オーストリア関連

2019年12月15日 (日)

図録「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」

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10月に行ってきた「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」の図録。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-270873.html

ハプスブルク展は、ウィーンの美術史美術館を中心に、ブダペスト国立西洋美術館と西洋美術館所蔵の作品100点が展示されている展覧会で、本書の章ごとの解説やコラムでは、解説が興味深い視点で記されていた。
展示作品では、「青いドレスの王女マルガリータ」とともに「緑」も来ているところが注目点の一つだろう。
ウィーンで、薔薇と白、そしてプラドの赤を見ている(青はお出かけしていた)。
薔薇、白は、以前来日したことがあったはず。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/the-f1a0.html
個人的には「V フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリア=ハンガリー二重帝国の終焉」で展示されていた作品は、本書でも解説を含めてじっくり観た。

「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」は、2020年1月26日(日)まで、上野の西洋美術館で開催。
https://habsburg2019.jp/

一族の宝物から公共の美術館へ
I ハプスブルク家のコレクションの始まり
 コラム マクシミリアン1世のコレクションと権力
II ルドルフ2世とプラハの宮廷
 コラム ルドルフ2世の宮廷における神話画
III コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集
 1.スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世
 コラム スペイン式ドレスを脱がなかった王女たち
 2.フェルディナント・カールとティロルのコレクション
 3.レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督
IV 18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
 コラム 18世紀における帝室ギャラリーの整備について
V フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリア=ハンガリー二重帝国の終焉
16—17世紀 のハプスブルク家コレクションにおけるイタリアおよびヴェネツィア絵画の運命
ルドルフ2世の版画および銅画コレクション
ハプスブルク家関連年表
ハプスブルク家略系図
ハプスブルク家関連地図
主要参考文献

https://ishop.tbs.co.jp/tbs/?s_cd=0001&c_cd=10002&ps_id=3002447

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2019年12月13日 (金)

ウィーンの日本 欧州に根づく異文化の軌跡

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2011年に一度読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-58c7.html
当時は全く意識していなかったが、著者は「少年写真家の見た明治日本」を手がけたペーター・パンツァーさんなので、もう一度読んでみる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-5ce0.html
そうすると、改めて、チュックしておくことがたくさん出てきた。

P.14~19のシーボルトの記念碑、シェーンブルン庭園にあるの温室の東(P.98)なので、近くまで行くこともあったが、これまでいずれもスルーのままである。

P.50のミツコの孫のうちの「高名な画家」の次男は、ミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー氏のことだ。
以前、2度ほどお会いしたことがあったが、2018年12月26日に帰天なさってしまい、追悼展に行って作品をお持ち帰りしてしまった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-ee45.html
2011年にお会いしたこと。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-f4c3.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-2d43.html

P.75以降の“日本巡り”、いくつかは見ているが、見ていないものもあるので、今も同じように展示されているかどうかはわからないが、じっくり見て回りたい。
美術史美術館のコイン陳列館、自然史美術館九号室、民族学博物館、美術史美術館の武器武器コレクション、陶磁器コレクション、時計博物館、応用美術博物館、技術博物館、シェーンブルン宮殿。
そして、「連邦動産保管倉庫」、本書刊行当時は非公開だったが、現在は家具博物館となっている。

P.114の、20帝国代表団が日本に運んできたベーゼンドルファーのピアノについては、先日の「音楽のある展覧会」でのギャラリートーク「皇城に贈られた初めてのグランドピアノ」に出てくるピアノだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-e2802d.html

P.125から斎藤茂吉のエピソードが紹介されている。
斎藤茂吉は1922年1月にウィーンきて、ホテル・ド・フランスに泊まり、2月にヌスドルファー77号に部屋を借りる。
4月末にグリューネントア18号2階4号に転居、1923年7月20日にウィーンを去るまで住んでいた。

P.132の「大学付属イエズス教会のボルジア礼拝堂の内陣」に、二十六聖人のうちの三聖人を描いた祭壇画があるということだが、調べてみると「Jesuiten-kirche」(イエズス会教会)がある。
https://jesuitenkirche-wien.at/

関連で、ザンクト・ガブリエルにあるシュタイラー修道院の伝道博物館(P.135)も興味深い。
Missionshaus St. Gabrielのことか。
https://www.steyler.eu/svd/niederlassungen/st-gabriel/

P.138に「平和の灯台」、以前運がめぐりの観光船から見たことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/elisabeth-201-9.html
https://www.peacepagoda.net/

1 世紀末ウィーンに登場した日本
 日本人のみたウィーン
 日本生まれの皇帝メダル
 19世紀最高の日本研究者シーボルト
 ウィーン万国博覧会の花形“日本”
 プラーターの茶屋
2 ウィーンの日本ブーム
 「ゲイシャよ、きみは夜のメルへン」
 伯爵夫人ミツコ
 ジャポニスムに酔った芸術家
 ウィーンを驚嘆させた貞奴
3 ウィーンに生きる日本
 美術館にみる伝統工芸
 服装の芸術キモノ
 日本の植物と日本庭園
 日本ゆかりの墓碑を訪ねて
4 ウィーンと日本の文化交流
 東西音楽の出会い
 歌人斎藤茂吉のウィーン
 キリスト教と仏教
 広がる日本学
 スキーと碁と武道
 日本人学校と日本語学習
 ウィーン日本映画祭
 深まる経済関係

ペーター・パンツァー/Peter Pantzer/著
ユリア・クレイサ/Julia Krejsa/著
佐久間穆/訳
サイマル出版会

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2019年11月20日 (水)

啓蒙都市ウィーン

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マリア・テレジアのオーストリア世襲領相続からヨーゼフ2世の、18世紀中期から後期の時代を中心に、ウィーンの街と人々の生活の変化を描いている。
市壁の撤去はさらに100年後のことで、市壁、市門、グラシ(本書では「斜堤」)は存在していたが、グラシの外側と新しい「リーニエ」との間にフォアシュタットが築かれている。
そしてカフェ、音楽、劇場など、現在のウィーン文化が、このこころに基礎づけられ、「夜」を楽しむことも始まった。
これは、新国立美術館で開催された「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」においても、出発点として展示されていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-fb5db4.html
一方で「啓蒙都市」は都市にそぐわないものとしての「影」を「光」としての「啓蒙都市」から排除することでもあって、市場や墓地の郊外への移転もそうだが、郊外での「総合病院」などの病院や救貧施設の設置も、そのプロセスの一環であったわけだ。

「光の世紀」と啓蒙専制主義
1.改革の時代と都市の変容
2.新しい都市の文化
3.啓蒙の都市空間
4.近代的都市生活の成立

山之内克子/著
山川出版社
https://www.yamakawa.co.jp/product/34740

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2019年11月 8日 (金)

「馬車よ、ゆっくり走れ」と「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」

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馬車よ、ゆっくり走れ
「馬車よ、ゆっくり走れ」は、東山魁夷さんがかつて留学したドイツ・オーストリアを、30数年後の1969年になって奥様とともにめぐった紀行エッセイである。
装丁も東山魁夷さん。
冒頭のカラーの「ローテンブルクの泉」と、各章の扉頁に描かれたスケッチ以外に、絵は登場しない。
その絵のない文章読んでいて、東山魁夷さん、ドイツが本当に好きなんだなと思う。
たしかに、ドイツの街、あまり大都会でない街、大都会でも大通りではない路地などを歩いていると、初めて来たところでも、妙に懐かしい思いがするのは何故なのだろう?
いくつかの街は歩いたことがあるので、出てくる場所(通りや川、お店など)を見て、ああ、あのあたりだと思い出しながら読むのだが、半世紀近く前の雰囲気はいまとは大きく違っているのだろう。

旅で飲むのは葡萄酒、レストランでは給仕、ホテルではメイドが世話をしてくれる。
それにしても、東山魁夷さんご夫妻の、アルツブルク音楽祭で終わる約5ヶ月に渡るドイツ・オーストリア旅行は、本書を読むと大使館からお迎えがあったり街の案内があったり、たぶん、このたびをプロデュースし支えた人の力があったのだろう。
そして、すべてのスケジュールがあらかじめ組まれていたのではなく、大まかな行程があって、旅しながら細部を決めて行ったのではないだろうか。

ザンクト・ヴォルフガングの記述で、「ザルツカムマーグートと呼ばれるこの地方は、ザルツブルクの西方の山地に」(P.412)とあるが、「ザルツブルクの東方の山地」である。

この旅で「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」が生まれた。
「馬車よ、ゆっくり走れ」訪れたところが「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」のどこに出てくるかを、左に「馬車よ、ゆっくり走れ」で出てきた街とページを、右に「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」の作品名とページを記しておく。

リューベック 9 窓明り 14
リューベック 9 霧の町 18
リューベック 9 石畳の道 20
リューベック 9 ホルシュテン門の窓 106
メルン 33 水辺の町 30
リューネブルガー・ハイデ 49 燎原 32
ツェレ 55 ツェレの家 34
リューデスハイム 130 リューデスハイムにて 130
リンブルク 139 朝の聖堂 24
リンブルク 139 夕べの聖堂 26
ハイデルベルク 148 緑のハイデルベルク 50
ヴィムプヘン 163 静かな町 44
ヴィムプヘン 163 古都遠望 46
フライブルク 168 晩鐘 40
フライブルク 168 フライブルクにて 115
ニュールンベルク 182 ニュルンベルクの窓 36
ニュールンベルク 182 デューラーの家より 42
バンベルク 192 バンベルクのドーム 14
バンベルク 192 バンベルクにて 118
ローテンベルク 204 ローテンベルクの門 16
ローテンベルク 204 赤い屋根 17
ローテンベルク 204 窓明り 18
ローテンベルク 204 19
ローテンベルク 204 丘の上のローテンベルク 20
ローテンベルク 204 ローテンブルクの泉 56
ディンケルスビュール 225 ホテル・ドイチェス・ハウス 50
ネルトリンゲン 247 石の窓 10
ネルトリンゲン 247 ホテル・太陽 109
ネルトリンゲン 247 ネルトリンゲンの町 120
ケーニヒスゼー 290 明けゆく山湖 66
オーバーゼー 294 緑深き湖 68
オーバーゼー 294 みづうみ 70
クレームス 354 坂道の家 88
クレームス 354 ホテル・ポスト 138
メルク 359 青きドナウ 86
フェルンパス 380 水澄む 92
エッツ 396 丘の教会 94
エッツ 396 マリアの壁 96
ザンクト・ヴォルフガング 412 湖畔の村 84
ザンクト・ヴォルフガング 412 白馬亭 134
ザルツブルク 422 ホーエン・ザルツブルク城 76
ザルツブルク 422 雪の城 80
ザルツブルク 422 緑苑の花 140

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ドイツ
1 リューベック
2 ラウエンブルクの春
3 ホルシュタイニシェ・シュヴァイツ
4 リューネブルガー・ハイデ
5 ゴスラー
6 ベルリン
7 ハンブルグ
8 ラインに沿って
9 フランクフルト・アム・マイン
10 ヴォルムス
11 アルト・ハイデルベルク
12 ネッカー河に沿って
13 フライブルク
14 ニュールンブルク
15 バンベルク
17 アウグスブルク
17 ローテンブルク
18 ディンケルスピュール
19 ネルトリンゲン
20 ミュンヘン
21 南バイエルンの山で
22 山の湖
23 ベルヒテスガーデン
オーストリア
1 ウィーン
2 ブルゲンラント
3 ドナウ河に沿って
4 インスブルック
5 フェルン峠
6 ザンクト・アントン
7 エッツ谷
8 ツェル・アム・ゼー
9 ザンクト・ヴォルフガング
10 ザルツブルク

東山魁夷/著
新潮社

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ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集
「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」は、「馬車よ、ゆっくり走れ」の旅から生まれた作品である。
大都市を描いた作品は、ない。
いくつかの作品は、1年前の「生誕110年 東山魁夷展」で観ることができた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/11/110-d0d4.html

「馬車よ、ゆっくり走れ」で訪れたところが「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」に掲載された作品が「馬車よ、ゆっくり走れ」のどこに出てくるかを、左に「ドイツ・オーストリア 東山魁夷小画集」の作品名とページ、右に「馬車よ、ゆっくり走れ」で出てきた街とページを記しておく。

1 窓明り 14 リューベック ドイツ 9
2 霧の町 18 リューベック ドイツ 9
3 石畳の道 20 リューベック ドイツ 9
4 朝の聖堂 24 リンブルク ドイツ 139
5 夕べの聖堂 26 リンブルク ドイツ 139
6 水辺の町 30 メルン ドイツ 33
7 燎原 32 リューネブルガー・ハイデ ドイツ 49
8 ツェレの家 34 ツェレ ドイツ 55
9 ニュルンベルクの窓 36 ニュールンベルク ドイツ 182
10 石の窓 38 ネルトリンゲン ドイツ 247
11 晩鐘 40 フライブルク ドイツ 168
12 静かな町 44 ヴィムプヘン ドイツ 163
13 古都遠望 46 ヴィムプヘン ドイツ 163
14 バンベルクのドーム 48 バンベルク ドイツ 192
15 緑のハイデルベルク 50 ハイデルベルク ドイツ 148
16 ローテンベルクの門 52 ローテンベルク ドイツ 204
17 赤い屋根 56 ローテンベルク ドイツ 204
18 窓明り 58 ローテンベルク ドイツ 204
19 60 ローテンベルク ドイツ 204
20 丘の上のローテンベルク 62 ローテンベルク ドイツ 204
21 明けゆく山湖 66 ケーニヒスゼー ドイツ 290
22 緑深き湖 68 オーバーゼー ドイツ 294
23 みづうみ 70 オーバーゼー ドイツ 294
24 ホーエン・ザルツブルク城 76 ザルツブルク オーストリア 422
25 雪の城 80 ザルツブルク オーストリア 422
26 湖畔の村 84 ザンクト・ヴォルフガング オーストリア 412
27 青きドナウ 86 メルク オーストリア 359
28 坂道の家 88 クレームス オーストリア 354
29 水澄む 92 フェルンパス オーストリア 380
30 丘の教会 94 エッツ オーストリア 396
31 マリアの壁 96 エッツ オーストリア 396
32 森の幻想 98 - ドイツ -
33 ステンド・グラス 104 - ドイツ -
34 古道具屋の窓 105 - ドイツ -
35 ホルシュテン門の窓 106 リューベック ドイツ 9
36 揺れる窓 107 - ドイツ -
37 町角 108 - ドイツ -
38 ホテル・太陽 109 ネルトリンゲン ドイツ 247
39 古いガラス絵 110 - ドイツ -
40 花のある窓 111 - ドイツ -
41 青い窓 112 - ドイツ -
42 デューラーの家より 113 ニュールンベルク ドイツ 182
43 祭りの日 114 - ドイツ -
44 フライブルクにて 115 フライブルク ドイツ 168
45 鐘のある窓 116 - ドイツ -
46 内庭 117 - ドイツ -
47 バンベルクにて 118 バンベルク ドイツ 192
48 穀倉 119 - ドイツ -
49 ネルトリンゲンの町 120 ネルトリンゲン ドイツ 247
50 ホテル・ドイチェス・ハウス 121 ディンケルスビュール ドイツ 225
51 聖堂の中 122 - ドイツ -
52 夕かげ 123 - ドイツ -
53 家並 124 - ドイツ -
54 人形芝居の小屋 125 - ドイツ -
55 塔の影 126 - ドイツ -
56 ローテンブルクの泉 127 ローテンブルク ドイツ 204
57 絵のある窓 128 - ドイツ -
58 野の花 129 - ドイツ -
59 リューデスハイムにて 130 リューデスハイムにて ドイツ 130
60 ティロルの窓 131 - オーストリア -
61 描かれた窓 132 - オーストリア -
62 酒場の看板 133 - オーストリア -
63 白馬亭 134 ザンクト・ヴォルフガング オーストリア 412
64 骨董屋 135 - オーストリア -
65 鐘楼の窓 136 - オーストリア -
66 裏窓 137 - オーストリア -
67 ホテル・ポスト 138 クレームス オーストリア 354
68 ザルツブルクの看板 139 ザルツブルク オーストリア 422
69 緑苑の花 140 ザルツブルク オーストリア 422
70 ミラベル宮殿 141 ザルツブルク オーストリア 422
71 居酒屋 142 - オーストリア -

はじめに・憧憬と郷愁
ドイツ
オーストリア
スケッチ・ドイツ
スケッチ・オーストリア
あとがき・ドイツ、オーストリアを旅して
文庫版あとがき
図版目録

東山魁夷/著
新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/book/123204/

 

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2019年11月 4日 (月)

「建国300年 ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」と「Last Night of the Proms」@Bunkamura

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午後、Bunkamuraへ。

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建国300年 ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展

リヒテンシュタイン侯爵家が収集した美術品の展覧会ということでは、まとまっての展示はウィーンのリヒテンシュタイン美術館(夏の離宮)に行ったことがあって、豪華な馬車が展示されていたのは覚えている。
2004年3月のオープンだが、現在は公開していないはず。
その後、都市宮殿が公開されたという話を聞いた記憶があるのだが、今はどうなっているのだろうか。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/elisabethsisi-m.html

第1章 リヒテンシュタイン侯爵家の歴史と貴族の生活
第2章 宗教画
第3章 神話画・歴史画
第4章 磁器―西洋と東洋の出会い
第5章 ウィーンの磁器工房
第6章 風景画
第7章 花の静物画

数年前に「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」が開催されたが、このときの展示の方がインパクトがあったような気がする。

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「第7章 花の静物画」は、撮影可能である。
ここに、侯爵家の居城の写真が展示されていた。

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ウィーンにある侯爵家の「夏の離宮」(サマー・パレス)、夏の離宮の内部

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ウィーンにある侯爵家の「都市宮殿」(シティ・パレス)、都市宮殿の内部

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リヒテンシュタインの首都ファドーツにある侯爵家の城、ウィーンの南西にあり家名の元となったリヒテンシュタイン城
ここは、初めてウィーンに行ったときに、車でそばを走った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/stifi-heilligen.html

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ウィーン窯・帝国時期製作所 金地花文ティーセット

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イシェル近くのヒュッテンエック高原からのハルシュタット湖の遠望(ポストカード)

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Bunkamura ザ・ミュージアムにて、12月23日(月)まで。
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_liechtenstein/

その後、各地を巡廻予定。
https://www.museum.or.jp/modules/jyunkai/index.php?page=article&storyid=627

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ロビーラウンジに「建国300年 ヨーロッパの宝石箱 リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」とのコラボめしがあったので、いただいてみる。
https://www.bunkamura.co.jp/lounge/topics/2801.html

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Last Night of the Proms

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オーチャード・ホールにて。
もれなくユニオンジャック手ぬぐいをもらえる。
日本で初めてのProms、どんなコンサートになるのだろうか、期待感が出てくる。

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司会は、葉加瀬太郎氏と久保田直子さん(テレビ朝日)、テレビカメラが入り、12月29日午前11時から放映されるということで、そのための司会進行だったので、ちょっと余計か。

曲目は次のとおり。
キャンディード序曲/レナード・バーンスタイン
スカラムーシュ/ダリウス・ミヨー/ジェス・ギラムのアルトサックス
4つのスコットランド舞曲より第3楽章/マルコム・アーノルド
私が町を歩けば(ラ・ボエームより)/ジャコモ・プッチーニ/森麻季
夕べの讃美歌/ヘンリー・パーセル/森麻季
(森麻季にインタビュー)
カルメン幻想曲/フランツ・ワックスマン/ヴァディム・レーピンのヴァイオリン
(20分休憩)
Another Sky/葉加瀬太郎
情熱大陸/葉加瀬太郎
スイス軍隊の行進(ウィリアム・テル序曲より)/ジョアキーノ・ロッシーニ
ツィガーヌ/モーリス・ラヴェル/ヴァディム・レーピンのヴァイオリン
(レーピンにインタビュー)
私のお父さん(ジャンニ・スキッキより)/ジャコモ・プッチーニ/森麻季
赤とんぼ/山田耕筰/森麻季
ネッラ・ファンタジア/エンニオ・モリコーネ/森麻季
アン・オークニー・ウェディング・ウィズ・サンライズ/ピーター・マックスウェル・デイヴィス/グリーン系のタータンチェックのキルト姿でバグパイプ
ヘイ・ジュード/ビートルズ(このあたりから歌うのOK)
威風堂々第1番/エドワード・エルガー(短いぞ、合唱団もいないので歌声響くというわけにはいかない)
蛍の光(オールド・ラング・サインではない)

管弦楽/BBCスコティッシュ交響楽団
指揮/トーマス・ダウスゴー

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「ヘイ・ジュード」、「威風堂々」と「蛍の光」は客席も歌うのだが、鳴り物はダメ、立っちゃダメなLast Nightで、会場はロイヤル・アルバート・ホールではないし、日本で初めて、ということでは、冒険はできなかったのだろう。
でも、「威風堂々」々あたりから立つのは許されていいのではなかろうか。
“God Save the Queen”はともかく、” Jerusalem”、“Rule, Britannia!”も、やってほしい。
バグパイプが登場したのは良かったが、演奏が短いし、そのあと出てきても手ぶらだし。

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と、文句は言いつつも、コンサートそのものは、残念な一件を除いて、楽しむことができた。

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BBC Proms JAPAN 2019
https://www.bbcproms.jp/mainstage/prom6.html
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ちょっと物足りなかった分、むかしロンドンで買ってきた2000年のPromsのDVD、威風堂々から視聴。
Pomp and Circumstance March No 1 in D major, 'Land of Hope and Glory'
Fantasia on British Sea-Songs
Rule, Britannia!
Jerusalem
The National Anthem

残念な一件
隣席のいい年の婦人、前のめりになるし、あげくの果てに、前席の背もたれをつかんでの前のめり、そして体を動かした拍子にチラシ類を床に落っことす。
幕間に、「悪いんですが、前のめりはまずいですよ」とご注意申し上げたら、「あんたとは話したくない」ですと。
そして「どんな姿勢で見ようと、私の自由だ、気分を害した、あんたのせいだ」だって。
いやいや、その前の、あなたが周囲に気分を害させたことを言っているんでしょうに。
スタッフからも注意のために話しかけてもらったが、当のご婦人ってば、聞く耳持たず。
これまで、いろんなところで自分本位に周囲に迷惑をかけての鑑賞を繰り返してきたのでしょうかね。
なお、スタッフさんからは座席交換が提案されたのですが、ご婦人は「移るのはこの人だ」と、提案を拒否したのでした。
「蛍の光」で、恒例の隣席と手を交差させて繋ぐとき、その用意はしましたが、ご婦人は繋ぐことはありませんでした。

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2019年9月18日 (水)

ウィーンこだわり旅ブック Ein Reisebuch von Wien mit den auserlesenen Empfehlungen

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今年8月刊行の、最新事情のウィーン、取材は3月らしい。
本書には、いわゆる観光地情報はほとんど掲載されていない。
前半に取り上げられている情報は既存のガイドブックに少しは重なるが、後半は比較的最近オープンしたお店やカフェがメインである。
なので、初めてウィーンに行く人向きではなく、何度か行っている人向きであるが、それだけに、著者と好みに合わない人にはハズレになるかもしれない。

表紙には日本語タイトルのほかに「Ein Reisebuch von Wien mit den auserlesenen Empfehlungen」と、ドイツ語タイトルもあるし、目次もドイツ語表記もある。
けれど、本文の各項目のタイトルは独英混在だったりするところもある。
たとえばオットー・ヴァグナーの郵便貯金局は「Österreichische Postsparkasse」だが、カールスプラッツ駅舎は「Karlsplatz Station」である。
シュタットバーンのカールスプラッツ駅の西駅舎は現在は駅舎としては使われておらず、西駅舎の現在名は本書にある通り「Otto Wagner Pavillon am Karlsplatz」である。
だが、著者は、駅だっとことを強調したかったのかもしれないが、「Der alte Stadtbahn-Bahnhof am Karlsplatz」だと長すぎるか。
あるいは「Wotruba Church」は、「Kirche zur Heiligsten Dreifaltigkeit」ではなくてもいいけれど、「Wotrubakirche」にしておいてほしい。

巻末にマップがあり、掲載されている建物やお店などの場所がわかる。
一部、地図のエリア外の情報もあり、それは地図には載っていない。
所在地とURLは載っているので、気になれば探すことは可能。
ただし、いずれもアクセス方法は載っていない。
まあ、大抵は歩いていけるところにあるけれど。

本文が始まる前に「Fliegen Sie mit ANA nach Wien.」という記事が4ページあるので、ANAがスポンサーになったのかもしれない。

1 Gebäude in Wien erkundigen / ウィーンの建築探訪
2 Auch mal einen Firmenbesuch wagen / 会社訪問をしてみる
3 Das alltäglich Leben in Wien / ウィーンの暮らし いつもの暮らし
4 Am Wochenende muss man auf den Flohmarkt gehen! / 週末は絶対蚤の市!
5 Verschiedene schöne Gemischtwarengeschäfte / 雑貨ショップいろいろ
6 Köstliche Mahlzeiten und Caffé / 美味しいご飯とカフェ
7 Brot, Kaffee und Desert / パンとコーヒーとスイーツも
8 Das Hotel auch ein wichtiger Punkt / ホテルも大事なポイント

塚本太朗/著
産業編集センター
https://www.shc.co.jp/book/11097

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2019年8月30日 (金)

加藤周一、米原万里と行くチェコの旅

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オーストリアからチェコをめぐる旅の中で、加藤周一さんや米原万里さんをキーにして、小森陽一氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏の各氏が語り対談した記録で、それぞれの地の様子は、ほとんど記述されないので、チェコの景色を期待してはいけない。
当然、日本の状況を重ね合わせた話になるので、社会批評でもあり、批判的立場にある人の内側も語られる。
本書を読みながら、ここ数年で、日本の狭さはますます進んだのだとひしひしと実感してしまう、ことに辛淑玉氏の語りでは。

P.25~26の「ハプスブルク家の夏の王宮でした。」は、「ハプスブルク家の夏の離宮でした。」でしょう。
P.26の写真にはちゃんと「離宮」となっているし、他のページでも「離宮」となっている。

ウィーンでは、1984年にも触れてほしかった。
展示となると、軍事史博物館にはあって見てきたけれど、他に展示されているかどうかは定かではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-e1a12b.html
今は改修で閉館だけど、ウィーンミュージアムの展示は、どうだろうか。

P.45、クーデルカの写真集、持って行ったのか。
先日、プラハから帰ってきてもう一度眺めてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-2c1ea7.html

P,180にカフカとチャペックが少し出てくるが、シュベイクについても触れてほしかったな。

小森氏も金平氏も、同世代。
加藤周一さんはむろんのこと父母か祖父母世代、米原万里さんは少し上の姉御の世代。

カラーグラビア
旅のはじめに
第1章 ハプスブルグ家に見る中欧の歴史
 1、ハプスブルグ家とウィーン
>2、権力の歴史から「主役は民」の時代へ
第2章 「プラハの春」と加藤周一
 1、加藤周一「言葉と戦車」と言葉の復権
 2、「言葉と戦車」の今日的な読み方
 3、加藤周一の文学的表現について
第3章 旅先で自らの半生を振り返る
 1、加藤周一と「九条の会」、そして私
 2、ニュースキャスターとして思うこと
 3、反転攻勢のために何が必要か
第4章 チェコの歴史と文化と闘い
 1、チェコの歴史を訪ねて
 2、チェコに見る文化の役割
第5章 米原万里とプラハ、そしてソ連崩壊
 1、プラハ時代の米原万里
 2、ソ連崩壊の過程での米原万里
 3、通訳者、小説家としての米原万里
第6章 中欧から見た日本と日本人
 1、世界から見た日本の教育
 2、リベラル左派の将来をどう考えるか
 3、日本の希望は沖縄にある
第7章 ドイツで自分の居場所を考えた
 1、ユダヤ人とテレジン収容所
 2、殺す側の理屈、殺される側の思い
旅のおわりに

小森陽一、金平茂紀、辛淑玉/著
かもがわ出版
http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/1013.html

 

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2019年8月28日 (水)

夜と霧の明け渡る日に ~ Es kommt der Tag, da bist du frei

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ナチスの強制収容所から解放された人の社会を見る眼と、その眼で見て生まれた思索を、嫌韓の世論を政府自らが煽っているかのようないまのこの国の風潮のなかで、読む。
「未発表書簡、草稿、講演」とある。
フランクルの、収容所からの解放とウィーンへの帰還、その過程で、収容所での経験からフランクルは人びとに何を伝えようと考えたのか。
「夜と霧」よりも、読むことが苦にならない。
これは、「夜と霧」とは違って本書の書簡にしろ講演にしろ、外に向けての言葉だからなのだろうかと思う。
実際のところは、フランクルがこうした言葉にするまでのプロセスがどうであったのかを知りたいところなのだが。

P.129、『そしてついに精神病院における大量殺戮が始まりました。もはや「生産的」でない生命、あるいはごくわずかの「生産性」しかないすべての生命は、文字通り「生きる価値がない」という烙印を押されたのです。』
この文章は1946年3月の講演の中で述べらえた言葉なのだが、70年以上経っても同じ言葉が繰り返さなければならない状況が存在している。
そして、強制収容所から解放された人たちへの周囲の「私たちは何も知らなかったんですよ」「私たちだって苦しんだんです」という言い訳(P.175)、これをフランクルは「責任からの逃避」(P.177)ととらえる。
フランクルは、すでに「オーストリア人の責任」にも触れている(最後にもう一度―『覆われた窓』について)のだが、この「責任からの逃避」は、世間を席巻している「嫌韓」ムード、それ以上の「反韓」ムード、あるいは大臣にある者の民主主義を否定するかのような発言に危機感が示されない状況の底、そうした状況を見聞きしている私たちの中にもあるんじゃないだろうか。

読んでいて思い出すのは、津久井の事件。
あの事件で、むかしいっしょにキャンプに行ったり余暇活動で遊んだりした人たちが、優生思想的考え方の持ち主の被告の行為によって亡くなったり傷ついたりしていることが大きな理由だが、被告についても精神障害に関わる仕事に携わっている立場からは、精神疾患がある(かもしれない)被告ということでは単なる被告としてみることはできない。
二重あの事件を見てしまう。
いまも窓口でいろいろな人に接するなかで、70年以上前からの言葉ではあれ、フランクル氏の言葉が体の中に沁みてくる。

フランクルのウィーンでの跡を探してみると、いくつかのデータがある。
生家と追放までの居住地の記念プレート、Czerningasse 6、2区。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Czerningasse)
亡くなるまで住んでいた家の記念プレート、Mariannengasse 1、9区
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Mariannengasse)
ここに2015年5月26日に「Viktor Frankl Museum」が9区の「Mariannengasse 1」に開館したようだ。
https://www.franklzentrum.org/museum/oeffnungszeiten-und-adresse.html
近くのHöfergasse 5にViktor-Frankl-Parkがある。
https://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/frankl.html
この他にも、ウィーン大学キャンパス(Altes Allgemeines Krankenhaus)に「Viktor E Frankl Gasse」、Praterstern駅の西のZirkusgasse 52の市営アパート「Viktor-Frankl-Hof」、NiederösterreichのReichenau an der Raxに「Dr. Viktor Frankl-Gasse」、KärntenのKlagenfurtに「Viktor-Frankl-Gasse」があるようだ。
次のウィーン行きでは、こうした場所をぜひ歩いてみたい。
GWのウィーン行きでは、ウィーン郊外のアム・シュタインホフ教会に行ったのだが、この教会はSozialmedizinisches Zentrum Baumgartner Höhe Otto-Wagner-Spital mit Pflegezentrum(バウムガルトナー・ヘーエ社会医療センター・オットー・ヴァグナー病院とケアセンター)内にある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-871916.html
この病院の前身は1907年につくられた「Niederösterreichische Landes-Heil- und Pflegeanstalt für Nerven- und Geisteskranke Am Steinhof」で、フランクルは1933年から1937年までここで勤務している。
ここにももしかしたらフランクルの跡が残されているのかもしれない。
また、TürkheimとKauferingのKZ跡地にもそれぞれ「Viktor Frankl Weg」「Viktor-Frankl-Strasse」があるらしい。
https://www.viktorfrankl.org/lifeandwork.html

以前、ブログのいくつかのところでフランクルはダッハウに収容されたということを書いたが、収容されたのはダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)なので、コメントで訂正しておいた。
例えば、2011年にだっはうに行ってきたときのブログ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

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はじめに
「時代の証人たち」 一九八五年六月 ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡 一九四五年~一九四七年
 強制収容所から解放されて
 きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ
 僕のそばには、すべてを変えてくれた人がいる
テキストおよび論文 一九四六年~一九四八年
 精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
 人生の意味と価値について I
 人生の意味と価値について III
 人生はかりそめのもの? いや、すべての者は召し出されている
 人生の価値と人間の尊厳
 実存分析と時代の諸問題
 人種的な理由で迫害された強制収容所被収容者の問題
 最後にもう一度―『覆われた窓』について
 現代の諸問題にサイコセラピストはどう答えるか
 『フルヒェ』紙とスピノザ
 泥棒ではなく、盗まれたものに罪があるのか?
 殺人者は我々の中にいる
記念講演 一九四九年~一九八八年
 追悼
 亡き者たちの名においても和解を
 すべての善意の人々
ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事
使用文献
訳注
訳者あとがき

ヴィクトール・フランクル/著
赤坂桃子/訳
新教出版社
http://www.shinkyo-pb.com/2019/05/23/post-1324.php

 

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2019年8月20日 (火)

芸術新潮 百花繚乱のウィーン

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「二十世紀を拓いた百花繚乱のウィーン」特集の芸術新潮、、なんと「1985年10月号」、35年近く前の芸術新潮を見つけてしまった。
なぜこの時期にウィーンなのだろう?
そして当時、ウィーンをオーストリアを、どのような眼で見ていたのだろうか。

最初の疑問の答は、池内さんの文章にある。
1984年3月28日~1985年10月6日、ウィーンのカールスプラッツに面した「キュンストラーハウス」(Künstlerhaus Wien)で「夢と現実ウィーン・1870―1930年」展(Traum und Wirklichkeit 1870 - 1930)が開かれていたのだそうだ。
http://www.hollein.com/ger/Ausstellungen/Traum-und-Wirklichkeit-1870-1930
Amazon.deを見ると、図録、あるのだな・・・・。
思わずクリックしてしまった。

ベートーヴェン・フリーズ、独語ではBeethovenfries、知らなかった事実。
冒頭に、
「クリムトのベートーヴェン・フリーズ」をご存知だろうか。部分的には画集などでみることができる。しかし全体をみた人はいないのではなかろうか。」
とある。
2006年にウィーンに行ったとき、セセッシオンでみたが、この当時は、そうだったのか。
そして「ベートーヴェン・フリーズ」のたどった歴史が、次のようであったと描かれている。
もともとは1902年の第14回分離派展でクリムトが描き、展覧会終了後は取り壊される予定だったところを、クリムトの友人カール・ライトニングハウスが買いあげる。
1915年、レーデラー家に売却。
1938年アンシュルス、レーデラー家財産は没収され国家所有(むろん、ナチス・ドイツだろう)となるが、1943年戦火を避けるためチュルンタール城に移送。
戦後、没収財産返還令によりレーデラー家所有となるが、後にアルテンブルク財団に寄託されオーストリア美術館(ベルヴェデーレ内)で修復。
1973年、オーストイア政府がレーデラー家から買い上げ、収蔵された。
1984年に開催された「夢と現実ウィーン・1870―1930年」展(Traum und Wirklichkeit 1870 - 1930)でセセッシオンに復元。

ウィーン幻想派の文章には、昨年亡くなったミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギー氏の名前は出てこない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-ee45.html

その他の展覧会案内や記事、そして広告などは、このテの雑誌だからそれほど世相を直接的に反映しているわけではないが、まだバブル景気は始まっていない1985年らしさに満ち溢れている。
この年は、日本の総理大臣は中曽根康弘氏のときで、ソ連でゴルバチョフが書記長に就任、イライラ戦争の最中トルコ航空がイラクにいた日本人の脱出に協力、NTTとJT発足、聖輝の結婚、日航123便墜落事故、夏目雅子死去、任天堂のスーパーマリオブラザーズ発売ってなことがあった。
このころのレンプ大統領はルドルフ・キルヒシュレーガー(Rudolf Kirchschläger)が2期目である。
クルト・ヴァルトハイム(Kurt Josef Waldheim)が就任し顰蹙を買ったのは、翌1986年のことであった。

世紀末ウィーンへの招待 解説:池内紀、撮影:南川三治郎
20世紀への扉・建築編 近代建築を拓いたオットー・ヴァーグナー
 アム・シュタインホーフ教会
 マジョリカ・ハウス
ヴァーグナー建築散歩
オットー・ヴァーグナーの生涯
 今でも新鮮な公共建築 郵便貯金局
 市の新しい顔 カール広場駅
フロイト『夢判断』の背景
20世紀への扉・美術編 反伝統の画家・クリムト
運命の年一九一八―ヴァーグナー クリムト シーレ死す
20世紀への扉・工芸編 “美”の大衆化をはかった「ウィーン工房」
1860~1930ウィーン年表
現代の世紀末芸術「ウィーン幻想派」

新潮社

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2019年8月 4日 (日)

アール・ヌーヴォーの残照

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著者自身が訪れ撮影した世界各国の「アール・ヌーヴォー」な建築物の数々、なかにはこの建物もアール・ヌーヴォーなの?と思ってしまうものもあるが、「講義」のアール・ヌーヴォーとして捉えればいいだろう。

「イギリス」の章に「ラファエル前派」と題する文章がある。
春に「ラファエル前派の軌跡展」に行ってきたので、この文章はチェックしてみた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-bcc2.html
展覧会では、ウィリアム・モリスの「Arts and Crafts」がアール・ヌーヴォーの先駆だとしても、ラファエル前派と「Arts and Crafts」との関係がよく分からないで終わったのだが、ウィリアム・モリスはラファエル前派のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティを師とし、またセッティのモデルを務めた女性がウィリアム・モリスの妻となったようだ。
本書には「ロセッティは親友ウィリアム・モリスの妻ジェーンの連作を描き、ついには結婚する」と書かれているが、関係はあったようだが結婚に至ったわけではないようだ。

ジョルナイ工房の「ギュギ・コレクション」(P.263)の陶磁器は、宮川香山の高浮彫を彷彿とさせる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/100-de94.html

「現在の共産主義体制国家ロシアの首都モスクワ市民の99%は集合住宅に住んでいる。」との文章があり、共産主義時代に「貧富の差によって生まれる個人住宅の所有は許され」ず、モスクワ市内の個人住宅はあらかた取り壊され、集合住宅に建て替えられた」と続く。(P.324)
前段の「現在の共産主義体制国家ロシア」、ううむ、謎。
後段の個人住宅の所有は許されなかったとしても、市内の個人住宅とは元は個人所有の邸宅だったマンションを集合住宅に建て替え、あるいは改造した、ということではないか。
モスクワに限らず、ヨーロッパの多くの都市の建物は、そうした歴史を持っているのではないか。
メトロポールホテル(P.328)は、先日読んだ「モスクワの伯爵」が住んでいたホテルだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-453166.html

P.444に、ウラジオストック駅の手書きのスケッチに『「BARAUBOGTOK」と大きく書いてある』という記述があり、そのスケッチを見ると、案の定キリル文字の「ВЛАДИВОСТОК」であるのだが、編集者はこの辺りのチェックはスルーしてしまったのだろうか。

P.459に大連の旧横浜正金銀行の写真がある。
設計は妻木頼黄と太田毅で1909年竣工、ドームが三つあるが、このドームの形状は、横浜は馬車道にある神奈川県立歴史博物館、横浜正金銀行本店のドームとそっくりだ。
横浜正金銀行本店の設計は妻木頼黄で、1904年竣工。

小谷匡宏のヒューマニズム 建築家・隈研吾
はじめに
アールヌーヴォー建築とは
各国のアールヌーヴォーの名称
1 イギリス:ウィリアム・モリス/チャールズ・レニー・マッキントッシュ/チャールズ・ハリソン・タウンゼント/ヨーク/ラファエル前派
2 ベルギー:ヴィクトール・オルタ/アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド/ポール・アンカール/ギュスターブ・ストローヴァン/ポール・コーシー/ブリュッセル ゲント アントワープ
3 フランス:エクトール・ギマール/ジュール・ラヴィロット/エミール・アンドレ/アンリ・ソヴァージュ/リュシアン・ヴァイセンビュルガー/オーギュスト・ペレ/パリ ナンシー/メッス 74
4 オーストリア:オットー・ワーグナー/ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ/ヨゼフ・ホフマン/オットー・シェーンタール/アドルフ・ロース/ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン/アルマ・マーラー/ウィーン/トウルン
5 ドイツ:ペーター・ベーレンス/ブルーノ・タウト/エリッヒ・メンデルゾーン/フリッツ・ヘーガー/ベルンハルト・ヘットガー/ミュンヘン/バーデン・バーデン/マンハイム/ワイマール/エアフルト/ヴォルプスヴェーデ/ヴィースバーデン
6 イタリア:ピエトロ・フェノーリオ/ジョヴァンニ・ミケラッツィ/ジュゼッペ・ソマルーガ/エルネスト・バジーレ/ジュゼッペ・ブレガ/ジュリオ・ウリッセ・アラタ/トリノ
7 オランダ:ヘンドリックス・ペトルス・ベルラーヘ/ウィレム・クロムハウト/ヨハン・メルヒオール・ファン・デル・メイ/ミハエル・デ・クレルク/ピッテル・ロードウェイク・クラメル/ヨハン・ルドヴィクス・マテウス・ラウエリクス/アムステルダム/ユトレヒト/デン・ハーグ
8 スペイン:アントニ・ガウディ・イ・コルネ/ルイス・ドメネク・イ・モンタネル/ジョゼップ・プーチ・イ・カダファルク/ジュゼッペ・マリア・ジュジョール・イ・ジベルト/バルセロナ/サン・ジョアン・デスピ
9 ボルトガル:リスボン
10 ルクセンブルク:ルクセンブルク
11 スイス:ル・コルビュジエ(シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)/ルドルフ・シュタイナー/バーゼル
12 ハンガリー:レヒネル・エデン/ライタ・ベーラ/コモル&ヤコブ/ヘゲデーシュ・アールミン/バウムガルテン・シャーンドル/マールクシュ・ゲーザ/マジャール・エーデ/メンデ・バレール/ヤーンボル・ラヨシュ/ボルゾ・ヨーゼフ/アールカイ・アラダール/コーシュ・カーロイ/ピルヒ・アンドール/ジョルナイ工房/ブダペスト
13 チェコ:オズワルド・ポリーフカ/ヤン・コチェラ/ヨゼフ・ファンタ/プラハ/プルゼニュ/カルロヴィ・ヴァリ/マリアーンスケ・ラーズニエ/チェスキー・クルムロフ/チェスケー・ブディエヨヴィツェ/湖畔に建つアールヌーヴォー
14 スロヴァキア:ブラチスラヴァ
15 ルーマニア:ヴアーゴ・ラースロー・ヨージェフ兄弟/リマノーツィ・カールマーン
ティミショアラ クルージ・ナポカ アラド トゥルグ・ムレシュ 294
16 ブルガリア:プロヴディフ/コプリフシティツァ
17 スロベニア:ヨージェ・プレチニック/マックス・ファビアーニ/シリル・メトッド・コック
18 セルビア:ライヒレ・フェレンツ/ベオグラード/スボティツァ
19 クロアチア:スプリット/ザグレブ
20 ボスニア・ヘルツェゴビナ:サラエボ
21 マケドニア:スコピエ
22 ロシア:フョードル・シェーフテリ/モスクワ/サンクトペテルブルグ
23 ウクライナ:ギエフ/オデッサ/リヴネ (ロブノ)
24 ポーランド:ワルシャワ
25 フィンランド:エリエル・サーリネン/ラルシュ・ソンク/ヘルシンキ
26 スウェーデン:ラグナル・エストベリ/ストックホルム
27 デンマーク:コペンハーゲン
28 ノルウェー:アールヌーヴォーの街 オーレスンの無名の建築家達/オスロ/ベルゲン
29 ラトヴィア:ミハイル・エイゼンシュタイン/リガ
30 エストニア/タリン
31 アイルランド:タブリン
32 アゼルバイジャン:バクー
33 ジョージア:クタイシ/トビリシ
34 トルコ:ライモンド・ダロンコ/イスタンブール/イズミール
35 アメリカ:ルイス・ヘンリー・サリヴァン/マッキム、ミード、ホワイト/フランク・ロイド・ライト
36 アルゼンチン:
アルゼンチンのアールヌーヴォー建築概観/フリアン・ハイメ・ガルシア・ヌーニェス/ビルヒニオ・コロンボ/エンリケ・フォルカース/エンリケ・ロドリゲス・オルテガ/ルイ・デュボワ、パブロ・パテル、エミリオ・ユジュ
37 メキシコ:メキシコシティ
38 モロッコ:マラケシュ
39 ペルー:リマ/クスコ
40 チュニジア:チュニス
41 インド:ダージリン
42 マレーシア:クアラルンプール/ジョージタウン
43 ベトナム:ホーチミン/フエ/ハノイ
44 ブータン:ティンプー/パロ
45 ネパール:カトマンズ/バクタブル
46 中国:ハルビン/長春/瀋陽/大連/青島
47 日本:辰野金吾、武田五一、岩元禄/田上義也/今井兼次/板谷波山
コラム 世界初のアールヌーヴォー建築はなにか
コラム アールヌーヴォーを捜しにゆく:スリランカ/ブルネイ/ニュージーランド/ベラルーシ/モルドバ/ウズベキスタン/カンボジア/シリア/タイ/インドネシア
あとがき
参考文献

小谷匡宏/著
三省堂
https://www.books-sanseido.co.jp/soeisha_books/303632

 

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