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2019年4月22日 (月)

みんなが英雄 写真で見る「北ベトナム報告」

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1965年2月7日にアメリカによる北ベトナム爆撃、いわゆる「北爆」が始まると、田村氏はすぐにベトナムに向かい、4月末から一ヶ月半、そして同年10月に一ヶ月、合わせて二ヶ月半にわたって滞在した。
本書は、そのとき撮影された約2万枚の写真から選りすぐられた写真集である。
この頃、日本ではまだほとんど知られることがなかったベトナムの様子は、ベトナムに行き、当時のサイゴン政権やビグン支配区域だけではなく、解放区に入ったり北に向かったりした日本を含めた世界各地からやってきたジャーナリストたちの手によって次第に明らかになっていく。
北爆についても、米軍が発表していたように軍事施設に限ったものではなく、一般の住居、学校、お寺、病院などもその目標となっていたことが実証されて行った。
本書は、そうした時代を記録する貴重な一冊だ。

田沼氏が訪れたベトナムでは、米軍機の爆撃に抗するために若者たちは銃を持った。
そして、おじさんおばさんも銃をとった。
小銃で米軍機に対抗できるのかと、だれもが考えるだろう。
しかし、近代な飛行機は複雑になりすぎて、配線が一本でも切れたりするとダメになるそうだ。
とはいえ、効果のある射撃は、敵機が自分に向かって突っ込んでくるときで、このときは銃の照準の中に入ってしばらくは動かないので、弾の当たる確率は高くなる。
しかし射手が照準を合わせているということは、飛行機も目標を捉えているということでもある。
そのような恐怖に対峙しているはずの写真のなかの若者、おじさんおばさんの顔は、どこにでもいるフツーのおっちゃんおばちゃんの顔で、とても爆撃を受けている「戦場」の人の顔とは思えない。
若者たちにも、悲壮感や緊張感、あるいは「敵」に対する憎しみの表情は、微塵もない。
日常生活の中にいつも銃がある、このようなことは決してあってはならないことだが、その銃は同胞にあるいは政府に向けられることがなかったことは、当時のベトナムの人びとの中の、「道理は我が方にあり」という自信のあらわれなのだろうと思う。

たぶん、1970年近くなった頃、図書館かどこかで読んでいて、50年以上を経てあらためてページをめくるたびに、懐かしい写真に出会ったような気がした。
何度も顔を出した新宿駅西口「広場」のフォーク集会が1968年、同級生からベ平連の集会に誘われたりしたのも、その頃だっただろう。
そうしたことも、本書を眺めながら思い出す。
私自身がベトナムに行ったときは、田村氏が行ってから34年経っていた。
すでに戦争は終わり、南北は統一されていた。
だが、戦争の跡は、そして墓標と慰霊碑は、行ったあちこちで、見た。
http://m-kusunoki.cocolog-nifty.com/blog/vietnam-report.html

田村茂/著
毎日新聞社

 

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