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2020年7月 7日 (火)

オーストリアの風景

200418_001  200418_002
2015年の刊行だが、文章や写真は2005年に亡くなった浮田典良氏の文章や写真、そのほかの執筆者の文章や写真で、20世紀最後の頃から刊行まで十数年にわたっている。
個人の旅行記、今で言えば旅ブログを読んでいるような印象であり、文章の対象の情報は、アクセス方法や所在地など、何もない。
写真にしても、その対象を説明するようなキャプションではなく、筆者の印象を写し取って載せたような雰囲気なのだが、それは、執筆者自身が「見聞をもとにまとめてみた」(P.5)と書いていることで頷けるものはある。
何度か行っている人なら、本書が伝えたいこと、ガイドブックに載っていないような「風景」(執筆者によれば、「われわれが精一杯「視覚」を働かしてキャッチできるもののうち、キャッチする側が何らかの意味をもつものとして捉えることのできるもの」、P.4)のイメージは伝わるだろうが、オーストリアが初めてだと、本書から「ここに行きたい」と思い至るのは、少し難しいかもしれない。
そして、写真が小さいのが難点だが、大きくすると本書のサイズでは収まりきらないだろう。
各編とも2ページの仕様。

P.18はヴォルツァイレのハイナーさん、5年前(もうそんなになるか)に行った。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-50c8.html
ケルントナーにもあるのに、ヴォルツァイレとは。

P.34のCafé Westend‎、何度か入った。
この名称、お店がマリアフィルファー通り(Mariahilfer Str.)とギュルテル(Gürtel)の角にあるので、マリアフィルファー通りの西端だからだろうと想像していたのだが、現代のマリアフィルファー通りはギュルテルを超えてさらに西、シェーンブルン宮殿正門から北に伸びるシュロスアレー(Schloßallee)まで続いている。
ギュルテルは、もとはウィーンの外縁部を取り巻く市壁「リーニエンヴァル」(Linienwall)だったところで、1894年から取り壊されて環状道路ギュルテルが造られたのだが、それまでのマリアフィルファー通りはリーニエンヴァルでおわったのだろう。
お店のサイトには創業1895年らしいので、この当時はマリアフィルファー通りの西端にあった、ということだろう。
http://cafe-westend.at/
ウィーン西駅の始まりは、まだリーニエンヴァルのあった、皇后エリザベート鉄道(Kaiserin Elisabeth-Bahn、KEB)のウィーン西駅(1858年12月15日にウィーン西駅からリンツまで開通、1860年8月1日にザルツブルグまで開通)なので、リーニエンヴァル取り壊しのあとは駅前の一等地のお店となったとも言える。
https://de.wikipedia.org/wiki/Kaiserin_Elisabeth-Bahn
古い時代の地図と現代の地図を重ね合わせた地図を、ここから閲覧できる。
「Historische Stadtpläne」にチェックを入れて、閲覧したい年代を選択できる。
https://www.wien.gv.at/kulturportal/public/
200418_005_1887  200418_005_1904
左が1887年、右が1904年。いずれも赤丸がCafé Westend‎の場所。

P.47で、執筆者浮田典良氏の定宿が「クルーガー通りにある」と書かれているが、Hotel Zur Wiener Staatsoper、寅さんが泊まったホテルだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/krntner-str-778.html

フランツ・ヨーゼフがウィーンからバート・イシェルまで行くのにどのくらいの時間がかかったか、ウィーンからリンツまで船、リンツからグムンデンまで馬車鉄道、トラウン湖を船で行き、エーベンゼーからバート・イシェルまで馬車、都合50時間(うち馬車鉄道が6時間)だったそうな。(P.101)

200418_004
本書でとりあげたところを、「歩き方」のマップに落としてみた。
200418_003

目次では、執筆者(敬称略)もメモしておく。
浮田典良→(浮田)
加賀美雅弘→(加賀美)
藤塚吉浩→(藤塚)
呉羽正昭→(呉羽)
また、下線は行ったことのある場所。

まえがき(浮田)
浮田典良先生の思い出
オーストリアとはどんな国(加賀美)
 キーワードで示してみる(浮田)
 アルプスと丘陵・平原(浮田)
 ドナウ川とオーストリア(浮田)
 ハプスブルクの遺産(加賀美)
 オーストリアの気候(浮田)
 畜産に重点を置いた農業(浮田)
 オーストリアの観光(1)(浮田)
 オーストリアの観光(2)(浮田)
 オーストリアの地域中心都市(藤塚)
 オーストリアの鉄道(加賀美)
 オーストリアのホテルと民宿(加賀美)
 オーストリアのカフェ(加賀美)
 オーストリアの料理(加賀美)
 オーストリアのビールとワイン(加賀美)
オーストリア九つの州
 ウィーン州
  1.ウィーン特別市(藤塚)/2.ウィーンの概観(浮田)/3.ウィーンの旧市街(浮田)/4.ウィーンの市電(浮田)/5.音楽を楽しむ町(浮田)/6.クリスマスの風情(浮田)/7.ウィーンの生活に触れる(浮田)/8.ユダヤ人が残した風景(加賀美)/9.外国人が暮らすブルネン小路(加賀美)/10.ウィーンの森(加賀美)/11.ラクセンブルク(加賀美)
 ブルゲンラント州
  12.ブルゲンラント州(浮田)/13.アイゼンシュタット(浮田)/14.ノイジードラー湖(浮田)/15.ルスト(浮田)/16.バート・タッツマンスドルフ(浮田)
 ニーダーエスターライヒ州
  17.ニーダーエスターライヒ州(浮田)/18.バーデンとシュネーベルク(浮田)/19.レッツ(浮田)/20.サンクト・ペルテン(浮田)/21.メルクヴァッハウ渓谷(浮田)/22.デュルンシュタインクレムス(浮田)
 オーバーエスターライヒ州
  23.オーバーエスターライヒ州(浮田)/24.リンツ(浮田)/25.ドナウ川下り(浮田)/26.ケルシュバウム(浮田)/27.シュタイヤー(浮田)/28.シュタイヤーのクリスマス(浮田)/29.ヴェルス(浮田)/30.鉄道馬車の名残り(浮田)/31.バート・ハル(浮田)/32.バート・シャラーバッハ(浮田)/33.グムンデン(浮田)
 ザルツブルク州
  34.ザルツブルク州(加賀美)/35.ザルツブルク(加賀美)/36.ザルツブルク音楽祭(加賀美)/37.ツェル・アム・ゼー(加賀美)/38.グロースグロックナー・ホッホアルペン道路(加賀美)
 ザルツカンマーグート
  39.ザルツカンマーグート(加賀美)/40.サンクト・ヴォルフガング湖(加賀美)/41.バート・イシェル(加賀美)/42.ハルシュタット(加賀美)
 シュタイアマルク州
  43.シュタイアマルク州(浮田)/44.センメリンク(浮田)/45.グラーツ(浮田)/46.リーガースブルク(加賀美)/47.シュトゥービンク(加賀美)/48.南シュタイアマルク・ワイン街道(加賀美)
 ケルンテン州
  49.ケルンテン州(浮田)/50.クラーゲンフルト(浮田)/51.ミニムンドゥス(浮田)/52.ヴェルター湖(浮田)/53.マリア・ヴェルト(浮田)/54.トレポラッハ村(浮田)/55.マリア・ザールとフリーザッハ(浮田)/56.バート・クラインキルヒハイム(浮田)
 チロル州
  57.チロル州(浮田)/58.インスブルック(呉羽)/59.ノルトケッテ(呉羽)/60.ブレンナー峠(呉羽)/61.イエンバッハ(呉羽)/62.キッツビューエル(呉羽)/63.サンクト・アントン(呉羽)/64.伝統的なスキーリゾート(呉羽)/65.エッツ谷(呉羽)/66.ゼルデン(呉羽)/67.東チロル(呉羽)
 フォアアールベルク州
  68.フォアアールベルク州(呉羽)/69.ブレゲンツ(呉羽)/70.ブレゲンツァーヴァルト(呉羽)/71.モンタフォン(呉羽)
参考文献
あとがき

浮田典良/著
加賀美雅弘/著
藤塚吉浩/著
呉羽正昭/著
ナカニシヤ
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b200202.html

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