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2019年5月 5日 (日)

Praha und Wien 42 軍事史博物館 2

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1階に降りて、第一次世界大戦の部屋に行こうとすると、ホールとの間に軍事史博物館の歴史について展示されている部屋があった。

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臨時のものか恒久的なものなのか、どうなのだろう。

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第一次世界大戦を扱った部屋に入ると、当時の軍服が並んでいる。

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勲章が付いていたり煌びやかな制服は、それなりの階級にある軍人たち、あるいは近衛兵などの特別の任務を持つ軍人たちの制服だろう。
一般兵士の軍服は、質素である。

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第一次世界大戦当時の軍服、色や飾りに意味はあるに違いない。

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フェルディナント大公がサラエボで暗殺されたときに乗っていた自動車と、そのとき着用していた服が展示されている。
暗殺者の拳銃も、展示されている。

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このあたりの軍服は、前線にいた兵士たちの服だろう。
実際は、もっと泥まみれだっただろうが。

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75mmの弾丸の弾痕のある試験鋼鉄板が2枚。
そして、弾痕のある、ケッセル砦の12ポンド強化榴弾砲用装甲丸屋根。

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衛生兵装備の展示と、宗教と戦争のパネル。

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大砲の展示と「Brotfriede」(パンの平和)の展示、「Brotfriede」はどんな意味合いだろう。
大砲の砲身を覗いていて、昨夏行ったドレスデンのMilitärhistorisches Museum der Bundeswehr(連邦軍事博物館)での、ミサイルやら爆弾が上から降ってくる展示を思い出した。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/9_3-militrhisto.html

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装具や義手、義足も展示されている。

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実際には、FJのこのような姿はなかったという。

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表には1951年のナンバープレートをつけているシボレーベルエア、占領時代の車ではないような気がするが。
さて、軍事史博物館の見学はおしまい、見ていない部屋もまだあるし、屋外展示もあるが、パスした。

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また来るときには、テーマを絞ろう。
気がつけば、このような本をお持ちりするのであった。

7年前に来たときと、展示方法は少し変わっていて、軍事史博物館の歴史について展示されている部屋はなかったし、第一次世界大戦の展示も様変わりしていた。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/wien-und-hal-44.html
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/wien-und-hal-45.html

Heeresgeschichtliches Museum(軍事史博物館)
https://www.hgm.at/

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