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2021年2月19日 (金)

ハイネ散文作品集 第2巻 「旅の絵」より

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以前、「チロルの悲劇 アンドレーアス・ホーファー」を読んだときに、ハイネがインスブルックの「金鷲亭(Zum Goldenen Adler)に泊まったようなことが書いてあったので、読んでみる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9b1fa1.html
すると、たしかに「ミュンヘンからジェノバへの旅」第七章に書かれている。(P.138)
また、ハイネはここでインマーマンに触れている。

それにしても、言葉の洪水であって、しかも改行がほとんどないので、いささか辟易する。

シシィは、いつの頃からハイネに傾倒していたのか。
シシィが生まれたのが1837年、ハイネが亡くなったのは1856年2月17日、シシィはその直前の1854年4月にFJの妻となっている。
本書の散文は、「ポーランドについて」が1822年、「イデーエン ル・グラン書」が1826年から27年、「ミュンヘンからジェノバへの旅」が1828年、「バーニ・ディ・ルッカ」が1829年だとすれば、読んだ可能性はなくはない。
ステージでは、コルフ島でシシィはハイネの霊を呼び出そうとして"Ich erwart dich, Heinrich Heine, bleib bei mir, enttäusch mich nicht! Komm und diktier mir noch ein Gedicht!"と歌うのだが、ここでは「詩」を待っていて、こうした散文を望んだのではなさそうだ。
出てきたのはマックス公の霊で、シシィはマックス公の霊にたしなめら、"Adieu, Sisi"と別れを告げられるのだが、マックス公が亡くなったのは1888年11月15日であるから、このシーンはそれ以後の時期ということになる。
また、結婚前のお転婆お嬢時代は、ハイネを求める理由はないだろうから、FJとの結婚と王室の旧弊たるしきたりとの葛藤のなかだろうから、1850年代以後なのだろう。
あくまでステージ上からの想像ではある。

消えたハイネ・・・金時鐘
ポーランドについて・・・木庭宏/訳
イデーエン ル・グラン書・・・木庭宏/訳
ミュンヘンからジェノバへの旅・・・鈴木謙三・鈴木和子/訳
バーニ・ディ・ルッカ・・・深見茂/訳
作品解題
解説

松籟社
http://www.shoraisha.com/main/book/9784879841131.html

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