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2019年7月 6日 (土)

モスクワの伯爵

190624_031  190624_032
時代は、伯爵が32歳のときの1922年→(1年)→1923年→(1年)→1924年→(2年)→1926年→(4年)→1930年→(8年)→1938年→(8年)→1946年→(4年)→1950年→(2年)→1952年→(1年)→1953年→(1年)→1965年の32年間と、法則をもった間隔(じっさいは、1922年から1924年の間、1952年から1954年の間は、もっと短い期間が重なる)を経て展開している。
それぞれの時代におけるエピソードが繋がっていくので、ある意味では中短編の集積のようだが、エピソードとエピソードとの間に何があったのかは、すっ飛ばされている。
いかにもな文学的修辞、比喩的修辞が重ねられるのは、だんだんハナについてくる。
これは、一種の漂流譚であると思った。
現在の閉じられた環境(とはいえ、そこには物質的には一応何でも揃っているので、ロビンソン・クルーソーや2年間の休暇のような最初の苦労はないが))の中で暮らしを立てていく、過去を振り返りつつ過去を失わず与えられた境遇のなかでいかに生きるか。
けれども、「自由と平等の国」アメリカの、いささか憧れめいた「貴族」への夢でもなるのだろう。

名づけ親で、「不運は様々な形をとってあらわれる。自分が境遇の主人にならなければ、その人間は一生境遇の奴隷となる」との格言を示したデミドフ大公とは、大公とあるからには、皇帝の息子ということになるだろうが、誰のことだろうか。
三巨頭のうちの残った二巨頭と周囲の人たちは、その後の雪解け時代、そしてブレジネフ時代を、ホテルでどう過ごしただろうか。
そして、二人も、その後のの雪解け時代、そしてブレジネフ時代を、故郷でどう過ごしただろうか。
フルシチョフの失脚は、最終章の10年後である。

帯に「Amazon.comのレビュー10,000超え」とあるが、ほんとうだ。
けれど、星ひとつのレビューもあるので、そっちに注目してしまう。
https://www.amazon.com/A-Gentleman-in-Moscow/dp/0143110438/#customerReviews

エイモア・トールズ/著
宇佐川晶子/訳
早川書房
http://www.hayakawa-online.co.jp/shop/shopdetail.html?brandcode=000000014211

 

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