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2019年4月28日 (日)

Praha und Wien 10 プラハ城2 聖ヴィート大聖堂

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聖ヴィート大聖堂への列は若干短くなっていて、イジー広場ではなく聖ヴィート大聖堂の北側が列のしんがりになっていたので、並ぶことにする。
たぶん、日曜日のミサが終了するまでは入れず、長い列になっていたのではないかとフタバさん。
聖ヴィート大聖堂は、926年にボヘミア公のヴァーツラフ1世によってロマネスク様式で建てられ、聖ヴィートの聖遺物が納められて聖ヴィート大聖堂と呼ばれるようになった。
1344年、ボヘミア王カレル1世(神聖ローマ帝国皇帝カール4世)のときに、現在のゴシック様式となり、プラハは大司教区となった。

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やっと入ることができて、ゴシックの大聖堂、見事なリブ・ヴォールト天井である。
お御堂には多くのステンドグラスがあるが、まず正面のステンドグラスに注目してしまう。
北側にもステンドグラスが並び、カラスが描かれているものもある。
なぜカラスだったかな。

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そして、ムハのステンドグラスである。
1931年にスラヴィア銀行から資金援助を受けて製作されたので、下に資金提供者のBANKA SLAVIE(スラヴィア銀行)の名称がついている。
同じように、保険会社提供のステンドグラスもあって、保険会社の名前が入っている。
救いを求める場に保険会社・・・・

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振り返ると、ばら窓。
そしてパイプオルガンが見える。

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正面のステンドグラス。

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一隅に、ボヘミア王オタカル2世の石棺がある。
大空位時代、ボヘミア王オタカル2世は神聖ローマ帝国の皇帝になろうとしていたが、諸侯はルドルフ1世を皇帝に選んだ。
オタカル2世はルドルフ1世の即位を認めず、1278年マルヒフェルトで戦ったが、戦死してしまった。
2トンの銀を使って作られた、ボヘミアの守護聖人である聖ヤン・ネポムツキーの墓碑がある。
カレル橋にも、聖ヤン・ネポムツキーの像が立っている。
聖ヤン・ネポムツキーは、1393年にボヘミア王ヴァーツラフ4世によって殺されてしまったのだが、その理由としては、王妃ゾフィーの告解の内容をヴァーツラフ4世に言わなかったためとされているようだが、他の説もあるようだ。

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聖ヴァーツラフの礼拝堂、チェコ国王の戴冠宝物を収めた宝物室に入る鍵が、柱の向こうでよくわからないが、ここで保管されていた。
現在宝物室に入るには7つの鍵が必要で、いまは大統領、首相、プラハ大司教、下院議長、上院議長、聖ヴィート大聖堂プラハ参事会長、プラハ市長がそれぞれ保管している。
聖ヴァーツラフ(ヴァーツラフ1世)は死んでいないので、お棺は空っぽである。

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再びムハのステンドグラスを見て、外に出る。

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