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2019年8月19日 (月)

読んだ本はどこへいったか

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京都新聞の連載だったようだ。インタビューが元になった語りの中にはどこかで聞いた話もあるが、鶴見さんのプラグマティズムの真髄がちりばめられている。

昨今の情勢に関して興味深い言葉を要約しておく。
日露戦争のポーツマス「条約を不満とし、もっと賠償金をとれ、もっと戦争をやれと、日比谷で焼き打をする。これは日本における「国民」の原型です。」(P.75)
日露戦争以後変わっていないのは「指導者養成の方法です。状況から考えず、形式的にこうやればいいというマニュアルができた。(中略)その結果、児玉(児玉源太郎のことがこの文章の前にある。)みたいに野山を走り回って状況から判断する人ではなく、陸軍大学や東大法学部を首席で出たような人が指導者になり、ノモンハン事件(一九三九年)みたいな敗北を喫すると、優等生相寄って失敗を隠す。」(P.75~76)
「もっとやれ」国民と「隠蔽」指導者、戦前の日本から連綿と続いている。
1945年8月15日、人々は政治犯を解放しには向かうことはなかった。

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後ろ扉に「私本閲読許可書(受刑者)」の票が貼られている。
施設名は書かれていないが氏名は書かれていて、本書はその「受刑者」が読んだものと思われる。
どんな思いでこの本を選び、読んだのだろうか。
このことを鶴見さんが知ったら、多分とても喜んだに違いない。

装丁は、平野甲賀さん。

はじめに 鶴見俊輔
哲学のもう一つの入り口
生活語を求めて
大衆小説の残したもの
あとがき 山中英之

鶴見俊輔/著
山中英之/聞き手
潮出版社

 

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