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2017年9月15日 (金)

夕陽妄語2 1992−2000

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本書を読んでいると、こうした真面目な論評(ユーモアもたっぷりある)が新聞紙上には出てこなくなっていることに気づく。
同時に、「たとえば「南京大虐殺はなかった」ということから、日本の未来は開けない。未来へ向かって開けるのは、「南京虐殺をくり返さない」ということである」(P.144)という指摘が、いまも有効であるのは、何を物語っているだろうか。
これは、実に、四半世紀前の加藤さんの言なのである。

同様に、例えば次の指摘もいまも有効で、いちいち解釈は不要だ。
「ロシアや中国には核兵器がたしかに(「たしかに」に傍点)沢山あって、日本側は格別さわがず、北朝鮮に一つか二つあるかもしれない(「かもしれない」に傍点)という話になると突然危機になり、脅威になり、有事立法談義がまきおこるのは、なぜか。」
「日本政府によれば日本国の安全には、米国の傘が必要である。とすれば、立場を変えて、北朝鮮の安全にはロシアの核が必要なはず、それがなくなれば、独自の核も必要だろう、という結論が、日本政府の論理そのものからななぜ出てこないのか。」
「たとえば昔「ABCD包囲網(「網」に傍点)」に日本がどう反応したかを、今想い出して、なぜ反対しないのだろうか。」
(以上P.255)
『』日本国憲法は、安全保障に関して、冷戦の前提に真っ向から反対する。相手をあくまではなくて、「平和を愛する」者と見なす。「平和を愛する諸国民の講師と信義に信頼して、」みずからの「安全と生存を保持しよう」というのである(憲法前文。(中略)特定の国が平和を愛するか、武器を愛するかは、当方の相手に対する態度を変えてみなければわからないことである。敵として遇すれば相手も当方を敵として対応するということから、友好的に対したとき、相手方がいかに半のするかを知ることはできない。少なくとも当方の態度を変えて相手の出方をみようとするのが、憲法の精神に副(そ)った政策であろう。』(P.507)
そして「二〇世紀の最後の四年間に日本の政治は「右寄り」の方向に進んだ。その先にはおそらく東北アジアでの日本の孤立があるだろう。国際的孤立は、外に向かっては緊張を、うちに向かっては民主主義の交代をもたらすにちがいない」(P.520)と書いたのは、「二〇〇〇年師走」のことであった。

京都国立博物館で2000年に開催された「若冲展」を、ご覧になっていたのですね。

加藤周一/著
筑摩書房

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