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2019年5月 3日 (金)

Praha und Wien 32 旧市街のモーツァルト 2 ドイツ騎士団の館、シュテファン大聖堂

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次に向かったのは、ドイツ騎士団の館である。
教会に入ってみる。
騎士の紋章がたくさん飾られている。
Friedrich Graf Belrupt-Tissacという人の銘板があるが、ドイツ騎士団と何かの関係があるのかもしれないが、どんな人なのかはわからない。
ここには教会だけではなく、騎士団の本部、宿泊施設、宝物館、資料室、フレスコ画が描かれたSala terrenaなどがある。

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他にも銘板やマリア像、ドイツ騎士団の看板、そしてモーツァルトも演奏したSala terrenaでのコンサートの案内。
ドイツ騎士団の看板がある入り口を入ると、階段がある。
この館はもともとザルツブルグ大司教となったコロレド伯爵の伯父カール・コロレド伯爵邸で、1781年3月1日、25歳のモーツァルトはミュンヘンからここに呼びつけられたわけだが、コロレド大司教と衝突したモーツァルトが、アルコ伯爵に蹴飛ばされて追い出された階段はここだろうと思われる、その階段も上がってみる。
そして、多分、あのあたりがモーツァルトの部屋だったのだろうという部屋も、階段の踊り場から確認したが、ここは騎士団の建物内、ドアが開いていたので入ってみたが、本来一般人が無断で入れるところかどうかはわからない場所なので、残念ながら写真は撮っていない。

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ドイツ騎士団の館の中庭、ガラス窓のあるあたりが宿泊施設で、モーツァルトの部屋もこのあたりになるはず。
この中庭は、シュテファン大聖堂の裏手にある紅茶専門店「Haas & Haas」からも抜けてくることができる。

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中庭からもシュテファン大聖堂の尖塔が見える。
Churhausgasse側からドイツ騎士団の館を見上げた部屋の天井が、スタッコ仕上げで、モーツァルトの部屋あたり、現在は美容院。

Deutschordenshaus(ドイツ騎士団の館)
http://www.deutscher-orden.at/site/ordenshausinwien

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シュテファンスプラッツに出ると、パネルが展示されている。
近寄ってみると、第二次世界大戦で被害を受けたシュテファン大聖堂の修復のパネル展示だ。

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シュテファン大聖堂は直接爆撃されて被害を受けたわけではなく、大聖堂の西側の建物に対する発砲による火事による延焼を受けて、南棟のプムメリンは延焼によって落下し、修復されたプムメリンは、現在は北塔にある。
これらの写真を見ていると、パリを思い出す。
5年で再建となると、鉄骨などを使うことになるのだろうが、もっと時間をかけてじっくり再建した方がいいのではないかと思ってしまう。

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このあたりはウィーンの壁の外で、ローマ時代の寺院が立ち墓所が広がっていたらしく、地下鉄工事で明らかになったヴィルギル礼拝堂の跡が示されている。
https://b2b.wien.info/en/press-media-services/pressservice/2016/03/03-ja/reopening-vergilius-chapel
墓所にあったという灯柱が、シュテファン大聖堂の壁面に立っている。

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モーツァルトがコンスタンツェと結婚式を挙げた礼拝堂が、この中になる。
正面入り口の右にある「05」、「0」はアルファベットの「O」、「5」はアルファベットの5番目の「E」を表し、ウムラウトなしの「Oesterreich」の最初の2文字「Oe」を示していて、ナチスへの抵抗運動の名残である。
「05」の下には説明文が彫られている。

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モーツァルトがコンスタンツェと結婚式を挙げた礼拝堂「Die Eligiuskapelle」は、シュテファン大聖堂を入ってすぐの右の、祈りのための小さな部屋で、撮影は禁止となっている。
静かな小さな礼拝堂には、跪いて祈りを捧げている人たちの姿だけがあり、いくばくか寄進した。

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お御堂では、「Sky of Stones」というオブジェがあった。

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