのない「ドイツ」の鉄道が、どのように現在の姿になったのかのイメージもつかめるように思う。

序章 ドイツ鉄道史ひと筆がき―「本書の構成」に代えて
第1章 鉄道建設の背景―ドイツをもとめて
第2章 鉄道時代のはじまり―一九世紀初頭~一八三〇年代
第3章 初期鉄道建設の担い手たち―一八三〇~四〇年代
第4章 鉄道の一九世紀ドイツ経済史
第5章 ドイツ的な、あまりにドイツ的な?―国家官僚制と鉄道
第6章 鉄道技師の世界、あるいは怪人vs役人
第7章 幕が下りてから―一八四八・四九年革命とその後
第8章 ドイツ・ライヒの鉄道
第9章 国際化と戦争と
第10章 共和国からナチス・ドイツへ―一九二〇年代後半~一九四五年
第11章 「時流が厳しく分けたもの」―二〇世紀後半のドイツ国鉄
終章 過去と未来の鉄道

鴋澤歩/著
中央公論社
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/03/102583.html

| | コメント (0)

より以前の記事一覧