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2019年5月 3日 (金)

Praha und Wien 34 旧市街のモーツァルト 4 トルコ軍の砲弾、ユーデン広場の住居、旧市庁舎、エルサレムの階段、シナゴーグ、ルプレヒト教会

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金色に塗られたトルコ軍の砲弾がぶら下がっている。
300年以上、取っておいたのだな。

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隠れ家的カフェBrezl Gwölbのある路地を抜けたところは、昨日も来たJudenplatz(ユダヤ人広場)で、ここにもモーツァルトが1783年に暮らしたことがある。

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Wipplingerstraße(ヴィップリンガー通り)に出ると、重圧な扉のAltes Rathaus(旧市庁舎)である。
中を覗くと、天井のスタッコが歴史を感じさせる。
建物は、1316年から1883年の新市庁舎の開設まで、ウィーン市庁舎であった。
今でも1区や8区のオフィスのようだ。

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歴史的建造物としての標識がついている。
Altes Rathaus(旧市庁舎)に沿って歩くと「Hoher Markt」(ホーエマルクト)で、このあたりがローマの砦だったところだ。
ローマがケルト人集落に砦を築いたのが起源で、Grabenは砦の堀だった。
なので、ウィーンで地面を掘ると、Vindobona(ウィンドボナ)の遺構が出てくる。

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Hoher Markt(ホーエマルクト)からAnkeruhr(アンカー・ウア、アンカー時計)をくぐり抜けて小径を歩くと、「Jerusalemstiege」(エルサレムの階段)がある。
1911年に作られて「Fleischmarktstiege」(食肉市場の階段)という名称だったが、エルサレム建都3000年の1996年にこの名所となったようだ。
階段を上りきって右手を見るとSeitenstettengasse、おまわりさんが立っている。
奥を見ると、シナゴークがある。

Jerusalemstiege
https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Jerusalemstiege

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Seitenstettengasseに建つ建物の北側に、教会がある。
Katholische Kirche Ruprechtskirche(ルプレヒト教会)である。
740年に創立されたとするウィーンで最古のロマネスク様式の教会で、長い歴史の中で何度も改築再建改装され、1276年のウィーン大火のあとで大部分がゴシック様式に改築されている。
当時の壁やガラス窓などが残されているが、古いステンドグラスは普段は見ることができないようだ。

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中に入る。
撮影していいか尋ねたら、OKだった。
小さなお御堂で、ステンドグラスから入り込む光が美しいが、内部もきれいに改装されているし、このステンドグラスは新しいもの。

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ろうそくに火をともし、いくばくか寄進。
天井はシンプル。
高いところには、聖歌隊が並んだのだろうか。

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リブ・ヴォールトの、ゴシック様式のところもある。
隅に、聖遺物が収められている。
これについての、知人の説明を引用しておく。

この聖人が誰かという話の前提となる、この教会の歴史。「ルプレヒト」というのは、塩の船の聖人Rupertの名から取られ、ザルツブルク傘下の教会。塩の交易の拠点にもなった、まさに「ザルツブルクとズブズブの教会」。
創立は740年とされているが、他説もある。
また、伝説上この教会を建てたとされる聖Rupert(650-718)は、ヴォルムス出身のザルツブルクの司教だが、ウィーンに来たことはないとされている(なんじゃそりゃw)。
その聖Rupertの後継者の司教は聖Vitalisで、ザルツブルクの教会に眠っている。
さて、このルプレヒト教会の棺の中の聖遺物には、聖Vitalisとの記述があるが、これは別人の同名の聖人のもの(なんじゃそりゃw)。
イタリアのラヴェンナ(もしくはミラノ)の聖Vitalis
このイタリアの聖Vitalisも色々謎な人だが、AD60年頃の人で、妻と双子の息子達も聖人。
キリスト教迫害の時代で、信者とバレただけで、拷問にあい、殺されていた時代。
本人もつい信者バレして、生き埋めで殺された。
しかし、この聖Vitalisが殉教したのが、ネロ帝(1世紀)かマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝(2世紀)の時かハッキリしないし、そもそも殉教者となった双子の息子は3世紀の人物(ディオクレティアヌス帝の時代)なので、色々取り違えがあるっぽい(なんじゃそりゃw)
とにかく、創立者(とされる人物)の後継者と同名の聖人(とされる人物)の棺と聖遺物を贈られたマリア・テレジアは、この教会に安置した。
だから、ウィーンともこの教会とも関係のない、2000年前に生き埋めにされた殉教者の棺がここにあるというわけです。
なんじゃそりゃが多すぎw

この文章は、ご本人の同意を得て、ここから全文拝借いたしました。
改行を加えてあります。
https://twitter.com/hyoroWien/status/1124637237017305088

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教会の北側はドナウ運河で、この辺りはドナウ川で運ばれてくる物資、とりわけ塩の陸揚地だった。
昔の様子のレリーフがあるが、無粋な落書き(怒)。
フランツ・ヨーゼフが1858年に取り壊した昔の市壁が、一部残されている。

地下鉄Schwedenplatz駅で反対方向に行く知人と別れ、アパートに戻る。

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