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2018年7月30日 (月)

ドイツ戦争責任論争―ドイツ「再」統一とナチズムの「過去」

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ゴールドハーゲンの「普通のドイツ人とホロコースト――ヒトラーの自発的死刑執行人たち」をめぐる論争を契機として、目的意識的にあるいは結果的にナチスを免罪しようとするさまざまな思潮、ドイツの責任を矮小化・相対化しようとする論調を厳しく批判する。
その意味では、「戦争責任」を追求する内容ではない。
ゴールドハーゲンの著作は読んでいないので、その内容を前提とされてもちと困るのであるが。
民族と言語、文化などが入り混じっている大陸で「国家」を維持しなければならない国の責任ありようは、他の国と海で隔てられている、「ウチ」と「ソト」が自然に認識できる国土の日本にいたのでは想像できないのかもしれない。
こうしたこともまた「地政学」として批判の対象となるのかしら。

再三帝国あるいはナチズムの議論の変化を、著者は五つに絞る。
・比較による矮小化:ナチズムや第三帝国を、東ドイツや「共産主義」と比較することによる、ナチズムや第三帝国の犯罪の相対化・矮小化
・地理的位置による免責:統一ドイツの中欧や東欧における覇権の容認
・強いられた戦争:スターリンの戦争に対する先制、ルーズヴェルトこそが戦争の元凶、戦争開始の責任の相殺、責任の相対化
・近代化による相殺:アウトバーンなどいい面もあった
・過去の克服:「自信に満ちた国民」
こうした「修正」に対するゴールドハーゲンによる批判を、ゴールドハーゲンの論旨の問題点はありとしつつも、著者は擁護する。
この論点は、ドイツに限ることなく、わが国における「修正主義」についても、むろんそのままスライドするわけではないにしても、追求することができるだろう。

日本語版への序文 ヴォルフガング・ヴィッパーマン
序章 「要するにひどい本」をめぐって、なぜ大騒ぎになったのか?-ゴールドハーゲン論争から歴史家論争へ
第1章 「全体主義的な独裁制」か?-比較による矮小化
第2章 「悲劇的な中間位置」か?-ドイツの地理的位置による免責
第3章 「強いられた戦争」か?-相殺による正当化
第4章 「いい面もあったのでは」?-近代化による相対化
第5章 「ユダヤ人死刑執行人」か?-ゴールドハーゲンと「自信に満ちた国民」
終章 だれの責任なのか?-歴史家論争からゴールドハーゲン論争へ
文献解題
解説
索引

ヴォルフガング・ヴィッパーマン/著
増谷英樹/訳
未來社

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