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2019年12月 2日 (月)

旧朝香宮邸物語―東京都庭園美術館はどこから来たのか

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サブタイトル「東京都庭園美術館はどこから来たのか」にあるように、現在の庭園美術館がどのように出来上がってきたのかが、語られる。
もともとは「東京都庭園美術館ニュースに掲載された「旧朝香宮邸の歴史を訪ねて」が母体であるそうで、それぞれの執筆者たちの思いが込められている文章だ。
この記事は庭園美術館のサイトから閲覧できる。
https://www.teien-art-museum.ne.jp/asakanomiya/

防空壕があることは、本書で初めて知った。
こんど行った時には、確認してみよう。

鎌倉には華頂宮邸があり、最近ではこの秋の公開に行ってきた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-e28183.html
年2回の公開以外は建物は非公開なのだが、今後、どうするつもりなのだろう。
鎌倉には古い洋館がいくつかあるが、旧前田邸は鎌倉文学館として、旧古我邸はフレンチレストランとして使われている。
前田邸
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-7f6e.html
古我邸
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/hanako-580a.html

東京の旧古河庭園の洋館は、予約は必要であるが、公開されている。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-b3e7.html
横浜の赤レンガ倉庫は再開発されて、文化施設や商業施設として使われている。
広島の被服廠は、いよいよ解体の方向が出ているようだ。
https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20191202/4000006140.html

はじめに
一章 朝香宮家の人と暮らし 一九〇六―一九四七
 朝香宮家のはじまり
 フランスへのグランドツアー
 パリでの生活 受領証綴
 妃殿下のファッション
 帰国〜アール・デコの館の建設
 館での華やかな暮らし
 朝香宮邸としての終焉
 [インタヴュー]大給湛子(朝香宮鳩彦殿下第二女子)に聞く「朝香宮邸の日々」
 [コラム]元侍女の回想―「御候所」
二章 アール・デコが東京にやってきた 一九二五―一九三三
 アール・デコ博覧会
 アンリ・ラパンとの出会い
 謎多き彫刻家ブランショ
 内匠寮の職人技と、ラリックのガラスレリーフ扉
 ラジエーター・カバーの優れたデザイン
 マックス・アングランのエッチング・ガラス
 海外の動向との接点
 [コラム]重要文化財 茶室「光華」
 [インタヴュー]多田正信(元宮内省内匠寮匠生)に聞く「朝香宮邸の設計」
三章 朝香宮邸を守り抜いた人々 一九四七―一九八一
 戦後の旧朝香宮邸―皇籍離脱・朝香宮から朝香家へ
 吉田茂・目黒首相公邸
 吉田茂とアール・デコの館
 白金迎賓館
 白金迎賓館中田虎一館長
 白金プリンス迎賓館―現役として使用されていた旧朝香宮邸の家具
 [コラム]マーブルプール
四章 東京都庭園美術館の誕生 一九八三―
 美術館として再出発―保存と活用の間での試行錯誤
 展覧会事業と建物公開事業
 保存と活用の両輪で
 調査研究と新発見
 外壁工事
 タイルの修復
 ウインターガーデンの公開
 バラバラだった「香水塔」
 美術館名の由来―三つの庭園
 ひっそりと佇む三つの防空壕
 [コラム]小客室アンリ・ラパン作壁画の修復について
五章 「アール・デコ」リヴァイヴァル 一九八七―
 伝説の装飾
 リヴァイヴァル前夜
 ポストモダン
 ブールデル/デュフェ展
 リヴァイヴァル以後
 [論考]日本近代の建築と装飾、あるいは「アール・デコ的」展開を巡って
 [付録]
 白金今昔―白金の土地を巡る物語
 白金御料地での林間学校
注釈
初出・執筆者一覧
執筆者略歴
あとがき

東京都庭園美術館/編
ART DIVER
https://artdiver.tokyo/product/teien/

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