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2019年4月30日 (火)

Praha und Wien 18 ムハ美術館

プラハの最終日、午後はウィーンに戻る日である。
朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトし、荷物はホテルに預かってもらうことにした。

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もう一度、国立博物館からヴァーツラフ広場を眺める。

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Můstek駅からカレル橋近くのStaroměstská駅まで地下鉄に乗り、遊覧船に乗ってみようかと、カレル橋に行ってみることにした

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Staroměstská駅から歩いて、カレル橋のたもとのカレル・ムゼウムに行ってみたが、カレル・ムゼウムの門は閉じていて、オープン前であった。

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しばらく、カレル橋を散策することにした。

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まだ朝9時過ぎ、一昨々日のようではないが、それでも人が来ている。
『ローマで広場とは「彫刻で囲まれた空間をいう」(「プラハを歩く」田中光子)そうなので、30体の彫刻が囲むカレル橋は、広場である。

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カレル橋に並ぶ像のうちの聖ヤン・ネポムツキー像の台座の右側にはヤン・ネポムツキーが川に落とされようとしているレリーフ、左側には告解するゾフィー・フォン・バイエルンのレリーフがある。
いずれもレリーフに触ると幸福が訪れるということで、ピカピカである。
しかし、右のヤン・ネポムツキーを触ると幸福が訪れるというのはわかる気がするが、左側の犬を触ると幸福が訪れるというのは、何とも解せぬ。

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橋のたもとで、ウェディングドレス姿の女性を撮影していた。
近くまで行ったら、アジアンだった。

ムゼウムに戻って中にいた人に聞いてみると、オープンは10時からということだった。

Muzeum Karlova Mostu
http://www.prague-bridge.com

あと20分あるので船はパスにして、ムハ美術館に行くことにして、路地を迷い歩くことにした。

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市電が建物の下を走る。
この風景、ベルンみたいだ。

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謎な木彫りの看板はレストランだったり、カーブしてどこに出るかわからない誰もいない路地があったり、レンタル電動キックボードが置かれていたり、画像はないが、ウィーンでも見かけるハンガリー風バウムクーヘンのお店があったり。
ハンガリー風バウムクーヘンは人気のようで、行列ができていたりする。
「Trdelnik」(トゥルデルニーク)と言うんだそうな。
路地といえば、ドイツが占領したときやプラハの春のときにワルシャワ条約機構軍がプラハに来たとき、市民たちは道路の標識をめちゃくちゃに付け替えることで、占領軍を迷わせたと言うことを聞いたことがある。

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旧市街広場に出ると、27日に見た復活祭マルクトは撤去されていた。
旧市庁舎の北側は公園のようになっているが、元はこの場所にも庁舎が建っていた。
WWII末期にドイツ軍の戦車が庁舎を砲撃し建物は崩壊、建物の跡は公園となり、建物と繋がっていた形跡が旧市庁舎に残されている。

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また路地に入り、20分ほど歩くと、バロック様式のKaunický Palaceにあるムハ美術館に着いた。
チケットはヒヤシンス姫、売っていた日本語のガイドもヒヤシンス姫。
館内の展示は「装飾パネル」「パリ時代のポスター」「装飾資料集」「チェコ時代のポスター」「絵画作品」「素描画とパステル画」「アトリエと写真」で構成されている。
大作はなく、見たことのある作品もが多いが、聖ヴィート教会のステンドグラスの下絵、作品のモデル姿の写真、切手など見所はある。

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ショップで、展示されていた聖ヴィート教会のステンドグラスの下絵がポストカードに成っていないかと探したが、なかった、残念。
1000ピース、2000ピースのジグソーパズルがあって、迷った末に1000ピース×2のパズルを購入してしまった。

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ヴァーツラフ広場に戻り、パウゼは「Svatého Václava」というお店で、黒ビールと芋。
珍しくしょっぱくなく、こちらが塩胡椒を振ったのであった。

 

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