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2019年3月15日 (金)

鶴見俊輔伝

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個々のエピソードは、鶴見さんご自身がどこかに書いていたり、インタビューで答えていたりしているので、記憶にあるものが多いが、こうしてまとまっていると、それぞれのエピソードに連関があるのだなと、今更ながら気づかされる。

思いつくままにメモしておく。

のっけから秋山清、アナキストが何故に?と思ったら、そうか、転向研究で接点があったのですね。
そして後藤新平の存在は、本書に限らずあちこちで語っていたけれど、父方のほうの影響はどうだったのだろう。
一家離散の憂き目にあったことで、人間的な影響は受けることができなかったのかしら。
「御親兵一割損」(P.37)は、永田町の面々に聞かせたい

あらためて東京高等師範学校附属小時代の錚々たる御学友にびっくり、嶋中鵬二(同じクラス)、永井道雄(同じクラス)、中井英夫(同学年)。
佐野学も母方の親戚筋であり、佐野碩は母方の従兄弟である。
アメリカでも同様に人物に恵まれ、都留重人や南博、果てはジャカルタでは植物園長の中井猛之進、当時はまだわからなかったが中井英夫の父。

ジャワではBBC放送を聞き、のちにジョージ・オーウェルの原稿であることを知ることになる。
戦争とラジオ BBC時代
そのオーウェルの「保守主義」のくだり。
「保守的であるということが、国家批判の権利の放棄を意味することはない。むしろ、逆である。まして、現政府の決めた政策をつねに支持する、という立場を取るものではありえない」(P.295)と。

飯沼二郎氏のことを書いているところで、飯沼氏は「デモの前日には必ず神経性の下痢をした」が、「デモが終わったあとの気持ちは、毎回なんとも、さわやかになる。それは、内気で臆病な自分のようのものでも、ルカ伝一〇賞のイエスの言葉(“強盗に襲われて倒れている人がいたら、その前をとおりすぎるな”)に従って行動できたと感じるからだ」(P.354~355)そうである。
ルカ伝は、O・マシースン氏についての文章にも、「マシースンのキリスト教は、ラインホールド・ニーバー(一八九二―一九七一)の影響を深く受けている。したがって彼は、“強盗に襲われて倒れている人がいたら、その前をとおりすぎるな”と、サマリア人の行動を例示的に述べたときのようなイエスの言葉を、社会行動への導きとして理解する」(P.381~382)と書く。
ルカ伝を引用しておこう。
10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(新共同訳)

評伝であるから、鶴見俊輔さん本人の言葉ではなく著者の文章であるが、文章の主語が鶴見俊輔さんであるとき、主語が省略されている文章が多い。
一つ一つの文章に主語がなければならぬ、ということではないが、この文体が読みづらく感じるときもある。
「思想の科学」を読んでいたのは1970年代から80年代90年代にかけてだったので、ちょうど著者の名前が誌上に出てきた頃だろう。
思想の科学での著者の文章も、決して自分の中にストンと落ちてくるような心地はしなかったし、今でこそ関係については承知しているのだが、あの頃は、この人は若いようでありながら鶴見さんと渡り合っているようで、鶴見さんとどんな関係なのだろうかと思ったものだ。
著者の御父君の北沢恒彦氏の文章は、あれこれ読んだのだが、もっと読みやすかったように思う。
そして、鶴見さんが自身の「竹内好」で感じたであろう困難さと同じような困難さを、著者はこの本を上梓するにあったって感じ取ったに違いない。

毎日新聞

日本経済新聞

読売新聞
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巻末の「典拠とした主な資料」は、ここを起点とする渉猟が始まるということか。

第一章 政治の家に育つ経験 一九二二―三八
 第一節 女たちと「平城」
 第二節 祖父・新平と父・祐輔
 第三節 エロスと国
第二章 米国と戦場のあいだ 一九三八―四五
 第一節 佐野碩のこと
 第二節 「一番病」の始まりと終わり
 第三節 牢獄にて
 第四節 負ける故国への旅
 第五節 悪の問題
 第六節 『哲学の反省』を書く
第三章 「思想の科学」をつくる時代 一九四五―五九
 第一節 編集から始まる
 第二節 軽井沢
 第三節 考えるための言葉
 第四節 共同研究の経験
 第五節 変わり目を越えていく
 第六節 いくつもの土地
 第七節 汚名について
第四章 遅れながら、変わっていく 一九五九―七三
 第一節 保守的なものとしての世界
 第二節 一九六〇年六月十五日
 第三節 結婚のあとさき
 第四節 テロルの時代を通る
 第五節 問いとしての「家」
 第六節 京都、ベトナム
 第七節 裏切りと肩入れと
 第八節 脱走米兵との日々
 第九節 亡命と難民
 第一〇節 沈黙の礼拝
第五章 未完であることの意味 ―二〇一五
 第一節 「世界小説」とは何か
 第二節 家と「民芸」
 第三節 土地の神
 第四節 入門以前
 第五節 「まともさ」の波打ち際
 第六節 もうろく
 第七節 世界がよぎるのを眺める
 第八節 最後の伝記
 第九節 子どもの目
典拠とした主な資料
鶴見俊輔年譜
あとがき
人名索引
事項索引

黒川創/著
新潮社

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