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2019年12月 6日 (金)

北朝鮮と観光

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本来はプラスイメージで語られる「観光」という面から見た、いまやプラスイメージがほとんど感じられなくなってしまっている「北朝鮮」である。
なぜこんな状況になってしまったのか、日本では「北朝鮮」が実行したあれこれのこと(拉致、飛翔体、違法操業等々)が、「北砲戦」は日本を敵対視しているとしか見えない、ということなのだろうが、「北朝鮮」にしてみれば、第二次世界大戦以後、日本は我が国の存在を無視し続けてきた、ということになるのだろう。
すでに「ソ連」が存在した年数を上回る年数のあいだ、「北朝鮮」は存在し続けていること、国連に加盟してから30年近く経とうとしていること、北朝鮮と国交のある国は160カ国以上であること、むろん、例の金正男暗殺事件、1987年の大韓航空機爆破事件、1983年のラングーン事件など、あるいは「北朝鮮」の人権状況などはよく知られているにせよ、こうした情勢で、日本の対「北朝鮮」イメージは、必ずしも世界共通ではないことを知るべきだろう。
また、「北朝鮮」が他国に向ける姿勢にしても、日本と同じような姿勢ではないことも、認識しておいたほうがいいと思う。

で、「北朝鮮」の観光である。
正直、行ってみたいとは思う。
文章、写真や映像でしか知り得ないこの国の、巨大なホテルにはどのくらいの宿泊客がどこからきているのだろう、街にはゴミひとつ見えないようだが、裏側はどうだろう、ホテルやお店ではどんなやりとりができるのだろう、地下鉄あy路面電車などのチケットはどうやって買うのだろう、乗り方はどんなだろう、障害者の姿を見ることはないのだろうか、日々の出勤退勤の風景、休日の風景はどのような光景だろう、様々な興味はある。
観光で行ったとしても、外国人観光客用の姿しか見せてはくれないのだろうけれど。
とうことは、外国人観光客用の姿は、「北朝鮮」の人々または指導部が考える「北朝鮮」のあるべき姿、あってほしい姿だと言える。
「北朝鮮」から流れてくる報道も同様で、こうした「別の見方」のない社会に身を置いてみたとき、どのような感覚となりどのような思いを抱くのだろうか。

「共産圏」には、壁が崩壊したあと、1997年の中国と1999年のベトナムに行っている。
両国とも、観光に対する統制のようなものを感じることはあまりなく(橋など、撮影はやめておいたほうがいいと言われたことはあった)、一人歩きも、ぼったくりに注意ということは聞いたが、不安を感じることはなかった。
「旧共産圏」では、モスクワのシェレメチボ第二空港での時間調整、ベルリンの東エリア散歩、ブラチスラバ訪問、旧東独の数カ所鉄道旅、プラハ街歩きなどはあるが、すでにいわゆる「共産圏」的制約は、すでになかった。
ソ連といえば、むかし駐日ソ連大使館が発行していた「今日のソ連邦」という広報誌があって、読んだことがあった。
ブレジネフ時代だったので、ダマンスキー島での武力衝突などがあった中ソ対立もあってまだまだ統制の時代で、それでもソ連を良く見せようとするような内容だった。
この頃は、ナホトカ航路でのソ連入りが流行っていた。

序章 北朝鮮を読み解くための基礎知識
第一章 パンフレットで知る北朝鮮
第二章 金正恩時代の観光戦略
第三章 北朝鮮観光史―一九八七~二〇一九
第四章 韓国人の北朝鮮観光―開城観光とは何か
第五章 ガイドブックで見る北朝鮮
第六章 日本人は北朝鮮をどう観てきてか―「旅行記」の歴史

礒﨑敦仁/著
毎日新聞出版
http://mainichibooks.com/books/social/post-684.html

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