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2019年10月25日 (金)

この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代

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3年前の事件に関してさまざまな文章が出たが、それぞれの論調に頷けるものがあったり、これは自分の思いとは違うというものがあったりさまざまだが、3年経って本書にぶつかった。
死傷した被害者たちやその家族のなかの何人かは知っている人たちで、施設に入る前の在宅のときには、さまざまな福祉制度(いまと比べようもないほど資源は少なかったが)の利用を考えたり、あるいはキャンプに行ったりクリスマス会をやったりしたことがある。
一方で、加害者は直接には知らない人であるが、彼の入院に至ったシステムは、その少し前に従事していたしごとのなかで関わっていた。
被害者やその家族たちを取り巻くさまざまなことがらだけでなく、加害者を取り巻くことがらについても仕事を通じてある程度見ることができることなので、それだけにこの事件を自分の中で整理するのは難しい。

本書は、事件そのものに向かうというよりも、事件以後の世の中のありようを問い、事件との関係を考えようという内容になっている。
「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」という諺がいつの頃から使われてきたのかは調べてみないとわからないけれど、日本には目立たないことを良しとする雰囲気が続いてきたのだろうとは思う。
けれどこの謂いは、自己を中心として実感できる範囲との関係の取り方の謂いであって、見ず知らずの他者に対するバッシングにつながる謂いではないのではなかろうか。
そのような、排除する、バッシングするような見ず知らずの他者との関係が生まれたのは、とくに力のあるもの支配するものに対してではなく、力のないもの支配されるものに対する攻撃となったのは、いつごろのことなのだろうか。
関東大震災における朝鮮人虐殺、あるいは、中世ヨーロッパの魔女狩りなど、かなり昔からあったのかもしれない。
ただ、その一方で、中世から近代、そして現代への歴史は、人が人を貶めるようなことはしてはいけないというルールが次第にできあがって、とくにナチスの蛮行以後は、少なくとも表立っては言ってはならぬ行動してはならぬというルールができてきたのだと思う。
この事件の衝撃性は、そのルールが破られた、タブー破りが行われたということにあるのだろう。
東日本大震災のときには「絆」が盛んに言われてきたのではあるが。

序章のほか、あちこちで世代間の格差とその受け止め、雨宮氏が「ロスジェネ以降の世代に鬱積する『剥奪感』」が話題となるが、いつだったか、相対する人とトラブルとなったことがあるのだが、激昂したその相手から「こんな風な世の中になったのは、お前たちの世代のせいだ」のようなことを言われたことがある。
その人は、見た目は4~50代、身なりもきちんとしていて、とても非正規な人とは見えなかったのだが、なぜそのように激昂した物言いをしなければならなかったのか、表に見せない何を抱えているのかと、不思議だった。

神戸氏との対話で「タブー破り」(P.54~)がテーマとなるが、当たり前だとされてきたこと、思っていたこと、前提としていたことが、「破られる」ということは、ある意味では、当たり前だとされてきたこと、思っていたこと、前提としていたことが「封印されてきた」、ということなのだろう。
そして、なぜ、「タブー破り」によって自己を確認できるのだろうか。
もしかしたら、できたつもりになっているだけなのかもしれないが、そうした考えに対して、どう向き合っていくのか。

熊谷氏との対話の中の「リハビリ批判(P.79~)、障害児保育に関わっていたのは1980年代の中期から後期だが、この頃は障害児の「早期発見早期療育」のシステムをどう作っていくかなんてことをやっていた。
本書で書かれているような「徹底したリハビリをさせて、できる限り健常者に近づけようという風潮」は、確かにあったわけで、このような資料もある。
https://www8.cao.go.jp/shougai/asianpacific/ootsureport/2-2.html
ただ、障害の進行をできるだけ防ぐ、二次障害を防ぐためのリハビリテーションは、あるだろう。
そこで、「Re」をつけるのはなぜ?、という問いも出てくるが。
それと、生活習慣病と依存症との関係(P.113)、財政の逼迫は本当か、デフレならば足りないのは供給ではなく需要だという論点(P.114)は、もっと掘り下げて考えたいところだ。

岩永氏の「ファクト」、どこからどうやって「ファクト」をつかむか。
あいトレや表現の不自由展をめぐる動きの中で、知事へのバッシングが目立ったのだが、知事をバッシングしている人たちの前提としての「ファクト」は、バッシングする材料としてバッシングする人たちの要求の方向に編集されたことばが一人歩きしているように思えた。
「天皇の御真影を燃やした」については何を燃やしたのかを確認せず、あの映像を見ていないから言える「ファクト」だと思う。
もっともこれはバッシングする人たちの誤りを正したり批判したりする側にも言えることで、「ファクト」の確認、それを捉える視点、評価基軸などについて、「それでいいの?」と問い反省することが絶えずなされていなければならないことだろう。

杉田氏との対話では、「マイノリティではない」ことがただちに「マジョリティである」ことではないことを考えた。
「マジョリティではない」、とはいえ「マイノリティでもない」、なぜならマイノリティは「反日」「サヨク」「韓国人朝鮮人」「LGBT」「高齢者」「障害者」に占領されていて、そうした奴らを排除しなければ俺たちの場はない、ということなのかしら。

森川氏は、フィンランドの路面電車に改札がないことを紹介している(P.220~).
そして「無賃乗車をすることについて倫理的な評価をあまり重視しない」とおっしゃるのだが、検札で無賃乗車が見つかったときは有無を言わさず問答無用で「罰金払え」、検札で見つかってからチケットを購入することはできず、外国人で知らなかったは通用しないのだが、そのことは話に出てこない。
罰金があるということは、多少なりとも倫理的な評価をしていると思うのだが。
この信用乗車制度、ドイツやオーストリア、オランダではそうだった。
イギリスやスウェーデンは、改札があったな。

向谷地氏との対話に、ベルリンのホロコーストを記憶するモニュメントの話が出てくる(P.241)。
半年前に行ったプラハ、ウィーンでも、そうした記憶を辿った。
プラハの道に埋められた、名前の刻まれたプレート。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-309487.html
これは”STOLPERSTEIN”、「つまづきの石」。
http://www.stolpersteine.eu/
負の遺産にまつわるウィーンの碑めぐり、ゲシュタポ犠牲者のための記念碑、ホローコースト記念碑、ナチ時代の澳人の脱走兵や兵役拒否者祈念の碑
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-d261b3.html
戦争とファシズムに反対する記念碑
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-7fdafb.html
7年前、ウィーン西駅で見た「FÜR DAS KIND - WIEN」像。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/wien-und-hal-11.html

さすがに、被告の側に立った対談相手はいないか。
それができれば、何が問われているのかがもっと鮮明になるのだろうけれど。
そして、大月書店からこの方の本が出ることに、いささか驚いた。

序章 私自身の「内なる植松」との対話(雨宮処凛)
第1章 植松被告は私に「いつまで息子を生かしておくのですか」と尋ねた 神戸金史×雨宮処凛
第2章 「生産性」よりも「必要性」を胸を張って語ろう 熊谷晋一郎×雨宮処凛
第3章 命を語るときこそ、ファクト重視で冷静な議論を 岩永直子×雨宮処凛
第4章 ロスジェネ世代に強いられた「生存のための闘争」の物語 杉田俊介×雨宮処凛
第5章 みんなで我慢するのをやめて、ただ対話すればいい 森川すいめい×雨宮処凛
第6章 植松被告がもしも「べてるの家」につながっていたら 向谷地生良×雨宮処凛
あとがき

雨宮処凛/編著
大月書店
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b471597.html

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