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2019年8月28日 (水)

夜と霧の明け渡る日に ~ Es kommt der Tag, da bist du frei

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ナチスの強制収容所から解放された人の社会を見る眼と、その眼で見て生まれた思索を、嫌韓の世論を政府自らが煽っているかのようないまのこの国の風潮のなかで、読む。
「未発表書簡、草稿、講演」とある。
フランクルの、収容所からの解放とウィーンへの帰還、その過程で、収容所での経験からフランクルは人びとに何を伝えようと考えたのか。
「夜と霧」よりも、読むことが苦にならない。
これは、「夜と霧」とは違って本書の書簡にしろ講演にしろ、外に向けての言葉だからなのだろうかと思う。
実際のところは、フランクルがこうした言葉にするまでのプロセスがどうであったのかを知りたいところなのだが。

P.129、『そしてついに精神病院における大量殺戮が始まりました。もはや「生産的」でない生命、あるいはごくわずかの「生産性」しかないすべての生命は、文字通り「生きる価値がない」という烙印を押されたのです。』
この文章は1946年3月の講演の中で述べらえた言葉なのだが、70年以上経っても同じ言葉が繰り返さなければならない状況が存在している。
そして、強制収容所から解放された人たちへの周囲の「私たちは何も知らなかったんですよ」「私たちだって苦しんだんです」という言い訳(P.175)、これをフランクルは「責任からの逃避」(P.177)ととらえる。
フランクルは、すでに「オーストリア人の責任」にも触れている(最後にもう一度―『覆われた窓』について)のだが、この「責任からの逃避」は、世間を席巻している「嫌韓」ムード、それ以上の「反韓」ムード、あるいは大臣にある者の民主主義を否定するかのような発言に危機感が示されない状況の底、そうした状況を見聞きしている私たちの中にもあるんじゃないだろうか。

読んでいて思い出すのは、津久井の事件。
あの事件で、むかしいっしょにキャンプに行ったり余暇活動で遊んだりした人たちが、優生思想的考え方の持ち主の被告の行為によって亡くなったり傷ついたりしていることが大きな理由だが、被告についても精神障害に関わる仕事に携わっている立場からは、精神疾患がある(かもしれない)被告ということでは単なる被告としてみることはできない。
二重あの事件を見てしまう。
いまも窓口でいろいろな人に接するなかで、70年以上前からの言葉ではあれ、フランクル氏の言葉が体の中に沁みてくる。

フランクルのウィーンでの跡を探してみると、いくつかのデータがある。
生家と追放までの居住地の記念プレート、Czerningasse 6、2区。
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Czerningasse)
亡くなるまで住んでいた家の記念プレート、Mariannengasse 1、9区
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Gedenktafel_Viktor_Frankl_(Mariannengasse)
ここに2015年5月26日に「Viktor Frankl Museum」が9区の「Mariannengasse 1」に開館したようだ。
https://www.franklzentrum.org/museum/oeffnungszeiten-und-adresse.html
近くのHöfergasse 5にViktor-Frankl-Parkがある。
https://www.wien.gv.at/umwelt/parks/anlagen/frankl.html
この他にも、ウィーン大学キャンパス(Altes Allgemeines Krankenhaus)に「Viktor E Frankl Gasse」、Praterstern駅の西のZirkusgasse 52の市営アパート「Viktor-Frankl-Hof」、NiederösterreichのReichenau an der Raxに「Dr. Viktor Frankl-Gasse」、KärntenのKlagenfurtに「Viktor-Frankl-Gasse」があるようだ。
次のウィーン行きでは、こうした場所をぜひ歩いてみたい。
GWのウィーン行きでは、ウィーン郊外のアム・シュタインホフ教会に行ったのだが、この教会はSozialmedizinisches Zentrum Baumgartner Höhe Otto-Wagner-Spital mit Pflegezentrum(バウムガルトナー・ヘーエ社会医療センター・オットー・ヴァグナー病院とケアセンター)内にある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-871916.html
この病院の前身は1907年につくられた「Niederösterreichische Landes-Heil- und Pflegeanstalt für Nerven- und Geisteskranke Am Steinhof」で、フランクルは1933年から1937年までここで勤務している。
ここにももしかしたらフランクルの跡が残されているのかもしれない。
また、TürkheimとKauferingのKZ跡地にもそれぞれ「Viktor Frankl Weg」「Viktor-Frankl-Strasse」があるらしい。
https://www.viktorfrankl.org/lifeandwork.html

以前、ブログのいくつかのところでフランクルはダッハウに収容されたということを書いたが、収容されたのはダッハウの支所カウフェリング(ミュンンヘンの西、レヒ川沿い)とトゥルクハイム(カウフェリングのさらに西、ミュンヘンから80km強)なので、コメントで訂正しておいた。
例えば、2011年にだっはうに行ってきたときのブログ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-72f2.html

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はじめに
「時代の証人たち」 一九八五年六月 ヴィクトール・E・フランクルの講演
書簡 一九四五年~一九四七年
 強制収容所から解放されて
 きみたちがまだ苦しんでいることを僕が苦しまなければ
 僕のそばには、すべてを変えてくれた人がいる
テキストおよび論文 一九四六年~一九四八年
 精神科医はこの時代に対して何と言うのか?
 人生の意味と価値について I
 人生の意味と価値について III
 人生はかりそめのもの? いや、すべての者は召し出されている
 人生の価値と人間の尊厳
 実存分析と時代の諸問題
 人種的な理由で迫害された強制収容所被収容者の問題
 最後にもう一度―『覆われた窓』について
 現代の諸問題にサイコセラピストはどう答えるか
 『フルヒェ』紙とスピノザ
 泥棒ではなく、盗まれたものに罪があるのか?
 殺人者は我々の中にいる
記念講演 一九四九年~一九八八年
 追悼
 亡き者たちの名においても和解を
 すべての善意の人々
ヴィクトール・E・フランクルの生涯と仕事
使用文献
訳注
訳者あとがき

ヴィクトール・フランクル/著
赤坂桃子/訳
新教出版社
http://www.shinkyo-pb.com/2019/05/23/post-1324.php

 

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