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2020年3月 3日 (火)

絵葉書の余白に―文化のすきまを旅する

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鶴見さんが外国を歩いたときのエッセイで、加太こうじさんに「献呈する」とある。
アイスランド、ポーランド、ブルガリアの文が1973年に(のちに「戦後を生きる意味」に収録)、以外が1982年に、それぞれ雑誌に掲載されたので、今ほどには好き放題に海外を歩ける時代にはなってはいなかった頃だ。
旧共産圏も含めて、自分の目で見ていたということがよくわかる。
当時、鶴見さんの歳はすでに50歳から60歳、まだ「思想の科学」が元気だった時代。

「グーテンベルヒ」(P.40)との記述がある。
Gutenbergなので「ヒ」にはならないはずだが。
「市会堂の大時計」(P.51)は、プラハの旧市庁舎の大きな天文時計は見たが、鶴見さんのように動いているところを見たわけではなかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-17e252.html
「マリア・テレサ」(P.56)との記述がある。
Maria Theresiaのことを書いているのだが、テレジンの町の紹介の文章で「ドイツ語の名を、テレジアの町という意味のテレジェンスタットと呼ばれた」と書いてもいるので、なぜあえて「マリア・テレサ」と書いたのだろうかと、疑問。

鶴見さんらしく本についても書いているので、メモしておこう。
和訳があるかどうかはわからないし、本書自体が刊行されて35年なので、その後の知見との関係はわからないが。
・一九四四年のワルシャワ蜂起(ヤン・チェチャノウスキ、ケムブリッジ大学出版部、1974年)(P.34)
・失われた地平線(ジェイムズ・ヒルトン、1933年)(P.42)
これは読んだことがある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-1f2e.html
・テレジンの芸術家たち(ジュラルド・グリーン、ホーソーン・ブックス、1969年)(P.55)
・エイルウィン物語(ウォッツダントン、戸川秋骨訳、1915年)(P.64)
・テス(トマス・ハーディ、1891年)(P.77)

 I
北の果ての共和国―アイスランド
市民の記憶術―ポーランド
文化の胞子/リラ修道院―ブルガリア
市会堂の大時計―チェコスロヴァキア
スノウドンの山の物語―ウェイルズ
ストーンヘンジの時間―イングランド
キラーニーの湖―アイルランド
小国群像―アンドラ、サン・マリノ、ヴァティカン
白夜のラップランド―スウェーデン
二つの国を見わたして―カナダの居留地
四五年ぶりに―オーストラリア
見えない風景―ギリシアとトルコ
ガンジス河のほとり―インド
 II
マサチューセッツ州 コンコード
牢獄から見たアメリカ合州国
交換船の地球半周―アフリカ
手帖の中のドイツとジャワ
 III
黒島陣屋のあと
あとがき

鶴見俊輔/著
東京書籍

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コメント

「鶴見俊輔伝」の年譜に載っている鶴見さんの海外渡航は、次のとおり。
1937/7:オーストラリア(~1937/10)
1937/12:アメリカ(~1938/2)
1938/9:アメリカ:ハーヴァード大学留学(~1942/6)
1942/8:帰国
1943/2:ジャカルタ(~1944/2)
1972/9:メキシコ(~1973/6)
1979/9:カナダ(~1980/4)
欧州やカナダは、メキシコやカナダで仕事をした時の前後に行ったのだろう。
オーストリアは45年ぶりということで1982年頃だろうが、年譜には出てこない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-d712.html

投稿: 楠の末裔 | 2020年3月 5日 (木) 00時07分

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