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2019年7月 6日 (土)

プラハ侵攻1968

Books157
8年前に写真展があり、本書も刊行された。
そのときに入手し読んでいるが、先だってプラハに行って、この写真集に出ている場所も歩いてきたので、もう一度ページをめくることにした。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/1968-92cd.html

グーグルのストリートビューを利用すると、撮影した場所がかなり特定できる。
特定できた場所を、地図に落としてみよう。

Praha_1

Praha_2
P.10〜11:キャプションなし。写真展のリストでは「プラハの町を侵攻するワルシャワ条約機構群(ママ)の戦車、8月21日」:レヴォルチュニー通りを北へ向き、ヴルダヴァ川のシュテファーニクーク橋の手前、したがって戦車の砲塔の大砲は市内に向いていない。(1_praha_1)
P.21:ヴィノフラツカー大通りのラジオ局に向かう最初のデモ参加者:ヴィノフラツカー大通り(Vinohradská)は、プラハ本駅の南側、国立博物館から東に延びる通り、チャペックの住居に行った時の地下鉄が、この通りの下を走っている。(2_praha_1)
P.22〜23:ČKDのプラハ工場の裏手、フロウビェチーンへと向かう車列(3_praha_2)
P.24〜25:フロウビェチーンへの道路:シェコダの工場はプラハの北東部にあり、その南東に地下鉄の「Hloubětín」駅がある。(3_praha_2)
P.26〜29:ヴィノフラディにて:ヴィノフラディ(Vinohrady)は、チェコの旧市街の東エリア、高級住宅街とされているようで、チャペックの住居もこのエリアにあるが、撮影場所は、わからない。(4_praha_1)
P.30:ソコロフスカー通り:ソコロフスカー通り(Sokolovská)はプラハ本駅の北とヴルダヴァ川の間を東方向に伸びる通りであるが、撮影場所は、わからない。(5_praha_1)
P.31:ヴァーツラフ広場とメジブランスカー通りの交差点:メジブランスカー通り(Mezibranská)は、ヴァーツラフ広場(Václavské náměstí)が国立博物館前で交差し南に伸びる道路。(6_praha_1)
P.31:ツェレトナー通り:ツェレトナー通り(Celetná)は旧市街広場と火薬塔との間の通り。(7_praha_1)
P.32〜33:ヴァーツラフ広場とオプレタロヴァ通りの角にあるチェコスロヴァキア通信社に向かう戦車:オプレタロヴァ通り(Opletalova)は、ヴァーツラフ広場(Václavské náměstí)が国立博物館寄りで交差し北東に伸びる道路。(8_praha_1)
P.36〜37:ヴィノフラディのマーネソヴァ通り:マーネソヴァ通り(Manesova)は、ヴィノフラツカー大通り(Vinohradská)の一本北側の通り。(9_praha_1)
P.38〜41:キャプションなし。建物の形状からマーネソヴァ通りのようだ。(9_praha_1)
P.46〜47:キャプションなし。16枚の写真のうちの数枚は、建物の形状からマーネソヴァ通りのようだ。(9_praha_1)
P.48〜49:キャプションなし。ヴァーツラフ広場の国立博物館前。(6_praha_1)
P.52〜53:キャプションなし。16枚の写真のうちの数枚は、ヴァーツラフ広場。(6_praha_1)
P.58〜59:キャプションなし。背後の建物からヴィノフラツカー大通りのようだ。(13_praha_1)
P.64〜65:キャプションなし。背後の建物からヴルダヴァ川にかかるチェーホフ橋から北側を見ているようだ。(19_praha_1)
P.67:共産党中央委員会を監視する兵士たち:チェコスロヴァキア共産党(Komunistická strana Československa (KSČ))中央委員会本部は、現在のチェコ交通省ビル。(10_praha_1)
P.68:共産党中央委員会前にて(10_praha_1)
P.70〜71:党中央委員会前で国歌を歌う人々(10_praha_1)
P.74〜75:旧市街広場:ヤン・フス像、その奥にキンスキー宮殿、右に石の鐘の家、ティーン教会。(11_praha_1)
P.76〜77:ヴァーツラフ広場:広場の中央あたりで国立博物館を背にしての広場風景。(12_praha_1)
P.79:銃撃の証拠としての弾薬:背後の建物は国立博物館。(12_praha_1)
P.85:チェコスロヴァキア・ラジオ局に向かう装甲車に対する人々の反応(13_praha_1)
P.86〜87:チェコスロヴァキア・ラジオ局前での指示を出すロシア士官(13_praha_1)
P.88:ヴィノフラツカー大通りのチェコスロヴァキア・ラジオ局前(13_praha_1)
P.90〜91:ヴィノフラツカー大通りとイタルスカー通りの交差点:イタルスカー通り(Italská)は、プラハ本駅の東側を南北に通っており、写真の左上に写る特徴のある建物から撮影場所は国立博物館側からヴィノフラツカー大通り(Vinohradská)を東に向きイタルスカー通り(Italská)との交差点の西側手前であることが特定でき、現在もチェコ放送(Český rozhlas、ČRo)がある。(13_praha_1)
P.96〜97:ヴァーツラフ広場:背後は国立博物館。(12_praha_1)
P.98:ヴァーツラフ広場:国立博物館側からのヴァーツラフ広場。(12_praha_1)
P.100〜101:キャプションなし。国立博物館前とヴァーツラフ広場。(12_praha_1)
P.102〜103:共和国広場:市民会館に面した広場、建物の形状から広場の北側のようだ。(14_praha_1)
P.110〜111:キャプションなし。背後の建物からヴィノフラツカー大通りのようだ。(13_praha_1)
P.113:チェコスロヴァキア・ラジオ局の防衛(13_praha_1)
P.114〜115:キャプションなし。建物の形状からマーネソヴァ通り(9_praha_1)のようだ。1枚は市電の線路が見えるので、ヴィノフラツカー大通りかもしれない。 (13_praha_1)
P.116〜117:チェコスロヴァキア・ラジオ局のあるヴィノフラツカー大通り(13_praha_1)
P.118〜119:キャプションなし。ヴィノフラツカー大通り(13_praha_1)とマーネソヴァ通り(9_praha_1)のようだ。
P.120〜121:キャプションなし。ヴィノフラツカー大通り(13_praha_1)とマーネソヴァ通り(9_praha_1)のようだ。
P.126〜127:ヴィノフラツカー大通り。放火された戦車から出てくる兵士たち(13_praha_1)
P.128〜129:キャプションなし。マーネソヴァ通りのようだ。(9_praha_1)
P.130〜131:キャプションなし。マーネソヴァ通りのようだ。(9_praha_1)
P.132〜133:チェコスロヴァキア・ラジオ局の占領に向かうロシア兵(13_praha_1)
P.144〜145:ヴィノフラツカー大通りの、銃撃を受けて出火した建物(13_praha_1)
P.152〜153:チェコスロヴァキア・ラジオ局での攻防の犠牲者(13_praha_1)
P.164:オルシャヌイ墓地近くでの葬送の行列:写真の右の木立が墓地、ちょうど現在の地下鉄Flora駅前で、このあたりはチャペックの住居に行ったときに歩いた。(15_praha_1)
P.164:侵攻による犠牲者の記念碑、ヴァーツラフ広場にて:国立博物館側を背後にした聖ヴァーツラフ像の前。(12_praha_1)
P.171:ヴァーツラフ広場:国立博物館方向。(12_praha_1)
P.174〜175:2度にわたり、人がいなくなったヴァーツラフ広場―8月22日、23日:ヴァーツラフ広場の北西端の建物の上から国立博物館を見ているようだ。(12_praha_1)
P.182〜183:ヴァーツラフ広場のソ連軍の戦車:ヴァーツラフ広場の北西端の建物の上から聖ヴァーツラフ像と国立博物館方向。(12_praha_1)
P.190:キャプションなし。背後は国立博物館。(12_praha_1)
P.191:占領反対を訴える新聞の配布:背後は国立博物館。(12_praha_1)
P.193:臨時党大会の準備がおこなわれているヴィソチャヌイの工場前:プラハ北東部に、Praha-Vysočany駅があるので、その辺りの工場なのだろう。(16_praha_2)
P.194〜195:共和国広場:市民会館前から北東方向。(14_praha_1)
P.196:ヴァーツラフ広場の聖ヴァーツラフ像(12_praha_1)
P.206〜207:ナ・プシーコビェにて:ナ・プシーコビェ(Na Příkopě)は、ヴァーツラフ広場の北西端から共和国広場に向かう大通り。(17_praha_1)
P.208〜209:キャプションなし。背後は聖ヴァーツラフ像。(12_praha_1)
P.211:聖ヴァーツラフ像の前の若者たち(12_praha_1)
P.212〜213:ナ・プシーコビェでのデモ:背後に見える建物はヴァーツラフ広場との角に立つ建物なので、ヴァーツラフ広場から共和国広場に向かって行進していることになる。(17_praha_1)
P.220〜221:すわり込みの抗議:国立博物館を背後に聖ヴァーツラフ像のまわりで人々が座り込んでいる。他の写真でもそうだが、当時は市電が聖ヴァーツラフ像のとこおまで走っていたようだ。(12_praha_1)
P.224〜225:ヴァーツラフ広場:国立博物館と聖ヴァーツラフ像との間。(12_praha_1)
P.228〜229:血のついた「ソヴボドネー・スロヴォ」紙を手にした新聞売り:国立博物館を背後に聖ヴァーツラフ像が見える。(12_praha_1)
P.230:ロシア語で「なぜ」のプラカード:共和国広場、市民会館前から北東方向。(14_praha_1)
P.231:インジシュスカー通り:ヴァーツラフ広場の中ほどから北東方向にプラハ本駅に至る通り。(18_praha_1)
P.231:ドゥプチェクの写真を掲げて抗議する人々。旧市街:ティーン教会を背後に旧市街広場の旧市庁舎前。(11_praha_1)
P.235:ヴィノフラディの墓場にて:オルシャヌイ墓地か。(4_praha_1)
P.250〜251:占領反対のスローガンが記されたトレーラ、ヴァーツラフ広場(12_praha_1)
P.268〜269:旧市街広場:ヤン・フス像、右に旧市庁舎が見えるので、北側から南方向を見ている。(11_praha_1)
P.270〜271:旧市街広場:ヤン・フス像、奥に聖ミクラーシュ教会が見えるので、ティーン教会の前から見ている。(11_praha_1)
P.272:キャプションなし。市民会館前の共和国広場。(14_praha_1)
P.273:キャプションなし。旧市庁舎前。(11_praha_1)
P.274:キャプションなし。ヤン・フス像の土台があるので旧市街広場。(11_praha_1)

「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」写真展展示リスト
https://topmuseum.jp/upload/3/1353/koudlka.pdf
http://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-1353.html

 

ジョセフ・クーデルカ(Josef Koudelka)/著
阿部賢一/訳
平凡社
https://www.heibonsha.co.jp/book/b157734.html

 

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