« 「ベルギー 奇想の系譜」展と「この世界の片隅に」8回目 | トップページ | 戦争中の暮しの記録 »

2017年8月13日 (日)

歴史に生きるローザ・ルクセンブルク―東京・ベルリン・モスクワ・パリ 国際会議の記録

170528_001
本書は、現代におけるローザ・ルクセンブルク研究者それぞれからの報告集である。
今の時代、ローザ・ルクセンブルクか。
ローザ・ルクセンブルクの課題は、民主主義と独裁、民族と階級であり、それは今も私たちの課題である。

民族と階級をめぐっては高島善哉氏の「民族と階級」を思い出すまでもなく、マルクス主義にとっての課題であったはずだが、とりわけ第二次世界大戦後の民族解放とマルクス主義とが結びついたところで、その方向が一定程度定まってしまったのかもしれない。
本書でも第3章を中心に民族が取り上げられているのだが、その中で「マルクス主義:民族主義(ナショナリズム)の挑戦にどう対応したのか?」という趙凱栄氏の論文では気になる記述があった(他の中国の人の論文でも気になることはあったが)。
ルクセンブルクのいう「『民族』国家廃絶後の世界」を紹介する文章の締めくくりで「ソ連邦の樹立はその方向を目指していたが、ロシア人中心主義を克服することができず、失敗した」との引用をしている。(P.198)
一方で、ナショナリズムに対するあマルクス主義の失敗を論じたところで、ソ連邦と東欧諸国の解体は、「マルクス主義イデオロギーは、ソ連邦や東欧諸国のさまざまな諸民族の民族的イデオロギーになることがなかったことが主な原因である」としつつ、『この点で、中国は成功している。重要な経験の一つは、マルクス主義と中国の具体的現実を結びつけることであり、「中国人の民族性を擁護したこと」である』(P.202)と述べるのだが、中国もまた、漢民族中心主義が展開されているのではないか。

「ロシア革命論」にいう「Freiheit ist immer die Freiheit des Andersdenkenden.」は、もともとはノートの欄外に書かれていた言葉らしい(P.248)。

はじめに
序 ローザ・ルクセンブルクの「遺体論争」-遺体はどこに眠るのか/伊藤成彦
第I部 ローザ・ルクセンブルク研究の新しい波ー2007年4月東京国際会議からー
 第1章 ローザ・ルクセンブルクの遺産の継承
 第2章 民主主義・社会主義の概念とローザ・ルクセンブルク
 第3章 「資本蓄積論」とグローバル化した資本主義
 第4章 ローザ・ルクセンブルクの活動の諸側面
 第5章 パネル討論
第II部 ローザ・ルクセンブルクの現在的価値-2008年5月東京学術シンポジウムから-
第III部 2009年 虐殺90年にあたって-ベルリン会議からモスクワ会議
 第1章 ベルリン国際会議から
 第2章 モスクワ会議
クレムリンを越えてパリへ-あとがきにかえて
『日本語版ローザ・ルクセンブルク全集』刊行中止の経過報告

伊藤成彦/著
社会評論社

|

« 「ベルギー 奇想の系譜」展と「この世界の片隅に」8回目 | トップページ | 戦争中の暮しの記録 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 歴史に生きるローザ・ルクセンブルク―東京・ベルリン・モスクワ・パリ 国際会議の記録:

« 「ベルギー 奇想の系譜」展と「この世界の片隅に」8回目 | トップページ | 戦争中の暮しの記録 »