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2020年7月11日 (土)

国際歴史教科書対話 ヨーロッパにおける「過去」の再編

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1998年刊行なので、今から読むと時代性は感じる。
刊行以後の、移民の増加、2015年のシリアなどからの難民の流入、イギリスのEU離脱など、ヨーロッパ内だけではすまされない課題に次から次に対応しなければならなくなり、「統一」にクエッションマークがちらちらするいヨーロッパとなってしまっている。
当時の状況について、P.220からP.221にかけて「いまなお民族の過去に自らの存在理由を見出している人々が多数存在していることを示唆してい」て、「旧ユーゴにおける民族浄化戦争、ヨーロッパ全域に蔓延する外国人排斥の動き、アメリカにおけるイングリッシュ・オンリー運動(中略)、そして日本における歴史の修正主義、(中略)それが注目すべき規模にまで発展した」と記述されているのだが、繰り返すが、これは1998年である。
壁が壊れてからの10年は、その後の20年に比べると、まだまだ「これから」を意識することができたのかもしれないが、当時でさえこう書かなければならなかった状況なのだが、著者は、現在の様相をどう記すのだろうか。
そして、いやでも、日中・日韓、そして日本とアジアのことを考えずにで読むことはできない。

冒頭(P.1)で、バートランド・ラッセルの「教育と社会体制」(1932らしい)からの文が引用されているので、ここでも引いておく。
(子どもたちは)自分たちの国家が行った戦争はことごとく防衛のための戦争で、外国が戦った戦争は侵略戦争なのだと思うように導かれる。予期に反して、自国が他国を征服するときは、文明を広めるために、福音の光をともすために、高い道徳や禁制やその他の同じような高貴なことを広めるためにそうしたのだと信じるように教育される。

こうした思いは我が国の憲法の前文にも謳われたはずなのだが、「この崇高な理想と目的を達成すること」はいつの間にか脇に追いやられ忘れ去られてしまったと思わざるを得ないのが、昨今の日々のさまざまなできごとだ。
7月5日、東京都知事は再選され、この人を批判して選挙戦に臨んだ人やその人に想いを託そうとした人たちにとっては残念な結果となってしまったが、それ以上に驚愕だったのは、明白なレイシズムを信条とする候補が前回比1.5倍以上の得票を得たことだ。
その得票数と有効投票数でみると、ざっと34人に1人くらいがこの候補に票を入れたことになる。
「身の回りの100人に1人以上が、私を殺そうと考えているのではないか」と掻いた、在日外国人もいたようだ。
この候補だけでなく、当選した人も根っこにこうした考え方があるのではないかと思うのは、例えば「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に歴代都知事が送ってきた追悼文を取りやめ、さらに今年には公園占有許可を出さないでいることにも見え隠れしているからだ。
前述の候補や当選した人に投票した人たちの、こうした考え方を気にしない、あるいは、もしかしたらそのような考え方に加担しているかのような風潮がこの国を覆っているのかもしれないと考えると、自分たちの歴史に向き合うことができなかった、向かうことをさせなかった戦後史は何だったのかと考えてしまう。
負の歴史に向き合うことを「自虐」としか見ることのできないことのほうがよっぽど「自虐」だと思うのだが、これは本書でも「自国の暗い過去を認める勇気を持つことが、そのような対話の前提となる。そもそも、負の遺産を排除することによって満たされるような国民的な誇りは、誇りという言葉をもって表現すべきないようではないであろう。」(P.214~215)と批判している。
負に向き合うことでエネルギーを費やすよりも、お山の大将でいることを選ぶ方が楽だし心地よいし、「安堵感」を持つことができるのだろう。
P.224に記された著者の考え方は、「民族」第一の考え方の人たちには相当カチンと来ることだろう。

「外国人」との関係をどうとるかについては、他人事ではない。
職場のカウンターには毎日100人前後の人たちが来るのだが、その中には「外国人」もいる。
職場の職員数は50人弱、単純に数字だけを見ると、1人か2人は例の候補に共鳴しているのかもしれないし、そこまでいかなくても、歴史に目を閉ざしても気にしない人が二桁はいる、ということになる。
そうした職員は、ガウンターで「外国人」に向くときに、心の奥底にどのような思いを持っているのだろうか。
カウンターで「外国人」にどのように接するか、あるいは「外国人」との共生について、職員に対する研修は、特別にはない。
人権研修のなかでまとめているのだろう。

P.11に引用されている、ダッハウで亡くなったラピエールの言葉。
人類の過ちは忍耐力がないこと、努力のあとすぎに効果を期待することにある。人類の進歩は一世代で達成されるものではなく、長い歴史のなかで達成されるものである。
地道に続けていくしかない、続けるべきだ、ということだろう。

「ドイツ・フランス共通歴史教科書」は、読んだ。
ドイツ・フランス共通歴史教科書【近現代史】 ウィーン会議から1945年までのヨーロッパと世界(2016年刊行)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/1945-0266.html
ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】 1945年以後のヨーロッパと世界(2008年刊行)
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/1945-9c1f.html

まえがき
序章 歴史教科書への問いかけ
第一部 過去の克服と教科書対話
 第一章 戦後ドイツにおける対話の再開
 第二章 鉄のカーテンを越えて―ドイツ・ポーランド教科書対話
 第三章 ドイツ・ポーランド教科書勧告の反響
第二部 ヨーロッパの統合と歴史教育
 第四章 歴史教育における“ヨーロッパ”への取り組み
 第五章 ヨーロッパの歴史?
 終章 国家観の変容と歴史の課題
あとがき
参考文献

近藤孝弘/著
中央公論社

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