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2019年10月 7日 (月)

井上ひさし ベスト・エッセイ

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それぞれの文章に、さまざまな想いが湧き出てくる。
その中で二つだけ。

「魯迅の講義ノート」で遅筆堂は「魯迅の五十六年の生涯を貫くものの一つに「一般論は危険だ」という考え方があったのではないかと、私は思う。「日本人は狡猾だ」、「中国人は国家の概念がない」。「アメリカ人は明るい」。「イギリス人は重厚だ」、「フランス人は洒落ている」という言い方は避けよう」と書いている。
いまなら「韓国人は~~」と加えるだろう。
これが、「シャンハイムーン」の底を流れているのだな。

「被爆した父と娘を描いて—人類史、あの時折り返した」は、「父と暮らせば」にまつわるエッセイであるが、ヒロシマ、ナガサキの、「その特別な日付を刻まれた日本人が、戦争放棄を含む憲法によって、二十世紀の人類の希望を背負わされた、とぼくは考えています。」(P.335)と、遅筆堂は記す。
現政府を構成する面々、国会の大多数の議員たちに欠けているのは、そう、「二十世紀の人類の希望を背負わされた」とする、その意識である。
そしてその意識は、「特別な日付を記された「日本人」という思いを持ち続ける一方で、自分たちを、国境を超えて地球上に生きている「人間」を規定し直す。そして、志を同じくする人々と一緒に動く。」(P.337)と、世界に開かれている。
遅筆堂は、「ベストセラーの戦後史」(1995年)で、長崎の永井博士の「原爆は神の摂理」を痛烈に批判していたのだが、この「二十世紀の人類の希望を背負わされた」意識は、永井博士の1945年11月23日の「原子爆弾死者合同葬弔辞」での「ああ、全知全能の天主の御業は常に讃美せらるべきかな! 浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられたことを感謝致しましょう。浦上教会の犠牲によりて世界に平和が恢復せられ、日本に信仰の自由が与えられたことを感謝致しましょう。願わくは死せる人々の霊魂、天主の御哀燐によりて安らかに憩わんことを。アーメン。」の中に込められていたであろう永井博士の思い、日本におけるキリシタン弾圧の歴史を踏まえたと思いと通じるものがあるのではないかと考えてしまう。

佐藤優氏が解説を書いている。
それにしても、ユリさんは、体操苦労なさったのだろうな。

お話しをつくる人が好き
ことば・コトバ・言葉
こころの中の小さな宝石
ユートピアの時間
むずかしいことをやさしく

井上ユリ
筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480436009/

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