« 2度目の「1933年の室内装飾 朝香宮邸をめぐる建築素材と人びと」@東京都庭園美術館 | トップページ | ウチナーふたつ 「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」 → 「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」 »

2019年8月24日 (土)

バウドリーノ(上)

181130_021  181130_022
まだ「神聖ローマ帝国」を称してはいない時代の、エーコ的冒険譚の世界を堪能できる。
主人公以外は、実在の人物なのだから。
ドイツ人がイタリアに固執する、自らを「ローマ王」「ローマ帝国」という「大嘘」を真実であるとした虚構に立てばこそ。

アレクシオス3世アンゲロスによる東ローマ帝国皇帝簒奪が1195年、第4回十字軍によるコンスタンティノープル攻撃が1203年と1204年、街に入った十字軍は謀略の限りを尽くした。
そのときバウドリーノがニケタスと会い、その人生を語ることになる。
本書に登場する赤髭王(バルバロッサ、Barbarossa)と呼ばれたフリードリヒは、1152年にローマ王に即位、1155年にローマ帝国皇帝となる。
フリードリヒとベアトリス(ブルゴーニュ女伯ベアトリス1世)との結婚(フリードリヒにとっては再婚)は、1156年であった。
バウドリーノがオットー司教の羊皮紙に作文したのが1155年(P.15、P.61)で、羊皮紙に書かれていた「年代記」は1143年から1146年にかけて書かれていたと言われている。
オットー司教は1158年に死去、このときバウドリーノは16歳になろうとしていた。(P.107)
また、1185年にバウドリーノがアンドロニコスの処刑を目撃ときに43歳だったと言っている。(P.447)
したがってバウドリーノは1142年頃に生まれたと言えるので、1204年にニケタスと会ったときには、62歳になっていた。

まとめてみよう。
1122 フリードリヒ1世誕生
1142 バウドリーノ誕生
1143 オットー司教、年代記を書き始める
1150 ニケタス・コニアテス誕生
1152 フリードリヒ(30)、ローマ王に即位
1154 フリードリヒ(32)、イタリア遠征、バウドリーノ(12)と会う
1155 フリードリヒ(33)戴冠、バウドリーノ(13)、羊皮紙に作文
1156 フリードリヒ(34)、ベアトリスと結婚
1158 オットー司教死去、ロンカリア帝国会議、バウドリーノ(16)、パリへ行く
1164 フリードリヒ5世誕生
1165 フリードリヒ6世誕生、フリードリヒ(43)がシャルルマーニュ列聖
1167 ライナルト(ケルン大司教)死去、フリードリヒ(45)が教皇アレクサンデル3世を追放
1168 フリードリヒ(46)、故郷(元ロボレート村、現建設中のアレッサンドリア)に行く
1176 フリードリヒ(54)、アレッサンドリア包囲、バウドリーノ(34)、コモでフリードリヒと合流
1178 フリードリヒ(55)、教皇アレクサンデル3世と和解
1180 東ローマ帝国皇帝マヌエル死去
1181 バウドリーノ(39)、コランドリーナと結婚
1182 コランドリーナと子、死去
1183 アレッサンドリアがチェザレーアとなる、アンドロニコスが東ローマ帝国の実権を掌握
1184 ベアトリス死去
1185 バウドリーノ(43)、コンスタンティノーブルに潜入、アンドロニコスの処刑を目撃

ウンベルト・エーコ/著
堤康徳/訳
岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b264480.html

|

« 2度目の「1933年の室内装飾 朝香宮邸をめぐる建築素材と人びと」@東京都庭園美術館 | トップページ | ウチナーふたつ 「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」 → 「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 2度目の「1933年の室内装飾 朝香宮邸をめぐる建築素材と人びと」@東京都庭園美術館 | トップページ | ウチナーふたつ 「美ら島からの染と織 色と文様のマジック」 → 「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」 »