歴史としての社会主義 東ドイツの経験
2018年夏、ドイツを歩いてきて印象的だったことのひとつは、ドレスデンでのできごとである。
ドレスデンでは「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)、つまりDDR博物館に行ってきたのだが、そこにはDDR時代の暮らしや仕事などの場が再現され、日常生活で使われた多くの道具類などの様々なモノたちが集められ展示されている。
学校の教室も再現されていて、そこでは若いホーネッカーの写真が掲げられ、テレビの画面からは1989年5月14日のパレードの映像が流れていた。
パレードでの自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend、FDJ)の映像で行進曲と歌が流れると、映像を見ていた年配男女が合わせて歌っている。
同時代の人たちなのだろうが、四半世紀が過ぎ、この映像を見てどのような思いを持っているのだろうかと思ったものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html
Die Welt der DDR
https://www.weltderddr.de/
ドレスデンでは「ドイツ民主共和国の世界」(Die Welt der DDR)、つまりDDR博物館に行ってきたのだが、そこにはDDR時代の暮らしや仕事などの場が再現され、日常生活で使われた多くの道具類などの様々なモノたちが集められ展示されている。
学校の教室も再現されていて、そこでは若いホーネッカーの写真が掲げられ、テレビの画面からは1989年5月14日のパレードの映像が流れていた。
パレードでの自由ドイツ青年団(Freie Deutsche Jugend、FDJ)の映像で行進曲と歌が流れると、映像を見ていた年配男女が合わせて歌っている。
同時代の人たちなのだろうが、四半世紀が過ぎ、この映像を見てどのような思いを持っているのだろうかと思ったものだ。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/10_2-die-welt-d.html
Die Welt der DDR
https://www.weltderddr.de/
また、本書「第三章 農村の社会主義体験 土地改革から農業集団化へ(一九四五―一九六〇)」でバート・ドベラン郡の農村が取り上げられているが、ここにも2018年に行ってきた。
もっとも目的はモリー鉄道であるが、ロストックからバート・ドベランに向かうローカル線の車窓から、あるいはモリー鉄道の車窓から畑は見ているのだが、そのときはこの国の農村の歴史については頭をかすめなかった。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/4_3-von-bad-dob.html
そして、この日の朝散歩したときに廃墟があって、何だろうと思ったことはある。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/4_1-morgen-von.html
廃墟は、モリー鉄道の終点キュールングスボルンにもあった。
執筆者が行ったケーグスドルフ村は、キュールングスボルンよりさらに南西数キロのところに位置している。
ホーエンフェルデ村はバート・ドベランの南2キロのところにある村で、バート・ドベランに到着するときに車窓から見た景色がその一部だったのだろう。
学生の頃、何の授業でだったかは忘れたが、「東ドイツの労働者は、分業での単なる歯車的な存在ではなく、自分が担当する作業について、作業の全体を把握していてその中の任務を理解している」というようなことを教えられたことがある。
そのときは、ふうん、社会主義的人間とはそういうものかとして聞いたのだが、本書での「作業班」での作業が、もしかしたらその意味なのかもしれない。
それは本書に引用されている文献での「私たちの企業」、「自分が影響力をもっていると感じた」、「働きに行くのが好きだった」(P.88)といった労働者の思いとなっているのだろう。
「第五章 東ドイツでの余暇活動」の「3 「不測の社会」下における余暇」の「(2)消費財の「不足」と余暇」で語られる消費財の不足の状況は、「グッバイ・レーニン」でも描かれていた。
「第八章 東ドイツ「平和革命」と教会 建設兵士の活動を中心に」では、ライプツィヒのニコライ教会の活動が取り上げられているが、その「月曜デモ」などの活動は1989年に突然起こったのではなく、1981年9月13日の「平和の祈り」から始まったこと、以後の活動で「棲み分け」を求める教会指導部とも対立していったこと、1989年においても教会指導部と活動ウループトの間に揺れがあったことなど、その頃の様子をあらためて見ることができた。
この章のの「3 建設兵士らによる平和を求める活動」の「(3)徴兵制の変革を求める活動」での「剣を鍬に」運動で使用された図柄の原典となった「旧約聖書」の「ミカ書」4章3節は、注に一部が載っているが、全文は「主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」である。
執筆陣の世代によって、「社会主義」への想いの差が表れているのは、1989年以降の歴史を物語っている。
そして、巻末の「東ドイツ史略年表」は、以前さまざまな文献や書籍から作成した年表「ドイツを中心とした東欧史」を補完してくれる。
ドイツを中心とした東欧史
第I部 いまなぜ東ドイツか
第一章 歴史としての東ドイツ
第二章 東ドイツ研究の現在
第II部 東ドイツ社会を生きる
第三章 農村の社会主義体験 土地改革から農業集団化へ(一九四五―一九六〇)
第四章 職場における「つながり」 工業企業現場の実態
第五章 東ドイツでの余暇活動 休暇旅行の実態から
第六章 高齢者と社会
第七章 東ドイツのポピュラー音楽の系譜
第八章 東ドイツ「平和革命」と教会 建設兵士の活動を中心に
第III部 歴史としての社会主義
第九章 思想としての社会主義/現に存在した社会主義
第一〇章 東ドイツの「中間グループ」の役割
第一一章 社会主義経済再考 東ドイツ計画経済の現実
あとがき
参考文献
東ドイツ史略年表
索引
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