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2019年5月 5日 (日)

Praha und Wien 41 軍事史博物館 1

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さまざまな展示のうち、1848年革命からWWIまでの展示を見ることにした。
まず、1848年当時の軍服フィギア。

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1848年当時の軍服フィギアの説明を見ると、Helmut Krauhsさんという人の作品のようだ。

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ウィーンでの1848年革命のパネル、地図と記号の説明。

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パネルの下にはビラ類が並んでいる。

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政府側のビラか、市民側のビラか労働者や学生のビラか、ちゃんと読まないとわからない。
もっとも、フラクトゥールを覚えないと読めないが。

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これらのビラを見ていると、「青きドナウの乱痴気」などの、良知力さんを思い出す。
向う岸からの世界史:http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-d888.html

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1848年当時の軍服が並んでいる。

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1848年当時の軍服と説明されている。
ということは、学生や労働者たちが目の前に見た軍服だ。

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エリーザベトの絵がある。
フランツ・シュロッツベルクによるもの。

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2009年の「The ハプスブルク」展に、フランツ・シュロッツベルクによるFJ肖像画が来ていたらしい。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/the-f1a0.html

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肋骨服と、その他の軍服。

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「ラデツキーとその時代1848-1866」の説明板。
そして、オーストリアでの1848/1849年革命のパネル。

オーストリアでの1848年革命の経緯をまとめておく。
フランス2月革命の余波を受け改革要求
3月、メッテルニヒが追い出されてロンドンに亡命
5月、皇帝フェルディナント1世の一家がインスブルックに避難
6月、プラハでの6月暴動を首都長官のヴィンディシュ=グレーツ元帥が鎮圧
7月、ラデツキー元帥がイタリアの独立運動を鎮圧(ヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」は、この時のラデツキーを讃えて作曲されたもの)
10月、ウィーン蜂起、フェルディナント1世がヴィンディシュ=グレーツ元帥を鎮圧軍の最高司令官に任命
10月31日、鎮圧軍がウィーン市街地に進軍し制圧

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双頭の鷲がついたラッパ、吹きにくないのかしら。

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ラデツキーのコーナーの説明板とラデツキーの軍服。

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ラデツキーの肖像画とキャプション。

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