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2019年8月 6日 (火)

犬が星見た ロシア紀行

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ロシア絡みで読もうと思ったのは、昨年暮れの「ロマンティック・ロシア展」の影響である。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/bunkamura-c1ee.html
自分自身はロシアの上空は何度も飛んでいるが、ロシアの大地の上にいたのは、四半世紀前に北欧に行くときに成田を飛び立ったエアフラ機がシェレメチボ空港で給油したときだけで、危害には出られなかったから、大地の上に直接いたわけではない。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/1994/08/post-d5ed.html

1969年、このころナホトカ航路は流行りではあった。
横浜からバイカル号やハバロフスク号でナホトカへ、ナホトカからシベリア鉄道でハバロフスクへ、そしてハバロフスクから引き返す、プチ・シベリア鉄道旅ができたと記憶する。
本書であちこちで出てくる「うどん」、麺類はエライ。
そして、あちこちといえば絵葉書と酒を買う日々、その時に買いたいと思ったら買っておく、後では買えないは、海外旅行の鉄則ではある、特に、率いられて移動する団体ツァーにあっては。
また、プロペラ機は、イリューシンだろうな。

P.210に興味深い記述があった。
一行がレニングラードに行ったときのこと、地下鉄に乗るためにエスカレーターで降りていったのだが、「二人並べる幅のエスカレーターの右側に一列に並んで下って行く。左側はあけておくのだ。急いでいる人が、急降下するエスカレーターの左側を駆け降りて行く」のだそうだ。
最近はエスカレーターでは「歩かない、走らない」がトレンドであるが、50年前、すでに片側は歩く走る人用となっていたのであった。

ロシア旅から9年を経て書かれたものなので、思いつくまま書いていったのか、計算して表現したのか、わからない。
全く違った武田泰淳氏の姿、竹内好氏の姿に、笑える。
無頼を背負った、当時の「文化人」の姿ということか。
持参した「観光案内書」はどのような案内をしていたのだろうか。
「歩き方」は、まだ刊行されていない。

ルートをメモしておく。
6/10:横浜→ナホトカ航路
6/11:船上
6/12:ナホトカ→シベリヤ鉄道
6/13:シベリヤ鉄道→ハバロフスク
6/14:ハバロフスク→ノボシビルスク空港
6/15:ノボシビルスク空港→アルマ・アタ→タシケント
6/16:タシケント→サマルカンド
6/17:サマルカンド→ブハラ
6/18:ブハラ
6/19:ブハラ→タシケント
6/20:タシケント
6/21:タシケント→トビリシ
6/22:トビリシ→シンフェローボ空港→ヤルタ
6/23:ヤルタ
6/24:ヤルタ→シンフェローボ空港→レニングラード
6/25:レニングラード
6/26:レニングラード
6/27:レニングラード→モスクワ
6/28:モスクワ
6/29:モスクワ
6/30:モスクワ→ストックホルム
7/01:ストックホルム
7/02:ストックホルム→コペンハーゲン
7/03:コペンハーゲン
7/04:コペンハーゲン→アンカレッジ

武田百合子/著
中央公論新社
http://www.chuko.co.jp/bunko/2018/10/206651.html

 

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