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2018年12月21日 (金)

ある革命家の手記(下)

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クロポトキンがアナキズムに触れたのは、1872年のスイス滞在だったようで、そこで見た労働組合の運動に対する疑問(「指導者たちのかけひき」と書いている)から、マルクスと対立して1892年9月のハーグ大会で第一インターを除名されたバクーニンが組織したジュラ連合を知ることになったことによるもののようだ。
クロポトキンはなぜ、バクーニンたちの側に接近しようとしたのあろうか。
のちのクロポトキンの思想、相互扶助や無政府主義の基礎は、近習時代からシベリア時代の経験から生まれてきていた、ということか。

マルクス派との対立については、P.194にドイツ人の党派社会民主党について『「現存する国家の内部での権力の奪取」が彼らの合言葉となった』との記述があり、『ドイツ議会で多数派となり、適法な立法手段によって社会主義的「人民国家」をつくるであろう』、しかし、「この政党の社会主義的な理想は、(中略)産業の国家管理(中略)になってしまった」とする。
そして、「マルクス主義者とバクーニン主義者との争いは、個人的な事件ではなかった。それは連合主義と中央集権主義、自由な自治体と国家の家父長的な支配、民衆の自由行動と立法による現存の資本主義の改良との争い――要するにラテン的精神(エスプリ)とドイツ的精神(ガイスト)との争い」(P196)とまとめられている。
マルクスは「共産党宣言」では、さらに「階級および階級対立をもつ古いブルジョア的社会の代わりに、各人の自由な発展が、万人の自由な発展のための条件である連合体(アソツィアツィオーン)が現れる。」(服部文男訳)との展望を示していて、クロポトキンが宣言を読んでいないはずはないと思うのだが、どうなのだろうか。
さらに「フランスにおける内乱」でマルクスは、パリ・コミューンの経験から「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」ともしている。
クロポトキンはもしかしたら、社会民主党の「現実路線」が権力を奪取したその時点で獲得したものに留まり、その後の理想としたレベルに展開することをやめてしまうことを危惧したのかもしれない。

晩年は、十月革命後のソ連に帰り1921年に亡くなるが、訳者による巻末の「クロポトキンと日本」によれば、レーニンはそれなりに「ロシア革命のおじいさん」に敬意を抱いていたようだ。
そして「クロポトキンと日本」の、日本におけクロポトキンの思想の受け入れについての記述は、幸徳秋水や大杉栄、有島武郎や石川啄木などが登場し、これだけでも面白い。

第四部 サンクト・ペテルブルク―西ヨーロッパへのはじめての旅行
第五部 要塞監獄―脱走
第六部 西ヨーロッパ
訳注
クロポトキンと日本

P.クロポトキン/著
高杉一郎/訳
岩波書店

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