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2018年1月18日 (木)

新しき朝の光のさしそむる荒野にひびけ長崎の鐘 2−4 如己堂と永井隆記念館、浦上天主堂

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長崎駅前電停から502号で大橋電停に向かいます。
長崎駅前電停では、505号と502号、浦上駅前電停と大学病院前電停との間で1302号を撮りました。

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大学病院前電停と浜口町電停との間では、202号とすれ違います。

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松山町電停では301号、大橋電停では310号を見ることができました。

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大橋電停からゆるゆると坂を10分ほど歩いて上がっていくと、如己堂です。
ここに来るのは20年ぶり。
白血病に倒れた永井博士のために、1948年3月に浦上の人びとが建て、永井博士が亡くなるまで3年間暮らし、多くの作品を執筆しました。

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如己堂に隣接して、永井隆記念館があります。
以前も来たことがありますが、その後改修されたようです。

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永井博士を顕彰する資料が並んでいます。

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「医学と信仰」、「原爆! その時」の展示。

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「平和への祈り」、「如己堂での著作活動」の展示。

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各国語の著作物、「永井隆博士からのメッセージ」の展示。

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永井博士といえば、1945年11月23日の「原子爆弾死者合同葬弔辞」で、
「これらの奇しき一致は果たして単なる偶然でありませうか、それとも天主の妙なる摂理の現れでありませうか。長崎市の中心、県庁付近を狙った原子爆弾が天候のため北方に偏り浦上のしかも天主堂の真正面に流れ落ちたという事実や、この原子爆弾を最後として地上何処にも戦闘の起こらなかったという事実などを併せ考えまするならば浦上潰滅と終戦との間に深い関係の在ることに気付くでありましょう。即ち、世界戦争という人類の罪の償いとして浦上教会が犠牲の祭壇にそなえられたのである、いと潔き羔として選ばれ屠られ燃やされたのであると私共は信じたいのであります。」
「信仰の自由なきわが国において豊臣徳川の迫害に滅ぼされず、明治以来、軍官民の圧制にも負けず、いくた殉教の血を流しつつ四百年、正しき信仰を守り通したわが浦上教会こそはまこと世界中より選ばれて、天主の祭壇に献げられるべき潔き羔の群れではなかったでしょうか。ああ世界大戦争の闇まさに終わらんとし平和の光さしそめる八月九日この天主堂の大前に立てられたる大いなる燔祭よ。悲しみの極みのうちにも私共はそれを美しきもの、潔きもの、善きものよと仰ぎ見たのでございます。」
「ああ、全知全能の天主の御業は常に讃美せらるべきかな!浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられたことを感謝致しましょう。浦上教会の犠牲によりて世界に平和が恢復せられ、日本に信仰の自由が与えられたことを感謝致しましょう。」
と述べています。
「神の摂理」は、永井博士の「長崎の鐘」でも語られています。

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この永井博士の考えは、のちに様々な議論を生むことになります。
例えば、「ナガサキの思想と永井隆 =没後50回目の夏に=」。

永井隆記念館

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浦上天主堂に向かいます。
坂を下りると、原爆で吹き飛ばされた鐘楼ドームが見えてきます。
正面左手表庭の、原爆で黒く焦げたり、体の一部が吹き飛ばされた石像のそばに、猫がいました。

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お御堂に入ってみると、オルガンの音が響いていました。
被爆したマリア像は、お御堂にありますが、内部は撮影できません。

浦上天主堂

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