« フェルメール→フジタ→BENTO→動物園→松坂屋→御徒町のワイナリー | トップページ | 東京国立博物館平成館で「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」と「マルセル・デュシャンと日本美術」 »

2018年10月 7日 (日)

1848年 ウィーンのマルクス

180106_501  180106_502
原題は「Karl Marx in Wien. Die Arbeiterbewegung zwischen Revolution und Restauration 1848」、「ウィーンのカール・マルクス。 革命と復古の間の労働運動 1848」ということになる。
だが、冒頭でウィーン北駅に到着したマルクスの姿はあるが、7割以上のページを過ぎてからやっと登場する。
そして、マルクスの視点から見たウィーン1848年革命は描かれず、もっぱらウィーンの人たちの言動が中心である。
その意味では「革命と復古の間の労働運動」が、メインタイトルにふさわしいかもしれない。
ただし、その後のマルクスにとって、約10日間のウィーンで見たことや講演したことは、のちのマルクスの思想形成に少なからぬ影響を与えたことは確かで、3年後に「革命と反革命」(記述はエンゲルス)となる。
1848年のオーストリアの状況は、ここも参照。

「5 新聞にみられる8月23日」では、「反動派」の新聞論調が紹介されているが、そこで描かれている『反ユダヤ主義的攻撃、「異邦人」すべてに向けられた攻撃』(P.75)は、本書を読んでいたときの沖縄知事選でのデマ宣伝を思わずにいられなかった。
沖縄に限らず、状況を変えようとする動きに対して投げかけられる悪罵は、支配する権力は170年経っても本質は変わらないということを示しているのだろう。

P.15からの「1 ウィーン到着」は、マルクスが「ウィーン北駅」に到着したことから始まる。
口絵の「1840年頃のウィーン」には鉄道は描かれていないので、北駅ができたのはいつ頃だったっけと、以前、ウイーンの鉄道のことを調べてみたことがあるのを思い出した。
◯1837年にフロリズドルフ(Floridsdorf)駅からドイチェ・ヴァグラム(Deuche Wagram)駅まで開通
◯1838年、ウィーン側の路線がフロリズドルフ(Floridsdorf)駅から現在は貨物駅となっている旧ウィーン北(Wien Nordbahnhof)駅まで延伸(同時にドイチェ・ヴァグラム(Deuche Wagram)駅以遠をゲンゼルンドルフ(Gänserndorf)駅まで延伸)
◯1865年、北鉄道のターミナルは旧ウィーン北(Wien Nordbahnhof)駅からプラターシュテルン(Praterstern)駅に移動
◯1960年代に、フロリズドルフ(Floridsdorf)駅が東に500m移動
◯1975年に、プラターシュテルン(Praterstern)駅はウィーン北(Wien Nord)駅に名称変更
◯2008年以後は、ウィーン北(Wien Nord)駅はプラターシュテルン(Praterstern)駅に名称変更
ということで、マルクスが降り立った「ウィーン北駅」は、かつてのウィーン北(Wien Nordbahnhof)駅で、現在のプラターシュテルン(Praterstern、以前北駅の名前だった時期はある)駅ではない。

180106_503
もうひとつの口絵のウィーンの地図、年代が記されていないが、リンクの建設前で、現在の地図と重ねてみると興味深い。
黒線で市壁のおおよその位置を、緑線はグラシの外縁を書いてみた。
そして、マルクスが到着したかつてのウィーン北(Wien Nordbahnhof)駅は画像の赤丸、現在のプラターシュテルン(Praterstern、以前北駅の名前だった時期はある)駅は赤四角である。

1847年の地図はここで見ることができる。
ただ、北東角、口絵では「ビーバーバスタイ」とされているところの形状が異なるので、もう少し後かもしれない。
1860年の地図は、ここにある。
英語版
この地図のほうが口絵の地図に近そうだ。

どこかに埋もれているデアあろう「革命と反革命」を探し出さなきゃならんかしら。

序 増谷英樹
1 ウィーン到着
2 〈考案委員会〉
3 賃金切下げの結果
4 8月23日の惨劇
5 新聞にみられる8月23日
6 外国の新聞はどのように見たか
7 内閣参事会と労働者
8 市委員会と労働者
9 〈公安委員会〉とその敵対者
10 〈公安委員会〉と労働者騒擾
11 民主主義のよびかけ
12 〈公安委員会〉解散の結果
13 ウィーン大司教V.E.ミルデ
14 ベルリン労働者議会
15 マルクスとウィーン民主主義者たち
16 最初の民主主義女性協会
17 検閲廃止の結果
18 ウィーン労働者協会におけるマルクス
19 賃労働と資本
20 共同慰霊祭
21 プラハからの民主主義者
22 帝国議会への労働者の要求
23 ウィーンからの旅立ち
マルクスのウィーン――解説にかえて 増谷 英樹
索引

ヘルバート・シュタイナー/著
増谷英樹/訳
未來社

|

« フェルメール→フジタ→BENTO→動物園→松坂屋→御徒町のワイナリー | トップページ | 東京国立博物館平成館で「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」と「マルセル・デュシャンと日本美術」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1848年 ウィーンのマルクス:

« フェルメール→フジタ→BENTO→動物園→松坂屋→御徒町のワイナリー | トップページ | 東京国立博物館平成館で「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」と「マルセル・デュシャンと日本美術」 »