5_4 Europäisches Hansemuseum / Deutsch 2018
Kobergに戻ってさらに北に向かって歩いていくと、ハンザ同盟博物館(Europäisches Hansemuseum)である。
げっ、この階段を上がるのかと思ったら、横にエレベーターがあった。
チケットを購入するとき、カウンターで「どこから来たのですか?」と聞かれた。
「日本から」と答えたらキーを叩いたので、たぶん、統計を取っているのだろう。
チケットはチップが埋め込まれているようで、使い方の説明をしてくれた。
荷物は、ロッカーへ。
入口ドアを開けるには、そばのタッチパネルを操作しなければならない。
言語選択、ヨーロッパの50の都市から選択、トピックの選択をするのだが、言語はわかるけれど、あとの二つは展示を見るときにどう影響するのだろうか。
入口を入ると吹き抜けを橋で渡り、エレベーターで下に降りる。
展示物のそばにいくつもある読み取り機にチケットをタッチすると、選択した言語で説明が現れたり、ヘッドフォンを通じて音声ガイドが流れたりする。
時代時代の様子を再現した展示、パネルを使った説明など、伝える工夫がなされている。
ハンザ同盟時代の貿易は、相当豊かだったようだ。
1350年の、ペストの蔓延経路。
むろん、要所要所で実物の展示もある。
16世紀以降大航海時代を迎えて、ハンザ同盟は衰退していくことになるのだろうが、1518年という年は、ハンザ同盟にとって何か意味がある年なのだろうか。
展示室エリアから屋上(というか、以前の「Burgkloster」の庭に上がることができる。
リフト橋が見えるが、手前に線路があるので、列車を通らせていたのだろう。
Burgkloster(「城修道院」ということか)の内部も見学できる。
Burgklosterは、もともとは、デンマークのヴァルデマー2世がリューベックの街を支配した時代の13世紀に建てられた、聖ドミニコ会修道院である。
19世紀の最後にBurgklosterの一部は、裁判所や拘置所となり、1962年まで使用されていた。
拘置所を、外からと、もし、扉が閉められてしまったらどうしようと思いながら、中からと。
ナチ時代には、人民法廷としても使われたらしい。
ということが書かれていたはず。
疲れたので、博物館のレストランNORDでパウゼ。
チケットの表と裏。
パンフレット(英文)
Europäisches Hansemuseum
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