オーストリア関連

2020年7月 7日 (火)

オーストリアの風景

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2015年の刊行だが、文章や写真は2005年に亡くなった浮田典良氏の文章や写真、そのほかの執筆者の文章や写真で、20世紀最後の頃から刊行まで十数年にわたっている。
個人の旅行記、今で言えば旅ブログを読んでいるような印象であり、文章の対象の情報は、アクセス方法や所在地など、何もない。
写真にしても、その対象を説明するようなキャプションではなく、筆者の印象を写し取って載せたような雰囲気なのだが、それは、執筆者自身が「見聞をもとにまとめてみた」(P.5)と書いていることで頷けるものはある。
何度か行っている人なら、本書が伝えたいこと、ガイドブックに載っていないような「風景」(執筆者によれば、「われわれが精一杯「視覚」を働かしてキャッチできるもののうち、キャッチする側が何らかの意味をもつものとして捉えることのできるもの」、P.4)のイメージは伝わるだろうが、オーストリアが初めてだと、本書から「ここに行きたい」と思い至るのは、少し難しいかもしれない。
そして、写真が小さいのが難点だが、大きくすると本書のサイズでは収まりきらないだろう。
各編とも2ページの仕様。

P.18はヴォルツァイレのハイナーさん、5年前(もうそんなになるか)に行った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-50c8.html
ケルントナーにもあるのに、ヴォルツァイレとは。

P.34のCafé Westend‎、何度か入った。
この名称、お店がマリアフィルファー通り(Mariahilfer Str.)とギュルテル(Gürtel)の角にあるので、マリアフィルファー通りの西端だからだろうと想像していたのだが、現代のマリアフィルファー通りはギュルテルを超えてさらに西、シェーンブルン宮殿正門から北に伸びるシュロスアレー(Schloßallee)まで続いている。
ギュルテルは、もとはウィーンの外縁部を取り巻く市壁「リーニエンヴァル」(Linienwall)だったところで、1894年から取り壊されて環状道路ギュルテルが造られたのだが、それまでのマリアフィルファー通りはリーニエンヴァルでおわったのだろう。
お店のサイトには創業1895年らしいので、この当時はマリアフィルファー通りの西端にあった、ということだろう。
http://cafe-westend.at/
ウィーン西駅の始まりは、まだリーニエンヴァルのあった、皇后エリザベート鉄道(Kaiserin Elisabeth-Bahn、KEB)のウィーン西駅(1858年12月15日にウィーン西駅からリンツまで開通、1860年8月1日にザルツブルグまで開通)なので、リーニエンヴァル取り壊しのあとは駅前の一等地のお店となったとも言える。
https://de.wikipedia.org/wiki/Kaiserin_Elisabeth-Bahn
古い時代の地図と現代の地図を重ね合わせた地図を、ここから閲覧できる。
「Historische Stadtpläne」にチェックを入れて、閲覧したい年代を選択できる。
https://www.wien.gv.at/kulturportal/public/
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左が1887年、右が1904年。いずれも赤丸がCafé Westend‎の場所。

P.47で、執筆者浮田典良氏の定宿が「クルーガー通りにある」と書かれているが、Hotel Zur Wiener Staatsoper、寅さんが泊まったホテルだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/krntner-str-778.html

フランツ・ヨーゼフがウィーンからバート・イシェルまで行くのにどのくらいの時間がかかったか、ウィーンからリンツまで船、リンツからグムンデンまで馬車鉄道、トラウン湖を船で行き、エーベンゼーからバート・イシェルまで馬車、都合50時間(うち馬車鉄道が6時間)だったそうな。(P.101)

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本書でとりあげたところを、「歩き方」のマップに落としてみた。
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目次では、執筆者(敬称略)もメモしておく。
浮田典良→(浮田)
加賀美雅弘→(加賀美)
藤塚吉浩→(藤塚)
呉羽正昭→(呉羽)
また、下線は行ったことのある場所。

まえがき(浮田)
浮田典良先生の思い出
オーストリアとはどんな国(加賀美)
 キーワードで示してみる(浮田)
 アルプスと丘陵・平原(浮田)
 ドナウ川とオーストリア(浮田)
 ハプスブルクの遺産(加賀美)
 オーストリアの気候(浮田)
 畜産に重点を置いた農業(浮田)
 オーストリアの観光(1)(浮田)
 オーストリアの観光(2)(浮田)
 オーストリアの地域中心都市(藤塚)
 オーストリアの鉄道(加賀美)
 オーストリアのホテルと民宿(加賀美)
 オーストリアのカフェ(加賀美)
 オーストリアの料理(加賀美)
 オーストリアのビールとワイン(加賀美)
オーストリア九つの州
 ウィーン州
  1.ウィーン特別市(藤塚)/2.ウィーンの概観(浮田)/3.ウィーンの旧市街(浮田)/4.ウィーンの市電(浮田)/5.音楽を楽しむ町(浮田)/6.クリスマスの風情(浮田)/7.ウィーンの生活に触れる(浮田)/8.ユダヤ人が残した風景(加賀美)/9.外国人が暮らすブルネン小路(加賀美)/10.ウィーンの森(加賀美)/11.ラクセンブルク(加賀美)
 ブルゲンラント州
  12.ブルゲンラント州(浮田)/13.アイゼンシュタット(浮田)/14.ノイジードラー湖(浮田)/15.ルスト(浮田)/16.バート・タッツマンスドルフ(浮田)
 ニーダーエスターライヒ州
  17.ニーダーエスターライヒ州(浮田)/18.バーデンとシュネーベルク(浮田)/19.レッツ(浮田)/20.サンクト・ペルテン(浮田)/21.メルクヴァッハウ渓谷(浮田)/22.デュルンシュタインクレムス(浮田)
 オーバーエスターライヒ州
  23.オーバーエスターライヒ州(浮田)/24.リンツ(浮田)/25.ドナウ川下り(浮田)/26.ケルシュバウム(浮田)/27.シュタイヤー(浮田)/28.シュタイヤーのクリスマス(浮田)/29.ヴェルス(浮田)/30.鉄道馬車の名残り(浮田)/31.バート・ハル(浮田)/32.バート・シャラーバッハ(浮田)/33.グムンデン(浮田)
 ザルツブルク州
  34.ザルツブルク州(加賀美)/35.ザルツブルク(加賀美)/36.ザルツブルク音楽祭(加賀美)/37.ツェル・アム・ゼー(加賀美)/38.グロースグロックナー・ホッホアルペン道路(加賀美)
 ザルツカンマーグート
  39.ザルツカンマーグート(加賀美)/40.サンクト・ヴォルフガング湖(加賀美)/41.バート・イシェル(加賀美)/42.ハルシュタット(加賀美)
 シュタイアマルク州
  43.シュタイアマルク州(浮田)/44.センメリンク(浮田)/45.グラーツ(浮田)/46.リーガースブルク(加賀美)/47.シュトゥービンク(加賀美)/48.南シュタイアマルク・ワイン街道(加賀美)
 ケルンテン州
  49.ケルンテン州(浮田)/50.クラーゲンフルト(浮田)/51.ミニムンドゥス(浮田)/52.ヴェルター湖(浮田)/53.マリア・ヴェルト(浮田)/54.トレポラッハ村(浮田)/55.マリア・ザールとフリーザッハ(浮田)/56.バート・クラインキルヒハイム(浮田)
 チロル州
  57.チロル州(浮田)/58.インスブルック(呉羽)/59.ノルトケッテ(呉羽)/60.ブレンナー峠(呉羽)/61.イエンバッハ(呉羽)/62.キッツビューエル(呉羽)/63.サンクト・アントン(呉羽)/64.伝統的なスキーリゾート(呉羽)/65.エッツ谷(呉羽)/66.ゼルデン(呉羽)/67.東チロル(呉羽)
 フォアアールベルク州
  68.フォアアールベルク州(呉羽)/69.ブレゲンツ(呉羽)/70.ブレゲンツァーヴァルト(呉羽)/71.モンタフォン(呉羽)
参考文献
あとがき

浮田典良/著
加賀美雅弘/著
藤塚吉浩/著
呉羽正昭/著
ナカニシヤ
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b200202.html

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2020年6月26日 (金)

ニーベルンゲンの歌 前編 後編

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成立は13世紀初頭とされているが、もともとは5、6世紀のブリュンヒルト伝説とブルグント伝説が語り継がれてきたもののようだ。
しかし16世紀には忘れさられてしまい、現在では1755年にオーストリア西部フォアアールベルクのホーエン・エムス伯爵の図書館発見された写本A(13世紀末)、1768年にザンクト・ガレンにある修道院図書館から発見された写本B(13世紀半ば)、は19世紀半ばに発見された「ホーエン・エムス・ラスベルク本」と呼ばれる写本C(13世紀前半)で、写本Cは写本Bの改作とされているようだ。
本書は、写本Cの新訳である。
おおざっぱに歴史を見てみると、5、6世紀から13世紀といえば、日本では聖徳太子の摂政の時代が6世紀の末から7世紀、大化の改新が7世紀中頃、平城京遷都が8世紀はじめ、8世紀末に平安京遷都、藤原氏の全盛期が9世紀から10世紀、鎌倉幕府成立が12世紀末である。
ヨーロッパでは4世紀からゲルマン諸民族が西に向かい、フランク王国や西ゴート帝国の成立、西ローマ帝国の滅亡を経て、9世紀にフランク王国が三つに分割され、10世紀に神聖ローマ帝国が成立、モンゴルの西征が13世紀という時代である。

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地図をチェックしておきたい。
ヴォルムス:ブルグント族の本拠地
ベッヒェラルン:辺境伯リューディガーの街
エッツェルンブルク:エッツェル王の都

ドイツやオーストリアで行われている騎士まつりに行きたくなってくる。
騎士まつりの時代設定は、ニーベルンゲンの歌の時代とは異なっているが。
そして、ワグナーは、この叙事詩からどんなプロセスで「ニーベルングの指環」をつくりあげたのだろうか。

石川栄作/訳
筑摩書房
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480428165/
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480428172/
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2020年5月30日 (土)

Österreicher im zweiten Weltkrieg / Krone Magazin Geschichte

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「第二次世界大戦のオーストリア人」、タイトルのとおり、第二次世界大戦下のオーストリア人のさまざまな経験が特集されている。
ÖSTERREICHER BEI DER WEHRMACHT(国防軍のオーストリア人)では、いろいろな映画などで描かれる「ドイツ軍」のなかには、オーストリア出身の兵士や将校たちがいたのかもしれない、いたはずだと、改めて考えた。
だとしたら、占領地での「ドイツ軍」の行為は、もしかしたら「オーストリア人」の行為だったのかもしれない、ということだ。
また、ドイツ国防軍の約2000人の将軍のうち、121人がアンシュルス後オーストリア軍から配置されたようだが、きっとここにトラップ大佐佐(トラップ氏はKorvettenkapitän=海軍少佐あるいはKapitän=艦長であって海軍大佐ではないのだが、"Kapitän"と呼ばれたことが、"Captain"=大佐と混同されたらしい))も呼ばれた、ということだろう。

そして、オーストリア人の「抵抗」についてもページを割いている。
これは、日本の文献ではあまり触れらられることはないようだが、対独レジスタンスの「戦死」あるいは「処刑」された人びとの確認可能数は(中略)オーストリアで一万八八〇〇」(「ドイツ史 3」、1997年、山川出版社、P.305)とあって、1938年3月12日のアンシュルス後の1938年4月10日の選挙で99.73%の賛成票であっても、それを是としない人たちが多くいたのだろう。

また、子供たちや若者のナチス・イデオロギーへの取り込みについても書かれている。

86ページの爆撃されている写真は、ウィーンの南ウィーナー・ノイシュタット、1911年にオーストリアで初めて飛行機が飛んだ飛行場がある。
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Wiener Neustädtの歴史
https://www.wiener-neustadt.at/de/stadt/geschichte

最後に、シュテファン寺院の再建についての記事がある。
シュテファン寺院の火災についてはこれまでも知ることができていたが、1945年4月10日にソ連軍とドイツ国防軍との「ウィーンの戦い」の最中、シュテファン寺院から白い旗が掲げられたこと、その報復としてシュテファン寺院の破壊を命じられたドイツ国防軍大尉が命令を拒否したことは、本書で初めて知った。
2019年にウィーンに行ったときにj、シュテファン寺院周辺では、修復のパネル展示が行われていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-642d97.html

IMPRESSIONEN / 印象
写真での第二次世界大戦の道
ÖSTERREICHER BEI DER WEHRMACHT / 国防軍のオーストリア人
インタビュー:軍事史家M.クリスチャン・オルトナー
MUTTERKREUZ UND ARBEITSDIENST / 母親十字章と勤労奉仕
国家社会主義時代の女性の生活
HILERS "SOLDATEN DER ARBEIT" / ヒトラーの労働戦士
インタビュー:大学教授ローター・ホーベルト
「主要な要因としての反ユダヤ主義」
インタビュー:系図学者ゲオルク・ゴーグシュ
ZEITLEISTE ZWEITER WELTKRIEG / 第二次大戦年表
戦争の勃発からゼロ時まで
WER WAR IN DER PARTEI? / 党に参加したのは誰?
インタビュー:弁護士で歴史家のマイケル・ウラディカ
ÖSTERREICHER IM WIDERSTAND / 抵抗するオーストリア人
抵抗運動と抵抗戦士
"PIMPF" UND "JUNGMÄDEL" / 「少年」と「少女」
国家社会主義の子供時代
LUFTKRIEG ÜBER ÖSTERREICH / オーストリアの空中戦
連合国の爆撃機編隊の攻撃対象としてのオーストリア
SCHLACHT UM WIEN / ウィーンの戦い
赤軍はどのように数日でウィーンを占領したか
DER WIEDERAUFBAU BEGINNT / 再建が始まる
シンボルとしての聖シュテファン大聖堂の再建

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2020年5月13日 (水)

Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914–18

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タイトルは「オーストリア・ハンガリーの巡洋艦と駆逐艦 19194-1918」、第一次世界大戦期の巡洋艦と駆逐艦の英語のブックレットである。
ウィーンの軍事史博物館で買ってきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-a344d8.html

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦は、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Kaiser Franz Joseph I)」と「皇后エリーザベト(Kaiserin Elisabeth)」の二隻で、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Kaiser Franz Joseph I)」は戦後回航途中に座礁沈没してしまった。
一方、「皇后エリーザベト(Kaiserin Elisabeth)」は青島に派遣されていて、青島のドイツ軍とともに日本軍と戦い、ドイツ銀行服の前に1914年11月2日に自沈処分された。
この艦は日本との因縁浅からぬものがあり、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が日本に来たときに乗船していた、横浜開港50周年記念祝典に参列するなど、何度も親善訪問している。
以前、まとめたことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kaiserin-elisab.html
本書では、こうした経緯は書かれていない。

はじめに
二重帝国海軍の巡洋艦と駆逐艦
・皇帝フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦
・SMS(Seine Majestät Schiff、皇帝陛下の艦)皇后にして国王マリア・テレジア
・ツェンタ級防護巡洋艦
・SMS皇帝カール6世
・SMSザンクト・ゲオルク6世
・フサール級駆逐艦
・SMSアドミラル・シュパウンとノヴァーラ級軽駆逐艦
・タトラ級とトリグラフ級駆逐艦
二重帝国海軍の巡洋艦と駆逐艦の第一次世界大戦での作戦
・アドリア海への最初の連合軍の前進を阻止する
・アドリア海北部および中央部の保護
・アドリア海南部の保護
・ロンドニ岬/ガルガーノの戦い、1915年12月28〜29日
・オトラント海峡
・オトラント海峡海戦、1917年5月14〜15日
・戦争の最終年
結論
書誌
索引

Ryan K.Noppen/著
Paul Wright/イラスト
Osprey Publishing
https://ospreypublishing.com/austro-hungarian-cruisers-and-destroyers-1914-18

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2020年5月 2日 (土)

Die Ringstraße - Geschichte eines Boulevards

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サブタイトル「大通の歴史」とあるように、ウィーンの旧市街を取り巻くリンク通りの、昔からあった市壁の解体からの歴史解説である。
1857年、オーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、ウィーン市街を取り囲んでいた市壁を取り壊し、また、市壁の周囲にあったグラシ(斜堤)を撤去し、環状の道路(Ringstraße)の建設が始まった。
1865年5月1日、フランツ・ヨーゼフ1世はブルク門の前で開通を宣言下が、この時点ではまだ全部の完成ではなかったのだが、150年後の2015年には、リンク開通150周年が祝われた。

先日読んだ「ウィーン ブルジョアの時代から世紀末へ」と重なる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-5019d5.html

目次のタイトルと、そのページのタイトルが微妙に違う。
間違っているわけじゃないけれど。
ということで、目次、該当ページタイトルなどを書いておこう。
Der Plan/Gesamtkunstwerk Ringstrae:リンク沿いの二十の建物の簡単な案内
Einst und jetzt/(タイトルなし):今昔の写真、Opernring、Burgring、Dr.-Karl-Renner-Ring、Universitätsring、Schottenring、Franz-Josefs-Kai、Stubenring、Parkring、Schubertring、Kärntnerring
Ende der Befestigung/Wien befreit sich von seinen Fesseln:市壁撤去の前後の様子
Die Straße als Bühne/Eine Straße als Bühne der Gesellschaft:リンクの役割、かな
Die Hauptdarsteller/Ihr Auftritt bitte!:リンクに関わった6人の人物紹介
Die Gesellschaft/Der Vormarsch der Ringstraßengesellschaft:リンクの発展、さまざまな機会に見た絵なども載っているし、現存する建物の当時の画像もあるので興味深い
Jüdisches Bürgertum/Man will wohnen an der Ringstraße:リンクに住みたい
Die Bauwerke:8つの建物
・Votivkirche/Die Votivkirche - Wiens Westminster Abbey?:ヴォティーフ教会
・Staatsoper/Ouvertüre der Ringstraßenära:歌劇場
・Universtät/Die Universtät - der Palast der Wissenschaften:ウィーン大学
・Börse/Die Börse - der rote Burg des Geldes:証券取引所
・Rathaus/Das Rathaus - Kathedrale der Bürger:市庁舎
・Burgtheater/Das Burgtheater - eine nationale Meistererzählung:ブルク劇場
・Parlament/Das Parlament - Hellenismus an der Ringstraße:国会議事堂
・Museen und Neue Burg/Kunst und Natur - die Museumszwillinge:美術史美術館と自然史博物館
Architekturgespräch/Das Wichtigste ist:Leben schaffen mit Architektur:建築について
Parks und Gärten/"Atem den Duft der Rosen":フォルクスガルテンなど
Erste Adresse/Ein Boulevard (nicht nur) für Gäste:ホテル
Im Kaffeehaus/"Die Ringstraße bräuchte eine Gebietsbetreuung":リンク沿いのカフェ
Auf- und Absteiger/Von oben nach unten:リンクに関わった6人の人物紹介
Das 20. Jahrhundert/"Diese Stadt ist in meinen Augen eine Perle":20世紀のリンク、戦争
Moderne Ringstraßenarchitektur/Die Lücken, die sich füllen mussten:現代建築
Zeitraffer/Die Straße wächst heran Eine Chronologie:1857年から1955年までのリンク
Quellen/

https://shop.diepresse.com/die-presse-shop/geschichte-magazin-150-jahre-ringstrasse
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2020年4月25日 (土)

HISTORISCHE FLUGZEUGE

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出版年は不明だが、東独で刊行された「歴史的航空機」である。
掲載されている飛行機の選択基準は、よくわからない。
オーストリアから、第一次世界大戦で日本が青島を攻略したときに、ドイツ側の偵察機として使用された「タウべ」が登場している。
日本の飛行機は、取り上げられていない。

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出版社の「トランスプレス出版社ベルリン(Transpress VEB Verlag für Verkehrswesen Berlin)」は、1960年にベルリンに設立された、鉄道や交通を専門とする出版社らしい。
再統一後、「ポール・ピエッチ出版社(Paul Pietsch Verlag)」に吸収されたようだ。
http://www.paul-pietsch-verlage.de/index.php?aktion=ausgabe&saktion=geschichte&sort=6701.02&grp=0&ump=6701.02&mp=&lk=&darst=&bestnr=&autornr=&sustr=&datsatz=0&detail=&saktion1=&id=xw99900Z0jNOklDpEFjlF53uLD20200419155917
「Bezirksschule der Zivilverteidigung 1115 Berlin」のスタンプと「249」という番号も書かれているので、「市民防衛ベルリン地区学校」の蔵書だったのかもしれない。
「1115」は、当時の郵便番号か。
「Zivilverteidigung」については、Wiki(独語版)に説明がある。
https://de.wikipedia.org/wiki/Zivilverteidigung_der_DDR

序文

航空機技術の進歩
掲載されている写真は、オットー・リリエンタール、ハンス・グラーデ、オーヴィル・ライト、フーゴー・ユンカース、アンドレイ・ニコラエヴィッチ・ツポレフ。

ベルギー
SABCA S-2

チェコスロバキア
Avia B-534
Letw S-328
Prafa E-114 "Air Baby"

ドイツ
Albatros B-I
Albatros B-II
Albatros C-V
Albatros C-VII
Albatros D-I
Albatros G-III
Albatros L-75 "Ass"
Albatros W-4
Albatros W-8
Blohm & Voss Ha-139
Blohm & Voss Ha-142
Buucker Bü-131 "Jungmann"
Dornier Do B "Merkur"
Dornier Do C-3 "Komet I/II"
Dornier Do D-1
Dornier Do X
Dornier Do-18
Dornier Do-26
Dornier Rs-I
Dornier Rs-II
Dornier Rs-III
Dornier Rs-IV
Dornier "Spatz"
Dornier "Wal"
Fieseler Fi-156 "Storch"
Focke-Wulf A-16
Focke-Wulf A-17 "Möwe"
Focke-Wulf F-19 "Ente"
Focke-Wulf FW-44 "Stieglitz"
Focke-Wulf FW-56 "Stösser"
Focke-Wulf FW-200 "Condor"
Fokker D-VII
Fokker Eindecker
Fokker "Spinne"
Friedrichshafen FF-33
Grade Eindecker
Heinkel He-45
Heinkel He-46
Heinkel He-50
Heinkel He-51
Heinkel He-59
Heinkel He-60
Heinkel He-63
Heinkel He-70 "Blitz"
Heinkel He-111
Heinkel He-116
Heinkel He-176
Heinkel He-178
Junkers F-13
Junkers G-23
Junkers G-24
Junkers G-38
Junkers Ju-52 / 3m
Junkers Ju-90
Junkers W-33
Lilienthal "Gleitflugzeug"
Messerschmitt M-20
Messerschmitt Me-108 (Bf-108)
Messerschmitt Me-109 (B f-109)
Rohrbach "Roland"
Rohrbach "Romar"
Siebel Fh-104
Siebel Si-202 "Hummel"
Siebel Si-204
Udet U-12 "Flamingo"
Zeppelin Staaken 8301

フランス
Blériot "La Manche" "La Manche"
Blériot XI/2
Bréguet XIX
Bréguet 462
Bréguet 521 "Bizerte"
Caudron G-3
Dewoitine 338
Farman MF-7
Latécoère 28
Nieuport-Dunne
SPAD 13

大英帝国
Boulton-Paul "Defiant"
De Havilland DH-2
De Havilland DH-60 "Moth"
De Havilland DH-89A "Rapide"
Fairey "Swordfish"
Handley Page 0/400 (H. P. 12)
Handley Page V/1500
Hawker "Hurricane"
S. E. 5 und S. E. 5a
Short "Calcutta"
Short "Empire Boat" (C-Klasse)
Short "Singapore"
Sopwith "Camel" F. I
Sopwith "Pup"
Sopwith 7 F. I "Snipe"
Vickers Supermarine "Spitfire"
Vickers "Vimy"

イタリア
Breda 25
Aeronautica macchi MC-72
Aeronautica macchi MC-94
Aeronautica macchi MC-200
Savoia-Marchetti S-73 (S-81)

オランダ
Fokker F. VII-3m

オーストリア
Etrich "Taube"

ポーランド
PZL Ł-2
PZL-5
PZL P-11C
PWD-2
PWD-4
PWD-8
PWD-10
PWD-13

ロシア
"Ilja Muromez"
"Russki Witjas"

ソ連
Berijew Be-2 (MBR-2, Np-1)
Berijew KOR-1
Bolchowitinow BI-1
ChAI-1
Grigorowitsch I-2 bis
Iljusshin Il-2
Iljusshin Il-4 (ZKB-30, DB-3)
Iljusshin Il-10
Jakowlew Ja-6 (AIR-6)
Jakowlew Jak-1 (I-26)
Jakowlew Jak-3 (I-30)
Jakowlew Jak-4 (BB-22)
Jakowlew Jak-15
Jakowlew UT-1 (AIR-14)
Jakowlew UT-2
Jermolajew Jer-2 (DB-240)
Lawotschkin-Gorbunow-Gudkow LaGG-3 (I-301)
Lawotschkin La-5
Lawotschkin La-7
Lawotschkin La-11
Li-2 (PS-84)
Milpjan-Gurewitsch Mig-1 (I-61)
Milpjan-Gurewitsch Mig-3 (I-200)
Milpjan-Gurewitsch Mig-9 (I-300)
Mjassischtschew DWB-102
Petljakow Pe-2
Petljakow Pe-8 (TB-1, ANT-42)
Polikarpow I-1 (IL-400bis)
Polikarpow I-3
Polikarpow I-5
Polikarpow I-15 (ZKB-3)
Polikarpow I-16
Polikarpow I-153
Polikarpow Po-2 (U-2)
Polikarpow R-5
PS-89 (SIG-1)
R-1
Schawrow Sch-1 / Sch-2
Schtscherbakow Schtsch-2
Stahl-2
Suchoj Su-2 (ANT-511-360)
Tupolew ANT-2
Tupolew ANT-3 (R-3)
Tupolew ANT-4 (TB-1)
Tupolew ANT-5 (I-4)
Tupolew ANT-6 (TB-3)
Tupolew ANT-9
Tupolew ANT-14
Tupolew ANT-20 "Maxim Gorki"
Tupolew ANT-20bis
Tupolew ANT-22 (MK-1)
Tupolew ANT-25 (RD)
Tupolew ANT-35 (PS-35)
Tupolew ANT-40 (SB)
Tupolew ANT-44 (MTB-2)
Tupolew TU-2 (ANT-58)

アメリカ
Bell X-1
Bellanca WB-2 "Columbia"
Consolidated Modell 28 "Catalina"
Dougas "Cloudster"
Lockheed "Orion"
Martin Model 170 "Mars"
Martin MB
Ryan MYP "Spirit of St. Louis"
Sikorsky S-38
Sikorsky S-40
Sikorsky S-41
Sikorsky S-42
Wright "The Flyer"

HEINZ A. F.SCHMIDT/著
Transpress VEB Verlag für Verkehrswesen Berlin

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2020年4月23日 (木)

鉄道のドイツ史 帝国の形成からナチス時代、そして東西統一へ

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「鉄道のドイツ史」であって「ドイツの鉄道史」ではない。
鉄道をめぐる、ドイツの経済史であり社会史である。
以前「ハプスブルク帝国の鉄道と汽船」を読んだことがあって、そのドイツ版かと思ったのだが、違った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-b7bc.html

「ドイツ」といっても、その実態は時代によって大きく変わるので、著者は「ドイツ語圏」と表現しているようだ。
ドイツに鉄道が開通したのは1835年、当時はオーストリア帝国、プロイセン王国、4のの帝国自由都市(リューベック、フランクフルト、ブレーメン、ハンブルク)その他の領邦からなる「ドイツ連邦」は存在していたが、統一された「ドイツ」という国はまだ登場していない。
その「ドイツ連邦」、普仏戦争で成立した「ドイツ帝国」、第一次世界大戦後の「ヴァイマル共和政のドイツ」、さらに第二次世界大戦後の東西ドイツ、1990年の再統一後のドイツ、それぞれの領土は、絶えず動いていた。
その「ドイツ」のつかみどころのなさを、本書「鉄道のドイツ史」でどのように伝えているか。
例えば、目次を見たところ、本書の記述は経年的になっているように思うのだが、実際は、各章の中でも歴史的に記述されていて、ある章からある章に移ったときに、前章の時代から記述が続いているわけではなく、再び以前の時代に戻り別のテーマで記述される。
そのテーマも多様だし、「ドイツ鉄道」とは直接関係のなさそうな記述も出てくる。
ドイツの鉄道は、最初から単一の「ドイツ鉄道」として発展してきたのではないことから、本書のテーマが多様さに満ちてしまうのは当然なのだが、ある意味では、本書そのものが、著者が伝えたい「ドイツ」のつかみどころのなさを表すことになったのだろう。

このことからか、本書の構成は、「ドイツ語圏」にある様々な国・領邦のそれぞれの産業の発展と諸国間の関係や鉄道へのかかわり、1871年の、プロイセン国王ヴィルヘルム1世をドイツ帝国皇帝とした統一国家を経ての鉄道、戦争、戦間期、そして戦争、東西分裂と再統一といった鉄道をめぐる190年ほどの歴史のなかで、1848年革命までが約半分、ライヒスバーンの成立(1920年)までの約90年についての記述が本書の三分の二以上のページを占めることになっている。
そのためか、WWIでの様子はあっけないほど少ないし、ライヒスバーン設立後の記述、WWII以後の記述も少ないように思う。
DDR時代の国鉄は「DR(Deutsche Reichsbahn)」との名称を使っていたが、帝国時代ナチス時代からの「Reich」をそのまま使用し続けたことにも触れている(P.254)のが興味深い。

P.141に、「一九八〇年代以降の欧米やそれに触発されたわが国のドイツ「三月革命」史研究が、従来の思考の固い枠組みを離れて着目したのは、もちろん市民ならざるものたちであった」という記述があり、続いて『「乱痴気」「向こう岸」といった印象的な単語が「三月革命」史に登場したとき、私たちの司会は一気に広がった』とある。
「乱痴気」「向う岸」と言えば、「青きドナウの乱痴気」「向う岸からの世界史」だろうし、良知力氏の名前が思い出される。
「乱痴気」「向う岸」もドイツ「三月革命」と同じ一八四八年革命の流れでの、ウィーンでの様相を言い表しているので、参考文献には出てきていない。
著者とは世代は異なるが、どこかで繋がりがあったのだろうか。

P.171に、ライプツィヒ-ドレスデン鉄道が1839年に全通したとの記述があるが、この路線は2018年にライプツィヒからドレスデンまで、ICEに乗って約1時間で走った。
そのときは、そんな古い歴史のある路線であることは、知らなかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/8_5-von-leipzig.html

ドイツを鉄道で移動すると、大きな街からの出発であっても、列車はすぐに都市ではないところを走る。
都市、街、村は、それぞれが独立して存在している。
そうした景色を思い浮かべながら本書を読むと、つかみどころのない「ドイツ」の鉄道が、どのように現在の姿になったのかのイメージもつかめるように思う。

序章 ドイツ鉄道史ひと筆がき―「本書の構成」に代えて
第1章 鉄道建設の背景―ドイツをもとめて
第2章 鉄道時代のはじまり―一九世紀初頭~一八三〇年代
第3章 初期鉄道建設の担い手たち―一八三〇~四〇年代
第4章 鉄道の一九世紀ドイツ経済史
第5章 ドイツ的な、あまりにドイツ的な?―国家官僚制と鉄道
第6章 鉄道技師の世界、あるいは怪人vs役人
第7章 幕が下りてから―一八四八・四九年革命とその後
第8章 ドイツ・ライヒの鉄道
第9章 国際化と戦争と
第10章 共和国からナチス・ドイツへ―一九二〇年代後半~一九四五年
第11章 「時流が厳しく分けたもの」―二〇世紀後半のドイツ国鉄
終章 過去と未来の鉄道

鴋澤歩/著
中央公論社
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/03/102583.html

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2020年4月18日 (土)

OTTO WAGNER

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4月11日は、オットー・ワーグナーが1918年に亡くなった日。
2018年に刊行された、英語版のオットー・ワーグナー作品集。
「ウィーン・モダン」で購入してきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-fb5db4.html
この展覧会に行く直前にウィーンに行っていて、アム・シュタインホフ教会(Kirche am Steinhof)に行ったのだが、Kirche am Steinhofの関連書籍はなかったので、展覧会で買ったのだった。
以前、カールス・プラッツ駅舎を利用したウィーン博物館分館で、ワーグナーの本を買ってきた記憶があるのだが、どこかにしまいこんであるみたいだ。

21の作品(実現しなかった作品も含む)が、写真とともに紹介されている。
自分で撮った写真(画像横に(K)と表記)だけでは建物の様子がわからないので、Googleさんの助け(画像横に(G)と表記)を借りよう。

目次
はじめに
19_g (G)
伝統的シナゴーグ、ブダペスト
21_g (G)
スタディオンガッセ・レジデンス
23_g (G)
オーストリア国立銀行
25_g (G)
ワーグナー別荘I
29_g (G)
大学通りレジデンス
31_g (G)
アンカーハウス
ウィーン市営鉄道
32_g (G) 33_g (G)
・ケッテンブリュッケンガッセ鉄道駅、市営鉄道ドナウ運河
35_g (G) 36_k (K)
・カールスプラッツ駅。ウィーンのヒーツィングホーフパビリオン停留所
37_k (K) 38_k (K)
・シェーンブルン宮殿近くの皇帝の私用停留所、カールスプラッツ駅(旧アカデミー通り)
39_g (G) 
・カールスプラッツ駅入口ドア詳細
ドナウ運河建築物
40_k (K) 41_k (K)
・ヌスドルフ堰、ライオンの塔門
42_g (G) 43_k (K)
・新アスペルン橋、カイザーバード水門監視所
ウィーン美術アカデミー
46_k (K) 47_g (G)
住宅ビル リンケ・ウィーンツァイレ
48_k (K) 49_g (G)
・住宅ビル リンケ・ウィーンツァイレ、ウィーンツァイレとケストラーガッセの角
現代ギャラリー
新聞「Die Zeit」電信局
57_k (K) 58_k (K)
シュタインホーフの聖レオポルド教会、内装
59_k (K) 60_k (K)
・金メッキの銅の天蓋、教会の窓
62_g (G) 66(K)
郵便貯金局、メインホール
ハーグ平和宮殿
ループス療養所
77_g (G)
ノイシュティフト通りとデーブラー通りのレジデンス
メトロポリス(大都市)
フランツ・ヨーゼフ皇帝博物館
86_g (G)
ワーグナー別荘II
ホテル・ウィーン
生活と仕事
地図
生涯/クレジット

August Sarnitz/著
TASCHEN
https://www.taschen.com/pages/en/catalogue/architecture/all/43146/facts.otto_wagner.htm

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2020年4月11日 (土)

皇妃エリザベートのしくじり人生やりなおし

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パラレルワールドものというかタイムスリップものというか。
FJの見た「悪夢」は、ステージの冒頭や終盤での「Alle Fragen sind gestellt」か。

ある方が、『最初のページからHohenemsが「ホーエンテンプス」』と指摘しているのだが、確かに本書ではジュネーブで偽名として使った「Gräfin von Hohenems」を「ホーエンテンプス伯爵夫人」と記している。
「ホーエンテンプス伯爵夫人」で検索すると、引っかかるのはここ。
http://www.nakash.jp/opera/elisa/eli16.htm
そして、もしかしたら出どころは、ここからではなかろうか。
http://www.nakash.jp/opera/2007geneve/06lucheni.htm
ここでは元ネタとしてジャン・デ・カールの「麗しの皇妃エリザベト」が挙げられているので、この本から探り出さなければならないかも。
本書の参考文献には、「麗しの皇妃エリザベト」は載っていない。
また、「マイヤー・リンク」(P.9)は、「Operring」や「Burgring」のように「Ringstraße」のどこかにあるわけではなく、「Mayerling」という地名なので、中黒はありえない。

ついこないだ、久しぶりにロミー・シュナイダーの「Sissi」のDVDを見てしまったのであった。

江本マシメサ
二見書房
https://www.futami.co.jp/book/index.php?isbn=9784576200002

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2020年4月 8日 (水)

ウィーン ブルジョアの時代から世紀末へ

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歴史の書籍にありがちな、政治や軍事にかかわる人物ではない人物の名前が多い。
ウィーンにけば必ず歩くことになるRingstraße(これをカタカナでどう表記するか、本書では「リングシュトラーセ」、語尾のgは「ク」になるはずだが「straße」が続くので「グ」になるのか?)であるが、本書が取り上げるRingstraßeをめぐる建築も、武術市美術館や国会議事堂ではなく、公共建築物ではない「市民」が建てた、今はもう存在しない建築物に焦点が当てられているので、人物と合わせてなかなか興味深い。
ただし、本書は1995年の刊行、四半世紀前の書籍なので、その後の資料や考え方についても、あわせて押さえておく必要があるだろう。

興味深い記述。
P.57からのドィンバ私邸は、2015年のウィーン滞在で使った、リンクのアパートメントがある一角にあった建物だ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-9dbb.html
P.116~のドナウ川の治水工事と水道。
カフェに行くと、水が入ったグラスが必ずやってくるが、この水はシュタイヤマルク州とニーダーエステライヒ州にまたがるオーストリア・アルプス地方の湧き水で、FJも領地の湧泉をウィーン市に無症状としたそうな。
P.122~の電気の利用、市街鉄道や市営鉄道、市街鉄道は今のStraßenbahn、市営鉄道は1894年からのStadtbahnで、現在のU-BahnのU4やU6で当時の様子が伝わってくる。
P.171での「新聞」は、1848年革命当時の多くのビラもまた、「新聞」の役割を持っていたのだろう。
ビラは、去年、軍事史博物館で見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html

さて、本書に言う「市民」とは何ぞや。
P.5に「ブルジョア」との記述がある。
P.148あたりにプロレタリアートへの言及がある。
そして、帝国の終焉とともに「市民」もまた没落し姿を消していったのであった。

はじめに
序章 近代市民階層の誕生
第1章 市民階層とリングシュトラーセ
第2章 ウィーン市民と貴族、そしてハプスブルク家
第3章 十九世紀都市生活の光と影
第4章 ウィーン市民の日常生活
第5章 近代市民階層の没落
おわりに
主要参考文献

山之内克子/著
講談社
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000146738

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