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2018年2月20日 (火)

街場の戦争論

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2014年10月の刊行(あとがき執筆は8月)で、特定秘密法(2013年末成立)や2014年7月2日の集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定を受けている。
それから4年経過した今、改めて着々と進む「対米従属を通じての対米自立」を問うためにも、本書の課題は明白である。
本書での提起によって、「戦争のできる国」はこの国が向かおうとしている状況、しかも今すぐそこまで来ているこの国のありようのうちの一面を言い表していることがよく分かる。
逆に見れば、そうしたありようを押しとどめることができないで来ているという状況を提起することでもあるのだが。
そこに、いま、改めて本書を読む意味があるとしたい。

この課題提起は、「内田樹の研究室」でも読むことができる。

いくつかの(というより、いくつもの)気になるフレーズがある。
問「日本人は戦争に負けることによって何を失ったのか」
解「「私たちは何を失ったのか」を正面から問うだけの知力」
つまり、「次の戦争でアメリカに勝つためにはどうすればいいかをリアルかつクールに吟味することができた」「ふつうの敗戦国民」(P.46)になれなかった、「主権国家」「として負けることができ」(P.47)なかった、「敗北の検証が自力ではできないくらいに負けた」(P.48)ということになる。
そして、この負債を引き受ける政治家は、ついぞ現れることがなかった。

明治政府は、下関戦争での賠償金支払いを徳川幕府から引き継いで支払ったことで、幕府のなした負債を含めた約束を引き継家「正統性を示し」(P.77)のだが、戦後の日本の政治家たちはどうか。
このことについて、「自分たちのことを大日本帝国臣民の正統な後継者であると思っているのなら、祭神である死者たちに深い結びつきを感じているつもりなら、死者たちに負わされた「責任」の残務をこそ進んで引き受けるはず」(P.78)、「死者の負債の引き継ぎを拒否する主体に「喪主の資格はありません」(傍点あり、P.78)という指摘で言い表している。

「株式会社化する日本政治」でも、「国民国家の目的は「成長すること」では」なく「あらゆる手立てを尽くして生き延びること」(P.162)として、政権の「経済成長に特化した国づくり」を批判する。
これに憲法改正をからめて記述する展開は、見事だ。

竹内敏晴さんに言及しているセクション「身体に聴く」がある。(P.207~)
いちど、竹内さんのワークショップに参加したことがある。
竹内さんが亡くなったのは2009年のことだから、ワークショップはその前、ということは、10年以上前のことになるのか。
そこでは、「自分を縛り付けている枠組みから自分を解放してみる」ということを体験できたように思う。

産経が書評を書いているのは、ブラックユーモアか?

まえがき
第一章 過去についての想像力
第二章 ほんとうの日本人
第三章 株式会社化する日本政治
第四章 働くこと、学ぶこと
第五章 インテリジェンスとは
少しだけあとがき

内田樹/著
ミシマ社

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