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2020年3月17日 (火)

ハプスブルク帝国

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「はじめに」に、「一〇〇〇年の歴史を俯瞰する」「俯瞰的な通史の試み」とある。
そのために「特定の時代やテーマに深入りし過ぎず、各時代にそれぞれ十分紙幅を割くように心掛けた」としている。
時代によりその領域は変化し、今の国を基本に考えるとさまざまな国々が入り乱れ、歴史に登場する人物も多い歴史だから、本文で400ページにもなる新書版という制約の中で、その試みはどうだったか。

マクシミリアンが「ティロールの君主に迎えられ」たとの記述(P.79)は、先日読んだ「チロルの悲劇 アンドレーアス・ホーファー」につながるものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9b1fa1.html
そのマクシミリアンは、ウィーナー・ノイシュタットの宮廷礼拝堂(聖ゲオルク教会)に埋葬されているので、行ってみよう。

「王女マルガリータ」の肖像画がある(P.105)が、去年の秋の「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」でお目にかかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-270873.html
ウィーンでは美術史美術館に行っても、青はどこかへお出かけだったりしてなかなかお目にかかれなかったが、2012年にお目にかかっている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/wien-und-hal-34.html

フェルディナント公が収集した珍宝のあるインスブルックのアンブラス城(P.142)には、行ってみたい。

P.168から、著者は「絶対主義」について、「今日の研究はこのような見方から距離をおき、「絶対主義」という用語をあまり用いなくなっている」としているが、本書ではこれだけではなく、これまでの考え方や評価について、今では異なってきているとう記述があちこちに出てくる。
例えば、フェルディナント三世について、「平和を志向して三十年戦争の終結に尽力したという従来の評価は、今では誇張であったと見なされている」(P.173)、チェコに関して「今日では、「暗黒時代」史観は避けられ」(P.181)、などであるが、どう変わったかを確認したければ、従前の考え方を見る必要が出てくる。
それを本書に記載すると、せっかくの新書版が維持できなくなるのだろうな。

P.171のペスト記念柱、グラーベンに行くと嫌でも目に入るのだが、当たり前に立っているので、今更しげしげと眺めることもない。
神・キリスト・精霊の三位一体と、神聖ローマ帝国・ハプスブルク家・オーストリア諸邦、ハンガリー諸邦、チェコ諸邦とを重ね合わせているという見方は、記念柱にあるワッペンとともに、ちゃんと確認してみよう。

カール六世期の「郵便事業の国有化」(P.201)、ヨーゼフ二世のときの「検閲がふたたび強化」(P.237)、ナポレオン戦争時代の「」アンドレアス・ホーファ率いる民衆軍」(P.254)は、これまで別の本で読んでいる。
郵便事業:トゥルン・ウント・タクシス その郵便と企業の歴史
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2491.html
検閲:検閲帝国ハプスブルク
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-302280.html
アンドレアス・ホーファ:チロルの悲劇 アンドレーアス・ホーファー
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-9b1fa1.html

P.288からフランツ・ヨーゼフとエリーザベトの結婚について記述されている。
ミュージカルではへレーネとのお見合いにきたFJが、へレーネを差し置いてエリーザベトに一目惚れという展開となるのだが、そもそも、バイエルンとの結びつきを画策したのが誰なのだろうか。
当時のハプスブルク家にあっては、ぞギーが目論んだのだろうけれど。

ヨーゼフ・ロートの名が、P.368やP.378にてくる。
「ラデツキー行進曲(上下)」、「聖なる酔っぱらいの伝説」を読んだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-751d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-4c9d.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-5ae435.html

当然だが、2011年7月4日に亡くなったオットー・フォン・ハプスブルクについても、ページが割かれている。
記述は、オーストリア・ファシズムの時代に成人したことで、ナチスドイツと不ファシストイタリアの双方から接近があったことから始まる。(P.381~)
そして戦後のオットーの動き(P.394~)は、1973年から国際汎ヨーロッパ連合の2代目会長に就任したこと(初代会長は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、母がクーデンホーフ=カレルギー・光子)、欧州議会銀であったこと(1979~1999)、そして、主導したのか利用したのか、汎ヨーロッパ・ピクニック(1989.8.19)に関わったことなどがあるが、その評価はまだ難しいことなのだろう。

本文中には他の文献からの引用があるが、訳者名は記されているが文献名はない。
巻末に参考文献の一覧があるのでそこから探ればいいのだが、文献名ぐらいは記載しておいていいのではなかろうか。
また、人物名も、戴冠して「何とか1世」とか「かんとか2世」という名の人物について、そのあとで登場するときには「何とか」や「かんとか」と、1世2世が省略されていることがある。
その人物の記述なのだから略してもいいかと思うのだが、途中で読むのをやめて、のちに再び読み始めるときに、こんがらかることもあった。
人物の一覧表(簡単な略歴を含めて)があると良かった。
そうなると、もう、新書としては刊行できない分量になってしまうのかもしれないが。

そうしたことを措いても、時代によりその領域が異なる「ハプスブルク君主国」の歴史の基本を抑えることができる。
ただし、本書を読んで、そこからさらに様々な文献に伸びていくことを思うと、ちと恐ろしいものがある。

はじめに 
第一章 勃興  
第二章 オーストリアの地で
第三章 「さらに彼方へ」
第四章 「ドナウ君主国」の生成
第五章 主権国家体制の下で
第六章 「何事も人民のために、何事も人民によらず」
第七章 秩序と自由
第八章 「みな一致して」
第九章 ハプスブルク神話
おわりに
年表
参考文献(図版出典含む)

岩崎周一/著
講談社
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210928

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