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2019年5月11日 (土)

街場の平成論

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内田センセをはじめとして、9人によるそれぞれの平成論、あるいは平成を材料にしたそれぞれの人のそれぞれの場での振り返りで、それぞれの論考に賛否やピンとくるこないはあるが、いずれも刺激的である。
ダントツに面白かったのは、内田センセの「戦後史五段階区分説」。
第一段階:対米従属を通じての対米自立の獲得を目指した高度成長期までの時代
第二段階:高度成長期における経済戦争で、アメリカに「勝つ」ことを目指した時代
第三段階:バブル崩壊によってアメリカを買えなくなったので、アメリカにとってなくてはならぬ盟邦として主権奪還を目指した小泉時代
第四段階:「領土を返して」と主権のない半国家であることを暴露した鳩山時代
第五段階:すでに主権はあると努力目標を放棄し涅槃状態に入った安倍時代
第五段階に突入し、もう目標がなくなったことが、【「『あいつら』を排除しなければ、この国は原初の清浄と健全さを回復できない」という病的妄想】(P.27)を生むのだろう。
ポツダム宣言第6条の文章と日米安保条約前文の文章を比較し、
 ポツダム宣言では「日本に戦争遂行能力がある限り駐留する」とされた米軍は、安保条約では「日本に戦争遂行能力がない以上駐留する」ことになった。つまり、日本に戦争遂行能力があろうとなかろうと米軍は日本に駐留し続けるということがここに宣言されたのである。
 問題は、この米軍の半永久的な駐留は日本が「希望」したことで実現したという話になっていることである。米軍が日本国内に駐留するのは日本の国家主権の「制限」ではなく、日本の国家主権の「発動」であるという、これ以後日米関係を貫く倒錯的なレトリックがこのときに構築されたのである。(P31)
と明快に示すこの国の国家主権のありよう、この国の置かれどころは、もっともっと知られるべきだ。

白井聡氏の、戦前の「日本人全体が一つの家族で支配・服従の関係は存在しない」が、「日米関係に支配・服従の関係は存在しない」にスライドしたという意味合いの指摘(P.122)も、なかなか鋭い。
「どうであるのか」/よりも、/「どう見られているのか」/を重視して(P.183)いるうちに、「われわれはイワシに近づいて」(P.184)群れているようになっってしまったようだ。
自らの平成を、メモしておくべきかなと思ってしまった。

まえがき――内田樹
戦後史五段階区分説――内田樹
紆余曲折の日韓平成史――平田オリザ
シスターフッドと原初の怒り――ブレイディみかこ
ポスト・ヒストリーとしての平成時代――白井聡
「消費者」主権国家まで――平川克美
個人から「群れ」へと進化した日本人――小田嶋隆
生命科学の未来は予測できたか?――仲野徹
平成期の宗教問題――釈徹宗
小さな肯定――鷲田清一

内田樹/編
晶文社
https://www.shobunsha.co.jp/?p=5132

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