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2019年5月 3日 (金)

Praha und Wien 33 旧市街のモーツァルト 3 トラットナーホフ、グラーベン、コラルト宮殿、最古の消防署

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モーツァルトが1781年にドイツ騎士団の館からおっぽり出されたあとに住み、「Entführung aus dem Serail」(後宮からの誘拐)を作曲したGoldschmiedgasseの家「Trattnerhof」(トラットナーホフ)。
コンスタンツェの実家ウェーバー家があったMilchgasseは、目と鼻の先。

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グラーベンに出る。
「Trattnerhof」の次に住んだのは、Grabenのブティック「TOD’S」が入っている建物の上。

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Seitzergasseの路地を歩くと時計博物館、その前はKirche am Hof(アムホーフ教会)の裏側、とても繁華街Grabenからすぐの場所とは思えない。
Seitzergasseに続くSchulhofの路地をフィアカーが抜けていくが、いったいいつの時代なのだろう?

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Am Hof(アムホーフ)に面して建っているのは、1762年にモーツァルト一家がウィーンに来て最初に演奏したコラルト伯爵のPalais Collalto(コラルト宮殿)。
Am Hof(アムホーフ)に建つ黄色っぽいPalais Collalto(コラルト宮殿)と、その右はKirche am Hof(アムホーフ教会)。

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Palais CollaltoのAm Hofを挟んだ反対側で、消防車がハシゴを高く伸ばし、上に人が乗っている。
消防士ではなさそうだ。
近寄ると、ハシゴは降ろされ格納されていく。

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ハシゴを下ろした消防車は、助手席に青年を乗せてAm Hof(アムホーフ)を一周して戻ってきた。

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そして、バックで車庫に入っていく。
狭いところに入るが、バックで誰かが誘導しているふうはなかった。

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入りきったところで、見物人にアピールするのだろう、警告灯をチカチカさせてくれた。
ドアは半分くらいしか開かない。

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助手席に乗っていた青年は、障害者っぽい。
車庫の扉が閉じられる。
日本の消防も、このようなデモンストレーションをすればいいのに。
消防署の建物自体が歴史的建造物の「Märkleinsches Haus」、1727年から1730年に建設され、1835年にウィーン市が消防署にするために購入した。

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消防署のひとつの建物には、屋根の家に地球を支える二人の人物像が立っていて、台座に「IMPERANTE CAROLO VI INSTAURAVIT S. P. Q. V.」とラテン語が刻まれている。
建物の脇にはウイーン中央消防署のエントランス、建物の銘板には「Ehemaliges Bürgerliches Zeughaus Former Civil Armony」、16世紀頃の民兵軍の市民の武器庫、ってことか。

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中庭は駐車場、ウィーンの消防自体は1685年に設立されている

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