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2020年8月 4日 (火)

いのちを選ばないで やまゆり園事件が問う優生思想と人権

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2016年12月刊行の「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの」の3年後、2019年12月の刊行で、公判前であり、「生きたかった」の続編と位置づけることができる。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-581f.html

さまざまな立場の人がさまざまな考えを明らかにしていて、国の方向に沿ったとしか思えないと感じるものもあったが、一番思ったのは、ここに至っても「当事者」の言葉がないことだ。
障害を持っている人の執筆は、ある。
しかし、知的障害があり、施設利用経験がある人の言葉は、ない。
P.201で藤井さんは「専門家だけではなく障害当事者の代表なども加えた、本当の意味での検証体制を構築する必要があります」とおっしゃっているにもかかわらず。
前の「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの」には、コラムではあるが、「当事者・家族・支援者の声」があったのだが。

そして、現在の制度的枠組みを前提としているような考え方と受け止められる内容も多い。
むろん現状の単純な肯定ではなく、現状批判も込められているのだが、たとえば、「家族に依存せず、社会から孤立せず、障がいのある人が自ら希望する場で生活するには、複数の選択肢が用意される必要がある」(P.120。「障がいのある人と家族の人権保障の現状と課題」(矢嶋里絵))のは当然なのだが、自分の生活を創造していくときに、用意された選択肢から選択するだけではなく、「こうした生活をしたい」という目標のために、どのようなものが用意されたらいいだろうかというプロセス、選択するものをつくりだすプロセスもあっていいのではないかと思ってしまう。
そこに、「総合」支援法への違和感が重なる。
「サービス等利用計画」が「障害者の心身の状況、その置かれている環境、当該障害者等又は障害児の保護者の障害福祉サービス又は地域相談支援の利用に関する意向その他の事情を勘案し、利用する障害福祉サービス又は地域相談支援の種類及び内容その他の厚生労働省令で定める事項を定めた計画」とされているけれど、既存の用意されたサービスのメニューから、使えるサービスを組み合わて提示することで終わっているのではないか。
その人の状況に着目して、利用するサービスそのものを創造するという「計画」は、ないだろう。
また、総合支援法では「障害支援区分」の認定が必要で、それは「障害の程度(重さ)」ではなく、「障害者等の障害の多様な特性その他の心身の状態に応じて必要とされる標準的な支援の度合を総合的に示すもの」とされているのだが、その結果、利用可能なサービス(この「サービス」という言葉も嫌いだ)に違いが出てくるわけで、客観的に見えながら生きかた暮らしかたの幅の抑制になっているのではなかろうかと思ってしまう。

冒頭で書いたように、本書の刊行は公判前である。
なので、裁判に求めるものが、いくつか書かれている。
・「心失者」という呼称に示された障害者観の解明(P.145、「障害者政策の歴史と現状からみたやまゆり園事件──事件の特異性と普遍性」(藤井克徳))
・背景要因(この社会と植松被告人との関係(P.145、同)の徹底した究明(P.146、同)
・植松氏がなぜこのように育ち、一線を超えてしまったのかを解明するための生育歴(P.164、、人権をかかげよう──人間として生きる(井上英夫))
・被告人の言動の背景(P.193、〈座談会〉やまゆり園事件を生んだ現代社会と、めざすべき社会)
これらの点が裁判でどう扱われたのかは、裁判後の文献をあたってみようと思うが、「生きたかった」、本書「いのちを選ばないで」に続く書籍が出るのだろうか。

憲法との関係で、第97条と第12条にふれている(P.204、205、〈座談会〉やまゆり園事件を生んだ現代社会と、めざすべき社会)。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
気になるので、政権党の改正案も書いておこう。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
第九十七条 全文削除

本書でも紹介されているフォン・ガーレン司教の言葉(P.163、人権をかかげよう──人間として生きる(井上英夫))を書いておきたい。
私たちは,他者から生産的であると認められたときだけ,生きる権利があるというのか.非生産的な市民を殺してもいいという原則ができ実行されるならば,いま弱者として標的にされている精神病者だけでなく貧しい人、非生産的な人,病人,傷病兵,仕事で体が不自由になった人すべて,老いて弱ったときの私たちすべて,を殺すことが許されるだろう
NHKの「ETV特集 アンコール ホロコーストのリハーサル~障害者虐殺70年目の真実」
1941年8月3日の説教は、これらしい。
https://www.uibk.ac.at/theol/leseraum/texte/599.html
ただし、フォン・ガーレン司教に対しては、反民主主義的態度、時には権威主義的な政治的態度、反ボルシェビズムへの批判は、ある。

序文 やまゆり園事件再検証の深い意味(柳田邦男)
序章 津久井やまゆり園事件──その本質と背景(池上洋通)
第1章 私たちのやまゆり園事件──考え、語り続けること
 1 事件の振り返り、そして未来へ(尾野剛志)
 2 家族から見た津久井やまゆり園での暮らし(平野泰史)
 3 社会福祉・公務労働者、住民として見た事件(太田顕)
 4 私たちの津久井やまゆり園2019──現場からのレポート「再生と共生」(入倉かおる)
 5 行政の受けとめ方とその後──長くて短い3年(井上従子)
 6 神奈川県検証委員会による検証とその後――事件が問いかけるもの(石渡和実)
 7 障害の重い人の暮らしのありかたと支援の本質(佐久間修)
 8 やまゆり園事件とメディア──ジャーナリストの立場から(宮城良平)
 9 「魂の嘔吐感」とどう向き合うか──植松聖被告と面会して(福島智)
第2章 事件の背景と要因──日本の社会保障・社会福祉と人権保障の貧困
 1 優生思想の現代──相模原事件と強制不妊・出生前診断(利光恵子)
 2 精神科医よ、診察室の外にも目を向けよ(香山リカ)
 3 社会福祉施設における労働・生活権保障の現状と課題(鈴木靜)
 4 障がいのある人と家族の人権保障の現状と課題(矢嶋里絵)
 5 国と地方自治体は障害のある人のいのちと暮らしを守れるか(石川満)
 6 人権主体性と津久井やまゆり園事件──憲法の視点から(井口秀作)
第3章 事件を受けとめ、どのような社会をめざすのか
 1 障害者政策の歴史と現状からみたやまゆり園事件──事件の特異性と普遍性(藤井克徳)
 〈コラム〉不妊手術を強いられた障害者の家族として(佐藤路子)
      “不良な国民”と“優良な国民”の狭間で(藤木和子)
 2 人権をかかげよう──人間として生きる(井上英夫)
 〈コラム〉胸を張るとき、差別が逃げてゆく(林力)
      いのちの選別を許すな(德田靖之)
第4章 〈座談会〉やまゆり園事件を生んだ現代社会と、めざすべき社会

藤井克徳/編
池上洋通/編
石川満/編
井上英夫/編

大月書店
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b487308.html

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