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2019年1月10日 (木)

全体主義の起源 3 全体主義

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本書では、いよいよ全体主義について言及し、スターリンのソ連とヒトラーのドイツが対比される。
ドイツにとっての「ユダヤ人」、ソ連にとっての「人民の敵」、両者は何らかの体制に対して犯罪行為を行ったということで「敵」となったのではなく、「運動が必要とする敵」として、あらかじめつくりあげられた「敵」に当てはめられた存在だったという点で、共通している。
そして著者は、スターリン以後については、全体主義とはとらえていなかったようである。
だとすれば、さらにその後の様々な「独裁」国家、今で言えば北朝鮮やシリア、少し前ならポルポトのカンボジアや毛沢東の中国、サラザールのポルトガル、フランコのスペインなどについては、全体主義は、ごく一部の者が権力を握る独裁体制とは異なり、大衆(モッブ)の願望を吸い上げていく運動であったというハンナ・アーレントはどのように見るのだろうか。

人間の歴史を、人々が人権や自由を獲得してきた歴史とみるならば、その過程は一直線ではなく、紆余曲折のひとつに全体主義があるとみることになるだろう。
けれども、どうもハンナ・アーレントはは、そのような歴史の見方はしていないようだ。
ハンナ・アーレントは、フランス革命やロシア革命の系譜には異議を唱えているが、その一方でアメリカ革命については肯定的な考えでいるようである。
その違いは何だろうか。
とはいえ、現状に不満・閉塞感が蔓延していると考えざるをえないこの国で、首相在任期間を通算した期間が歴代最長となる可能性が見えてきたこの国の政権・首相と、それを支持し共感している人たちの動きとを見ていると、本書は、いまのこの国のありようを分析しているのではないか、大衆(モッブ)の願望を吸い上げていく運動としての全体主義が新たな装いで現れてくるのではないかと思ってしまう。
「全体主義的統治の理想的な臣民は筋金入りのナチでも筋金入りの共産主義者でもなく、事実と虚構の区別(つまり経験の現実性(リアリティ))をも真と偽の区別(つまり思考の水準)をもはや見失ってしまった人々なのだ。」(P.345)

頂点にある者から最下層にある者までのHierarchieで(Hierarchieに位置付けられ得ない者たちは、当然のことながら除かれる)、それぞれの場にある者が頂点に向かって、頂点からの命令あるいは頂点の意思に対するとき、自らの行為についてどのような自覚を持ち、どう動いたのか。
この動きを、フロムの「ワイマールからヒトラーへ」と重ね合わせると、どのような結果を得ることができるだろうか。

新版にあたって――凡例
まえがき(1968年の英語分冊版より)
第十章 階級社会の崩壊
 1 大衆
 2 モッブとエリートの一時的同盟
第十一章 全体主義運動
 1 全体主義のプロパガンダ
 2 全体主義組織
第十二章 全体的支配
 1 国家機構
 2 秘密警察の役割
 3 強制収容所
第十三章 イデオロギーとテロル――新しい国家形式
エピローグ(英語版第13章 イデオロギーとテロル――新しい統治形式)
原註
訳者あとがき 大島通義
新版への解説 矢野久美子
参考文献
事項索引
人名索引

ハンナ・アーレント/著
大久保和郎/訳
大島かおり/訳
矢野久美子/解説

みすず書房

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