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2019年1月12日 (土)

少年写真家の見た明治日本 ミヒャエル・モーザー日本滞在記

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本書の冒頭「オーストリア人少年写真家 ミヒャエル・モーザーの世界旅行と日本滞在」ではミヒャエル・モーザーとその師ヴィルヘルム・ブルガーの写真史料として「高精細画像で甦る 150年前の幕末・明治初期日本」が紹介されている(が、この本は見ておらず、ミヒャエル・モーザーについては、以前、「明治初期日本の原風景と謎の少年写真家」を読んだことがある。

『I.手書きの日記「東アジアに向かう旅で経験したこと」』のモーザの記述は、モーザにとって珍しいものの観察記録となっていて、微に入り細に入り観察したことが書かれており、弱冠16歳(オーストリア出発時は15歳)ながら鋭い観察眼を持ったモーザに驚かされる。
ただ「III.手書きの日記」あたりになると、すでに19歳、日本で様々な苦労を重ねて経験を積んだことで、文章は大人びていて、その分IやIIほどの面白さは薄れている。
とはいえ、明治の初期に日本に来た少年が日本で成長し、その過程で自分の言葉で書き綴った日記や書簡は、そしてそこに書かれた日本の人たちや各国の人たちはの姿は、「外国人」について、文化について、いろいろ考えさせてくれる。

P38に「私が見た二門の大砲〔の口径長〕は、三尋以上の長さ」との記述がある。
「口径長」は、砲身長の実測値を口径の値で割ったものを指すはずなので、「三尋以上の長さ」であるならば「砲身長」としたほうがいいだろうと思った。
P.52に「お互いに」に関して注149として、「原文ではgegenwärtigとあるが、おそらくgegenseitigの誤りと考えられるため、gegenseitigを補って訳した。」と書かれている。
「gegenwärtig」だと「現在」となって、意味をなさない。
P.62の「お茶の庭園」、注によれば豫園、ここには四半世紀近く前になるが、行ったことがある。
本文P.198の「6日の日曜日の夕方に郵便馬車でルピッチェに到着した」の「ルピッチェ」の注がP.203の「注34」に「アルトアウスゼーから数軒の距離にある町」とされているが、「数軒の距離」とはなんだろう。
地図を見るとルピッチェとあるとアウスゼーは数キロ離れているようだ。
P.214、モーザはミラノでヴィットーリオ・エマヌエーレのアーケードに行ったと記されているが、ここには行ったことがある。
完成は1877年なので、モーザが行った当時はまだ工事が継続していたのだろうが、そのことは記述にはない。
P.266からP.267にかけて、モーザがアメリカ大陸を横断していたときの、サクラメントからシェラネバダ山脈に至るあたりの描写は、「大草原の小さな家」を思い出す。
時代は重なるものの、インガルス一家は、ウィスコンシン州→カンザス州→ミネソタ州→サウスダコタ州と旅していたので、時代は全く違う場所ではある。

【巻頭言】
 出版に寄せて 駐日オーストリア共和国大使フーベルト・ハイッス
 「世界がもっと広くないことが残念だ」ミヒャエル・モーザーの冒険の旅 アルフレッド・モーザー
【はじめに】
 オーストリア人少年写真家 ミヒャエル・モーザーの世界旅行と日本滞在
 ミヒャエル・モーザー略年譜
I.手書きの日記「東アジアに向かう旅で経験したこと」
II.書簡
III.手書きの日記
IV.手書きの日記
V.旅行記
VI.手書きの日記・新聞に掲載された日記
VII.エッセイ
VIII.自伝的エッセイ
ミヒャエル・モーザーのアルバムについて
訳者あとがき
図版一覧、所蔵先・著作権保有者一覧
人名索引

宮田奈奈/編
ペーター・パンツァー/編
勉誠出版

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