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2018年10月28日 (日)

東西ベルリン動物園大戦争

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ベルリンのツォーには行ったことがある。
この夏にもドイツに行き、ライプツィヒやドレスデンも歩いてきた。
プラン段階ではライプツィヒ動物園は行きたいところリストに載せていたのだが、実際には時間を取ることができずに行かなかった。
ドレスデン動物園は、行きたいところリストには載せていなかった。

「ワニのスープが動物園の腹ぺこの職員にふるまわれた」(P.30)で、「ベルリンは晴れているか」を思い出した。
職員ではないが、「ワニのスープ」が出てくる(「ベルリンは~」P.142あたり)し、それを怒る飼育員も登場する。
高射砲塔も、グスタフという名前で出てきた。
高射砲塔はウィーンには残っていて、アウガルテンにある塔は壊すに壊すことができないでそのまま、6区にある塔は水族館になっている。
ベルリン動物園の動物で生き延びたのは89頭とされていた(同P.152)が、本書によれば91頭だったようだ。(P.36)

「VEB」(P.86)を「国営企業」と訳してあるのだが、「Volkseigener Betrieb」の「Volks」に注目するなら「人民所有企業」「人民企業」のほうが「らしい」感じはする。
89年に「Wir sind das Volk」が叫ばれたように、「Volks」がついていても、実態は国営の一形態なのだろうが。

1989年に至って、ライプツィヒの幾つかの地名が出てくる。
ヨルク・アドラーが通っていたニコライ教会(P.309)には、二度行った。

アドラーが呼び出しをくらった内務局について、「ライプツィヒ市役所にあるシュタージの別名」(P.310)としているが、いまの旧国家保安省記念館(Gedenkstätte Museum in der „Runden Ecke“)とは別の場所なのだろうか。

そして1989年10月7日にアドラーがデモに参加して放水車の水を浴びた「カールマルクス広場(訳註 現在のアウグストゥス広場)とグリマーイッシュ通りが交わる角」(P.312)も、最初にニコライ教会に行くときにゲヴァントハウスの前から歩いたときの角だ。

登場人物が多いので、後半になるにつれて人間関係がだんだんわからなくなってしまう。
それにしてもいずれも強烈な個性の持ち主のようで、もともとそのような人物像だったのか、本書の中でそのような人物としてある程度デフォルメされて描かれたのかわからないけれど、この園長たちの下で働くのは大変そうだ。
もっとも、わからんちんの当局と渡り合うためには、そうしたキャラクターも必要だったということなのかもしれない。

戦後の動物園事情、動物たちに対する向き合い方などは疑問を抱いてしまうが、そういう時代だったのだろう。
1950年代後半から1960年代にかけて住んでいたところには阪神パークが、電車に乗って行ったところには須磨水族館があり、よく親に連れて行ってもらった。
阪神パークは「レオポン」(牡ヒョウと牝ライオンの子)を生んだのだが、今の動物飼育の基準からすると、あまり褒められたものではないのかもしれない。
レオポンは、かはくでの「人体」展で、剥製が展示されていた。

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雑誌AERAのNo.50(’18,10,22)に掲載された書評。

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プロローグ――動物園人
第1章 戦争とワニの尻尾のスープ
第2章 動物園フィーバー
第3章 第四の男
第4章 パンダと国家の威信
第5章 狩猟家と収集家
第6章 大きな計画、小さな魚
第7章 一つの島に二頭のクマ
第8章 灰色の巨人、倒れる
エピローグ――古い男たちと新しい時代
その後
謝辞
訳者あとがき
監修者解説

ヤン・モーンハウプト/著
黒鳥英俊/監修
赤坂桃子/訳
CCCメディアハウス

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