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2017年12月 3日 (日)

師走の午後の鎌倉散歩

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琵琶小路と若宮大路の交差点脇にある浜の大鳥居跡

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鶴岡八幡宮の鳥居は、八幡宮前の三の鳥居、段葛が始まるところの二の鳥居、海岸近くの一の鳥居とみっつあるが、1990年の発掘調査によって発見された浜の大鳥居跡によって一の鳥居は現在地よりも八幡宮寄りにあったことが確認された。
この浜の大鳥居は、戦国時代に北条氏康によって造立された鳥居の可能性が高いといわれている。

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和田塚4号踏切を鎌倉に向かう305F

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モリソン屋敷遺跡の門柱
ジェームス・ペンダー・モリソン氏はスコットランド出身で、1867年1月に来日し材木座に住んだ。
材木座に所有した土地は300坪を以上で、建てられた家屋を外国人向けの居宅もしくは別荘として貸していた。
モリソン氏は横浜で「モリソン商会」を設立し、モリソン商会は火薬商として日露戦争で日本軍にダイナマイトを供給したほか、その情報網を使ってバルチック艦隊がシンガポール沖を通過したことを日本政府に伝えたそうだ。
1923年の関東大震災では、地震と津波で鎌倉は壊滅的な被害を蒙り、モリソン屋敷もまた全壊し、モリソン氏の息子のジョンとその妻マリーも横浜で亡くなった。
モリソン氏及びモリソン夫人、娘のマドレーヌは助かり、モリソン商会は再建された。
モリソンは昭和6年11月22日、材木座の屋敷で87歳で亡くなり、横浜山手の外人墓地に眠っている。
昭和40年代にモリソン屋敷の建物の一部が解体され、のちにすべて解体され、残っているのは門柱のみである。
モリソン氏は横浜クリケットクラブを設立し日本にクリケットを紹介した人とも知られている。
モリソン商会の建物は一部が神奈川芸術劇場裏(横浜市中区山下町54)に現存しており、「旧横浜居留地48番館」として神奈川県の文化財に指定されている。
文化財目録に「明治16年創建の横浜居留地建築唯一の遺構。石灰目地のフランス積み煉瓦造り。モリソン商会の建物として大正15年まで使用された。」とある。
1950年代の写真に、モリソン屋敷が写っている。

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材木座海岸

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おんめさま

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おんめさまの南天桐と南天

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おんめさまのクラマーズシュープリーム

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巽神社

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巽神社は、801年に、蝦夷征伐に向かう征夷大将軍の坂上田村麻呂が葛原ヶ岡に勧請したのを始まりとし、1049年に源頼義が改築したと伝えられる。
祭神は、奥津日子神、奥津日女神、火産霊神。
壽福寺の巽方向に位置することから壽福寺の鎮守として崇められ、巽荒神と呼ばれていた。

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