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2019年9月16日 (月)

希望のかたわれ

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ひょんな経緯で、訳者から本書をいただくことになった。
内容は重たそうなのですぐには読まないでいたのだが、そういつまでも積ん読状態でいるのはいかがなものかということで読み始め、数多い(紹介ページは2ページにわたる)登場人物のことがおおむね理解できた中盤あたりから、一挙に読み進むことになってしまった。
時間軸と空間軸が交差しながら話が進行していく手法は本書ばかりではないが、本書ではさらに手記というかたちで「過去」が絡んでいる。
その「過去」も、現在進行形の話に収斂する。
チェルノブイリへの対応、モスクワがどこまで知っていてどのような対応を指示したのか、現地がどこまで状況を把握し対応しようとしたのか。
そして、モスクワや現地は、住民たちにどう対応したのか。
そこに、スターリン時代やブレジネフ時代の影響が残っていたのかどうか。
ブレジネフの死去が1982年11月10日、その後アンドロポフ、チェルネンコと短命の書記長が続き、ゴルバチョフの書記長就任が1985年3月11日。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は、1986年4月26日。
当時、中央地方のほとんどの指導部の人たちの頭の中には、政治状況の揺り戻しについてチラチラしていたのではなかろうか。
そう思いながら、千葉や伊豆諸島での15号台風による被害、そして対応、「棄民」という言葉が頭のなかをぐるぐる回る。

ヨーロッパの街を歩くと、それらしきエリアがあったり女性が立っていたりするのをよく見ることがあるのだが、職業として認められているといっても、その背景にあるものを見ないで、認められているからOKではいかんのじゃないか。
韓国との問題にしても、強制か自由意志かの問題じゃない。
人として許せるの?、だと思うのだが。
西ヨーロッパにとっての東ヨーロッパは、日本にとってのアジアか。

「希望のかたわれ」、原著タイトルは「DIE ANDERE HÄLFTE DER HOFFNUNG」、直訳的には「べつの半分の希望」ということになるのだろうが、「かたわれ」にしても「べつの半分」にしても、それはなんだ?
手記には、いろいろなところで「希望」について書かれている。
数々の「希望」のうしろには数々の「絶望」があるのだろうが、もうすぐ観ることができる遅筆堂のお芝居には「絶望するな!」と叫ぶシーンがあって、「希望」には裏切られルカもしれないけれど、「絶望」だけは御免こうむりたい。

それにしても、まとまらない、まとめられない。
なので、「ロシア人の名前、覚えにくい」としておこう。

なお、萩尾望都さんが「私が薦める河出の本」に本書を書いている。
http://web.kawade.co.jp/sp130th/524/

メヒティルト・ボルマン/著
赤坂桃子/訳
河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309206813/

 

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