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2018年6月21日 (木)

マルクスの心を聴く旅 若者よ、マルクスを読もう 番外編

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このような旅があったのか、知っていればぜひ行きたかった。
京都の本屋なので、情報に接することがなかったのだろう、ざんねん。
もっともスケジュールを見ると、もっとゆったりしてほしいとは思ってしまうが。

スケジュールをまとめると、次のとおりだったようだ。
3/23 関空、成田からフランクフルトへ:内田氏と石川氏の挨拶
3/24 トーリアへ:石川氏、内田氏と池田氏の挨拶、ヘレス博士のレクチャー
3/25 ベルンカステル・クース、アスマンハウゼンを経由してフランクフルトへ:池田氏の講演(本書では第二部に掲載)、内田氏と石川氏の対談
3/26 ドイツからマンチェスター経由でリバプールへ
3/27 リバプール
3/28 ロンドンへ:内田氏と石川氏の対談
3/29 オプショナル・ツァーと自由行動
3/30 ヒースロー空港出発

どんな旅だったのかといえばタイトルになるのだろうが、タイトルの横に、そしてカバーを取ると、ここにも「Auf der suche nach dem, was Marx uns heute sagen will」と書かれている。
「マルクスが私たちに今日語りたいことを探して」ということか。
これは、トーリアのヘレス博士のレクチャー、石川氏が『のちの人々によってつくられた「マルクス像」(中略)ではなく、本当のマルクスはどうだったかを明らかにし、それを現代に活かせる形にしたいと言われていました』(P.32~33)と紹介していることと不可分なのだろう。

内田センセは、「アメリカにおけるマルクスの受容」(P.41)を個人的な関心事としているそうだ。
「ほかの国では全部起きたことが、なぜアメリカでは起きなかったか」(P.52)。
それは、ここにも描かれている。
いっぽうの石川氏の関心は、
・二〇世紀のマルクスのゆがみを正し、一九世紀のマルクスを改めて明らかにする
・マルクスとエンゲルスの学問をいつでも一体だと思い込むのではなく、冷静に事実にそって見ていこう
・マルクスを神格化するのでなく、ありのままに等身大で捉えていこう
の三点(P.64)。
池田香代子さんについては、「ソフィーの世界」や「世界がもし100人の村だったら」を読んだことがあるが、このツァーに加わる接点があったとは知らなかった。

おお、リューベックが出てくる。(P.126)
今月末に、行ってくる。
ここで1847年に、第2回ゲルマニスト会議が開催されたのか。
調べてみると、1847年9月26日から30日のことだったようだ。
グリム兄弟の兄ヤーコブが議長を務めたのだと。
第1回ゲルマニスト会議がフランクフルトで開催されたとき、当時は統一された「ドイツ」という国はなくて、弟ヴィルヘルムは「スイスの山奥からバルト海地方まで、ライン河からオーデル河まで」というふうに「ドイツ語を話す人が暮らすところがドイツ」と、大ドイツ主義的に考えたらしい。
普仏戦争でナポレオン戦争に勝利した後の1871年1月18日に、プロイセン国王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝となり、小ドイツ主義による統一国家としてのドイツ帝国が成立した。

内田センセの「経済活動というのは、発生的には人間のさまざまな欲求を充たすために始まったはずではないのか。それが人間の欲求を抑圧しなければ維持できないシステムになり果てたというのは、話の筋目が違うのじゃないか。(中略)その抵抗の動きを担っているのが、やっぱり人間の生身じゃないかなという気がするんで。人間の身体が復権を求めていると。」(P.208)という言葉が、武道家ならではの出発点なのだろう。

第一部ドイツ編 歴史のなかでマルクスを読むこと
第二部グリム編 ドイツ三月革命とフランクフルト憲法
第三部イギリス編 『資本論』誕生の地で資本主義を考える

内田樹/著
石川康宏/著
池田香代子/著
かもがわ出版

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